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第二話 初陣 3



 この春。

 海峡を挟んだ島国のツコ・ガバーニと帝国の緊張は、限界に達した。

 三十四カリムテラ(約三十三キロ)の幅しかないスード海峡の両岸に、双方が軍を集めて警戒し合っている。

 外交交渉は不調どころか決裂に終わり、後はどちらが先に手を出すかの問題になっていた。



 元々、両国の因縁は歴史的に見ても根深いが。

 百年前に帝国が成立した時、ツコ・ガバーニの王位継承権を持つ公主の国を、帝国が領内に組み込んだ事から険悪になっている。



 三代前にツコ・ガバーニ王家の直系が絶え、傍系から選出したという経緯があり。

 実のところ、ツコ・ガバーニの血統的には、現王よりも帝国臣民の元公主の方が王位継承順位は上だったりするのだ。

 歴史と伝統を誇ってきた島国は現在、その歴史と伝統に足を引っ張られていた。



 帝国の先帝は、それを名目にツコ・ガバーニへ攻め込んだ事もあった。

 十年ほど前というのは、歴史として風化させるにはまだ早い。



 ツコ・ガバーニ王は雪辱に燃え、帝国の現皇帝はその王を嫌悪している。

 ただでさえ火種に事欠かない両国で、互いの頭同士が嫌い合っているのでは、いつ戦争になってもおかしくはなかっただろう。



 魔法学院の生徒の中にも、志願兵として参軍する者はいたが。

 少なくとも多くの一年生達にとって、この時は、まだ遠い世界の話でしかなかった。



 情勢の緊迫化は、食料品や生活物資の値上がりという形で、帝国臣民の日常にも影響を及ぼしつつある。

 重苦しい空気を感じる都市部を嫌ったのか、春休みには郊外へと脱出する市民が増えていた。

 アルカ達が旅行する事になったのは、そんな状況下でだった。



 真っ直ぐ歩く事もままならない駅から、馬車に詰め込まれて、四日かけて帝都へ。

 そこで馬車を乗り換え、二日近くかかって南部の地方都市へ。

 今度は山間部へ向かう荷馬車を探し、荷台に乗せて貰って半日。

 ようやく目的地へと辿り着いた。



 乗せてくれた農夫に、アルカとニーナが礼を言っている頃。

 移動で疲労困憊したピートとヒルダは、ぐったりと道端に座り込んでいた。



「だらしねーな、お前ら。

 礼ぐらい言っておけよ」


「ごめん、しばらく放っといて」


「右に同じく」


 両手を地面に着けて呼吸を整えるヒルダと、膝を抱えて地面を見つめるピートから、情けない声が返ってきた。



「仕方あるまい。

 馬車での移動は、慣れていないときついからな」


「ニーナは慣れてるのか?」


「どうかな。

 皇帝杯の予選で各地を回るまでは、ほとんど馬車に乗った事は無かったが。

 あの時は、かなりしんどい思いをしたのを覚えている」


「お前が弱気を吐くってのは、相当だな」


「今のところ再び出場する気が無いのは、それもあるな。

 それより、あそこに見えるのが水尾村でいいのか?」


 現在地から歩いて四半刻ほどのところに、さほど大きくもない集落が見えた。

 ぐるりと見回す限り、他に建物などは見当たらない。

 ニーナとしても、これから深い森を抜けたり、結構高そうな山を登るのは、歓迎し難い事態だった。



 アルカが頷いたのを見て、他の三人は三人とも安堵の息を洩らした。



「ようこそ、水尾村へ。

 何も無いところだけど歓迎しよう」


 遠目に見える村には、木造二階建ての家が並んでいた。

 素朴な家が点在する中に、異質な三階建てで尖塔も持つ屋敷が見える。

 アルカの話では昔の領主の館で、百年前の内戦で没落した後は、別の貴族が避暑地に使っているらしい。



 柵で囲まれた牧場と、まあまあの広さのある畑。

 後は小川の脇に水車小屋が建っているだけの、のどかな田舎だった。



「春休みに羽根を伸ばすには、いいところだ。

 姉君の件が済んだら、この辺りを案内してくれ。

 ただ、とりあえずは」


「二人が回復するのを待ってからだな」


 それから半刻、ニーナがアルカに思い出話を聞いていると、ようやく他の二人が立ち上がれるようになった。



 村に入ると、しばらくぶりに顔を見せたアルカに、通りがかった村人が声をかけていった。

 牛を連れた中年男に、洗濯物を干している主婦、縁側で煙管を吹かす老人、虫取り網を持った子供達。



 様々な人がいたが、彼らの様子からして、アルカは村の人気者でもなければ問題児でも無かったらしい。

 当たり前ではあるが普通の子供だったようだ。



 都市部近郊にある農村よりは農地が広いが、これでも農業主体の村よりは耕作地が狭いそうだ。

 水尾村では税と村人の分ぐらいしか作っておらず、主な村の収入源は染め物と木工細工だとアルカが説明した。



「ちょうどあの辺りの山脈だ。

 三年前までは、もっと標高があったんだが」


「ここから見る限りでは、よく分かりませんね」


 村の裏にある山々は、確かに他よりも標高が低くなっていて、広範囲に土砂崩れが起きたように土の色が変わっていた。

 だが、それだけの大きさの生物というのは、実際に見たアルカ以外にはぴんとこないようだ。



 そのまま村の外れまで歩いて行くと、山へと続く登山道の入り口辺りに、アルカの家はあった。



 彼の家には両親と妹が揃っていた。

 アルカの妹は、南部の地方都市の学校に通っていて、普段はそちらにある親戚の家にいるが、春休みで帰っていたそうだ。

 大柄で筋肉質な父親は、あまり彼に似ていなかったが、明るい母親はアルカとそっくりな顔をしていた。

 むしろ妹の方が、顔の造りは父親似だろう。



 挨拶もそこそこに屋根裏部屋へと向かうアルカに、両親がしんみりした顔を見合わせる。

 それに気を取られて少し遅れたニーナへ、小走りに近づいた妹が囁きかけた。



「うちの兄、学院じゃどうですか?」


「それなりに真面目にやっていると思うが」


「そうですか。

 いえ、ドルンがああなってから、鬼気迫る勢いで勉強してましたから。

 学院で浮いてないかと心配してたんです」


「安心しろ。

 君の兄は、特別優秀というわけではないが、落ちこぼれでもない。

 多少無神経なところはあるが、悪意が無いのは透けて見えるからな。

 人付き合いも上手くやっていると思うぞ」


「ニーナさんみたいな美人さんに頼むのもなんですが、兄の事、よろしくお願いします」


「顔がいいと何か関係あるのか?」


「いえ、恋人より兄を優先しろとは言えませんから」


「そっちは全然だな。

 どうにも、私は付き合いにくい人間らしい。

 少なくとも学院で、そういう意味で声をかけられた覚えは無いな」


「ああ……って、ごめんなさい」


 構わんよ、と軽く笑ってニーナが階段を昇っていく。

 その颯爽とした姿を、アルカの妹は憧れの視線で見送った。



 ただ、アルカの妹も察していたが、ニーナを口説こうとした男は山ほどいた。

 問題は、まともに会話を成立させられるのがアルカぐらいしかいない事だろう。

 ピートでさえ、いつまで経っても身構えているのだから、さして親しくもない男子学生なら言わずもがなである。



 しどろもどろに天気の話をされても、ニーナの反応が柔らかくなるはずもない。

 一番親しいアルカへの態度すら、他の男子だったら怯んでしまうほど冷淡なものなのだ。

 結果、彼女は自覚も無いまま、撃沈記録を更新し続けていた。



 ニーナが屋根裏部屋に着いた時、アルカが窓を開けようとしていた。

 真っ暗で見通しの効かない部屋を、ピートとヒルダがぼんやりと見回している。

 彼らの方へ近づこうとして、ニーナは暗がりに人の気配を感じた。



 揺り椅子だろうか。

 そこに、誰かが腰掛けている。

 眠っている人がいるなら起こしてしまうのではないか、と考えたところで、ニーナはその相手に思い当たった。



 音を立てて鎧戸が動き、部屋に光が差し込んでくる。

 そして予想通りの、否、予想以上の光景に、ニーナは息を飲んだ。



 白い寝間着に身を包んだ金髪の少女が、揺り椅子にもたれて眠っていた。

 年の頃は、アルカ達よりも少し下だろうか。

 女性らしい丸みには欠けるが、美しい造形を持った少女だ。



 彼女があまりにも人に近過ぎる為、身じろぎすらせずに眠っている姿が死を連想させて、見る者に不安を与えるぐらいに。

 どこからどう見ても、それは人間の少女にしか見えなかった。



「まさか、これが」


「魔法人形『ドルン』。

 すごいね、聞くと見るじゃ大違いだ。

 資料では知ってたけど、私、本物は初めて見たよ」


 ヒルダが目を輝かせて、身を乗り出した。



 ドルンの体格は、小柄な彼女と同じくらいだった。

 ぐるぐると揺り椅子の周りを回って、ヒルダが様々な角度から観察する。

 彼女には何が見えているのか、時折感嘆の声が洩れていた。



 それから医者の使うような聴診器を取り出し、各部に当てて音を拾っていく。

 指で軽く叩いたりしながら、頭や腹、腕や足など全身を調べていった。



「ルカ君。

 あなたの『お姉さん』、僕には人間にしか見えないんですが」


「そう言われてもな。

 俺にとってドルンは、子供の頃からずっとこうだったわけだし」


 ピートには触る勇気が持てないほど、ごく普通の少女にしか見えなかった。

 目を開いて破廉恥だと罵られたら、彼には言い訳のしようもない。

 というより、ニーナを相手にする時と同じく、緊張して上手く話せなくなってしまうだろう。



 これが人の手が作り出したものだとするなら、製作者はどこまで想像も出来ない高みにいるのか。

 少なくとも、蝋人形館や美術展でピートが今で見てきた人形達とは、存在する階梯そのものが異なっていた。

 蟻と海を比べるようなものだ、まるで意味が無い。



 こうして目にするまでは、アルカの姉に淡い憧れを抱いていたピートだったが。

 実際にその造形のすさまじさを目の当たりにして、ドルン本人よりも、彼女を作った初代学院長に強い興味を引かれるのを感じていた。



「んー?」


 眉間に皺を寄せたヒルダが、顔を近づけてドルンを観察する。



 しばらく見るうちに何か思いついたのか、鞄を漁って二つの電極のついた箱を取り出すと、ドルンの腕をまくって押し当てた。



「おい」


「あ、大丈夫。

 多分、危険は無いからさ」


「そうじゃなくて。

 俺も、おやっさんの店で見てるから、それがなんだかは知ってんだ。

 いや、まさかとは思うけど」


「だから試してみようかな、ってね」


 愕然とするアルカに、悪戯っぽい笑みを返して、ヒルダがスイッチを入れる。

 二人のやりとりは、ニーナとピートには理解出来なかったのだが。

 装置の表示盤を覗き込んだアルカとヒルダは、無言で顔を見合わせた。



 恐る恐る見守る二人の前で、アルカの肩が震え出す。



「ふっ」


 やがて彼の震える唇から、憤りと嬉しさが混じり合った、なんとも複雑な感情が迸った。



「ふざけんな! ああっ、くそ。

 なんだそりゃ!」


 がしがしと乱暴に髪の毛を掻き回すと、アルカは部屋の中を落ち着かなげに歩き出した。

 かと思えば、ぴたりと立ち止まってドルンを見、またなんとも言い難い表情を浮かべて唸り始めた。



 装置を手にしたヒルダは、当惑する二人に肩を竦めて解説してやった。



「簡単に言うと、電池切れだね」


「え?」


「それはまた」


 呆気に取られたピートと苦笑したニーナが、揃ってアルカを見る。

 奇声を上げて、こみ上げてきた涙を服の袖で乱暴に拭うと、アルカはヒルダに向き直った。



「こいつの魔晶石に、魔力を補充すればいいんだよな」


「彼女から取り外すのはお奨めしないよ。

 自己修復機能がどんな物か分かっていない以上、何がどう影響するやら」


「分かってる。

 他に何か方法を知らないか?」


「調べてみないと断言出来ないけど、学院には接触補充が可能な器具があるはず。

 ただ、許可は取れても輸送費は結構かかっちゃうんじゃないかな」


「魔力を取り出す方の、魔晶石も必要だよな。

 どの程度の物が必要だと思う?」


「さあ? 王都の『ゴルン』が、十・五ゾグワータの魔力を発生させたという記録が残ってるけど。

 起動に必要な魔力がどのぐらいかは、分かんないね」


「十・五ゾグワータって、十五億ワータじゃねえか! そんな魔力を貯められる魔晶石なんて、仮にあったとしても国宝になってるだろ」


「初代学院長の独自技術ならお手上げだね。

 ただ、魔導甲冑でも起動には百二十ワータもあれば充分なんだから。

 彼女も、起動にかかる魔力はそんなに多くないと思うよ。

 推測だけどさ」


「よし、よし……って事は、いけそうだよな?」


「多分ね」


「よっしゃあ!」


 感極まったアルカが、両手を握りしめて喜びを爆発させた。

 声をかけてきたピートやニーナの手を掴んで、何度も何度も大きく振る。



 うるさいと文句をつけにきた母親の手も取り、アルカは喜色満面で泣きながら手を取った。

 ぶんぶんと腕を上下に振られた母親は、わけも分からず目を白黒させていたが。

 やがて事情を聞かされると、涙ぐんだ目でドルンの頭を撫で始めた。




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