『前』からの因縁、ふたつ
とある国の農村にひとつの家族がいた。木こりの男と薬草摘みの女の夫婦にはひとりの娘がいた。
片手で歳が数えられるほど小さな少女だった。ぬいぐるみがお気に入りで、どこにでも連れていくほど愛着を持っていた。いたって普遍的な子供だった。
子供をもうけた夫婦の生活は村一番豊かだった。というのも夫婦揃って武具の適正に恵まれていたからだ。
男は大斧で巨木を数本軽々なぎ倒せたし、女は泥で作った小さな人形に薬草摘みを手伝わせていた。
夫婦のおかげで村は近隣のどこよりも発展していた。小さかったが物資に困ることはなく、平穏で幸福だった。
それを引き裂いたのは流行病だった。酷熱病という病が小さな農村を襲った。
「メアリーはあっという間に死んで……娘にも感染した」
そして娘は病床に臥せた。いつも連れているぬいぐるみを抱いて高熱にうなされていた光景はよく覚えている。
自分は何もできず、ひたすら娘の手を握り額に水で冷やした布を当てていた。
この時ばかりは自分の丈夫さが恨めしかった。自分ではなく、妻や娘が感染してしまうなど。熱に苦しむのが自分であったならどんなによいか。
妻の遺品整理もろくに終わっておらず、病に臥せる娘の枕元には妻の形見となった小さな武具が置いてあった。
妻はその武具で薬草摘みの仕事をしていた。
泥で人形を作り、自分の命を数分間だけ割譲することで動かし、どうしても採れない場所にある薬草の摘み取りを手伝わせていた。
お守り代わりに置いてあったそれを手元に引き寄せ、娘は高熱にうなされながら母の名を呼んだ。
「それで……娘は願ったんだ」
「願ったって……何を?」
「……"わたしがいなくても、くまさんがおとうさんのそばにいますように"」
割り込んだのはネキアだった。
割り込んだが話の主導権を奪う気はないようで、ジョラスに話を任せた。
それで、とジョラスは続ける。
高熱にうなされ、自らの死を悟った娘は遺される父親のことを心配した。自分が死んだら父親はひとりになってしまう。
きっと寂しいだろう。つらいだろう。だから、それを少しでも拭えるように、このぬいぐるみが自分の代わりとして父親のそばにいますように。
どうか、このぬいぐるみが自分の代理となりますように。
死んだ母が遺した武具が母の代わりとして存在しているように。自分もまた、このぬいぐるみが自分の代わりとなりますように。
すべてをそっくりそのままあげるから。
「……それで、武具が発動した」
どういう偶然の一致か。母が使っていた武具の適正は娘にもあったのだ。つまり、娘は母の武具を使えたのだ。
小さな娘の願いを引き金に、それが発動した。すべてをそっくりそのままあげるという願い通りに、小さな娘の命は全割ぬいぐるみに割譲された。
小さな娘の肉体は寿命の残り時間を失って死に、そしてその分を引き受けたぬいぐるみに生命が与えられた。
「……ええと、つまり」
武具の能力は残り寿命から切り取って命を与えるもの。それは理解した。
自分の寿命を5分減らして人形を5分操る。そういう使い方をするのだろう。
「それを全割ってことは」
たとえば。熱病にかかった時点のネキアの寿命の残り時間を100年として。
残り寿命100年、丸々全部ぬいぐるみに与えた、ということか。
そうすることで残り寿命がゼロになった娘は死に、ぬいぐるみは100年の寿命を得る。
これは擬似的にぬいぐるみに乗り移った、ということなのだろうか。
理解が追い付かない。成程それは"複雑な事情"と言うにふさわしい。
「……その娘ってのが、儂……いや、わたしだよ」
「…………もしかして」
ジョラスの語り口は父親の視点だった。そして、熱病で死んだ『娘』の命を全割譲されたぬいぐるみの話。
もしかして。まさか、ネキアは。
「おう、ネキアはジョラスの娘だぞ」
「はぁ?!」
今初めて知った。命の全割譲の話よりも驚いた。思わず素っ頓狂な声を出してしまう。
老人の姿で壮年の男の娘と言うには矛盾があるからと公にしていなかったのだろう。だが。
「ま、そういうわけじゃ。……おっと、そういうわけね」
見た目相応に口調を直しつつ、ネキアが微笑んだ。
言ったろう。悪いことはしていない。
布と綿の集合体であるぬいぐるみでは活動するのに難がある。
そういうわけで、死体にいくらかの寿命を割譲し操ることで、自由に動かし喋らせ、活動や意思疎通を行うものとした。
そうして『人間の肉体を使う人形』ができあがった。
割譲した寿命が尽きる頃に新しい入れ物を用意し、それに乗り換える。
そろそろ交換の時期だったので、こうして8階で新しい入れ物を探していたわけだ。
人死にが多く出る8階ならば、入れ物の調達も容易だろうと踏んで。
「それが俺たちの事情さ。……重ねて言うが、他言無用だぞ」
こんな厄介で複雑怪奇な生い立ちなんか、軽率に言いふらしていいものではない。
それでもコウヤに教えたのは、ある程度の信頼を寄せているからだ。
「その意味をよくよく噛みしめるように。……俺たちをコソコソ窺うことはやめてくれ」
「う」
「あれだけジロジロ見られてたらなぁ?」
「悪かったよ」
だがこちらも自分のために必要だったことなのだ。
ジョラスたちが何をしているのか突き止めなければ、黒衣から精霊除けの香がもらえない。
精霊除けの香がもらえなければ、ネツァーラグからあの破壊者についての情報が聞けない。
情報がなければ、あの破壊者を白日の下に晒す算段もつけられないのだ。
「交換条件だ。俺たちの事情を知ったぶん、お前の事情も教えろよ」
***
この世界には塔しかない。塔とそれを支えるわずかばかりの陸地。そこ以外は虚無だ。
この陸地は堅牢なる土神の眷属の竜の背中であるという話があるが真偽はわからない。
わかるのは、塔には地下があるということだ。
塔の1階層ほどの空間を5階分ほどぶち抜いた吹き抜けの円筒形の空間。それが塔の地下だ。
そして、その空間にはあるものが吊り下げられている。
『それ』は、あまりにもおぞましいものだった。
基本の形はヒトの上半身に似ている。頭らしき突起があり、胴らしき塊から手らしきものが生えている。
それが人間の形といえない理由は、手らしきものが頭らしき突起の真下にあることだ。人間の身体でいえば、顎から両腕が生えている。
ふたつの手らしきものの間には口らしき空洞があり、唇のように淵が盛り上がっている。そこから舌をだらりと垂らすように、眼球で埋め尽くされた触手が生えている。
その手らしきものだって手の形をしていない。根本を肩と仮定した場合、肘にあたるだろう関節があり、その先に手首にあたる関節と指にあたる関節があるというだけで。
関節から関節までの長さの比率もヒトのものとは違う。ヒトのものならば肩と肘、肘と手首の長さは等しいはず。だが『それ』の肩らしき関節から肘らしき関節までの距離は異様に長く、肘らしき関節から手首らしき関節までの距離は短い。
そして頭らしき突起には顔らしきものはなく、つるりとした表面に縦に裂けた瞼があり、眼球がある。目だけでヒトの身丈を3人ぶんほど越える。眉も睫毛もない。
その赤い瞳孔は上下左右に激しく動き回り、まるで無限に跳ね続ける玉のようだった。
胴らしき塊の背中にあたる部分には翼が存在している。存在はしてはいるものの、よく見ればその表面を覆っているのは羽毛ではなくヒトの手だ。腕が連なり絡み合い、翼の形をなしている。
あまりにもおぞましい怪物。しかもそれはまるで生物が呼吸するようにわずかに上下している。
だらりと伸びた『手』には裂け目のようにところどころに『口』がある。
その口は近づくものを無差別に捕食する。『手』から裂けるように腕が生え、餌を掴み、口へと運ぶ。
「ほんと、化け物さぁ」
おぞましい怪物を見上げ、黒衣は呟く。
スカベンジャーズはこの怪物の無差別に捕食するという特性を利用し、廃棄物の処分を行っている。
『それ』が何なのか、黒衣は知らない。あれにまつわるものといえば、カンザシという単語を聞いたくらいだ。
誰も知らない。スカベンジャーズの頭領なら知っているかもしれないが、正体を問うのはためらわれた。
『それ』の正体を知ればきっと致命的な何かが壊れる。そんな予感がした。
だからスカベンジャーズの誰もがその正体を突き止めることもせず、ただ特性だけを利用している。
無差別に捕食する性質と、もうひとつ。『それ』を削ぎ落とした塊は、火を付けると異臭を放つ。その異臭を魔物も精霊も避ける。仕組みは知らない。知りたくもない。
「さぁて……っと」
塊を削ぎ落とすため、鋼鉄のワイヤーで何重にも拘束されている部分がある。
そこへと近づき、黒衣はナイフを振り上げる。
「こんなもん、動き出さないようにしねぇとさぁ」




