第八話 呪いと毒 2
半年後。
暦の上では春だというのに、寒波の影響で街には雪が降っていた。
実際に見るまでアルカも忘れていたが、こんな事もあった気がする。
その後に色々あったせいで、あまり印象に残らなかったようだ。
雪を踏み鳴らしながら、教会へと向かう彼の隣には、お使いの帰りだというフレデリカが並んで歩いていた。
アルカにとっては、春先の雪など寒いだけで、うんざりするものでしかないが。
彼女にとっては、もっと世界は輝いているのだろう。
両手を広げて、くるくる回りながら、楽しそうに笑っていた。
こういう邪気の無いところが、周りから可愛がられるのだろう。
はしゃぐ彼女を見守りながら、アルカはしみじみと呟いた。
「俺も子供の頃は、こんな風に楽しめてたのかね」
「あはは。
ルカだって、そんなに歳は変わらないじゃない。
老け込むような事を言ってると、心までお年寄りみたいになっちゃうよ」
「やれやれ。
俺のような年寄りでは、フレデリカさんへの貢物を忘れてしまうかもしれませんな」
「それは横暴だよ! 毎日のご飯は美味しいし、文句を言うわけじゃないけど。
堕落した味を知っておくのも、修行中の身には大事なことなんだから」
「ほう? ならば、もっと可愛くおねだりしたら、望みの物をくれてやろう」
む、と挑戦を受け取ったフレデリカは、両手を合わせ、もじもじしながら上目遣いにアルカを見た。
「ルカ。
いじわるしないで……ちょうだい?」
「そんなのどこで覚えた」
頭痛をこらえ、犯人に見当をつけながらもアルカが尋ねると。
ついさっきまで醸し出していた淫靡さはどこへやら、あっけらかんとフレデリカは答えた。
「え? 我が姉妹、カリーナだけど。
なんか、男の人におねだりするなら、こうするといいって」
「やっぱりか。
あのアマ、子供に何教えてんだ。
フレデリカさん、お土産のお菓子はあげますので、そんな物は忘れてしまうように」
「はーい」
みんなで分けるようにと言って、アルカが紙袋を渡す。
中には焼き菓子が入っていて、まだ温かいのか、暖を取るようにフレデリカは両手で抱え込んだ。
そんな様子に微笑んでいたアルカは、見えてきた教会に苛立ちのこもる目を向けた。
「でも、どきどきしたでしょ」
「するかっ!」
「えー、つまんない」
詰め寄ったアルカに、反省するどころか、カリーナはからかうように笑っていた。
二人は居住区画にある廊下で長椅子に並んで座っているが、身じろぎする度に軋む音がした。
礼拝堂に並べられている長椅子の、古くなった物だからだろう。
頑丈だが質素な造りは、教会の他の家具にも共通する特徴だった。
廊下の両側にある窓は、外側には降り続ける雪が、内側には暖炉で暖められた部屋が見える。
大きなテーブルのある食堂らしき部屋では、フレデリカが他の修道士達と、貰い物のお菓子を堪能していた。
部屋の中ほどは暖かくはないが、風が遮られている事と、出されたお茶の温かさで、だいぶ緩和されているようだ。
背中に団欒の声を聞きながら、アルカは湯呑みを傾けた。
「お前は暇を持て余した主婦かなんかか」
「いいじゃない。
若い身空で、刺激の少ない生活を送っている哀れな娘に、奉仕の精神を発揮してくれたって」
「暇潰しの道具にされる方としては、たまったもんじゃねえよ」
「あら? それはもしかして、私に本気になって欲しいって事? いいわよ、いつだか来た美人さんには内緒にしておいて、あ・げ・る」
「なあ? どうしたら、真面目に話を聞く気になるんだ?」
「人の子よ。
汝、隣人に欲するならば、まず自らを正せ。
ルカの心がけが悪いんじゃない?」
ぺろりと唇を舐めるカリーナは、年頃の娘らしい色気に溢れていた。
修道女というと、禁欲的な生活を送る、色気とは無縁の存在を思い浮かべるものだが。
カリーナは僧服の下に窺える肉感的な体といい、艶っぽい表情といい、やたらと色っぽい少女だ。
なので、がっついてこないアルカの反応が珍しいのだろう。
からかうような言動が多いのも、そういう相手だからこそで、簡単に靡けば興味を失うに違いない。
「まあ、元気でやってるみたいで安心した」
ほっぺたを汚しながら、笑顔で焼き菓子にかぶりつくフレデリカを見て、アルカは口元を緩めた。
やはり彼女に記憶は無かったが、それを不安には思っていないようだ。
知っていた事ではあるが、以前は教会に足を運んでまで、様子を見に来たりはしなかったのだ。
元気に走り回っている姿を、街で見かけて心配ないと思っていたからだが。
挨拶に来た時に差し入れを持ってきたのが縁で、今は定期的に顔を出すようになっていた。
暖かい笑みでお茶を啜るアルカに、カリーナも前面に押し出していた色気を引っ込めて言った。
「私も安心したかな。
縁もゆかりもない子供を気にかけてるから、小児性愛者かと疑ってもいたんだけど。
ルカ、今日のは本気で怒ってたしね。
信用してあげるわ」
「そいつはどーも」
相手が真面目になったからか、アルカの方も少し真剣に見返した。
「だったら、俺からは一つ忠告を。
お前、わりといい女なんだから、もうちょっと言動を考えた方がいいぞ。
相手がその気になってからじゃ、冗談で済まない場合もあるだろ」
「そっか」
カリーナも会った事のあるニーナは、滅多に見ないほどの美人だった。
自分の容姿に自信がある彼女でさえ、いや、自信があるからこそ、顔では勝てないと認められるような相手だ。
そんな美人が気にかけるほどの価値が、この田舎っぽい少年のどこにあるかと思っていたが。
話しやすいところだけでなく、彼には彼で魅力があるらしい。
「いや、そっかって」
「あら、ご不満?」
「ニーナにも前に言われたんだよな。
まあ確かに、今のは説教臭かったというか、くどくど言うような事じゃないだろうけど」
笑顔で聞いていたが、カリーナの眉の辺りは苛立ちが隠しきれていなかった。
嫉妬、というほどの執着は無いにしろ、それなりに好意を示したのだ。
なのに何故、この男は平気で他の女の名前を出せるのか。
「そりゃ言われるでしょ。
でも、安心して? 彼女に捨てられたら、私が拾ってあげてもいいわよ」
「へいへい。
ありがたくて涙が出ます」
「ばーか」
どうやらアルカとニーナの仲は、まだ決定的と言える段階には至っていないらしい。
今なら割り込めるだろうが、この距離感が心地良くて、カリーナはその考えを手放した。
多分、無理に自分のものにしたところで、こういう空気は味わえないだろうと。
それからもしばらく、並んで座りながら二人は気軽な雑談を続けていた。