第六話 夏の戦場 6
八月の半ばになると、両軍の布陣も終わり、後は決戦を待つばかりとなっていた。
隊列を進めて撃ち合いになるか、小競り合いから発展するかは、今後の展開次第だろう。
偵察兵が周囲を走り回って、敵の弱点や増援の気配などを探っていた。
第二機甲師団も、設営が終わってからは装備の確認で忙しくしている。
荷物を運ぶ兵や、指示を出す声の他に、訓練を行う声なども聞かれた。
「なかなか筋が良くってよ」
ツコ・ガバーニほどではないが、帝国の貴族にも赤毛は多い。
軍服姿で訓練用の木剣を振っているドリーセン大尉も赤毛で、男爵家の令嬢である。
時間も金もかかっていそうな巻き毛を踊らせながら、掛け声と共に攻撃を繰り出す。
踊るように軽やかな動きだが、踏み込みからの体重を乗せた一撃は重く、大きな音を響かせている。
アルカは受けるだけで精一杯で、反撃をする余裕など与えられなかった。
頭上から振り下ろされる剣を、斜めに弾くようにして盾で捌く。
続いて横から襲いかかってきた攻撃は、両手で支えた盾で受け止めた。
アルカは次に備えようとしたが追撃は無く、呆れたような声がかけられた。
「今のはいけませんわね。
というより、アルカさん。
貴方、横からの攻撃を苦手としているのではなくって?」
「はい、大尉殿。
横からだと受け止めるので精一杯です」
小首を傾げたドリーセン大尉が少し考える間に、アルカは呼吸を整えた。
同じ時間動いているはずだが、汗だくのアルカに対し、彼女はろくに息も上がっていない。
修練の差もあるだろうが、根本的に体力が違うのだろう。
大尉は彫りが深く、少々濃いものの、整った顔立ちをしている。
御令嬢といっても二十代後半で、匂い立つような色気を振り撒いていた。
「防御とは、盾でも鎧でも受け流すものです。
鎧が丸みを帯びているのは、人体に合わせているからだけではなく、受け流しやすいようにですの。
ここまでは問題ありませんわね?」
「はい、大丈夫です」
「どれほど頑丈に作ろうとも、耐久力を超えればそれまでです。
さきほどのように受け止めてしまうと、呆気なく壊れてしまいますわ」
アルカが持っているのは、歩兵用の円盾だ。
大きさは、ざっと両手の拳を合わせた時の、肘から肘の直径になっている。
持ち手を掴んで振り回すので、慣れていない者にも扱いやすい物だった。
表面や縁は鉄で補強されているが、主な材料は木だ。
全て鉄で作られていたら、すぐに腕が上がらなくなるほどの重さになってしまうだろう。
「そうですわね……アルカさん、もう何歩か後ろに下がってくださる?」
「了解です」
二、三歩下がったところで、目の前を物凄い勢いで木剣が通り過ぎた。
音と風を浴びたアルカの首筋に、ぞわっとしたものが走る。
「盾で捌く事にばかり意識がいって、足元が疎かになっていましたわ。
このように、届かないところまで離れてしまえば、どんな攻撃も無意味になります。
ただ、斧槍の場合は、持ち手をずらすだけで間合いが延びてしまいますから……前に出た方が、かえって安全かもしれませんわね」
「前に、ですか」
「ええ。
刃よりは、棒の方が当たっても痛くありませんでしょう? 剣の場合も、体重と遠心力の乗る先端以外では、ろくに斬れないものですし」
斬れないといっても、あくまで大尉の満足いく切れ味ではないだけだ。
刃物なので、当たれば切れる。
盾の使い方も同様で、受けたり弾いたりするのが一般的であり、刃を盾に食い込ませて隙を狙うなんてやり方もあった。
しかし、普通のやり方では、一撃で盾を粉砕するような規格外の相手には対処しきれない。
アルカがグライフェルト将軍に相談したところ、ドリーセン大尉が稽古をつけてくれる事になったのだ。
その後も時間が許す限り、大尉はアルカの面倒を見てくれた。
とはいえ、戦地の士官には仕事も多い。
それから半刻ほどで部下が呼びに来ると、いささか残念そうに大尉は切り上げた。
「体を冷やさないようになさいね」
「ありがとうございました」
礼を言ったアルカは、へたりこみそうな体を引きずって、物資の集められた場所へ向かう。
担当官に頼んで手桶に水を貰うと、手拭いで汗を落としていった。
臨時の隊員で、員数外のアルカに、決められた仕事は無い。
だが、周りが忙しくしているのに何もしないでいるのは、落ち着かないもので。
装備品を管理する士官に、話を聞きたいと呼ばれたアルカは、喜んで出向いた。
近接信管は春のうちに、照明弾は直前になって軍に提出している。
どちらも兵器開発局での試験は終わり、実戦試験のために幾つか師団にも配備されていた。
開発局の方で作った仕様書で、分かり難い部分を解説したり。
構造や欠点、使用上の注意などを話し合っているうちに、日も暮れてきた。
アルカがそのまま彼らと夕食を摂り、食後の雑談をしていると、少将専属副官に呼ばれて司令部に出向く事になった。
天幕には将軍とジャン先生、それにドリーセン大尉がいた。
先の二人はともかく、切り込み部隊を率いる大尉の姿に、アルカは内心で首を傾げる。
だが、必要があれば説明されるし、そうでなければ何も言われないのが軍だ。
余計な疑問を口にするなど、間諜だと疑ってくれと言っているようなものである。
短い軍隊生活だが、そう叩き込まれたアルカは、何も言わずに少将専属副官の指示に従って大尉の傍に立った。
ジャン先生に目で促された少将専属副官が、無言で頷いて天幕を出ていく。
少し待ってから、グライフェルト将軍がにこやかに口を開いた。
「わざわざ来て貰って悪いね」
「いえ。
それで、どんな御用でしょうか?」
「釣り餌、といったところですな」
ジャン先生がそう言ったのと同時、天幕の中に銃声と、ガラスが割れるような音が響いた。
いつの間にか銃を抜いていた将軍が、天幕の隅にある、机の下目掛けて撃ったらしい。
大尉に仕草で下がるように命じられ、アルカは彼女の背中に隠れる。
肩越しに様子をうかがうと、机の下の空間に、ひび割れと穴が空いているのが見えた。
鏡だ。
どうやら、手品師が使う技と同じものらしい。
四脚の机の下に斜めに鏡を置くと、脚の数は変わらないのに手前側しか見えなくなる。
その奥に何が隠れていても、見た目には分からないというあれだ。
「直前になって師団に加えられた学生が、司令部に呼び出される。
そりゃ気になるよね。
いるのは分かってたんだけど、なかなか気配を掴ませないから苦労したよ」
「どうですかな? 大人しく投降するのであれば、悪いようにはしませんぞ」
くぐもった呻き声だけを返事に、机の下から影が飛び出した。
天幕の外へと向かって、逃げようとしている。
だが、中の誰かが反応するよりも早く、外から天幕がめくられ、少将専属副官が手にした剣を振り抜いた。
副官は斬り倒した間者を取り押さえようとしたものの、既に相手は自決していた。
どうやら歯に毒でも仕込んでいたらしい。
「申し訳ありません。
確保に失敗しました」
「いや、よくやってくれた。
こっちが気づいたのがバレたら、なんの為に急いで来たのか分からなくなっちゃうところだったからね」
顔つきの印象通りに、生真面目な敬礼をして、少将専属副官は死体を運び出す手配にかかった。
銃声を聞いて騒がしくなっていた外から、ばたばたと兵が駆け込んでくる。
将軍の無事を確認すると、死体を運んだり、周辺の警戒や捜索に散っていった。
大尉の近くに椅子を用意されたアルカが、副官に貰った珈琲を飲んでいると。
天幕の中が落ち着いたところで、ジャン先生が解説してくれた。
「アルカ君ならどうですかな? 夜襲するつもりで中止になったら、気が抜けてしまいませぬかな」
「あ、なるほど」
その最後の詰めに、アルカを使って間者を炙り出したわけだ。
カップを置いて立ち上がったグライフェルト将軍は、他の面々に戦意の漲る笑みを見せた。
「それじゃみんな、準備にかかろうか。
狩りの時間だ」