第七話 第二の点 1
ジャガーノート。
幼体のうちは大した力を持っておらず、他の生物の子供に化けて身を守る性質を持つ。
擬態の他にも、精神に作用する魔法に長け、警戒を解かせたりもする。
例えば狼に化ける時、親狼に自分の子だと錯覚させるだけでなく、群れの仲間にも違和感を与えずに紛れ込んだりするのだ。
また、精神構造を理解した相手であれば、その思考を操作する事も可能だった。
思い通りに操るというよりは、自分を守るように誘導するのだ。
通常であれば群れないトラが、一匹のジャガーノートを守る為に集団行動を取った例もあった。
成体は人を食べる事もあるらしいが、集落を襲撃したりはしない。
臆病な性質なので、危険には近寄らないのだ。
この魔獣の恐ろしさは成体の持つ毒にあった。
わずかでも吸い込めば、大型動物でも短時間で死に至らしめる猛毒を、大量に吐き出せる。
これにより、肉体的にはさほど頑強でもないのに、彼らは外敵に脅かされずに縄張りを維持していた。
「街一つを滅ぼすぐらいは、簡単にやってのける相手です。
まさに、『逃れ得ぬ運命』といったところですね」
「対処法は?」
「彼らの危機感を煽らない事。
基本的に、縄張りを荒らさない限りは、その暴威を振るったりはしないそうですから。
しかし、そういうわけにもいかないんですよね?」
ピートが確認すると、ニーナが頷いた。
いつもの角の店に陣取って、アルカ達三人はジャガーノートについて検討し合っていた。
アルカは濃い目の珈琲を、ピートは麦茶、ニーナは店の独自配合の紅茶を頼んでいる。
彼らのように、さして金払いの良くない若者で、店は賑わっていた。
静かな場所なら声も響くが、ここなら何を話していても周囲の会話に紛れてしまうだろう。
「おそらくな。
二度も見失ったのに探し出せたのは、街から離れなかったからだと父も言っていた。
知られている習性通りに臆病な性質なら、場所を移していないとおかしいだろう」
「その辺りも、毒の制御を除去したのと同じ理由でしょうね。
しかし生物兵器ですか。
誰が、というのは、まあ恐らくツコ・ガバーニでしょう。
となると目的は破壊工作しか考えられず、やはり倒してしまうしかないですか」
嫌そうにピートが息を吐いたのは、彼の動物愛護精神に反するからではない。
かつて帝国の西部に存在した国が、ジャガーノートを下手に刺激したせいで滅びたからだ。
可能なら穏便に、山にでも帰してやった方が、ジャガーノートも街の人間も損をしないだろう。
問題は、それで損をするのが、工作を仕掛けた敵国な事だ。
毒の制御を除去し、なんらかの方法で街から離れないようにまでした以上、丸く収める手段を残しておくとも思えなかった。
「成体になる前に、見つけ出すしかねーって事か」
「魔力光が特徴的な菫色をしているから、魔法使いなら見れば分かる。
だが、魔法を使わなければ、擬態した生物と区別がつかんからな。
三年前もそれで苦労した」
「すみません、僕はちょっと」
申し訳なさそうに言うピートに、元から期待していないと残りの二人が首を振った。
なんとか単位は取れそうだが、歴代でも上位数名に入る筆記試験の成績が無ければ、彼の進級は難しかったに違いない。
「せめて、例のガキを見つけられれば良いんだが。
あいつの邪魔が入らないなら、当日探し回るだけで済むだろ?」
「それなんですけど。
まだ、この辺りにはいないんじゃないですかね」
「来年の春までに、他の街から来た可能性は高いか」
エメットの街の住人全員を調べるなら大変だが、協会関係者となると数は限られる。
アルカの見た修道服は、ある一神教の尼僧が着る物で、その教会も街には二つしかない。
帝国に国教は定められていないが、これも多民族国家だからである。
宗教は発展に伴い、民衆の倫理観と結びついて浸透する為、多くの人々にとって抗い難いものになっているのだ。
宗教と倫理が同一視されているので、無宗教、無神論者だなどと言うと、反社会的思想の持ち主だと思われてしまう。
最大宗派は帝室も崇める多神教だが、他の宗教も布教を許されている。
ただし、あくまで帝国の保護と監督の下であって、国の権威に挑戦すれば弾圧された。
皇帝や法律に逆らっても許される宗教的指導者の存在など、為政者にとっては邪魔でしかないからだ。
なので、どこの宗教でも帝国法の遵守を掲げていた。
「教会といえば、この街には確か、占いで有名な尼僧がいましたよね」
「そうなのか?」
街の教会には二つとも行ったのだが、アルカは首を傾げるだけだった。
もう一人、ニーナの方は流石に女子と言うべきか、知ってはいたようだ。
「よく当たると評判らしいな。
他に手がかりも無いし、試してみるのも悪くないか」
「占いとか、あんま信じられねーけどな」
「ルカ君の話よりは、よっぽど信憑性がありますよ」
確かに、と胡散臭い経験をしているアルカが、ピートに笑い返した。
過去に戻って、同じ時間を繰り返しているなどと言うよりは、まだ占い師の方が信じて貰えるだろう。
各自の日程を突き合わせ、調整してみたところ、三人の都合がつくのは来週になりそうだった。
アルカとしてはそれでも良かったのだが、ピートは肩を竦めた。
「僕から振っておいてなんですが、お二人で行ってきて下さい。
そんなに興味があるわけでもありませんから」
「なら、そうするか」
ニーナが決定事項としてカップを取った時、学院の事務の人がやってきた。
三人の方には見覚えがあったが、相手にとっては多くの学生の一人なのだろう。
席の近くまでやってきた彼は、少年二人を見比べた。
「すみません、アルカ・ティフタット君はどちらです?」
「俺ですけど」
「理事長がお呼びです。
至急、理事長室まで来るようにと。
場所はお分かりになりますか?」
「ええ、大丈夫です」
伝えましたからね、と去っていく事務の人を、お疲れ様ですと見送ってから、アルカは残りの珈琲を流し込んだ。
「わざわざ人を寄越したりせずに、自分で来りゃいいものを」
「理事長って、形式にこだわるところがありますよね」
「なんにせよ短気な奴だ。
あまり待たせると、怒らせるんじゃないか?」
ニーナの忠告に、それもそうだなとアルカは立ち上がった。