第六話 夏の戦場 3
「また非効率な」
黒い三角帽子の鍔を押さえて、サラは呆れたように答えた。
彼女でなくとも、炎の魔法を仕込んだ三十枚近い符を、目眩ましに使ったと言えば、同じような返事が返ってくるだろう。
春休み明けだけに、校舎の近くにある第一射爆場は利用者で混み合っていた。
実技が重視される学校なので、練習は日頃から欠かせないのだ。
サラとは既に冬の間に会っていて、アルカが過去に戻った事や、魔法を無効化する剣を持つ敵の話はしている。
半分も信じてはいないだろうが、もし街が襲われた時に注意してくれればいいと、アルカは割り切っていた。
ただ、隣に立つニーナが理由のほとんどだとしても。
ピートに符術を教えたり、こうして付き合ってくれる辺り、面倒見の良い少女らしい。
「そう言われても、他に思いつかなかったんだからしょーがないだろ」
「仮にも魔法使いなら、頭を使いなさいよ、頭を」
「いや、辞典も調べたけど、魔法を無効にする物を突破する呪文なんて、見つけられなかったんだって。
だから、四方八方から攻撃して、どこかに隙が無いか、もしくは飽和攻撃で抜けないかを試してみたんだが」
「なんで発想が脳筋なのよ。
殴って駄目ならもっと強く殴ろう、とかやめなさいよね」
「そこまでは無い……んじゃないかな」
強く言い返せないでいるアルカに、やれやれと溜め息を吐くと。
サラは簡単な魔法によって、答えを示してみせた。
「『暗闇』」
「あ」
アルカの周りを、黒い球形が覆い尽くした。
単語の詠唱で発動する、初歩の初歩、子供でも使える魔法だ。
主に昼寝の時に使われる物で、効果は見た通りに対象物の周りを球形の闇で包む事。
簡単な魔法だけあって、対抗手段もごく簡単だ。
面目なさそうに頭を抱えたアルカは、一単語で周囲の闇を消し去った。
「『光源』」
これも、最初に習うような魔法の一つで、主に夜間の明かりとして使われる。
この二つの魔法は対になっており、一度に両方を使う事は出来ない。
今、アルカがやったように、双方が消えてしまうのだ。
あまりに簡単な魔法過ぎて、考えもしなかったらしい。
しばらく唸っていたアルカは、サラに深く頭を下げた。
「すいません、脳筋でした」
「よろしい。
まあ、本当に初歩の魔法だから、ろくに効果が無いって考えが先にあるんでしょうけど。
どんな魔法だって、使い方次第よ。
分かった?」
「本当だよな。
肝に銘じておくわ」
借りていた練習場所に入ると、アルカは足元から小石をいくつか拾って、手の中で転がし始めた。
何をしているのかサラが聞く前に、軽く反動をつけてアルカが石を投げる。
バラバラに広がった小石は、それぞれ落ちた地点に『暗闇』を発動させていった。
「無駄に高度な事を」
「あいつの話を信じるなら、もう学院で三年は過ごしているんだ。
あれぐらいは出来て当然だろう」
「小手先の技術だけどね……もしかして、魔法が上手いから好きになったとか?」
口元を緩めてアルカの練習風景を眺めていたニーナは、やや戸惑ったようにサラを見た。
「態度に出ていたか?」
「いや、ちょっとからかっただけ……なん、だけど」
サラは冗談だと流そうとしたところで、ニーナの目元がほんのり赤くなっている事に気づいた。
顔立ちこそ整ってはいるが、サラが彼女に女の子らしさを感じたのはこれが初めてだ。
「え、本気で?」
「どうかな。
自分では、まだそこまで強い気持ちではないつもりだが。
横からさらわれて、大人しく譲る気は無いな」
「なんでまた。
言っちゃなんだけど、ルカって普通でしょ。
あんたの場合、まだピートみたいに……いや、ピートの方がいいってわけじゃないけど。
とにかく、なんか尖った相手が、お似合いだと思ってたのに」
より正確に言えば、ニーナの隣に並び立てるとしたら、そういう奴だけだろうとサラは思っていた。
ニーナの特徴といえば、『美人』の一言で済む。
それぐらい、とにかく綺麗な顔をしているのだ。
容姿で並び立てる男など、帝国どころか近隣諸国を探しても数えるほどしかいないだろう。
しかし、何か突き抜けた才能の持ち主なら、釣り合いは取れる。
重量上げの帝国王者とか、自分の世界観を持った画家とか、世界を股にかけた冒険家とか。
何かしら、ニーナと比較されても誇れる才の持ち主でなければ、すぐに関係は破綻するだろうと思っていた。
「私は、あいつの話は嘘ではないと思っている。
幾つか根拠らしきものもあるが、下らん嘘で人を騙す奴じゃないだろう」
「それは私も思うけど」
「あいつの言う事が本当で、もし自分がその立場だったら、とてもああはなれない。
私が惹かれているとしたら、多分、そういうところだろうな」
よく分からないままに、サラはアルカの様子を見た。
また小石を拾ったアルカは、投げる場所や込める魔力を変えつつ、練習場に闇の球を展開していた。
どうも相手の動きを想定し、なるべく長い時間、視界を奪えるように試行錯誤しているようだった。
しばらく無言で眺めたところで、サラは唐突に理解した。
そう、これは例の、魔法を無効化するという赤毛の女騎士の対策なのだ。
何をしているかなんて、改めて考えるまでもない事だっただけに、すっかり頭から抜けていたが。
話の通りなら、アルカは彼女に勝っている。
それに思い至った事により、ニーナが何を言いたいのかが分かった。
もし自分だったら、ああはなれない。
絶対に手を抜く。
一度こなせた事にまで、新たな角度から取り組もうとはしないだろう。
ニーナのものとはまるで違う、甘さなど欠片も無い戦慄がサラを襲う。
あそこで四苦八苦している、どこにでもいそうな少年は、そこらの凡百の一人ではない。
飽きずに研鑽し続けられる、『努力』の天才だ。
困難にぶつかる度、いくらでも成長していく化け物なのだ。
しかも過去に戻ってやり直すのが本当なら、気を抜けば背中さえ見えなくなるだろう。
知らず知らずのうちに、サラの口元には好戦的な笑みが浮かんでいた。
「面白いじゃない」
「やらんぞ?」
「ご心配なく。
そういう興味は無いから」
負けん気の強い少女だけに、めらめらと対抗意識を燃やしているようだ。
我慢しきれなくなったのか、サラは練習場を借りてくると言って走っていった。