「やった」は「やれてない」
かちかちと歯を噛み鳴らし威嚇音を立てているジャル・ヘディへ"ズヴォルタ"を構える。
あの甲殻は"ズヴォルタ"の剣では貫けないだろう。突破の名を冠してはいるが、あの堅殻の突破は難しい。
射程圏内であれば何でも噛み付く大口。一見隙がない。だがジャル・ヘディには生物として致命的な欠陥があるのだ。
その弱点を知っているコウヤは左手を振りかぶった。左手で石を拾い上げ、をジャル・ヘディへ投擲する。
小石を囮にする。否。もう一歩先だ。
ジャル・ヘディには致命的な弱点がある。それは、頭頂部の疑似餌に何かが触れた時、条件反射として噛み付いてしまう。どんな状況でもだ。
それがたとえ、噛み付いた隙の口腔を狙っている外敵が目の前にいても。
ひゅ、っと風を切って投げ込まれた小石は疑似餌に直撃した。花芯が揺れる。
『獲物が触れた』。条件反射でジャル・ヘディは花芯に触れたものを捕食せんと口を開ける。
「バカが!!」
小石に噛み付くために開いた口腔へ、剣をずぷりと突き込んだ。
「やったか……?」
この台詞を言う時はだいたいやれてないのだ。それを証明するように甲殻が揺れる。
わざわざ口の中に飛び込んできてくれた獲物だ。愉悦さえ浮かべ、そして。
口を閉じる。そうすれば獲物は動かなくなる。それを知っているジャル・ヘディは顎を動かす。
「っの……"ベルソル"!!」
ルイスが蔦を召喚し、今まさに閉じんとする上顎を引き留める。
だが、そう長くはもたない。ぶちぶちと力任せに蔦が引きちぎられていく。棘を刺し、毒を流し込んで動きを弱めるがそれも効きが薄い。
しかしそれでいい。一瞬だけ時間が稼げれば。その間にコウヤが剣を引き抜き飛び退り、そして反撃の用意が整う。
「下がっていろ、始末する」
これでもアレイヴ族の族長だ。一族を統括するにふさわしい実力を持つ。
シスが背中の魔術式の入れ墨に魔力を流し込む。
「原初の契約によりて来たれ、我が信仰する神の眷属」
アレイヴ族は樹の属性を信仰し、森を敬う。
すべての植物を統べる樹の神がその信仰の対象だ。
人間は神を信仰し、信仰に応じて神は人間に恩寵を与える。それが原初の契約だ。
人間と神の間に結ばれた、絶対的な誓約である。
原初の契約により、神は信徒の要請を聞かねばならない。
「――樹神よ、恩寵として眷属を遣わし給え」
シスの背中の入れ墨が淡く緑に光る。それに呼応して石畳がぼこりと波打つ。
口にまとわりついた蔦を引きちぎり、口を半開きにして次の咬撃の機会を待つジャル・ヘディの目の前で石畳が跳ね跳んだ。
「我が祈り、我らが信仰を聞き届け給え。応じて来たれ、大樹の精霊……ドリアード!!」
石畳が割れ、露出した土から一瞬で大樹が生える。
ずしん、と降り立ったそれは樹神の眷属だ。信徒の一族の掟の番人である。
枝が編まれ、ヒトの形をしている精霊は幹の中央に生る果実の顔から排除すべき敵を見た。
雷の神の眷属の眷属の眷属の眷属の眷属の末端の大口かというわずかな感慨とともに、ドリアードは腕のように編まれた枝を振り払った。
神に属する精霊の一撃だ。魔物など一瞬で粉砕するだろう。シスはそう思っていた。だが。
「っ!!」
ルイスの茨の毒でわずかに動きが鈍っているものの、ジャル・ヘディは俊敏な動きで枝を噛み切った。
続く枝の殴打も歯を立て、ひと噛みで粉砕する。
だが動揺したのは術者のシスと、その後ろに控えるアレイヴ族とコウヤだけだ。
大樹の精霊ドリアードは動ずることなく、新しく枝を生え伸ばして新たなる腕を形成する。先程よりほんの少し太く。
そうして編んだ枝を、まるで虫を叩き潰すかのように、何の感慨もなく振り上げて振り下ろす。
ジャル・ヘディが枝に噛み付く。噛み砕く。結構。振り下ろす枝は1本だけでない。ひとの形に似た人面樹だが、枝を編んだ腕など何本だって形成できる。
噛み砕くよりも早く、多く、腕を作って叩き潰せばいいだけのこと。
速度と物量。単純な問題だと大樹の精霊ドリアードは信徒の要請を叶えるべく枝を払う。
末端の末端の、順位を数えるのも億劫なほどの末席の大口が、神の直属の精霊にかなうはずがない。
ついに咬撃よりも枝の殴打が上回り、そして圧倒する。分厚い甲殻をまるでガラスか何かのように叩き割る。
「サンキュー!!」
もうそこまでやってもらえれば十分だ。コウヤが剣を振りかぶる。
一番厚い甲殻ごと頭蓋を割られかけ、瀕死のジャル・ヘディの脳天へと刃を叩き込んだ。
***
戦闘終了。完全に息の根が止まったジャル・ヘディを見、大樹の精霊ドリアードは信徒の要請を完遂したことを悟った。
シスの魔力で構成された体が融解し、ふっと消える。
「感謝いたします、ドリアード」
大樹の精霊ドリアードがいた位置へ恭しく頭を下げたシスは、顔を上げついでにダルシーを振り返る。
「貴殿も支援感謝する」
「……別に」
できることをやったまでだ。ただぼうっと突っ立っているほど無能ではない。
そう言い、冷気を放つ広刃剣を指輪に戻す。
氷剣"ラグラス"。熱を操り、絶対零度の冷気を生み出す武具だ。
「……あれ、アレイヴ族って」
アレイヴ族は森を敬い、木々を愛する。
それゆえに、木を害する火や霜で傷つける氷を厭う。
鍛造の過程で火を使うため武具も持たないし、その代わりに彫る魔術式の入れ墨も火や氷に関する能力を持たない。
そう説明されたことがあったのだが、ダルシーのそれはアレイヴ族の信条に反するのではないだろうか。
きょとんとするコウヤが疑問を言い切る前に、ルイスが割って入る。
「そこは女の秘密というやつよ。それよりも」
上層の手応えはどうだ。1対1という理想の状態で魔物と対峙してみたが、その感想は。
危ういと見て助けに入ったが余計なお世話だっただろうか、それとも良かったものだったのだろうか。
なければ死んでいたのか、なくてもよかったのか。
問いかけに、あぁー、と唸ってコウヤが返答する。
「うん、ちょっと鍛錬が必要かなぁ……と」
あの助力は大いに助かった。なければ噛み殺されていただろう。
死んでいなかったとしても、口腔に剣を突き立てていた右手は食いちぎられてなくなっていたはずだ。
そんな状況から助けてくれたのだ。そのうえ、ジャル・ヘディを瀕死にまで追い詰めてくれた。
「最近真面目に戦ってなかったからなぁ、緩んでるのかも」
これは鍛える必要がある。戦いのカンを取り戻すことが大事だ。
上層は危険が過ぎるので中層で。魔物討伐のクエストをこなしつつ適度に戦って緩んだネジを締め直さなければ。
「そうか」
それなら31階の下り階段まで送っていこう。シスたちはそこから33階を目指して探索することにする。
結論をまとめ、目的地へと足を向ける。ダルシーはいつも以上に早々に先陣を切って歩いていった。




