第十話 眠り姫 6
帝都の北西部にある宮殿は、前王朝から続く歴史ある建物で、ただ宮殿と言った場合はここを指す事が多い。
平日は皇帝が執務を行っており、日頃から厳重な警戒が布かれていた。
多民族国家の帝国らしく、宮殿の歩哨にはドワーフやオーク、エルフにノームなど、様々な人種が就いている。
揃いの紺の制服に身を包んだ彼らが、規律正しく巡回する姿は、観光客の目当ての一つにもなっていた。
王宮から南下し、街の中心部にある公園を抜け、南東に向かうと別の宮殿が見えてくる。
元は侯爵の王都屋敷だったそこは、現在では皇帝の親族が利用していた。
現皇帝の同腹の弟で、長く海軍士官を務め、皇帝の即位と同時に名誉元帥となったスリスメール公の住まいである。
当時三十そこそこで大尉だった彼の元帥号は、実を伴わない完全な名誉職だが。
その経歴からも後援者として、海軍の主張を代弁する事が多かった。
なので、宮殿の警備には海軍から陸戦隊が派遣されている。
海軍の政治的立場を後押ししてくれる人物の公邸だけに、優秀な兵士が選ばれていた。
海軍の軍人にとっては、最新鋭の軍艦に並ぶ、名誉ある勤務地である。
当然ながら、だらけた態度だとか、勤務中の無駄口などとは無縁の者達ばかりだ。
彼らは職務に忠実でもあるので、余計な詮索などは行わなかった。
時折宮殿を訪れる、ぶかぶかの外套に身を包んだ少女に対しても、探るような目は見せない。
内心はともかく、必要書類と通達の内容が合致していれば、滞りなく中に通された。
しばらく待つように言われたカヤが、ぼんやりと砂利の敷き詰められた前庭を眺めていると。
宮殿の脇、通用口の方から顔見知りの女官が現れた。
腰に細身の剣を提げている事でも分かるように、彼女は海軍武官である。
髪を短く整えた、いかにも真面目な堅物だが、なんでも先祖は海賊だったらしい。
「時間通りだな」
「まあ、お仕事ですから」
女官は姿を偽っていないかを魔法で調べ、カヤ本人だと確かめると、先導して歩き始めた。
その後に続いて、カヤも通用口から宮殿に入り、絨毯の敷かれた大階段を横目に、内部の人間が使う階段を昇っていった。
正面の大扉から入る者は、大階段の前に出て、絵画の飾られた廊下を進んで待合室に向かう。
そちらには、今もスリスメール公との面会を待つ人々が大勢集まっているだろう。
来客に見せる必要のある一階とは違い、二階は事務室があるだけなので殺風景なものだ。
観葉植物が置いてあるぐらいで、床も板張りのままだった。
女官の足音はしているが、カヤは床板を軋ませたりもしていない。
二人は廊下を角の方へ歩き、案内板も無い部屋の前で停まった。
何度か軽く叩いた女官が、部屋の主に来意を告げる。
「アデル様、マジェーレが到着しました」
「お通しして」
若い女の声に促され、カヤが女官に開けて貰った扉を潜る。
まだ年若い少女の部屋だが、執務に使うだけなので飾り立てられてはいない。
主が座っている椅子や机どころか、筆記用具すら実用的な物ばかりだ。
壁には本棚と書類棚があるものの、そちらにも資料しか入っていなかった。
何枚かの紙を前に、ペンを走らせている少女が、この部屋の主、アデル・ティ・スリスメールだ。
彼女は肩口で揃えた黒髪を揺らしながら、緑色の瞳で書類に目を通していた。
スリスメール公の長女で、皇帝には男子しかいない為、この国では最も高貴なお姫様でもある。
年齢はアルカと同じ十七歳。
清楚な印象を受ける少女だが、童顔のわりに顎と眉はしっかりしており、ややきついぐらいの芯の強さを感じさせた。
「少し待っていて下さい。
適当に座って、何か飲んでいて構いません」
「では珈琲を」
「私にもお代わりを。
お願いね」
「畏まりました」
顔も上げずに言ったアデルに、脇に控えていた女中が恭しく応じる。
彼女と目が合ったが、カヤは知らない顔だった。
女中が一礼しながら通り過ぎようとしたところで、にこやかに見ていたカヤが無造作に一歩近づいた。
手には、袖口から滑らせたナイフが握られている。
そのまま斬りつけたが、凶行は相手の体捌きによって躱されていた。
「なっ」
一部始終を目撃した女官が、驚いて声を上げた。
いきなり斬りつけたカヤにもだが、それを凌いだ女中に驚愕していた。
今のは軍人である彼女でさえ、無傷で捌けるような不意打ちではなかった。
躱してしまった女中も、青い顔をして目を泳がせている。
対処が定まらずに混乱している女中へ、にこやかに笑いかけながら、カヤは別の暗器を繰り出した。
大物用の頑丈な釣り糸の先につけられた分銅が、咄嗟に身を庇った女中の腕をすり抜けて水月を打つ。
呻き声と共に倒れた女中を油断なく見つつ、カヤは袖の中に暗器を戻していった。
「足運びが素人のものではなかったので、ちょっと試してみたんですが。
気絶させちゃいましたけど、ここの警備の人だったりしますか?」
「いや、私は聞いていない」
「私もですね。
もっとも、連絡が来てないだけという事もありますから、確認を取ってみないと。
クラーラ、お願い出来て?」
「お任せ下さい」
倒れた女中を運び出した女官が、廊下で人を呼んでいるのが聞こえてきた。
これから事情聴取などで、騒がしくなるからだろう。
書類を片付けるのを諦めたアデルは、席を立って部屋の隅に置いてある給湯器へ向かった。
「自分で淹れないといけなくなりましたね。
緑茶しかありませんが、構いませんか?」
「ええ、はい。
すみません、珈琲を貰ってからにすべきでしたね」
「それはまあ、今の段階ではなんとも言えないでしょう。
彼女が忍び込んでいた理由によっては、貴女に感謝すべきかもしれませんし」
お茶っ葉を急須に入れたアデルが、魔導式の給湯器からお湯を注ぎ込んだ。
適当なように見えて、何気ない仕草に品があるのは、教育の賜物だろう。
受け取った湯呑みに息を吹きかけるカヤと、棚へ背中を預けたアデルが向かい合う。
廊下の騒ぎが収まるまで、まだかかりそうなのを見やってから、アデルは声を潜めて尋ねた。
「伯爵はどうでした?」
「外部と接触した形跡はありません。
ツコ・ガバーニとは切れていると見て、間違いないでしょう。
ただ、あまり信用するのもどうかと」
「何かおかしな行動でも?」
「趣味の研究だと言われれば、それまでなんですが。
死霊術や帝国史など、ちょっと意図が掴めないものを雑多に調べています。
私は詳しくないので、気になるようでしたら、そちらの専門家を頼って下さい」
「保留、ですね。
先の戦争時の亡命者は多いので、下手に刺激出来ません。
明確な嫌疑も無しに、帝国に協力的な彼を表立って調べるわけにもいきませんから」
しかし、アデルも彼を信用ならない人物だと思っているらしい。
その伯爵、亡命貴族のリンメルについては、他から人員を回して、別の角度からも洗ってみるつもりだと言った。
ここでは身元の不確かなカヤは、元々こういった方法で、身分と資金を用意するつもりで過去に来ていた。
この時代の最も治安の悪い区画より、更にひどい場所で育っただけに、隠密行動には慣れている。
こっそり調べる需要は、社会がしっかりしているほど多いだろうと考えていたのだ。
幸い、理事長が援助してくれたおかげで、身分や生活費に困る事は無かったが。
アデル姫から接触を受けた彼女は、色々考えた末に、利点の方が多いだろうと仕事を請けていた。
廊下の様子からすると、そろそろ誰かが事情を聞きに来るだろう。
その前に重要な件の報告だけでも受けておきたいのか、少し急ぐようにアデルは尋ねた。
「彼はもう、例の旅行に?」
「はい。
今頃は、目的地に着いているはずです」
「もどかしいものですね。
何が起きるか知っているのに、事前に動けないというのは……いえ、よりよい方向に動かせる自信が無いから、傍観しているだけですか」
「必要な事だと思った方が、きっと楽ですよ」
「犠牲になる無辜の民がいなければ、そうも思えるでしょうが……すみません、繰り言でしたね」
過去に何度か、似たような事を言ったのだろう。
自嘲するアデルに、否定するようにカヤは首を振った。
その辺りの葛藤は、カヤにも分からないではない。
今度の旅行が無くても、カールと仲間達は竜を倒せるかもしれない。
だが、この事件こそが、彼が英雄としての道を歩きだす契機となったのだ。
少なくとも、カール・ケルドルフの心境を大きく変える出来事だったのは、間違いないだろう。
敗残兵の寄せ集めとはいえ、数ヶ国の軍の指揮を一任されるなど、およそ尋常な事ではないのだから。
勿論、アデルも何もしていないわけではない。
ただ、これが海であれば、例え彼女が『未来から来た少女に聞いた』と言っても相手は全力を尽くしてくれるが。
陸での事となると、官僚特有の縄張り意識もあってなかなか難しいのだ。
面会した第二機甲師団のグライフェルト将軍に、ゴブリンの動きが不穏だと訴えたものの。
傍で聞いていれば、自分でも小娘の戯言にしか思えなかっただろう。
のんびりとした顔で聞き終えた将軍と、どれだけ危機感を共有出来たかは、甚だ心もとなかった。
あれこれとアデルが考えを巡らせていたところへ、扉の叩かれる音がした。
「失礼します、殿下。
先程の件に関しまして、少しお伺いしたい事があります。
お手数ですが、ご協力を願えないでしょうか」
「構いません。
どうぞ、お入り下さい」
詳しい話はまた後でと、目配せしてきたアデルに頷いて、カヤは扉を開けに向かった。
いつもの女官はどこかへ行ったらしく、外の彼らでは立場上、開け難いだろう。
中から開けるのでも、殿下に任せて見ていようものなら、アデル本人はともかく周りの目が厳しくなる。
「今、開けますね」
外に声をかけて、扉を開いたカヤは隙だらけに見えたが。
何かあれば即座に対応出来るよう、手元は袖口に隠れ、だらりと腕の力を抜いていた。
幸い、潜入工作がばれたから強襲部隊がやってきた、という講談めいた展開にはならず。
実直な軍人達は、部屋で起きた事を調べたり、女中について知っている事などを聞いていった。




