第六話 夏の戦場 7
北部平原で睨み合う両軍の間には、充分な距離がある。
いつ戦端が開かれてもおかしくないだけに、例え夜間でも誰かが平原にいたらすぐに気づく。
夜明け前に始まった第二機甲師団の動きは、かなり早い段階でツコ・ガバーニ側も察知していた。
まだ鉄砲隊の射程には入らない段階で、第二機甲師団の魔導砲が空に向かって照明弾を撃った。
つけられた落下傘により、ゆらゆらと揺れながら落ちてくるのは普通だが、明るさがこれまでの物とは段違いだった。
せいぜい薄ぼんやりとした明るさで、夜間で遠くからでは影ぐらいしか分からないのが照明弾のはずだが。
帝国の新式照明弾は、下にある陣営を余すところなく照らし出している。
空からの『光源』による照射は、ツコ・ガバーニの兵士一人一人の顔を、はっきりと見せていた。
魔導砲の射程で、そんな物を使われては、街灯の下に立って暗闇から狙われるようなものだ。
続いて行われた砲撃に、ツコ・ガバーニの陣は混乱に陥った。
発射光を頼りに撃ち返すものの、周囲の明るさが違い過ぎる。
当然ながら彼我の砲撃の精度にも差が出ており、帝国の戦列歩兵の足音が迫る中、次々に砲台は沈黙していった。
帝国軍による銃撃が開始されたが、既に斬り込みをかけている部隊もあるようだ。
何度も聞いた戦場の音に、アルカの腹の底に冷たいものが忍び寄ってきた。
「怖いですか?」
「はい、怖いです」
アルカは司令部にもいられたというのに、自分で志願して前に出てきたのだ。
弱音を吐いて怒られるかとも思ったが、ドリーセン大尉は好ましそうに微笑んだ。
「それでいいのです。
敵も味方も、戦場に居る兵士は誰もが恐怖を味わっています。
ねじ伏せたり打ち克ったりと、対処は人それぞれでしょうが。
自分の弱さを認められない者は、無謀な行動に出て、すぐに無駄死にしてしまうものです」
戦場では待機しているより、攻撃している方が楽なのだ。
例え射程外で、無駄弾にしかならず、近寄られた時に弾が切れてしまうとしても。
じっと恐怖に耐え続けるというのは、非常に強い精神的負荷がかかった。
すぐ近くで殺し合いをしているとは思えないほど、柔らかい表情を見せていた大尉が、すっと前を見る。
その横顔は、一瞬で戦うものに切り替わっていた。
「行きますわよ」
「突撃ーっ!」
大尉の副官が声を張り上げると、指揮下にある大隊が走り出した。
前方に迫るツコ・ガバーニの兵達は、迎え撃とうとする者と逃げ出そうとする者が、ぶつかって転んだりしていた。
そんな中、周りの混乱を鎮めようとしている赤毛の騎士は、立ち姿の美しさもあってよく目立った。
「闇雲に動き回るな! 各員、自分の隊長の下に集まれ。
一度押し返してから、体勢を整えるぞ。
生き延びたくば、なすべき事をしろ!」
「はっ!」
ルイーザ姫を中心に、規律を取り戻しつつあった敵部隊へと、帝国軍は襲いかかった。
大尉の部下達が、姫の供回りと切り結ぶ。
声を嗄らして指示をしながら、自ら剣を執って戦うルイーザに、混戦を抜けてアルカが忍び寄った。
周囲の敵兵と帝国兵の間合いを目で探りつつ、アルカが右手に十数枚の符を抜いたところで、ルイーザ姫と目が合った。
敵も味方も入り乱れた中で、魔法など使えば、どちらも巻き込む事になる。
近くで見ていた者が、両軍問わずに止めようとした時には、符は放たれていた。
「『暗闇』」
魔法言語による補助も入れて、複数の符が同時に起動される。
何人かは帝国兵も巻き添えに、ルイーザを中心とした闇が広がった。
敵の目眩ましにはなるだろうが、味方にとっても邪魔だろう。
咎めるような視線を向けてきた帝国兵に構わず、アルカは闇を迂回して走っていった。
ちょうど、さっきの位置からすると真横に来た辺りで、中から声がした。
「そこかっ!」
暗闇の魔法を切り払って、ルイーザが現れる。
しかし、彼女の剣はまるで見当外れな場所に振り下ろされていた。
符の一つに仕込まれた『風の声』のせいだ。
彼女から見て右側に向かったアルカの足音は、符の魔法により左側から聞こえてきたのである。
『暗闇』が消され、見通しの良くなった視界にさらされた無防備な背中へ、アルカは銃弾を撃ち込んだ。
やや鈍く調節された近接信管により、弾丸はルイーザの背中に触れてから弾けた。
破片により内蔵をずたずたにされた赤毛の騎士が、口から血を吹いて倒れる。
動揺する兵を押しのけ、周りよりも頭一つは大きな男が歩み出てきた。
流れるような動作で、担いだ斧槍を襲撃者に振り下ろす。
まずは姫の仇を討ち、それによって兵を立ち直らせようというのだろう。
彼もツコ・ガバーニの兵も、ほとんどの帝国兵も、標的となった魔法使いが真っ二つにされる事を疑っていなかったが。
左手の盾を掲げたアルカは、斧槍を斜めに弾いて、強烈な一撃をいなしてみせた。
地面に落ちた刃が、重い振動を響かせる。
やや驚いた顔をしつつ、フリードは楽しそうに口の端を歪めた。
「へえ。
やるじゃねえか、魔法使い」
「あんたがいるのは分かってたからな。
全部を人任せに出来ないんなら、あんたとだって戦えるようになるしかないだろ」
「俺を知ってんのか。
帝国でも名が売れてきたとは、光栄だねえ」
獣性に溢れた笑みを浮かべて、フリードが再度斧槍を振りかぶる。
アルカは冷や汗を流しつつも、新たな符を手に、しっかりと踏ん張った。