暗幕の下
ある日の夜更け。
いつも通りお嬢様の就寝を見届けて、業務を終えて自室で本を読んで過ごしていると、ダリウスが訪ねてきた。
「ザイカー、まだ起きているか?」
私は扉を開けて出迎える。
「何か御用でしょうか。執事長」
「いや、用というわけではないが、一杯どうだ?」
酒か。
瓶を見るのも久しぶりだな。断る理由は特にない。
「ではお言葉に甘えて」
「お、いける口だな。上がらせて貰うぞ」
テーブルにグラスを二つ置くと、ダリウスが持参した酒を注ぐ。
透明な酒だ……一応見たことはあるが味はまだ知らない。もし薬を混ぜられていたら判別が難しいな。
互いにグラスを右手に持ち、打ち付け合う。
一口目は舌の上に乗る程度の量を口に含み、感覚を確かめる。実家で飲んでいた物より刺激が薄い。舌の感覚も特に異常は無い。味としては一般的な物より甘くコクが深い。良い酒だ。薬の心配は杞憂だろう。
「魔法学校でのお嬢様の様子はどうだ?」
「流石はヴェーデンの一族と言うべきでしょうか、歴代二位の成績を修められると称されていました」
お嬢様が魔法学校に通い始めてから一週間、想像に難くないことであったが、やはりお嬢様は魔法課程の生徒達の中でもずば抜けて優秀だった。
例によって老教師は座学の後に魔法を教えるわけだが、、お嬢様はコツを教わるより前に、ただ一目見ただけで同様の魔法を使えている。さらに個人によって苦手な系統、或いはそもそも使うことが出来ない系統の魔法があるものだが、お嬢様は四系統全ての魔法を完全に使いこなしている。
「歴代一位は先王アルゴンの息子だ、実質的にソーザリアスで最も優秀な魔法使いということになるな。それは良いことだが、私が聞きたいのは成績の事ではない」
意外だ。
肩の荷が下りたとほざいていた割に、お嬢様のことを心配しているとは。
「屋敷に居る時と変わらないご様子ですが、何か気懸かりでも?」
「……一月も過ごしていれば気付いていると思うが、お嬢様の考え方は貴族らしくなく、どちらかと言えば民に寄り添った考えをしているように思える」
「確かに」
凝りすぎた妄想癖を無視すれば、お嬢様は上品でありながら他人を萎縮させない気さくな人柄といえる。
「だが、旦那様は歴代のヴェーデンと同じく、諸侯に畏れられ失脚を望まれる存在だ。ヴェーデンに煮え湯を飲まされた家系であれば、その一人娘であるお嬢様は、ヴェーデンの気質を受け継いだ女領主として育てられていると考え、まだ若いうちに芽を摘んでしまおうという考えに至るであろう」
「成る程、では、今日の刺客もそれが狙いですか?」
「……気づいていたのか?」
私はグラスの酒を一口で飲み干してから、窓を指す。
「いつもこの時間帯に、庭師が草を刈っているのですが、今日は彼らが来る様子がありません。もし休暇中でないなら既に亡くなっているのではありませんか?」
ダリウスは唖然とした表情でしばらくこちらを見て、やがて口を開く。
「……その通りだ。正しくお前の言う通り、造園家より戦士としての才能を重視して選んだ精強たる庭師は全員始末され、屋敷の四方を不遜な輩に抑えられたようだ」
やはり、好んで晩酌をする男ではないようだ。
「あの庭師達を全員倒すとなると、相当強い刺客ですね。しかし、何故屋敷に押し入ってこないのでしょう? 邪魔者を排除したならさっさと入ってくればいいものを」
「……恐らく警戒している。私とお前をだ」
「我々のような一介の執事を何故恐れるのでしょうか?」
「……お前は私のことを知らないかもしれないが、私はお前を知っているぞ。ケルパンタの侵攻を食い止めたのはお前の率いていた部隊だろう?」
「よくご存知で」
それを知っているということは、ダリウスもあの時前線にいたのか? ヴェーデン軍が来る前に、私の部隊は撤収していたはずだが。
過去はともかく、敵が我々を恐れているというダリウスの話が本当であれば、ダリウス自身も相当な曲者ということになる。元傭兵と言っていたが、記録に残る綺麗な戦場で戦っていたわけではないらしい。
そして、私が戦場にいた事を知っているという時点で、刺客もギルドの薄汚れた雇われ暗殺者共ではないということだ。
恐らく黒幕は貴族・・・それも武闘派で尚且つ野心がありそうだ。
「ともかく、何人か殺して撤退させる。得物を取りに行くぞ、お嬢様は起こすな。居場所を悟られる」
「了解しました」
私の部屋を出て廊下を左に歩くと、武器庫に通じている。武器庫といっても、ただ量産の武器が貯蔵されているわけではなく、全ての武器が名立たる職人の手によって作られた至高の一品で、鑑賞に堪えるように並べられている。
ダリウスは壁に掛けられたクロスボウとボルトを手に取った。
「お前も好きな得物を取れ。遠慮はいらん、どれでもいくらでも使うがいい」
私は手近の弓と矢束、それと短剣二本を腰に下げる。
「確認致しますが、私と執事長の二人だけで刺客を始末するのですね?」
「ああ、まず旦那様のお手を煩わせるのはあり得ない。メイド達なら魔法の心得があるから一応戦力にはなるが、庭師でさえやられている以上彼女達にも善戦は見込めない。下手に犠牲者を増やすより生き残る術を心得ている我々で片づけるべきだ」
「作戦は如何いたしましょうか?」
「私が外にいる連中を討つ、お前は中に入ってきた敵を仕留めろ」
ダリウスはそう言って階段を昇って行った。
単純明快な作戦だ。まあ、私が自己判断で立ち回れると踏んでこその指令だろう。
私は問題ないが、ダリウスはクロスボウのみでどうするつもりなのだろう? 小型とはいえクロスボウは矢を番える際に両手が塞がり、その瞬間は完全に無防備になる。仲間の援護無しでは扱いづらい武器だ。複数人を相手に渡り合えるとは思えない。
だが、ダリウスも今日まで生き残ってきた男。何か思惑があるに違いない。お手並み拝見といこう。仮にダリウスがしくじったとしても私が全員仕留めるだけのことだ。
私は弓に矢を番えて臨戦態勢をとりつつ、廊下を歩く。
敵は窓から入ってくる可能性が高い。特に気を付けるべきはキッチンだろう。あそこは武器の代わりになりそうな物が散らばっている。
そう思っていたが、思い過ごしだった。玄関の扉を開ける音が聞こえてきたのだ。
私は即座に二階への階段を跳び上り、二階廊下を駆け抜けて玄関に向かう。走りながら弓を引き絞り、二階から玄関へつながる階段の踊り場で止まり、矢を放つ。
矢は、人影の額を射貫く。
玄関の灯りは全て消してあるが、床は大理石で出来ていて足音がよく響く。私は足音から敵のおおよその位置を把握していたのだ。
入ってきた刺客の人数は四人。残りは三人。
続けざまに別の刺客に矢を射かけたが、そちらは剣で弾かれた。
刺客達は仲間が死んだことに動揺する素振りを見せるも、逡巡はせず、こちらに手をかざす。それを認めて、私は二階の廊下に飛びのく。
次の瞬間、踊り場の手すりが粉々に吹き飛ぶ。敵は全員それなりの放出魔法が使えるようだ。
手すりのあった場所に刺客の一人が着地する。足に付与魔法をかけて跳躍したのだろう。こちらも右腕に付与魔法を掛けてから矢を放つ。
刺客はそれを紙一重で躱し、付与魔法がかけられた剣を両手で構えて、こちらに突進してくる。足にかけた魔法を活用し、勢いのまま私を叩き伏せるつもりなのだろう。
私は弓を手放して、腰の短剣二本を逆手で抜き、右手の短剣に硬化の付与魔法をかける。
刺客は私に剣を振り下ろした。
だが刃は私に届かなかった。刺客の剣筋に右手の短剣を合わせ、刀身を折ったからだ。流石ヴェーデン家の剣、業物だ。
刺客が大きく振り抜いた隙に左手の短剣で喉笛を切り裂き、腹を蹴り飛ばしてから、右手の短剣を鞘に納める。
残りの二人が階段で上がってきた。廊下の真ん中で死にかけている仲間の元へ駆け寄っていく。単に仲間を助ける為だけでなく、奴が邪魔で放出魔法が放てないのだ。無論、この位置に誘き寄せるために息の根を止めずにおいたのだが。
私は持っている短剣を投げつけるが、刺客の一人に容易く叩き落とされる。もう一人の刺客は剣呑にも仲間に応急処置を施そうとしている。
それを確認してから、矢束から矢を取り出し、弓を拾うふりをすると、思惑通りに刺客が矢を番える暇を与えまいと切りかかってくる。
弓を拾う代わりに、鞘にしまった短剣を左手で抜き、剣を受け止めてから、右手の矢に付与魔法を込めて投擲する。
投擲した矢は仲間に魔法による治癒を施していた方の刺客の目に突き刺さった。強化された右手で投げ、炎の付与魔法で矢の貫通力自体も上げてあるから、脳髄に到達しているはずだ。
これで最後の一人だが、この男、私よりも剣の腕が立つ。どうにか剣戟の体を成してはいるものの、切り返しの筋が見えん。カーペットを犠牲にするのは心苦しいが、遠戦に切り替えるとしよう。
床に転がっている弓を後方に蹴り飛ばしてから、放出魔法で炎を放つ。この炎はただ相手を焼き殺すためだけではなく、夜目に慣れた相手への目くらましでもある。予想通り刺客は魔法で防がずに踊り場まで下がった。一瞬といえども、目の見えない状態で剣の間合いに入るのは危険極まりないからだ。
魔法を放ち終えてすぐ弓を拾う。そして、弓と矢と両腕に付与魔法を同時に掛けて矢を番える。
炎が止まったのを確認したのか、顔を出すと同時に放出魔法を放ってきた。私と同じ炎の放出魔法だ。分かりやすい性格をしていて助かった。
魔法を放つと同時に、私の矢も放たれる。
奴もそれに気付き、剣で弾こうとしたが、私の矢は剣を穿ち、刺客の脳天を射貫く。最後の刺客は手摺のなくなった踊り場から落ちていく。短剣を拾いに行くついでに、中途半端な応急処置のせいで悶えている男を楽にしてやる。
これで、入ってきた刺客は全員始末したことになる。
刺客達は確かに手練れではあったが、剣と魔法に頼りすぎている。最初にあっけなく死んだ刺客も、兜さえ被っていれば、私よりも強かったのだろう。しかし、暗殺者としては二流以下だった。
「全員やられたのか?」
懲りずにまた玄関から入ってきたようだ。最初と同じように踊り場まで、静かに駆けて矢を放つ。
だが、矢はその人影を射貫く直前に空中で静止した。
「魔法も掛けられていない矢で、俺を仕留められると思うな」
随分喋る刺客だ。お望み通り魔法を掛けた矢を放つ。
だがその矢は、刺客の剣の一薙ぎによって鏃ごと粉々に砕かれた。
私が使える技の中で最大の威力だったが、全く通用しないとはな。コイツも暗殺者らしくはないが、今しがた始末した連中とは格が違う・・・まさか、領主直々に乗り込んできたのか?
「お前が一人でやったのか?」
「はい。私が掃除いたしました」
「そうか、俺は止めたんだが……ウチの馬鹿共が粗相をしたな」
妙な男だな。邪気を感じない。暗殺者どころか、これから人を殺す者とさえ思えん。
「アンタ、最近執事になったんだろ? だったら見逃してやってもいい。俺はヴェーデン家を滅ぼすためにここに来たんだ。アンタはまだ殺さなきゃいけない程、染まりきっていない」
ヴェーデン家を滅ぼす……この男は確かに強い。だが、旦那様に勝てるほどの魔法が使えるとも思えん。
ソーザリアス国内において一人で旦那様を倒せるのは、サディアル辺境伯くらいのものだ。
やはり狙いはお嬢様なのだ。お嬢様を排すれば、数十年後には旦那様にも寿命が来て、血脈が絶える。
それにしても、何故ヴェーデン家には子宝に恵まれないのだろう。屋敷に帰っている間、ずっとメイドと部屋に籠っているあたり、旦那様はかなり頑張っているはずだが。
まあ、お嬢様の代でヴェーデン家が滅ぶとしても、私のやることは変わらない。
私はシャンデリアを吊っている鎖を矢で射貫く。付与魔法による鏃の高熱で鎖が溶け落ちる。
シャンデリアは刺客に落ちる前に念動魔法で止められたが、やはり重いらしくかなり寸前のところで止まっている。
「気を使う必要はありません。既に覚悟は決めております。それどころか、執事として最上の名誉、主人に忠を尽くして死ぬ機会を逃すなどありえない」
そして、矢を放つ。