日用品も使いようってね
下り階段まででいいと言ったのに、わざわざ31階まで降りてきた。
「それじゃ、ありがとな」
「構わんさ」
自分が向けた理不尽な偏見の謝罪には遠く及ばない。
ふるりと首を振るシスの背後でルイスは肩をすくめる。まったく、何でもかんでも思い込むのだから困る。
「コウヤさん、こちら。よかったら」
いいところがなかったのでこれくらいは。
ニルスは鞄から取り出した薬草の束をコウヤへ渡す。
彼女はアレイヴ族の薬師だ。木の実や草から薬を作り、処方する。
この世界に召喚されてからは、迷宮に自生する植物を研究して探索に役立てているという。
「ありがと」
「こちらこそ。どうかお気をつけて」
にっと笑い、コウヤはニルスからもらった薬草を鞄の中へを大事にしまう。
これは大いに役立つだろう。彼女が作る薬はよく効く。町に滞在している時も、薬を作ってくれと依頼が殺到しているところをよく見る。
「……おい、あれって……」
「噂の……ヘーグリンド、近寄るなよ。殺されちゃかなわねぇ」
嫌な声が背後から聞こえた。
振り返らなくてもわかる。ちらちらとこちらを見ながら、あるいは指差しながら会話しているのだろうことくらいは。
今までも何度もあったし、もはや慣れてきた。シスたちと和やかに別れようという今、いちいち突っかかるのも面倒臭い。
言ったところでどうせ信じないし、無視するに限る。
大変だなと肩を竦めるルイスと顔を見合わせ苦笑し、そこで不意にシスが動いた。
「貴様ら、いわれもない侮蔑は止めよ」
顔を見合わせ噂話を交わす4人へ、シスがぴしゃりと言い放つ。
不快だ、聞かせるな。しかもいわれのないことをだ。そう言い咎めるシスの姿に、噂話をしていた男たちは目を白黒させる。
彼女は『仲間殺し』を糾弾する筆頭ではなかったか。
だからこそ、聞こえる距離でわざと話をしたのに。この会話が聞こえ、彼女の非難の後押しとなれるように。
糾弾者筆頭がいるから安心して話したのに。背後の通行人なんか関わってこないだろうと。なのに。
無意識にそう思っていたことを覆され、男たちはうろたえ、こそこそと気まずそうに退散していく。
ふん、と憤慨した様子で男たちの情けない背中を睨み、それから嘆息する。
「今後あのような話はさせぬようにしたいものだな……」
「あぁ。庇ってくれてどうも」
***
シスたちとも別れ、必要なことも済ませたコウヤは31階の町から続く下り階段に向かう。
ささっと魔物討伐のクエストを受注してきた。これをこなしがてら、30階からずっと下に降りて11階の町を目指す。途中何度か野営を挟むだろう。
いざとなれば迷宮内に点在する一方通行の転移装置で町に帰ればいい。
中層はすでに何度も行き来したことがあるところだ。よっぽどのことがない限り命の危険はないだろう。おそらくは。
そう思っているとその『よっぽど』が起きるのだ。気を引き締めるべきだ。警戒している時に限って案外そんな事態は起きないという法則にのっとり、いつも以上に気を張って進もう。
中層にいる敵対存在は魔物だけではない。
12階の精霊峠に住む精霊たちもその対象だ。精霊たちは悪戯や試練のつもりで探索者に戦いを挑む。
精霊自身が戦うこともあれば、精霊がその権能で適当なものから魔物を生み出すこともある。
たとえば、精霊が空中に漂う魔力を編んで凝縮すれば、それはエレメンタルとして構成される。しかも精霊が作ったエレメンタルは濃い魔力により自然発生したエレメンタルよりもひときわ強い。
そうやって精霊の手で作られた魔物が徘徊し、また血の気の多い精霊もうろついている。
迷宮を進むコウヤの前に水の精霊がひらりと現れた。
「アハハ! ネェ、動ク水ヲ見タコトガアル?」
手をかざし、空中の水分を集めて水の塊を作る。そこに精霊の権能で力を与えると。
「ウルラニ、遊ビマショウ!」
どぽんとヒトの形をした水の塊が現れた。
ウルラニ。水によって起動されたものという意味のある魔物だ。
水たまりからヒトの上半身が生えたようなそれは、精霊が作った魔物である。
「"ズヴォルタ"!」
精霊の出現、魔物の生成。素早く状況を把握したコウヤは剣を握る。
振り下ろした刃は水の体を貫通し、手応えをなくす。まったく効いてない。
「やっぱり切れねぇよなぁ!」
知ってた。水の塊なんて切れるはずがない。
刃で分割することはできても、切断することなんて不可能だ。
刃が通らない。ならば対処は不可能かというとそうでもない。
こうして作られた魔物だが、仕組みはエレメンタルと同じだ。体のどこかに力の集結点となる核がある。
つまり、核を破壊することができれば、力を失って自壊する。
コウヤが狙うべきはその核だ。
エレメンタルのようにわかりやすい結晶があるわけではない。無色透明な水の塊の中の、無色透明な核を探し当てなければならない。
どうやって。こうやってだ。
生憎、コウヤの持つ武具は"ズヴォルタ"の剣と盾だけではないのだ。
単独で中層を踏破するために、あらゆる武具を持っている。
「効けよぉ!!」
腰飾りのひとつを外し、水の塊へと投げ込む。
これは何か。武具だ。だが、"ズヴォルタ"ほど大層なものではない。
武具は誰でも発動できるわけではない。それなりのものは適切な適性が必要となる。
その適性は1人1つ、あるいは2つが原則だ。理由はわからない。『そういうルール』だ。
適性がない武具を使用する場合、その発動は不完全なものとなるか、完全に能力を発現するために必要以上に魔力を消費する。要するに出力かコストが犠牲になる。
ただしその法則は戦いに用いる武具の話だ。
固有の名前すら持たない低級の武具の場合はその限りではない。
火打ち石の代わりに用いられる炎の武具のように、冷凍保存用の氷の武具のように、一般家庭で使うためのものならば適性など関係なく誰でも使用できる。
出力もコストも考える必要はない。ただの便利な道具として使えばいい。
コウヤが投げ込んだ銀の小さな玉は、一般家庭に普及している冷凍保存用の武具だ。固有の名前すらない最低級のものである。
だが、そんなものでもしっかりと武器として使うことを目的として魔力を込めれば、それなりの威力を発揮する。
たかが冷凍保存用のものだとしても、出力を変えれば水くらいは一瞬で凍結できるのだ。
コウヤが投擲した武具が発動し、ぱきん、と水の塊が一瞬で凍る。
凍るのがわずかに遅かったそこが力の集結点の核だ。人体でいえば額にあたる部分へ刃を突き立てる。
びき、びき、と氷にひびが入り、そして核を貫かれてウルラニは自壊する。
「アハ! ヤルジャナイ!」
ウルラニを打ち砕いたコウヤへと、頭上から水の精霊がはやしたてる。
はしゃぐようにひらひらと飛び回った後、金色の光はどこかへと飛び去っていく。
精霊は悪戯か試練のつもりで探索者に挑む。
それが打ち破られれば素直に退散するというのが精霊たちの暗黙のルールなのだそうだ。
探索者はひとりが独占してはいけない。
「やれやれ……」
いきなりひどい目にあった。ウルラニに投げつけた銀の玉を拾って腰飾りに戻し、コウヤは溜息を吐いた。
頭上には新たな精霊がひそやかに迫っている。この気配は樹神の精霊だろうと判じつつ、再び"ズヴォルタ"を手に取った。




