第七話 第二の点 6
学祭前日に慌てて準備をする有志により、調理器具の揃っている部屋は全て埋まっていた。
既に夕食時を過ぎ、学祭が始まるまで半日ほどしかない。
空くのを待っていたら到底間に合わないので、カール達は理科室の一角を借りて下拵えをしていた。
アルカもキャベツの千切りを手伝っていたが、何の屋台かは詳しく聞いていない。
お好み焼きを串に巻いた物らしいが、話の途中で調理室が取れなかったとカールが駆け込んできたからだ。
前日になって慌てているのも、彼が買い付けた野菜の納品が遅れたせいなので、友人達からはさんざんなじられていた。
「いや、本当に申し訳ない。
ルカも悪いな」
「気にすんなって。
春の時は、みんなにも世話になったしさ」
帰りがけに話していたのを幸いとばかりに、半ば強引に付き合わされているのだが。
捜索を手伝って貰った借りをようやく返せると、アルカは喜んで引き受けた。
まだ荷物を運び終わっていないらしく、カールは追い立てられるようにして理科室を出ていった。
残された者達も、それぞれ作業にかかる。
理科室には地学部などの、ここを活動拠点にしている部活の人間や、予習復習に来ている学生の姿もあった。
カールの友人達は入れ替わり立ち替わりしているので、何人いるかは分かり難いが、全部で五、六人だろうか。
「あの時は、僕らは仕事として受けたからなあ。
学院から報酬も貰ってるし、ルカ君が気にする事じゃないよ」
黒髪のマルコという少年が、自分も野菜を切りながら話しかけてくる。
その向こうで、エルフらしく貧乳のユリカが皮肉っぽく笑っていた。
「ジャガーノートを相手にするには、ちょっと安かったと思うけどね」
「直接対峙もしなかったんだし、貰い過ぎなぐらいだよ。
なにより、学院に恩を売っておいて損はしないでしょ」
「でもさ。
あれが本物のジャガーノートだったのか、どこからの情報で、誰が理事長を動かしたのか。
生徒会の奴にも探りを入れてみたんだけど、副会長が何か知っているらしいって以外、さっぱり分からなくて」
「有名な、副会長の『強制』をかけられない程度にしときなよ」
苦笑しながらの忠告に、無い胸を叩いてユリカは請け負った。
ちょっと力を入れたら折れそうなぐらい細い体は、いかにもエルフといった感じだ。
さらっとした長い黒髪は、空気が乾燥してくると痛みやすいと、自己紹介の時に言っていた。
彼らよりも詳しい事情を知っているが、アルカは初めて聞いたような顔で相槌を打っていた。
説明し難い内容も含むので、下手に話せないのだ。
見ていた限り、この二人は他の面々よりも親しそうだった。
距離も近く、野菜を切っている間に自然と肩が触れているが、気にした様子もない。
恋人同士なんだろうかと思いつつ、アルカは別の話題を振った。
「屋台に参加してるのは、みんな何でも屋の仲間なのか?」
「そうだね。
僕とユリカに、あそこのルネッタとカールの四人は、大体いつも組んでるかな。
他のも、一度は仕事した仲だよ」
「仕事の規模によって、必要な人数って違うじゃない? たまに加わる奴とか、道具の手入れに、交渉専門の奴とかまで入れると、仲間と言えるのは十人以上いるけど。
全員が揃ったのは、あたしも見た覚えが無いわね」
「へえ。
学院生で何でも屋やってるのって、結構多いんだな」
「確かに多いけど、僕らの仲間は全員が学院生ってわけじゃないよ。
他の学校の人とか、別に仕事持ってる人もいるし」
どさりという物音に目を向けると、カールが野菜の詰まった大きな籠を下ろすところだった。
寄りかかって一息ついている様子からも、筋肉質な彼でさえ重かったらしい。
少し迷ったようだが、包丁を置いたマルコは、カップに水を入れて持っていってやった。
しがみつくように受け取ったカールが、喉を鳴らして一気に飲み干す。
ぷはあと息をついた彼は、生き返ったような顔をしていた。
「ちょっと早いけど、あたしらも休憩にしましょうか。
なんか飲む?」
「ああ、それじゃ……」
ユリカに要望を伝えようとしたアルカが、途中で息を詰まらせた。
視界がどんどん狭くなり、立っていられなくなる。
アルカが膝をついた時、理科室にいる他の学生は、緊張した顔を部屋のあちこちへ向けていた。
天井は軋みながら落ちてきそうで、窓は外から無数の黒い手に叩かれている。
怨嗟の呻き声のようなものも、どこからともなく響いてきた。
「なんて濃い瘴気」
冷や汗をかいたユリカが洩らした時、ルネッタという少女がアルカに駆け寄った。
目を閉じて雑念を追い払い、治癒魔法を唱える。
治癒魔法といっても、切れた手足をくっつけたりは出来ない。
あくまで自然回復力を高めるだけなので、その限度を超えた怪我はどうしようもないのだ。
しかし、心臓の働きを高められる為、狭心症の発作などにも効果があった。
「駄目っ、まるで効果が無い!」
「ちっ、呪いか」
間に合うか、と呟きながらユリカはアルカの傍にしゃがみ込んだ。
「ルカ、気をしっかり持ちなさい。
急ぐけど、なんの準備も無しじゃ、術の構築に時間がかかる。
後は、あんたの気合い次第よ」
なんとか見返して、アルカは頷いた。
呪いへの対抗手段に取り掛かりながら、ユリカが励ますように頷き返す。
周りも騒がしくなっているようだが、目眩と耳鳴りのせいで、アルカにはそれ以上何も分からなかった。
気道を塞がれているというより、水の中に落ちたようで空気が吸い込めない。
きりきりと締め付けられるように心臓が痛み、どんどん意識が保てなくなる。
時間を確かめようとして、壁にかかった時計に目をやる。
だが、ぐるぐると回る時計は、近づいたり遠ざかったりで時刻が分からない。
ユリカの呪文を聞きながら、最悪の気分でアルカは意識を失っていった。
曇った鏡に、アルカの姿が映っている。
周りにピート、ニーナ、カヤの姿を見つけて、自分がどこに居るか分かったようだが、アルカは開きかけた口を閉じ、意識してゆっくりと深呼吸を始めた。
「あ。
今、何かが溢れてきましたね。
これがそうですか」
「違うんじゃないですか。
多分、ピートさんが感じたのは、ルカさんに付き纏っていた呪詛か何かの残滓だと思います」
よく分かっていないピートとは違って、カヤは気遣わしそうにアルカを見た。
背中を擦るニーナに間近で見守られるうちに、だんだんと呼吸も整ってきたらしい。
ふうと息を吐いたアルカは、ようやく体を起こす事が出来た。
「大丈夫か?」
「なんとかな。
ありがとう」
「無理はするなよ。
落ち着いてからでいい」
真っ直ぐに心配してくれる目に、アルカは納得したように頷いた。
この目だ。
ニーナの魅力は他にも色々と挙げられるが、この目に自分はやられたのだと。
「ジャガーノートは春の時点で始末したんだけど、文化祭の前日に呪い殺された」
「あ、待って下さい。
流石に、場所を移しませんか」
「それもそうだな」
カヤの提案に同意して、一同が外へと向かって歩き出す。
風に吹かれる草を見ながら、アルカの胸には疑問が過ぎっていた。
ユリカは呪いだと言っていたが、相手は誰なのか。
自分を殺すような理由にも、まるで見当がつかない。
手がかりも無い空中に放り出されたような不安が襲ったが、周りの三人の姿を見て、落ち着きを取り戻していった。
彼らの手が借りられるなら、対処出来ない事など何も無いだろうと。