破壊者、対峙者、冤罪者
じっと立っている。こちらを見ている。帰還者特有の黒い影で顔はわからないのにそう感じる。
それはまるで獲物を見つけ、機を窺っているような。獣が突進する前に蹄で土を掻くような。
そんな緊張がある。
「だからといって、狩られるままであるものか!」
正体はわからない。だが『危険』ということはわかる。そんなものを前にして棒立ちしていられるほど間抜けではない。
緊張を破ったのはルイスだった。袖が大きく切り取られた両腕を振り上げる。その二の腕には複雑な模様の入れ墨があった。
アレイヴ族は森を敬愛するゆえに森を損なう火を厭う。
そのため火を使って作る武具は持たない。その代わり、戦いのための手段として魔術式を身体に刺青として刻む。
武具は魔術式が練り込まれた銀であり、複雑な魔法を起動させやすくするための装置だ。
極論からいえば、魔法を起動するだけなら魔術式だけでいい。
だから武具を持たないアレイヴ族は身体に魔術式を刻んでいるのだ。
人体か銀かの違いで、魔法を起動する構造としてはどちらも大差がない。
「災いの茨、"ベルソル"!!」
即座に魔法を起動させたルイスはその場に伏せるように両手を床につく。
頑丈な石畳が一瞬たわみ、そして石を跳ね飛ばして茨が現出する。
茨はひとの胴よりもはるかに太い。それが何本もだ。
迷宮を塞ぐほどの圧倒的な質量で茨は芽吹き出す。
災いの茨"ベルソル"。
ルイスの腕と同化している茨は絡み付いた対象に災いを与える。
棘に含まれる毒は一滴で大型の動物も即死させるほどの威力を持ち、棘に傷つけられればその傷は一生治らない。ところどころに咲く花の花粉は精神を狂わせる。
しかもそれらの効果は、術者であるルイスが敵と認定した者にのみ効果がある。
勢いよく伸び上がった太い茨は破壊者へと棘を伸ばす。その体を絡み取り、毒で侵して締め潰す。
そのはずだった。
「んなっ!?」
一瞬で茨は無残に断ち切られる。土が水を吸うように、ルイスの魔力を存分に吸って太く長く成長した茨がだ。
迷宮を塞ぐほどの質量を、たった腕の一振りで。ちぎれ落ちる茨は破壊者に到達すらしていない。
「まさか、風圧で!?」
「ルイス!」
下がれ。彼我の実力差を悟ったシスが叫ぶ。
幸いにも背後は31階への下り階段だ。安全圏は真後ろにある。問題は、この何者かが逃げる隙を与えてくれるかどうかだ。
逃げようと踵を返そうとしたら、その瞬間に殺しにかかるだろう。
立ち向かうことも不可能、逃げることも不可能。対峙するだけで神経が削られそうな緊張の中で活路を探すが見つからない。
どうする。どうすればいい。それともここで殺されるしかないのか?
私はアレイヴ族の族長だ。族長として同胞を守らねばならない。
この世界で見つけた数少ない同胞なのだ。守らねばならない。
『仲間殺し』の卑劣な男と一緒にいたら一族の者が死んでしまうかもしれない。だから遠ざける必要があった。
一握りだけしかいない一族の者を私が保護せねばならない。そのためなら森を損なう炎にだって草木を枯らす霜にだって身を晒そう。自己犠牲さえ厭わない。
だが、目の前のこれは何だ? 私一人の犠牲で終わるわけがない。
全滅。まさか。だがその最悪の想像は現実味と説得力をもって目の前に立っている。
――頭を垂れ、首を狩られるのを待つがいい。きっと優しく狩り取ってくれるだろう。
「4人とも、鼻覆って!」
諦観が囁いてくる思惟に割り込んできたのはコウヤの声だった。はっとしてシスは顔を上げる。
何かを投擲した。野営の際に火を熾すための着火用の武具のきらめきが見え、そして。
「階段降りろ、早く!」
コウヤが投擲したそれが何か正体を探る前に、言われるままに踵を返す。
転がるように階段を駆け下り、町から迷宮への出発地点となる石のアーチをくぐる。ここまで来れば安全圏だ。
弾かれるように足を動かし、階段を駆け下りたシスたちから少し遅れてコウヤも階段を降りてくる。
「……あいつはどうした?」
「追い払った。精霊除けの香が役に立ったよ」
あいつはどうなったと問うルイスにコウヤが返答を返す。
精霊除けの香を持っていてよかった。破壊者に効くかどうか一か八かだったが効いてよかった。
火を付けた精霊除けの香を思いっきりぶん投げたら、破壊者は飛び退って距離を取った。その隙にコウヤも階段を降りて町まで逃げてきた。
「よかったです……本当に……」
死を直感していた。生きる活路が見いだせなかった。
本当に良かった。逃げる隙を作り道を切り開いてくれたコウヤのおかげだ。
安堵で浮かんだ目元の涙を拭い、ニルスがコウヤに微笑んだ。本当に良かった。
「…………コウヤ、あれは何だ?」
あれは何だ。シスが問う。
一瞬で人間を殺すほどの瞬発力と膂力を持ち、災いの茨を拳圧で切り刻み、そして対峙するだけで神経を削る威圧感を放つあれは何だ。
あれはまさに、コウヤが言っていた『犯人』そのものではないか。
まさか存在していたのか。自分の無罪をでっち上げるための捏造ではなく。本当に。本物が。
「あいつが犯人だよ」
「…………嘘だろう……?」
嘘だろう。否。嘘ではなかった。本当に実在したのだ。
腕の一振りで人間の頭を潰す、ひとの形をした怪物が。
愕然とする。そしてその次に罪悪感と自己嫌悪と羞恥がわく。
「コウヤ。すまない。許してくれ」
いわれのないことでなじり、石を投げる真似をしてしまった。
アレイヴ族を取りまとめる族長として誤った行動はしてはならぬというのに。
思い込みから偽の情報に踊らされ、そして。自らのなんと愚かなことだろう。
まったく愚かなことだ。シスは深く深くコウヤに頭を垂れる。
間違っていた。どうか許してくれ。なんとひどいことをしてしまったのだろう。
「い、言ったじゃないですか! コウヤさんは無実だって!」
「あぁ、そうだなニルス。お前にも悪いことをした」
コウヤを庇うニルスにも冷たく言ったことが何度もある。
つらい思いをしたことだろう。一族を守らねばならない者が一族の者を傷つけるなどもってのほかだ。
自らを強く強く恥じ、シスは重ねて謝罪を口にする。
「いいよ、わかってもらえりゃ」
贖罪のためなら首を差し出すとまで言いかねないシスにコウヤは首を振る。
いちいち大げさな。わかってもらえればそれでいい。理不尽な態度については今謝ったのだからこれ以上は野暮だ。
謝罪合戦になる前に、この話はこれっきり水に流そうじゃないか。もしこれから先、いわれのない噂が囁かれるところを目にしたらその時は喧嘩にならない程度に諌めてほしくはあるが、義務ではないので要求はしない。
「さぁて。それでは聞かせてもらいたいのだが、よいか?」
「ルイス、なんだ?」
「あれは何だ?」
シスの『あれは何だ』はコウヤが主張していた犯人であるのかどうかという問いだったが、ルイスのそれは意味が違う。
あれは何だ。何者だ。その正体を問う。
「あー…………長くなる。どこかで落ち着いて話せるところでいいか?」
真実を知ってもらうことはコウヤの無罪の証明だ。
あれが破壊者であること。帰還者であること。世界の終末装置であること。倒すことは不可能であるということ。
そのあたりは絶対に知ってもらいたい情報だ。だって、これから先の探索で遭遇するかもしれないのだから。
「落脚亭だな。そこなら長話もできよう」
「わかった。じゃぁそこで……って、早いなダルシーは!!」
話がまとまったようだ。話の終わりを悟ってダルシーが無言で歩き出す。
彼女は終始一貫してコウヤの無罪冤罪云々に興味を示さないし口を挟まない。その態度はまさに、パーティの仲間さえ生きていればあとはどうでもいいと言いたげだ。
武具を身に着けず魔術式を入れ墨として刻むアレイヴ族にありながら、入れ墨もなく武具を身に着ける不思議な彼女は、いつかその理由を教えてくれるのだろうか。
ほんの一握り以外のすべてを拒絶するその態度がいつか緩めばいい。
そう思いながら、コウヤも落脚亭へと歩き出した。




