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異能者のハコニワ  作者: 汐見圭
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第01話 『知らない、視えただけ』

 ……はて? これまた面妖な。

 キミはどうしてこんな所に居るんだい?

『……………………』

 なんだ、分からないのか。

 それならキミも、こちら側って事だな。

 残念ながら、帰り道は誰にも分からない。自分もここに落とされて十数年、元いた場所を探すことは諦めたよ。

 大丈夫、この世界にはキミが思っているよりも優しく出来ている。この寒さにも、じきに慣れてくるだろうさ。

 しかしながら、これは本当に不幸なことに――世界は確かに優しいが、キミを待ってはくれない。

 それを苦行と捉えるか試練と思い込むかは、キミの自由だ。

 一つは、今からそう遠くない、暑い時期だ。ふふっ、笑わせる。――閉ざされた庭園の中に、悪童が微笑む姿が見える。

 キミに助言するとすれば……、人は誰しもが願う存在だ。それは私たちとて同じ、だからそれを引き留めることは出来ない。完全な幸せを求めることは不幸への近道と考えたまえ。

 話題を戻そう。

 もう一つは、それから更に遠い未来。

 ――本当の恐怖は、キミが見慣れた景色の中に存在する。しかし、努々勘違いすることなかれ。現実が歪むのではなく、歪んだ現実が表出するだけの話だ。

 そして最後は、更に遠く離れた、誰もが望んで、そして至らなかった場所で、それは起こる。

 現実からの意趣返し。人間達による叛逆。変革は世の常だ、

 非現実と『非』非現実の激突は免れない。

 もっともキミはその時、こんな戯れ言など既に忘れ去っているだろうが……。


 実に時期の明いた、起こる場所や時間もバラバラの、点と点でしかない事件のいずれも、彼女にとっては些事に過ぎない。これらは全て観測者へ至るための前座だ。

 感情を握れ。

 すべてが君の血肉になるとは限らない、殆どは毒となる。さりとて、この旅路が無駄という事にはなり得ない。

 ほう、勿体ぶった物言いに苛ついているか? 残念ながらこの先は、私の目を以てしても視る事が出来ない領域なのだ。


 少々、怖がらせてしまったかな?

 心配は無用だよ。確かに君の行く手には数多の障害が待ち構えているが、それを挫き、扶く人も同じぐらい存在する。

 だから今は眠るといい。む、私か? すまぬな、私はこれから行くべき場所があるのでね、今すぐ君の力にはなれそうにないのだ。

 その代わり、約束しよう。

 本当に君が必要としたとき、私は君の力になろう。

 ……うむ、気持ち悪いほどの曇天だな! このままでは一雨来るかもしれないので、そろそろお暇させて頂くとしよう!

 しがない魔女の老婆心に付き合ってくれて、本当に感謝するよ。

 そして――君が歩む茨の道程に、幸多からんことを。



×



 彼がそれを耳にしたのは、夜が長くなり、吹きすさぶ風が肌を傷める頃になってからの話だった。

「カメラ好きの幽霊?」

 革のソファにもたれ掛かっていた男が、背筋をピンと立てた。訳扇敬(やこうぎたかし)というその男は、言葉の抑揚があまりなく、自己評価は常に中庸から一つ下、対話においては聞くことから入る。身の丈は、彼の視線の先に立つ女性――樋場莉玖(といばりく)と同じぐらい。

「古代人はよく言うじゃないか? 写真にうつると、その人の魂を抜かれちゃうっていうジンクス」

 樋場莉玖は、その金色の髪を後ろでシニョンのように纏めていて、透き通った青色の瞳は、濁りかけているようにも見える。アイボリーカラーのスーツに身を包みながら、左手では木製の杖を突いている。

「……ジンクスではなく、迷信では」

 ――噂であればいいんだが、と彼女は訳扇の訂正を無視し、面倒そうに窓の外を見やりながら続ける。

「実際、被害が出ている。報告は先々月からだが――既に十五人が病院で意識不明になっている」

 一ヶ月で七人以上。殺人事件であれば、死刑は免れない。

「それがその幽霊に関係してる、って事ですか? 短絡的というか、ゴシップ以下ですね」

「根も葉もないのか、火のない所の煙なのか、それとも……。それを確かめるのが私、ひいてはキミの仕事だ」

 それで、と樋場は続ける。

「訳扇、()()()を探してこい」

 樋場の見た目は三〇代前半の女性であり、言葉はハッキリしている。しかし、杖が無ければ、歩行も覚束ない。見た目はともかく、その身体はギリギリの所で人間を保っている――ように、訳扇には見えた。

 彼女の座るデスクの上では、いつも葉書と茶封筒とクリアファイルが戦国時代を繰り広げている。その中で永世中立を貫いているのは、彼女の胸の前にある、猫の額ほどの領域だった。

「電話、してみます?」

 ん、と彼女は頷くとおもむろに立ち上がり、デスクの引き出しから何かを取り出し、彼に放り投げる。

「持っていけ」

 腰より低い位置で受けると、それがテレホンカードの束であることがすぐに分かった。

「こんなに……、いくらするんですか」

 目視でも二、三十枚はある、輪ゴムで束ねられたたそれを見て、訳扇は遠慮がちに言う。

「誠に残念なことだが」

 コーヒーの湯気が彼女の顔を遮る。

「来週、この事務所に電話を引くことにした。よってこれは、普段の働きに免じた賞与ボウナスだと思ってくれ」

 無論、彼女の気前がそんなに良いはずも無く、これは普段の給料を誤魔化すための手であったが、訳扇がそれに気付くのはそこから一年ほど後の事になる。

「期限は?」訳扇が表情を変えずに聞くと、彼女はゆったりと杖を突きながら、自分用のコーヒードリッパーの所へと向かっていた。

「なるはや」





 これもまた常套句だったから、彼はもう踵を返していた。そのまま、入り口にそびえ立つ木目調のコート掛けから自分の外套を取る。「善処します」捨て台詞の応酬をしてから、ドアノブに手を掛けた。

 幹線道路から一歩入った路地裏にある、五階建てのビルの《《へそ》》にあたるのが、この事務所だった。

「メーヤ、今日は来るって言ってたのに――」

 青年がそう言って、一階の関係者用出口の扉をギッと押し開く。瞬間、嫌な臭いが鼻をついた。どこかでヘドロ掃除でもしているのだろうか、と視線を上げる。その先にあったのは、錆びたシャッターの下りた『前十時商店』の看板が、少し日焼けして右上から色が薄くなっている様子だった。

 訳扇は、その臭いを少しだけでも緩和したいが為に、視線を下げた。するとそこに、水流があるのが見えた。水は止まらず、コンクリートの段差に沿って左から右へと流れ続けている。自然と、彼の視線は流れの元の方と向いていく。空はまだ少し日が傾いた程度で、見間違えるほどの暗さは無かった。

「――訳扇。ごめん、遅れた」

 その言葉で、訳扇は目の前に広がっている光景の正体を悟った。

 血溜まり。ビルに挟まれた暗い路地の壁という壁に、ペンキのバケツをひっくり返したような赤、紅、朱。雨上がりのアスファルトの匂いと血液の臭い、そして血液以外の分泌物からわき上がる、悪臭の不協和音。

 その先には、バラバラになった()()()肉片が、賽の河原のように山積みにされていた。その前に立つ彼女は――不気味なほどに落ち着いていて、首一つ動かさずに訳扇を見つめていた。

「メー、ヤ」

 ――かろうじて、名前は紡いだ。だけど、感情が栓となって、言葉が喉で滞る。

「馬ッ鹿――野郎」

 彼の声帯から流れたのは、潰れたような声の、その程度の呟きだけだった。だけど、訳扇がその時どれほど酷い顔をしていたのか、彼女は少しだけ目を丸くして、やがてばつの悪い顔をしだした。

「見て、アレ」

 アレと言われて彼は、眼前の惨劇から目を逸らし、そして更に驚愕した。

 まるで足跡のように点々と、ここまでに至るまでの道々で人が倒れている。ここから見えているだけでも、ざっと五人。血が出ているようには見えないが、その人達が起き上がる気配は全く無い。

 普通に考えて、人間が日常で歩いていてこんなに集団で倒れている光景に出くわすことはあり得ない。それはテロリズム発生直後か、ここが一晩で地獄へと変貌したかの二択だ。

「あれも――殺したのか」

「私じゃない」

 彼女は首を横に振りつつ、「それに、殺してない」と続けた。

「これが犯人」

 そう言うと、彼女はその肉片の側に落ちていた何かを取り出し、訳扇に突きつけた。

 レンズまで血まみれの、古びたポラロイドカメラだった。

「ふーむ。こりゃまた派手にやってくれたもんだ」

 背後の声に、訳扇はカメラを取り落としそうになる。樋場莉玖が、いつの間にかここまでやって来ていた。

「樋場さん、これって――」

 今の今まで話していた、カメラ好きの幽霊の事なのか、と訳扇は問いただす。

「どんぴしゃり、だったようだな。もっとも、私としてはもっと話を聞いてあげる余地はあったと思うが……」

 ――いや、止そう。樋場は軽くため息を吐いて、メーヤという少女の前に躍り出た。

「事情、緊急性、場所。何れも余儀は無い。お前のその鼻の良さと直感の正しさだけは評価するが、形振り構わないのが問題だな。――そしてこの説教は何回目だ、桐生芽衣(メーヤ)?」

 芽衣と呼ばれた少女は、スカートの中から二振り――片刃、両刃――の刃物を地面に取り落とす。息づかいさえも打ち寄せる波のように聞こえる静寂の中で、軽快な金属音が響き渡る。

「忘れた」

 桐生芽衣の言葉と共に、その奇妙な形をした二丁の刃物は、その基形状が分からないほどに粉々に砕けてしまっていた。





 ――三ヶ月前――


 呼び付けたのは、第二審問室。ここの部屋は空調を最近取り替えたので、過ごしやすい。人と話をするときには最適だと私は考えている。

「それでは、面談を開始しよう」

 身長は一五〇センチ代。

 華奢な体躯。

 頭髪色・茶。

 髪の長さは肩まで。

 瞳の色、白に近い茶色。

 外見適応力、それなり。

「掛けて貰って構わない」

 少女は、どかっと音を立ててパイプ椅子に背中を預ける。

「ひとまず、速やかな協力要請に感謝を申し上げつつ――私は樋場莉玖という。キミの名前は?」

 少女は部屋の模様が気になるのか、視線を蠅のように彷徨わせたまま答えた。

「メーヤ」

 言語的差異、ほぼなし。

 意思疎通については日本語で概ね問題なし。

「メーヤ……良い名だ。(うじ)の概念はあるだろうか? ここでは家柄を示すファーストネーム――氏と、個々人を示すファミリーネーム――名前を合わせて人一人を扱う。キミにそういう、他の呼称の持ち合わせは無いだろうか?」

 何それ? と、メーヤは首をかしげる。

「ずっとメーヤ。他の名前なんてない」

 名字不明。

 育ちの事情か、慣習か。

「そうか……変な質問が続くようで済まないが、しばし我慢して頂きたい。こちらに流れてから四日と五時間という短期間で申し訳ないが、キミはこの世間を、人々を見て、どう思った?」

 彼女は、一瞬だけ左上の虚空を見やってから答えた。

「静か。街も綺麗で、人が暴れてる光景が全く無い」

 闘争危険性、中以上……っと。

「りょーかい。じゃ、関連で。人の命を奪うことについて、どう思う?」

「何でそんな事聞くの?」

 果たして、私は表情をキープできているだろうか。動揺が出ないように必死に繕いながら、闘争危険性について訂正する。

 彼女は『上』、もしくは『即時拘束対象』すらありうる。即時拘束対象の判定となった場合、少なくとも身体の自由は向こう五年は認められない。こんな年端も行かぬ見た目の少女に、そんな苦痛を強いるのは自分としても少し心が痛む。

「分かった、質問を変えよう。キミはこれまで何人殺した?」

「忘れた」

「覚えきれないほどに殺してきた、と?」

「邪魔なら殺す。邪魔じゃないなら何もしない。人は路傍の石に手を差し伸べたりしない」

「……残念ながらこの世界では、殺人には如何なる理由があろうと罰せられる」

 メーヤは、右手をぐっと握りしめると、また下にぶらりと下げた。

「どうしても憎い奴は?」

「言や、或いは自分たち以外の誰かに判断を委ね、組み伏せる。一滴も血を流さずにな。それがこの世界の掟だ。その言い分じゃ、キミの故郷は相当治安が悪そうだな」

「チアン……って何?」

 あぁすまん、こっちの言葉だ、と問診票の記載に二重線を引きながら応える。

「(殺人を躊躇うことはなさそうだ。既に相当危険だが、現状、自身が安全であるからにして、それに正当な理由を付けるだけの理性はあるようだ。常識の差異が行動に繋がっているだけか?)」

 『新規者報告書』と書かれたチェックシートを前にして、私は悩んでいた。

 ――疑いようのない異端者は放逐するか、管理するか、殺す。

 それを対面形式で諮るという、『理論に基づいた旧態依然的な行動』だった。

「キミは、私を殺そうとは思わないのか?」

 メーヤは、首をかしげた。

「邪魔、じゃないし」

 究極の二元論だ。彼女にとって目障りとなれば、()()()()()()()()物怖じや躊躇い無く、確実に葬り去れるだけの覚悟と自信があるという証左だ。

「ちなみに、メーヤ。キミはこのやり取りの意味を、どこまで理解している?」

 ともすれば、この一瞬で命の決定が行われる事もありうる、面談という名の差し合い。

「大凡」

 彼女の言葉は単刀直入。主語が無く、感情起伏が感じられない。

 まるでロボットだ。

「キミから質問を返してこないのが不思議だ。キミはこの世界に何も感じないのか?」

「興味ない」

 そうかい、と思わず漏れ出てしまう。

 これはひょっとしたら――本当にダメかもしれない。

「それに――あなたに太刀打ちできるかどうかはよく分かってる」

 ほう?

 背もたれに半分以上預けていた身体を起こした。

「それはどういう意味かな、メーヤ。何か君には特別な力が備わっているのか」

 特別なんかじゃない、と彼女は自嘲気味に言う。

「逆らったら――()()()()()()()()()未来。それが見えた」

 ざわっ、と白一面の部屋の中に強い風が吹き寄せるような感覚。

 岩の中から金剛石の一角が露出するような、期待かもしれない。

「私はそんなに遊んで見せた覚が無いんだが、それはどこで知った知識かな」

「知らない、()()()()()

 ――千里眼(クレアボヤンス)か?

 メーヤの視線に動揺は見られない。白茶色の瞳は、時々樋場の顔や胸元、机の上の用紙へと動くが、基本的には窓の向こうや白塗りの壁へと向けられる。

「未来が見えるなんて、すごい力じゃないか。キミの故郷ではそれが普通なのか?」

 樋場は褒める意図でそう返したのだが――これまでいかなる問いに対しても無表情だった彼女が、実に嫌そうに顔をしかめた。

「……普通、ではない」

「気分を害してすまない、質問を変えよう。――キミはこの世界を静かだと言った。殺人は如何なる理由も御法度。キミの見た目上の年齢なら、学校にでも通って職を手にしてそれなりに生きるだけ。元の世界に帰れる可能性は《《ゼロパーセント未満》》という始末だが――君はそれに満足するだろうか?」

 メーヤは腕を組み、左手の指で右の二の腕をトントンと叩いてから、にこりともせずにゆったりと答える。

露聊(つゆいささか)も」

 了解、と莉玖は口の端に笑みを覗かせながら頷くと、問診票に判を押す。――【管理可能】、と。

「提案がある。――キミを、私の側仕えとして雇いたいのだが、よろしいかな?」

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