第七話 第二の点 3
ラメール魔導具店のある街の東地区は、主に住宅街になっている。
中心部や大通りには商店が軒を連ねているが、歓楽街のある西地区とは趣が違う。
夕食時には飲食店以外は閉まり、人通りもほとんど無くなるのだ。
まだまだ宵のうちだと喧騒の聞こえる西側とは、住民層も雰囲気もかなり異なっていた。
街の治安は良い方だが、街灯の届かない場所も多いので、若い女性が夜の公園に近寄ったりはしない。
アルカは迂回する道を通ろうとしたものの、カヤは気にした様子もなく公園を突っ切る事を選んだ。
並んで歩くとよく分かるが、カヤは歩いている間、ほとんど頭が上下しない。
そして、まるで滑るように進んでいる。
また、二人で歩いているというのに、辺りに響く足音は一人分だった。
全く物音がしないわけではないが、かなり小さなものだ。
確かにそこに居るのに、まるで本当は存在しないかのようで。
月に照らされた長い黒髪もあって、彼女の存在はどこか怪談じみていた。
「どっちから話す?」
そんな空気を嫌ったのか、アルカは殊更明るく切り出した。
「ルカさんからで構いませんよ」
「なら遠慮なく。
間違ってたら、笑ってくれていいんだけど。
カヤって、何か時間に関する魔法を使えたり、特殊能力を持ってたりしないか?」
核心を突かれたからか、カヤは白い歯を見せて苦笑した。
「もし私が未来から来たと言ったら、信じます?」
「なるほど、そういう事か」
「随分あっさり信じますね。
なにか、それっぽい言動をしてました?」
「いや、普段は別に。
あれは最初に死んだ時だから……俺の主観だと、もう数年前になるな。
あの時、どことも知れない場所を漂っていた俺に、カヤが声をかけてくれたんだ」
「え?」
何か思ってもみない事を聞かされたようで、カヤが驚いていた。
そういえば、あのカヤも、同一人物でありながら次に会うのは別人だというような事を言っていたはずだ。
人とは少々違う経験をしたからといっても、さほど常識が変化しないのはアルカも体験済みだった。
「あ、ええっと。
これから先も、カヤがそういう経験をするとは限らないんだけど」
「いえ、それは大丈夫です。
時間は遡れても事象は不可逆だとか、多次元宇宙論についてはヒルダさんに教わってますから。
そうではなく、死んだんですか? ルカさんが?」
「今はこの通りピンピンしてますけどね。
よく分からないんだが、死んだら過去に戻ってるんだよ。
初陣ではあっさり死んで、今回ようやく無事に帰ってこれたんだ」
「詳しく聞かせて下さい」
態度を改めて尋ねるカヤに、アルカも真面目に頷き返した。
ヒルダに姉のドルンを診て貰って、直す為の資金稼ぎに戦場へ向かって死んだ事。
街が襲われ、切り抜けたのに、気がつけば鏡の前に戻っていた事。
再び向かった戦場で、やはり力及ばずに戦死して。
ようやく切り抜け、四度目の夏を過ごしているところまで話し終えた。
「とまあ、俺の話はこんなところだけど」
「そうだったんですか」
答えるカヤは、途中から俯いており、長い髪で隠れて表情は見えない。
何か声をかけようとしたアルカに、顔を上げた彼女が申し訳なさそうに謝ってきた。
「ごめんなさい。
きっと、全部私のせいです」
切なそうにアルカを見るカヤは、確かにそこに居るのに、少し目を離すと夜の大気に溶けて消えてしまいそうな儚さがあって。
思わず抱きしめたくなったアルカは、年頃の娘さんにする事ではないと、伸ばしかけた手を慌てて戻した。
なんというか、アルカの保護欲とか父性とか、そういうものを刺激する表情だった。
例え彼女のせいだとしても、何も悪くないと言ってやりたくなるような。
「よく分からないけど、カヤが原因とは限らないんじゃないか?」
「私が聞きたかったのは、ルカさんが戦場に行った理由なんです。
今の話で、その辺りの事情は分かりましたけど」
カヤの話によると、アルカがヒルダと知り合うのは、本来だと三回生で専門課程に進んでからだったらしい。
しかし、どこで何が影響したかは不明だが、カヤが居た事で出会いが早まり、そのせいでアルカが戦死するようになったと。
袖から何か出したようで、時折手の中の物に目をやりながら、カヤは話し終えた。
「いやいや、それは背負い過ぎだって。
どうするか決めたのは俺なんだから、カヤが責任を感じる事じゃないだろ」
「でも、私は本当なら、ここに居るはずのない人間ですから……もっとも、咎のある私は、既に報いを受けたようですが」
「だからって……報い?」
「はい。
ルカさんが死ぬ原因を作った事で、その私は時の彼方に弾き飛ばされたんだと思います」
「え? いや、ちょっと待った」
「そのぐらいは最初から覚悟の上ですよ」
この世の果てまで流されたか、永遠に時空の狭間を漂っているか。
あっさりと投げ出すように、カヤはそう言った。
自分の身を軽んじているというより、言葉通りに覚悟しているのだろう。
「むしろ、ルカさんは怒るべきかと。
おそらくですけど、何度も繰り返すような羽目になったのは、そのせいだと思いますから」
今から三年後、一頭の巨大な竜によって学院は壊滅させられるそうだ。
竜は大陸西部を荒らし回り、帝国や対岸のツコ・ガバーニだけでなく、数多の国々を滅ぼしていった。
これを倒したのが、英雄カール・ケルドルフと仲間達であり、アルカもその一人として活躍したらしい。
「詳しくは知りませんけど、ルカさんは何か決定的な役割を果たしたそうです。
つまりルカさん無しで、竜は倒せないんですよ」
「竜って、まさかあれか?」
「水尾村でドルンさんが戦った竜の事なら、まさにそれです」
カヤの答えを聞いたアルカは、後頭部から背筋にかけて、凍りついたように感じていた。
空を覆い尽くす巨体の姿が、ありありと蘇る。
『火神の斧』を連発していたドルンが壊れるまで戦っても、なんとか追い払うのが精一杯だったというのに。
「この『結果』の因果を持つ……つまり、未来を知る私がルカさんの死に関わったせいで、奴を倒すまで繰り返しているんだと思います」
専門家ではないので確かとは言えませんが、とカヤは締め括った。
竜を倒すのにアルカが必要不可欠なら、竜が倒される前にアルカが死んでは矛盾してしまう。
竜を倒すまで、何度だってアルカは繰り返す事になるのだろう。
「そうか……いや、条件が分かっただけでもありがてーわ」
今はまだ、小さな種火に過ぎないが、確かにアルカには決意が宿っていた。
あれとやり合うどころか倒す方法など、まるで見当もつかない。
それでも、何をすればいいのかだけは分かったのだから。
「お役に立てず、申し訳ないです。
ああ、そういえば」
何か思いついたようで、カヤは提案してきた。
「繰り返しの基点、戻される日時を変える事ぐらいなら、出来ると思いますよ」
「え、本当に?」
「はい。
因果事象の安定している時に、あの鏡を覗き込むだけですから」
そう言って、カヤは手の中の物をアルカに見せた。
懐中時計に似た形をしており、時針と文字盤の代わりに、遁甲盤めいた模様の上に方位磁針らしき物があった。
針はゆらゆらと揺れて、何かを指し示している。
「これはヒルダさんの作った、事象の羅針盤のような物なんですが。
事象の変動幅が大きいと現在の定義が難し……荒れた海では、停泊が困難なものと思って下さい」
アルカが疑問符を浮かべているのを見て取って、カヤは言い換えた。
これは彼の理解力がどうこうというより、前提となる知識の問題だ。
割り算が分からなければ、因数分解を解きようがないのと同じである。
カヤが未来でヒルダに教わった事を全て教えなければ、理解は難しいのだろう。
そこまでの時間を割いてまで、完璧に伝える必要は無いとカヤは判断したし、アルカにも異論は無かった。
「いつでも好きな時に、というわけにはいきませんが。
私に聞いて下されば、安定しているかどうか、基点を変えられるかは教えられます」
「それは助かる。
さっそく、近いうちにでも頼めるか?」
「分かりました」
さっきからカヤが手の中の物、事象の羅針盤というのを見ていたのは、アルカに話せる内容かを確かめていたようだ。
問題がある時には、これが警告してくれるのだと教えてくれた。
「ところで、カヤは何しに過去に来たんだ?」
「父のやろうとした事を見届けに、でしょうか」
「お父さんの? さっきの話しぶりだと、俺も知り合いだったみたいだけど」
「ええ、お世話になってました。
父とルカさんの関係は、友人知人の誰に聞いても分かるぐらいなんですが……詳しくはすみません」
他にも何度か名前の出たヒルダとは、かなり親しかったようだ。
恐らくは同期生、少なくとも学院関係者の誰かなのだろう。
「まあ話せないならしょうがないって。
こっちも、先の事を知ってズルしたいだけだったんだから」
「一応聞いてみません? 答えられる範囲で良ければ、お答えしますから」
「なら、遠慮なく。
竜に滅ぼされるまで、学院は無事だったんだよな? だったら、ジャガーノートをどうしたのか教えて貰えないか?」
こちらは竜と違って、対策も立てられないわけではない。
だが、もし失敗すれば大勢の命が失われるだろう。
彼女のいた未来で、上手く回避出来たというのであれば、それを知りたいと思うのも当然だった。
だが、わりと期待していたアルカの前で、カヤは小首を傾げた。
「ジャガーノートってなんですか?」
「わーい」
カヤの知っている未来で、竜の他に学院に関する事件というと。
この夏にツコ・ガバーニの軍が街を襲撃した事と、ニーナが子供の修道女を撃ち殺した事があるらしい。
危険な魔獣の討伐を邪魔したとかで、罪には問われなかったものの。
事情はともかく、子供を手にかけた事でニーナは周囲から孤立してしまったそうだ。