システムに則る者
珍しい客が来たものだ。司書ヴェルダは驚いた表情で来訪者を見た。
「珍しいわね、あなたが来るなんて」
「そろそろ駒は出揃ったと思ってね」
時を見送るのも飽きた。いい加減に動き出すとしようじゃないか。
そう語る彼の口ぶりはまるで劇の演者のようだった。
「ルッカも出きったろう、駒の追加も止まる頃じゃないかい?」
「そうね。……あの子はまた、荷を背負うのね」
「そう望んだのは彼女の方さ」
ある意味自業自得なのだ。嘲笑うように肩を竦めた。
「ご歓談中、失礼します」
とんとん、とノックの音。次いで扉の向こうから呼ぶ声がした。
窓口の職員だ。どうしたのだろう。どうぞ、とヴェルダが用件を促した。
「司書が歓談中のお客人に会いたいという方が……」
曰く。先程の帰還者の『削除』の折に命を助けられた探索者だという。
礼を言いたいので会わせてくれとのことだ。
「興味ないな。……ネージュ?」
彼の肩に止まる金色の光が、彼へと何かを囁いた。
声ならざる声で会話をし、あぁ、と彼はうっそりと目を細めた。
「気が変わった。会おうか。……ヴェルダ、部屋を用意してもらえるかい?」
「私が退室すればいいだけでしょう。この部屋を使いなさいな」
そういうわけで。この部屋に通すようにと扉の向こうの職員に告げ、ヴェルダはゆっくりと立ち上がる。
「『今週』も頑張りましょうね、お互い」
からん、とどこかでベルが鳴った。
***
あの男はいったい誰だ。
いや、正体については最悪何もわからなくて構わない。とにかくあの男に命を助けられたことは事実だ。
無策でダレカの前に飛び込んでいってしまった自分を庇ったわけではないだろうが、とにかく助けられた。
そしてその恩に無礼でいられるほど、コウヤは図太くも図々しくもない。
そうして男の足取りを追って図書館へ。窓口の職員に用件を告げる。
確認のため待たされ、ややあって、談話室へと通された。
「どうも。何用かな?」
銀髪の男だった。長髪をそのまま下ろし、純白の白いローブをまとっている。
肩に落としたフードのたるみの影に金色の光が潜んでいるのが見えた。
あの金色の光は何か知っている。あれは精霊だ。
精霊とは、この塔を作った神の眷属にあたる神秘生物だ。神が塔を創造したのなら、精霊はその塔の管理維持を担うと言われている。
戦闘や何らかの原因で迷宮の石の壁が破壊されればそれを修復し、探索者への試練として迷宮に仕掛けを施し魔物を生む。
一説には、迷宮のあちこちに生える植物が突如別の種に生え変わるのも精霊のしわざという。
その精霊が姿を『できるだけ』隠す時、金色の光をまとう。
この形態は一定のランクとレベル以下の探索者には見えないもので、ある程度の経験を積んだ探索者ならその姿を捉えることができる。
精霊というものの基本形態だ。
「コウヤです。あの……さっきは助けてもらったんで……」
「礼ならいいさ。あれが僕の仕事だからね」
「……仕事?」
「僕は守護者さ。……聞いたことはあるだろう?」
守護者というのは、魔物や精霊の特性を利用して戦いや生活に役立てる者のことを言う。
人と人ならざるものの間の境に立ち、その境を守護することからそう呼ばれる。
探索者ではないが、探索者と同じく戦う力を持っている。
「あぁ、紹介が遅れた。僕はネツァーラグ。ネツァーラグ・パンデモニウム・グラダフィルトだ」
「ソシテ、ワタシガ氷神ノ子、ネージュヨ!」
フードから金色の光がぴょこりと身を乗り出して声を発した。
精霊は個体名を持たない。精霊は精霊だ。属性により火の精霊や氷の精霊と呼ばれるが、名前というものは存在しない。
だが、この個体だけが特別にネツァーラグに興味を示し、ついて回っているから判別のために名付けたのだという。
「不具合を修正……いや、帰還者を浄化するのが僕の仕事さ。君を助けたわけじゃない」
「帰還者を?」
帰還者はどうしようもできないものだ。それがコウヤの認識である。
『帰還者は倒せない』。『一度生まれた帰還者は消すことができない』。それがこの世界の原則だ。
なぜ。理由はない。『そう』だから『そう』なのだ。
歩行するのに理由が必要だろうか。呼吸し、鼓動を打つことに理屈が必要だろうか。
理由なく理屈なく『そう』だと受け入れるしかないのだ。
コウヤはその認識でいるし、いつだったかに帰還者について調べた時、本が告げた内容もそうだった。
たとえるなら、インクとペンで文章に書きつけた文字だ。
生きている人間はきちんとした文字で、帰還者は書き損じてしまった文字。
書き損じた文字だとしても、紙に書いた以上は消すことができない。
上からインクを塗って塗りつぶしてごまかすことはできるだろう。
だが、生まれてしまったものを根本から消滅させることはできないのだ。
紙を破棄でもしない限りは。
「ネージュ……精霊の力を借りてね。ちょっとした裏技みたいなものさ」
インクとペンで書きつけた文字のたとえで言うならば、書き損じた部分だけを切り取るようなものだ。
あまりやりすぎると紙が穴だらけになるので滅多に使えない方法だが、あぁして町に現れてしまった帰還者は緊急措置として『削除』した。
「エラーヲ直シテ回ッテル、システム管理者ッテワケ」
精霊が迷宮の石の壁のほころびを直すようなものだ。
まるで生徒に師事する教師のような口ぶりで精霊が告げた。




