第六話 夏の戦場 8
その光景は、リンメルにとって衝撃的だった。
戦闘の最中なのも忘れたように、立ち尽くして二人の戦いに見入っている。
ルイーザの死によって、新たな指示を請う部下の声も、まるで聞こえていないようだ。
ルイーザの戦死で兵が動揺しても、リンメルはまるで動じていなかった。
戦場なのだ、王族だろうと死ぬ時は死ぬ。
だから、フリードが相手に斬りかかった時も、世の無情を嗤うように微笑んでいたのだが。
まだ若い、少年とも呼べるような帝国の魔法使いは、フリードの攻撃を捌いてみせた。
最初の一撃から、もう何度打ち合ったのか。
体格差からすれば、大人と子供と言ってもいいぐらいの違いがある。
だが、フリードが撫でただけで倒れそうな少年は、真っ向から抗い続けていた。
大木すら薙ぎ倒すフリードの斧槍を、懐に飛び込んで盾で跳ね上げ、至近距離から符術による炎を浴びせる。
反撃に振られた斧槍を飛び退いて躱し、再度踏み込んで攻撃を仕掛ける。
訓練でだが、何度か手合わせしたリンメルには分かる。
フリードの一撃は、掠めただけで戦意を粉砕するようなものだ。
あれを間近で見て、尚も近寄ろうと考える者が、果たしてどれだけいるだろうか。
どれだけ非力だろうと、魔法使いならフリードと戦えるだろう。
しかしそれは、あくまで距離を取って攻撃するならだ。
フリードの斧槍が届かない場所から、近寄られないようにするなら、いくらでも戦いようはある。
だが、ああ、なんという事か。
あの少年は、死を前にしながら、いとも容易くそこへと身を投げ出していく。
その尊さ、気高さ、美しさ。
言葉も無く感動に打ち震えながら、リンメルは彼の輝きに魅せられていた。
しかし、それも長くは続かなかったようだ。
赤毛の帝国士官が割って入り、少年を庇ってフリードと対峙した。
無粋な邪魔に、リンメルは舌打ちした。
魔法使いの少年が息も絶え絶えな一方、フリードにはまだまだ余裕がある。
あのままでは彼が敗れ去っていたのは明白だが、それがなんだというのだ。
例え彼が死しても、その勇姿は千年、いや、歴史の終わりまで、自分が命を賭してでも伝えてみせたというのに。
だが、もう今の戦いが再開される事はあるまい。
ならばと、より次善な方向へ近づくために、リンメルは彼らのところへ向かった。
「二対二ですか」
警戒を強めるドリーセン大尉に、リンメルは笑いながら剣を抜き、彼女の足元へと放り投げた。
「いえいえ。
僕に戦う気はありませんよ、降伏します」
「おい、リンメル!」
「貴方にだって分かってるはずでしょう。
殿下が戦死された以上、僕らに帰る場所なんか無いって。
いや、貴方や近衛は事情が違うか。
ともかく、僕なんかじゃ国に戻っても処刑されかねませんからね。
亡命を希望します」
「お前な! もう少しでいいから、粘ってくれ。
見ろよ、ここまで極上の姐さんになんか、滅多に会えるもんじゃない。
ぞくぞくしてくんだろ」
ドリーセン大尉が強敵なので、戦士として手合わせを望んでいるのだろう。
拝むように頼んでくるフリードに、知ったことかとリンメルは肩を竦めた。
「ともかく、僕は降伏します」
「承りましたわ。
貴方の身柄は、私が預かりましょう」
お前はどうするのかと、リンメルとドリーセンの視線がフリードに向かった。
がしがしと頭を掻いた大男は、肩で息をするアルカをちらっと見てから、大袈裟に息を吐いた。
「しょうがねえ。
この場で姐さんと戦うのは諦める」
「再戦の機会があるとも思えませんけれどね」
「だから、それも踏まえた上でだよ。
生きてりゃそのうち、どっかで会うかもしれねえだろ」
その時はきっと、アルカも今以上に成長しているだろう。
彼らとの再戦を望みながら、フリードは肩に斧槍を担ぎ直し、首だけで三人の方に振り返った。
「じゃあな、坊主に姐さん、ついでにリンメル。
ああ、何か伝えたい事があれば、聞いておくぜ?」
「では遠慮なく。
迷っている兵がいたら、僕が降伏した事を教えてあげて下さい」
了解したというように手を振り、フリードは歩き出した。
遠ざかっていく背中を見送ってから、大尉が兵を呼んでリンメルの案内を頼む。
大人しく連行されていく前に、彼はアルカとドリーセン大尉に、洒落者の貴族らしい礼をしていった。
一段落してから、気を取り直すように大尉は一度大きく手を叩いた。
「さて、それでは続きといきましょうか。
アルカさん、いけますわね?」
「はい、問題ありません」
詠唱を始めたアルカが、大尉の指示した方に向かって『火の球』を放つ。
炎の塊が戦場を駆け抜け、火柱を燃え上がらせた。
術者の方へ集まった注目を、掲げられた大尉の剣が吸い取る。
そして、ドリーセン大尉のよく通る声が、辺りに響き渡った。
「ルイーザ・セス・アウルスは討ち取りました! 敵は浮足立っています。
勇敢なる帝国の兵士諸君、恐れずに前進せよ!」
「進め! 進め! 進めっ!」
すっかり明けた空の下を、武器を打ち鳴らして唱和した帝国兵が、隊列を組んで前進を始める。
規律を取り戻し、集団の圧力をかける者達に、ばらばらに立ち向かっていたツコ・ガバーニ兵は退却を余儀なくされた。
第二機甲師団は、味方の中へと逃げ込んだ兵を追って、敵左翼に突入。
昼前には半ばまで食い破り、会戦の勝利を決定づけた。
スード海峡を挟んだ両国は、今回も攻め込んだ側が敗れるという結果に終わった。
だが、どちらも諦めておらず、互いの国益はぶつかり合ったままだ。
きっかけさえあれば再び戦端は開かれ、また多くの血が流れるのだろう。
それでも運良く生き延びた兵士達は、家へと帰る事が出来た。
濃紺のローブをまとったアルカが、四頭立ての馬車からエメットの駅に降り立った。
他の乗客にも、復員兵の姿は多い。
駅のあちこちで、友人達に囲まれたり、飛びついてきた子供を抱きしめたり、恋人と抱擁を交わす姿が見られた。
たまたま一緒に乗り合わせていたダンと、アルカは軽く挨拶を交わし合って別れた。
アルカにとっては同じ釜の飯を食った仲だが、相手にとってはどうだろうか。
馴れ馴れしい少年なので、親しげに振る舞っていたものの、同じ部隊で過ごした時ほどの連帯感は無いはずだ。
出迎えに来ていた副会長と談笑するダンを見てから、アルカは歩廊に下ろしていた荷物を抱え直そうとする。
その動きが、視界に入った二人分の足に止まった。
顔を見て安心したらしく、やや潤んだ目を、眼鏡を直すふりで誤魔化すピート。
そして、あの時以来の、意外に子供っぽい笑顔を浮かべたニーナが立っていた。
「お帰り」
「ただいま」
帰ってきたんだという実感と共に、アルカの胸が詰まって視界が滲んでくる。
ぼやけたニーナの笑顔を見ながら、彼はようやく心の底から理解した。
いつどこで、どんな出会い方をしたんだとしても。
お互いの歳とか、立場とか、何もかもが今とはまるで違ったのだとしても。
ニーナ・ダフトベルクという女の子に巡り会えたら、きっと自分は彼女に恋をする。
ぶっきらぼうな話し方や、綺麗な顔に、飾り気の無い服装。
銃を構えた姿の格好良さとか、趣味の独自配合の紅茶を自信満々に出す時の顔とか、どんなに胡散臭い話でも真摯に聞いてくれるところとか。
どれも決定的と言える理由ではないが、ニーナがニーナでありさえすればそれでいいのだ。
あの草原の思い出を共有していない、あの時の彼女でないからといって。
彼女がニーナ・ダフトベルクである限り、アルカが好きにならないはずがないのだから。
かつて過去に戻された時から、どこか鬱屈していたアルカが、晴れやかな笑みを浮かべる。
顔を見合わせたニーナとピートは、友人の帰還を笑顔で歓迎した。
この夏の戦場は、こうして幕を閉じた。