ソーザリアス魔法学校
お嬢様が魔法学校に通う旨を話すと、ご主人様は二つ返事で了承なさった。
やはりご主人様も賛成の様子だ。
家族の誰からも反対された私と違い、親類から入学を望まれていたにもかかわらず、お嬢様が渋っていた理由は何だったのだろうか?
いや、お嬢様が入学を決意なさった今、それについて思索する意義はない。薦められさえすれば許容できる程度の問題だったのだろう。
かくして、私の浅ましき考えに上記の結論を下す間に一月が終わり、翌月の登校日となっていた。
魔法学校では二人までは使用人の同行が許されているので、私がお嬢様に付いていく。
屋敷と違い、お嬢様の御身をお守りできるのは己のみ。気を引き締めていこう。
決意と共に自室で支度を済ませ、廊下に出るとダリウスが待ち構えていた。
「おはようございます、執事長。私めに何か御用でしょうか?」
「お前がここに来てから、今日で一ヶ月だ。給料を払いに来た」
ダリウスの手元を見ると、銀貨が推定で三十枚程度入った袋を用意している。
ああ、そう言えば給料があったな。食事と寝る場所と名誉があれば、ただ働きでも私は問題なかったのだが、貰えるものは貰っておこう。
「このような手間を取らずとも、終業の際に声を掛けて下さればよいのでは?」
「本来は昨晩の内に渡すはずのものだった。これ以上遅れさせては面目が立たん。次から気を付けるので今月もよろしく頼む」
律儀な人だ。
それはさて置き、これから始まる一ヶ月が私の退屈を紛らわせるものであることを祈ろう。
ケビンにはお嬢様の通学について伝えてあるので御者の手配は必要ない。
それに、お嬢様は私が迎えに行く頃には既に起床されていて、着替えも済ませていらっしゃる。魔法学校の制服をしっかりと着こなしていらっしゃる。
なので物足りないが、朝は玄関でお嬢様が朝食を終えるのを待ち、馬車に乗るだけだ。
いつも通りのソーザインまでの道程を過ぎ、通学路へ差し掛かる。これから何度も通ることになる道なので、覚えておこうと思ったが、そんなことを意識せずとも覚えられそうだ。ソーザインの街を出てすぐに学校らしき巨大な建物が見えていた。
実物が見えてからも、かなり長い距離を走ってようやく校門にたどり着く。
校門には四人の衛兵の姿があった。貴族の子息達が集う場ならばこの程度の警備は当然だと言えるが、この学校の中には、なんとソーザリアス騎士団第三隊の兵舎がある。
そこまでの警備体制となると、この大きな建物が校舎と言うよりは砦に見えてくる。
実際、私の実家の城より遥かに堅牢で巨大だ。
私とお嬢様は馬車を降りて、校舎に入る。
お嬢様がこれから学ぶ魔法課程は五階の教室で行われる。
階段を登りきる前にお嬢様の歩みが緩やかになる。常々感じていたことだが、どうもお嬢様は同年代の女性と比べて体力がない。虚弱というわけではなく、単に出不精が祟っているだけらしい。今まで通い渋っていた理由が解った気がする。
階段を登りきり教室の前に着いたがすぐには開けず、お嬢様の息が整うのを待ってから扉を開ける。
教室内には十数人の少年少女とその使用人達が教師を囲むようにして椅子に座っていた
こちらに気づいた教師がうやうやしく話しかけてきた。
「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」
一見どこにでもいる腰の曲がった老人にしか見えないが、実際は相当な家格と魔法に関する見識を持った高名な貴族なのだろう。お嬢様は教師の隣に向かって歩く。
「皆さん、今月から共に魔導を学ぶ新しい仲間を紹介したいと思います。と言いましても、この方につきましては皆さんの方がよくご存知かと思いますがね……どうぞ」
教師に促され、お嬢様は自己紹介を始めた。
「顔見知りの方が多いですが、改めてご挨拶させていただきますわ。初めまして、ミーナ・ヴェーデンと申します。これからよろしくお願いいたします」
生徒の殆どが貴族であるため、舞踏会や叙勲式などの貴族が集まる行事でよく顔を合わせていたのだろう。特にソーザリアスで三家しか無い公爵家の一人娘ともなれば、田舎の成り上がり貴族の私でさえ顔と名前を知っていたのだ。ここに知らない者などいるわけがない。
「ミーナ様、こちらの席にお座りくださいな」
中央付近の席の女生徒がいつの間にか、自分の隣に椅子を置いて、お嬢様をそこに座らせるように促していた。しかもお嬢様の席だけでなく、使用人である私の席までしっかりと用意してある。
「ずるいですよドロテアさん。私だって、ミーナ様のお隣に座りたいのに」「同意見だ。ミーナ様の隣に座る権利は皆に公平に与えられるべきだ」「抜け駆けはよくないですね」「ではどのように決めるのですか?」「総合的な成績が最も高い者こそミーナ様の隣に相応しいだろう」「それは貴方じゃないですか。却下です」「いっその事ミーナ様の周りに全員で座るのはいかが?」「駄目です。ミーナ様の集中を乱します」
お嬢様はかなり人気があるようだ。隣に座るためだけに生徒間で議論が行われる程とは。
なお、お嬢様はと言うと、どうでも良いから一刻も早く座らせてほしいと考えながら静観している。
そんな中、端の席で寡黙を貫いていた生徒がいた。
肌が褐色の男で、生徒の中で唯一人、使用人を連れていない。
そしてその男は、生徒達の議論が白熱して何故かコイントスを十回成功させ続けた者が勝ちというゲームが始まる直前に口を開いた。
「先生、何故授業を始めないんですか?」
至極真っ当な発言だった。
「イブン、今はそれどころじゃないです」「そうだ。我々の今後の人生に大きく影響する一大事なのだ」「ミーナ様とお近付きになれるチャンスは滅多にないのです」
お嬢様は催事と領地の視察以外は家にいるせいで、他の貴族との交流が薄い。それ故、お嬢様のことをよく知りたい者が多いようだ。
「俺は魔法を学びに来たんだ。貴族のオママゴトを見物するためにきたわけじゃねえ。遊びは他所でやってくれ」
ほほう、度胸のある男だ。
「なんですって?」「平民のおまえには貴族としての責務がわからんようだな」「ミーナ様を侮辱するつもり?」
イブンと呼ばれた生徒に対し、何処かズレた批判を浴びせていく生徒達。見物するのは中々面白い。
「まあまあ、イブン君。あまりキツい言い方をしないでもいいじゃないですか。早く授業を始めたい気持ちもわかりますが、もう一人の新入生がまだ来ていないのですよ」
「「もう一人の新入生?」」
お嬢様を含む生徒全員の声が重なった。。
成る程、この老教師が生徒達を一向に諌める気配がなかったのはただ放任していたわけではなく、もう一人の生徒が来るまでの時間を潰させていたのか。
「もう一人って誰?」「いや、それについては全く」「この時期に二人も入ってくるなんて……」
「だとしても、遅れている奴の為に貴重な時間を割く必要はないと思うんですがね?」
周りの者をトコトン敵に回す態度、随分と世渡りが下手な男だ。恐らく、特待生か何かだろう。しかも富や名声を得るためではなく、純粋に魔法について学ぶために入学した者に違いない。貴族以外でそれほど魔法に興味を持つ者は珍しいな。
「すいません! 遅くなりました!」
後方から聞き覚えのある声が聴こえる。なんということだ。これは面倒なことになった。
「ああ、来ましたね。お待ちしておりましたよ。ささ、自己紹介をどうぞ」
お嬢様はこれ幸いにと、最初にドロテアという女生徒が用意した席に付いた。
当然、私もお嬢様に倣って後ろに座るが……真正面に回らなければならないとは………。
「私はシエンナ・アリンへイルと言います。アリンへイルという家系をご存知ない方も多いと思いますが、無理もございません。つい二年ほど前に叙勲されたばかりの男爵の家系なので。ここで学ぶに当たっては家格の証明は不要でしすが、以後のお見知りおきを頂くためにこの場を借りて紹介させて頂いた次第にございます……あれ、兄様?」
どうせ気付くのならば、もう少し早く気付いて欲しかったぞ。我が妹よ。