↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
66/66

第十話 眠り姫 6



 帝都の北西部にある宮殿は、前王朝から続く歴史ある建物で、ただ宮殿と言った場合はここを指す事が多い。

 平日は皇帝が執務を行っており、日頃から厳重な警戒が布かれていた。



 多民族国家の帝国らしく、宮殿の歩哨にはドワーフやオーク、エルフにノームなど、様々な人種が就いている。

 揃いの紺の制服に身を包んだ彼らが、規律正しく巡回する姿は、観光客の目当ての一つにもなっていた。



 王宮から南下し、街の中心部にある公園を抜け、南東に向かうと別の宮殿が見えてくる。



 元は侯爵の王都屋敷だったそこは、現在では皇帝の親族が利用していた。



 現皇帝の同腹の弟で、長く海軍士官を務め、皇帝の即位と同時に名誉元帥となったスリスメール公の住まいである。

 当時三十そこそこで大尉だった彼の元帥号は、実を伴わない完全な名誉職だが。

 その経歴からも後援者として、海軍の主張を代弁する事が多かった。



 なので、宮殿の警備には海軍から陸戦隊が派遣されている。

 海軍の政治的立場を後押ししてくれる人物の公邸だけに、優秀な兵士が選ばれていた。



 海軍の軍人にとっては、最新鋭の軍艦に並ぶ、名誉ある勤務地である。

 当然ながら、だらけた態度だとか、勤務中の無駄口などとは無縁の者達ばかりだ。

 彼らは職務に忠実でもあるので、余計な詮索などは行わなかった。



 時折宮殿を訪れる、ぶかぶかの外套に身を包んだ少女に対しても、探るような目は見せない。

 内心はともかく、必要書類と通達の内容が合致していれば、滞りなく中に通された。



 しばらく待つように言われたカヤが、ぼんやりと砂利の敷き詰められた前庭を眺めていると。

 宮殿の脇、通用口の方から顔見知りの女官が現れた。



 腰に細身の剣を提げている事でも分かるように、彼女は海軍武官である。

 髪を短く整えた、いかにも真面目な堅物だが、なんでも先祖は海賊だったらしい。



「時間通りだな」


「まあ、お仕事ですから」


 女官は姿を偽っていないかを魔法で調べ、カヤ本人だと確かめると、先導して歩き始めた。

 その後に続いて、カヤも通用口から宮殿に入り、絨毯の敷かれた大階段を横目に、内部の人間が使う階段を昇っていった。



 正面の大扉から入る者は、大階段の前に出て、絵画の飾られた廊下を進んで待合室に向かう。

 そちらには、今もスリスメール公との面会を待つ人々が大勢集まっているだろう。



 来客に見せる必要のある一階とは違い、二階は事務室があるだけなので殺風景なものだ。

 観葉植物が置いてあるぐらいで、床も板張りのままだった。



 女官の足音はしているが、カヤは床板を軋ませたりもしていない。

 二人は廊下を角の方へ歩き、案内板も無い部屋の前で停まった。

 何度か軽く叩いた女官が、部屋の主に来意を告げる。



「アデル様、マジェーレが到着しました」


「お通しして」


 若い女の声に促され、カヤが女官に開けて貰った扉を潜る。



 まだ年若い少女の部屋だが、執務に使うだけなので飾り立てられてはいない。

 主が座っている椅子や机どころか、筆記用具すら実用的な物ばかりだ。

 壁には本棚と書類棚があるものの、そちらにも資料しか入っていなかった。



 何枚かの紙を前に、ペンを走らせている少女が、この部屋の主、アデル・ティ・スリスメールだ。



 彼女は肩口で揃えた黒髪を揺らしながら、緑色の瞳で書類に目を通していた。

 スリスメール公の長女で、皇帝には男子しかいない為、この国では最も高貴なお姫《ひい》様でもある。



 年齢はアルカと同じ十七歳。



 清楚な印象を受ける少女だが、童顔のわりに顎と眉はしっかりしており、ややきついぐらいの芯の強さを感じさせた。



「少し待っていて下さい。

 適当に座って、何か飲んでいて構いません」


「では珈琲を」


「私にもお代わりを。

 お願いね」


「畏まりました」


 顔も上げずに言ったアデルに、脇に控えていた女中が恭しく応じる。

 彼女と目が合ったが、カヤは知らない顔だった。



 女中が一礼しながら通り過ぎようとしたところで、にこやかに見ていたカヤが無造作に一歩近づいた。

 手には、袖口から滑らせたナイフが握られている。

 そのまま斬りつけたが、凶行は相手の体捌きによって躱されていた。



「なっ」


 一部始終を目撃した女官が、驚いて声を上げた。



 いきなり斬りつけたカヤにもだが、それを凌いだ女中に驚愕していた。

 今のは軍人である彼女でさえ、無傷で捌けるような不意打ちではなかった。



 躱してしまった女中も、青い顔をして目を泳がせている。

 対処が定まらずに混乱している女中へ、にこやかに笑いかけながら、カヤは別の暗器を繰り出した。



 大物用の頑丈な釣り糸の先につけられた分銅が、咄嗟に身を庇った女中の腕をすり抜けて水月を打つ。

 呻き声と共に倒れた女中を油断なく見つつ、カヤは袖の中に暗器を戻していった。



「足運びが素人のものではなかったので、ちょっと試してみたんですが。

 気絶させちゃいましたけど、ここの警備の人だったりしますか?」


「いや、私は聞いていない」


「私もですね。

 もっとも、連絡が来てないだけという事もありますから、確認を取ってみないと。

 クラーラ、お願い出来て?」


「お任せ下さい」


 倒れた女中を運び出した女官が、廊下で人を呼んでいるのが聞こえてきた。

 これから事情聴取などで、騒がしくなるからだろう。

 書類を片付けるのを諦めたアデルは、席を立って部屋の隅に置いてある給湯器へ向かった。



「自分で淹れないといけなくなりましたね。

 緑茶しかありませんが、構いませんか?」


「ええ、はい。

 すみません、珈琲を貰ってからにすべきでしたね」


「それはまあ、今の段階ではなんとも言えないでしょう。

 彼女が忍び込んでいた理由によっては、貴女に感謝すべきかもしれませんし」


 お茶っ葉を急須に入れたアデルが、魔導式の給湯器からお湯を注ぎ込んだ。

 適当なように見えて、何気ない仕草に品があるのは、教育の賜物だろう。



 受け取った湯呑みに息を吹きかけるカヤと、棚へ背中を預けたアデルが向かい合う。

 廊下の騒ぎが収まるまで、まだかかりそうなのを見やってから、アデルは声を潜めて尋ねた。



「伯爵はどうでした?」


「外部と接触した形跡はありません。

 ツコ・ガバーニとは切れていると見て、間違いないでしょう。

 ただ、あまり信用するのもどうかと」


「何かおかしな行動でも?」


「趣味の研究だと言われれば、それまでなんですが。

 死霊術や帝国史など、ちょっと意図が掴めないものを雑多に調べています。

 私は詳しくないので、気になるようでしたら、そちらの専門家を頼って下さい」


「保留、ですね。

 先の戦争時の亡命者は多いので、下手に刺激出来ません。

 明確な嫌疑も無しに、帝国に協力的な彼を表立って調べるわけにもいきませんから」


 しかし、アデルも彼を信用ならない人物だと思っているらしい。

 その伯爵、亡命貴族のリンメルについては、他から人員を回して、別の角度からも洗ってみるつもりだと言った。



 ここでは身元の不確かなカヤは、元々こういった方法で、身分と資金を用意するつもりで過去に来ていた。

 この時代の最も治安の悪い区画より、更にひどい場所で育っただけに、隠密行動には慣れている。

 こっそり調べる需要は、社会がしっかりしているほど多いだろうと考えていたのだ。



 幸い、理事長が援助してくれたおかげで、身分や生活費に困る事は無かったが。

 アデル姫から接触を受けた彼女は、色々考えた末に、利点の方が多いだろうと仕事を請けていた。



 廊下の様子からすると、そろそろ誰かが事情を聞きに来るだろう。

 その前に重要な件の報告だけでも受けておきたいのか、少し急ぐようにアデルは尋ねた。



「彼はもう、例の旅行に?」


「はい。

 今頃は、目的地に着いているはずです」


「もどかしいものですね。

 何が起きるか知っているのに、事前に動けないというのは……いえ、よりよい方向に動かせる自信が無いから、傍観しているだけですか」


「必要な事だと思った方が、きっと楽ですよ」


「犠牲になる無辜の民がいなければ、そうも思えるでしょうが……すみません、繰り言でしたね」


 過去に何度か、似たような事を言ったのだろう。

 自嘲するアデルに、否定するようにカヤは首を振った。



 その辺りの葛藤は、カヤにも分からないではない。



 今度の旅行が無くても、カールと仲間達は竜を倒せるかもしれない。

 だが、この事件こそが、彼が英雄としての道を歩きだす契機となったのだ。

 少なくとも、カール・ケルドルフの心境を大きく変える出来事だったのは、間違いないだろう。



 敗残兵の寄せ集めとはいえ、数ヶ国の軍の指揮を一任されるなど、およそ尋常な事ではないのだから。



 勿論、アデルも何もしていないわけではない。

 ただ、これが海であれば、例え彼女が『未来から来た少女に聞いた』と言っても相手は全力を尽くしてくれるが。

 陸での事となると、官僚特有の縄張り意識もあってなかなか難しいのだ。



 面会した第二機甲師団のグライフェルト将軍に、ゴブリンの動きが不穏だと訴えたものの。

 傍で聞いていれば、自分でも小娘の戯言にしか思えなかっただろう。

 のんびりとした顔で聞き終えた将軍と、どれだけ危機感を共有出来たかは、甚だ心もとなかった。



 あれこれとアデルが考えを巡らせていたところへ、扉の叩かれる音がした。



「失礼します、殿下。

 先程の件に関しまして、少しお伺いしたい事があります。

 お手数ですが、ご協力を願えないでしょうか」


「構いません。

 どうぞ、お入り下さい」


 詳しい話はまた後でと、目配せしてきたアデルに頷いて、カヤは扉を開けに向かった。

 いつもの女官はどこかへ行ったらしく、外の彼らでは立場上、開け難いだろう。

 中から開けるのでも、殿下に任せて見ていようものなら、アデル本人はともかく周りの目が厳しくなる。



「今、開けますね」


 外に声をかけて、扉を開いたカヤは隙だらけに見えたが。

 何かあれば即座に対応出来るよう、手元は袖口に隠れ、だらりと腕の力を抜いていた。



 幸い、潜入工作がばれたから強襲部隊がやってきた、という講談めいた展開にはならず。

 実直な軍人達は、部屋で起きた事を調べたり、女中について知っている事などを聞いていった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。