第二話 初陣 2
魔法学院での学課考査試験は、年に四度、受ける機会がある。
三、六、九、十二月に期間が設けられ、好きな時に挑戦出来るのだ。
しかし、同じ課目を二度落とすと、再びその課目を履修する事は出来ない。
落第した課目によっては専門課程に進めないので、転科なり転校なりを選ぶ事になる。
また、全ての学課に試験があるわけではなく、課題の提出や課外活動などで評価される物もあった。
始業時間に遅れると授業を受けられないものの、出欠を取るような事は無い。
ただし、試験での評価は厳しい。
帝国では良い学校を出ても、成績が悪ければ希望通りの就職先が無いなどざらなのだ。
その為、毎日のように遊び歩いている不良学生でも、講義には必ず出る。
顔中ピアスだらけの学生も、試験の二週間前から図書室に通い詰めるのが当たり前だった。
それだけに、試験が終わると学校中にほっとした雰囲気が漂う。
結果が思うようにいかずに再起を誓ったり、まるで駄目で転校先を探す者もいるが、試験前のピリピリとした緊張感は霧散していた。
答案用紙の返却と共に、成績優秀者が掲示板に貼り出される。
教授によってはやらない人もいるが、各教科ごと、教養課程の共通五課目などの優秀者は、これによって学内での尊敬を得られるのだ。
本年度、新入生の前期課程では、ピートが受けた講義全てで首位を取った。
特に五課目は四百八十七点で、平均九十五点以上という学校創立以来の成績らしい。
例年なら、三位のヒルダの四百六十九点でも充分首位を取れただろう。
入学前にアルカとピートが噂していたカール・ケルドルフは十七位に、ニーナは貼り出されるぎりぎりの二十位に滑り込んでいた。
「ヒルダもすごいが、ピートは圧巻だな」
呆れたように呟くニーナに、アルカも隣で頷いた。
「どんな頭してんだよ、あいつ。
いやまあ、二十位に入ってるお前もすごいんだけど」
「うむ、素直に賞賛を受け取っておこう。
ルカはどうだった?」
「まあ普通? 羨んでも仕方ないし、魔導工学に進めるだけの成績は確保してるから大丈夫だ。
問題は、ピートの実技だよな。
夏休み前、最悪でも冬までにはなんとかしないと、学校追い出されるぞ」
「私も魔法薬学で知り合った娘に頼んではみたが、かなり難航していると……ん、当人が来たな」
なんだか浮かれた様子で、廊下の端からピートがやってきた。
軽い足取りで二人の前にやってくると、踊るように立ち止まり、大袈裟で舞台役者のような一礼をしてみせた。
「おやおや。
これはこれは、お揃いじゃないですか」
すっと背を伸ばすと、口元に手を当て、眼鏡を光らせながら含み笑いを始めた。
そして、何かを聞いて欲しそうに、ちらちらと二人を見てくる。
アルカとニーナは、押し付け合うように互いを見やっていたが。
おそらく自分のせいだろうと、仕方なくニーナが尋ねてやった。
「あー、何かあったのか?」
「ふっふっふっ。
自分でも鬱陶しいのは分かっていますが、聞いて下さい! この僕、ペーター・ゾマテュアは、ついに魔法の行使に成功しました!」
付き合いでアルカが拍手したが、心はまるでこもっていなかった。
もう少し普通にピートが報告していたら、喜びを分かち合えただろうか。
迷った挙句に、ニーナはおざなりに拍手しつつ先を促した。
「さっそく、ご披露しましょう」
意気揚々と歩きだすピートに、嫌々ながらもアルカとニーナが付き合う。
今の彼がうざいのは間違いないが、苦労していた友人の成功を喜んでやりたいという気持ちはあったのだ。
やっぱりやめて帰りたいほど、今のピートはうざかったが。
魔法学院の敷地には、魔法を練習する場所が存在する。
規模が大きいものは、申請して予約を取らなければならないが、ちょっとした練習ぐらいなら第二校庭で気軽に行えた。
学院は実技、実践を重視しているだけに、その機会を増やす事はあっても減らす方向にはいかないのだろう。
「見てて下さい!」
荒い鼻息を吐き出しつつ、ピートが精神集中に入る。
アルカも学院に入ってから覚えたが、注意して見ると他人の体を循環する魔力の流れが分かるのだ。
呼吸を整えるピートの体には、確かに魔力の揺らぎがあり、ニーナは彼の努力に感心していた。
「いきます! 咲き誇る生命に宿りし、火の精髄よ。
我が心の導きに従い、その姿を現せ。
『炎の矢』!」
最初の呪文は、途中で魔力の制御を間違え、短く火花を散らしただけだった。
「まだまだ!」
気合十分、すぐさまピートは次の詠唱に取り掛かる。
今度は最初と終わりで魔力を込め過ぎ、ぷすぷすと煙を吹いて終わった。
三度目と四度目は惜しいところまでいったが、それからは見るも無残なもので。
十回を越えてからは、いくらやっても成功しないのではないかと思えるほどだった。
半刻も経つと息が上がりきり、流石に休ませるべきかとニーナが近寄りかける。
しかし、肩を掴んで止めたアルカが、きっぱりと首を振った。
本人が諦めていない以上、信じて見守ってやるべきだと。
言葉にしない想いを目で通じ合い、頷き返したニーナも黙ってピートを見た。
まだ風の冷たい季節だというのに、ピートは額から流れる汗を拭い、必死になって更なる詠唱を行う。
いつしか、最初に嫌がっていた事など忘れ、二人は心から彼を応援していた。
魔法学院に通っているような者からすれば、初歩も初歩。
物心つく前に覚えていたという者も少なくないほど、ごく簡単な魔法だ。
だが、これまで魔法の勉強を全くしてこなかった者が、一年で挑む壁としてはひどく高い。
最初から諦めたとしても、誰もが当然だと思うだろう。
しかし、諦めきれず、ひたむきに努力する者の姿はとても尊いものだった。
何度目の失敗だろうか。
制御を失って、手のひらに炎が燃え移った時、流石にアルカとニーナは止めようとしたが。
手を振って火を消したピートは、火傷した手のひらを見ながら、何かを得たように表情が晴れていた。
そして、疲れ切って今にも座り込みそうになりながらも、余分な力みのない詠唱を始めた。
「咲き誇る生命に宿りし、火の精髄よ。
我が心の導きに従い、その姿を現せ。
『炎の矢』!」
今までの失敗が嘘のように、綺麗な炎の矢が顕現し、目標に定めた石壁の的へと向かっていく。
残念ながら的からは大きく外れたが、膝をついたピートは心からの笑みを浮かべていた。
「やったな!」
駆け寄ったアルカが、乱暴にピートの髪をかき乱す。
やめろと抗議するピートも、楽しそうな笑い声を上げていた。
これは魔法使いとしての最初の一歩に過ぎないが、そこを踏み越えられるなら、後は努力を積み重ねればなんとでもなる。
専門課程に進む為の壁は決して低くはないが、ピートならば乗り越えられるだろうと二人の友人は確信した。
「おめでとう。
見せて貰ったよ、お前の決意のほどを」
「ありがとう」
静かに歩み寄ったニーナは、ピートの嬉しそうな顔を見ながら、魔法薬学の友人に何をおごったものかと思案していた。