第六話 夏の戦場 5
「失礼する!」
ツコ・ガバーニの遠征軍司令部の天幕から、大きな声が聞こえてきた。
外で待っていた若い士官が、兵との談笑を止めて何事かと振り返る。
凄い勢いで出てきた待ち人に、遅れてはかなわないと彼は慌てて駆け寄った。
一緒に出てきたフリードに目を向けるが、大男は笑って肩を竦めるだけだ。
無言で歩き続けるルイーザ姫にも、今のところ説明する気は無いらしい。
気障ったらしく前髪を払った士官は、皮肉げな笑みで二人の後に続いた。
彼の名はリンメル。
第一王女ルイーザ・セス・アウルスを補佐する士官で、ツコ・ガバーニの貴族である。
癖っ毛を整髪料でまとめ上げ、伊達者らしく胸ポケットからスカーフを覗かせている。
ツコ・ガバーニではルイーザ姫のように、赤毛が高貴の証とされるが、彼の髪は茶色かった。
だが、家格はかなり高い。
島が統一国家となる前は、国境を預かる辺境伯だった家の次男坊である。
もっとも、現在では財産も権限も縮小され、ただの伯爵になっている。
これは彼の家に限らない話で、北の国境を守っていた諸侯は軒並み不遇をかこっていた。
彼らの王家への忠誠心は低い。
粛清された者も多いが、生き残った連中も表向きは静かなだけで、内心は叛意の塊だった。
王の退位や、第一王子の廃嫡、旧ガバーニ王室傍系の担ぎ出しなど。
国王の足元を騒がせている陰謀は、水面下での彼らの策動によるものである。
表立って騒いでいる連中を黙らせても、次から次に似たような話が出るのはそのせいだ。
リンメルは家の意向で潜り込んでいるのだが、彼本人にあまりやる気は無かった。
王家への忠誠心も無いが、恨みも別に無いのだ。
彼は、彼自身を満足させる為にここにいる。
貴族だろうと貧民だろうと、命を輝かせる時こそが最も美しいと思っており。
ツコ・ガバーニでは、フリードが見ていて一番面白い為に、大人しく家の命令に従っているのだ。
戦場で暴れる彼の姿は、今のところリンメルを満足させていた。
自分の天幕に戻ったルイーザ姫は、乱暴に椅子に座ると、苛立たしげに机を叩き始めた。
フリードに宥める様子が無いので、リンメルが尋ねる。
「それで、殿下。
いかなるご命令だったので?」
ぎろりと睨みつけたルイーザは、おどけたように首を竦める相手に、頭を振って息を吐いた。
「我が大隊は敵陣を抜け、エメットの街に向かう事となった」
「ほう? つまり死んでこいと」
「いや。
あの街には魔法学院があるが、そこに通う元公主の家の男子と、その妹の身柄を確保する事が目的となる」
「それはそれは。
雷帝と名高き司令官閣下にしては、あまりにも非効率な。
人さらいなど、それ専門の精鋭を少数送り込んだ方が、成功が見込めるでしょうに」
食い殺しそうな目で見てから、疲れたようにルイーザが背もたれに身を預ける。
それから何か言おうとして、溜め息だけが出てきた。
どうも命令は、遠征軍司令官よりも上から出たものらしい。
司令官はルイーザの叔父で、王の実弟でもある。
彼に命令出来る人物など、ツコ・ガバーニには一人しかいなかった。
「真意までは分からぬが、命令は命令だ」
無理やり自分を納得させるルイーザの前で、リンメルは辛辣な笑みを浮かべた。
なんというか、小賢しい人なのだ。
あれではリンメルの実家が策を巡らせなくても、不安に思った貴族達が引き下ろしを計るだろう。
現王は、自分以外は馬鹿だと思っているような人物だ。
優秀だから勝ち、負けた奴は無能だったからだと決めつける。
だが自分が負けたとしても、運が無かったとか、無能な味方に足を引っ張られたとか、敵に優秀な人間がいたとかで。
決して、自分が無能だから負けたなどとは思わない人だ。
サイコロ賭博も好きなリンメルとは、相容れない思想である。
勝ち負けとは能力の高低ではなく、紙一重の運や偶然の産物に過ぎないというのが彼の哲学だ。
勝機を逃さず掴んだからこそ勝者は誇れるのであって、弱い者いじめが得意なだけでは、ただの下劣な輩になってしまう。
幼児の遊び場を腕力で支配したところで、誰が賞賛するというのか。
勝利を手にしようと懸命にあがく姿、その輝きこそが、彼を魅了するのだから。
「フリード、リンメル。
兵の統制は厳しく頼む。
目的を遂げ次第、速やかに撤収せねば、敵地で孤立しかねん」
「仰せのままに」
誘拐どころか暗殺だろうと、リンメルとしては王命に逆らうつもりはない。
どうせ高貴なる者達など、腹の中は薄汚い奴ばかりだ。
目の前で敬ってみせているルイーザ姫にしたって、実家の意向次第では殺すのだから。
がしがしと短い黒髪をかいたフリードは、面倒そうに頷いた。
「まあ仕方ねえか。
だが制限時間は決めろよ、探している間に敵に囲まれましたなんざ、俺はごめんだぜ」
「勿論だ。
リンメル、地図を出してくれ」
リンメルが書類棚から目的の物を探し出した時、大隊司令部の天幕に伝令がやってきた。
その報告によれば、遅れるはずだった第二機甲師団が到着し、帝国の布陣に隙が無くなったらしい。
事態の変化により、先の作戦は中止になったと聞いて、ルイーザ姫は救われたような顔をした。
伝令を下がらせてから、二人の部下を連れて天幕を出る。
見通しの良い場所で、遠眼鏡によって確かめてみると、森の手前で設営が始まっていた。
複数の魔導甲冑が動いている事からも、グライフェルト将軍率いる第二機甲師団で間違いないだろう。
「将軍には、礼を言わなければなりませんね」
彼女は高潔な人物だ。
身分の高低、立場の違いに関わらず、自分の認めた人間には敬意を払える。
口調が変わるので、分かり易い人でもある。
そういう相手は、リンメルが知るだけでも隊に三人、他に料理人や宮廷の庭師なんかもいた。
「向こうも困んだろ」
「自分の預かり知らぬ理由で、敵国の姫君に感謝されるなど、内通を疑われかねませんな。
恩を感じていらっしゃるなら、表には出さない方がよろしいかと」
「うるさい。
私とて、その程度の配慮はする」
口々に反対された姫が、羞恥に顔を赤らめた。
どうも、直接会ったら礼でも言う気だったらしい。
察したフリードが含み笑うと、むむっと口を曲げて睨みつける。
だが、小娘の怒気など、歴戦の兵にはそよ風ほどにも感じなかったらしい。
和やかな二人に追従しつつも、リンメルの目は鋭く敵陣を見ていた。
第二機甲師団は、帝国でも最精鋭の部隊だ。
両軍の布陣から考えると、ルイーザ姫の大隊が当たる可能性が高い。
「あれが僕の死かな」
気障ったらしい嘲笑の向けられた先には、リンメル自身も含まれていた。