第六話 夏の戦場 2
鏡の儀式、初陣での死、そして再びの鏡の儀式。
時折、続けていいか確認するように見てくるアルカに、将軍は黙って頷き。
大男のフリードに斬られて終わるまで、口を挟まずに聞いていた。
顎に手を当て、今の話を検討する将軍に、アルカは食い下がってみた。
「信じられないような話なのは分かっています。
それでも、夜襲に備えるよう言っていただければありがたいんですが」
「うーん……ジャン先生、どうせ聞いてたんだろう?」
『ええ、聞いておりましたぞ』
将軍に答えて、部屋に若々しい男の声が響いた。
離れた場所同士の音を伝える、『風の声』の魔法だろう。
術者の力量にもよるが、効果範囲は一カリムテラ(約一キロメートル)が限度だ。
妨害するのは容易いので、まず盗み聞きには使えない。
少なくとも、軍施設の警戒網を掻い潜って、相手に悟られずに使用するのは不可能だった。
『なかなかに興味深い話でしたな。
今、そちらに向かっておりますので、しばしお待ち下され』
「だそうだ。
悪いけど、少し待ってくれるかい? あ、飲み物のお代わりとか欲しいなら、遠慮なく言ってよ」
「いえ、まだ残ってますので大丈夫です」
「そう? ああ、今のは我が師団の参謀長で、ジャン先生。
僕にとっては知恵袋といったところだね」
話を整理するグライフェルト将軍の邪魔をしないように、アルカは静かにお茶を飲んだ。
やや気まずかったのだが、それほど待たずに廊下を足音が近づいてきて、勢い良く扉が開かれた。
入ってきたのは、若いようにも歳を取っているようにも見える、エルフの男だ。
エルフらしい先の尖った耳と、切れ長の目。
髪は白く、目も赤みがかっていて、肌も青白い。
よく動く子供っぽい表情とは対照的に、色素の方は幽鬼じみて薄い人物だった。
いわゆる純血種というやつだ。
街で見かけるエルフに、ここまで色素の薄い者はいない。
帝国に住むのは、ほとんどが混血なのだから当然だろう。
子供が生まれず、種族存続の危機に陥ったエルフは、外の血を積極的に取り入れる事で、なんとか滅びずに済んだ。
代わりに千年を超えるとも言われた寿命は、二百年程度にまで短くなったが。
絶大な魔力を振るい、かつては魔族とまで呼ばれた彼らも、今では多種多様な民族の一つに過ぎない。
そんな時代にあって、ジャン先生は表情や仕草を除けば、古きエルフの面影を強く残していた。
互いに簡単な自己紹介を終えてから、椅子に座ったジャン先生は口を開いた。
「時を遡ったという者に会うのは、七百年ぶりになりますか。
なるほど、こうして見るとどことなく似ていますな」
「顔でするようなもんじゃないでしょうに」
呆れたように言う将軍へ、ジャン先生は思わせぶりに笑って返した。
今の話の通り、本当に七百年以上生きていたとしても不思議ではない雰囲気がある。
楽しそうにアルカを観察するジャン先生に、グライフェルト将軍は疑問点を尋ねた。
「前にも会った事があるような口ぶりだけど。
確か時間遡行の魔法って、今まで成功例が無いんじゃなかったっけ?」
「それは誤解がありますな。
確かに、時間を遡るような魔法は、今まで成功した例はありませぬ。
しかし、誰も気にしていないだけで、それらしき記録は残っておりますぞ。
どうも、人々の認識からは消えてしまうようですが」
「認識から消える?」
「例えば、自分が生まれる前に遡って親を殺したとすると、殺した自分はどうやって生まれてきたかという矛盾が生じるでしょう。
こういった場合、世界……というか人々の認識は、細かい修正を行ったりはせず、ぶん投げてしまうのだとか」
この例だと、事件も死体もそのままだが、犯人である自分は忽然と姿を消す。
衆人環視の中であろうと、消えた事に誰も疑問を持たないそうだ。
ジャン先生の話を聞きながら、アルカの頭には、理論物理学の助教授から聞いた話が蘇っていた。
過去に戻った自分が存在する時点で、それは既に過去そのものではないはずだと。
その辺りを質問すると、ジャン先生は肩を竦めた。
「私も人から聞いただけですので、理論までは詳しくありませぬ。
確か、事象として重なり合って存在していようとも、人々の認識の問題だとかなんとか。
言ってみれば、我々の多くが矛盾だと感じるような場合、その原因が排除されるようで」
「聞いた限りだと魔法みたいですね」
「みたいではなく、魔法そのものですな。
無意識のうちに人々が発動させているらしく、不自然な記録が散見されようと、誰も気にしてはおりませぬ」
裁判中に被告が留置所からいなくなっているのに、滞りなく審理が処理された例もあるらしい。
裁判記録を読むと明らかにおかしいが、関係者の誰一人として、被告が消えている事に疑問を持っていなかったとか。
過去の思い出を、都合良く捻じ曲げてしまうように。
人々の認識に矛盾を与えるようなものは、世界から弾かれてしまうそうだ。
「興味がおありでしたら、学院を探してみたらどうですかな。
私が聞いた相手は魔法学院の初代学院長ですので、理論などが残っているやもしれませぬぞ」
「当時の物って、ほとんど残っていないんですよね」
学院の歴史も長い。
何度か戦災や天災に巻き込まれている為、焼けたり紛失したりで、学院長の論文は数えるほどしかない。
ドルンの設計図のような物を探して、アルカは図書室の中を調べ回った事があった。
「しかし、精神というか、意識だけが過去に遡った例は、私も他に知りませぬ。
その時点から事態が分岐するのであれば、矛盾も生じ難い気がしますが」
少し考えたジャン先生は、改めてアルカを見た。
「もしや、『君の死』は、その矛盾になっているやもしれませんな」
「ちょっと待って下さい。
それじゃ、つまり俺が過去に戻る、この繰り返しをせずに済むようになるには……」
「さよう。
『いつか』『どこか』で『何か』をしない限り、延々と繰り返すでしょう。
ただそれが、世間的にどころか、君からしても大した事だとは限らぬのが、タチの悪いところでして」
お茶請けのお菓子をつみつつ、ジャン先生はしみじみと言った。
条件が不明な事を改めて突きつけられると、手探りでは解決しようがないのを思い知らされる。
例えば、今この瞬間に逆立ちする事かもしれないし、明日学院長の春画を全て燃やす事かもしれないのだ。
アルカには分かっていないだけで、何か決定的な矛盾を孕んでいたとしても。
時間も場所も行動も不明な事の解消など、途方に暮れるような話だ。
「あ。
すみません、自分の事ばかりで」
「まあ、気にしないでよ。
人間、誰しも自分が一番可愛いものだしね。
それに君の事情がどうあれ、こっちのやる事は変わらないんだ。
川が増水する前に、出発するだけだから」
これなら期日までに到着しろという命令と、アルカの依頼とは無理なく両立出来る。
予定を立てつつ述べた将軍に続いて、ジャン先生も指折り数えていった。
「第二機甲師団の遅れが分かった上での行動でしたら、間者が潜んでいる可能性は高いですな。
そもそも、川の増水からして敵の策という可能性もあります。
どうあれ、監視しておいて損はありますまい」
口にはしなかったが、その監視対象には川だけでなく、アルカも含まれている。
彼の話が嘘だった場合に、どんな不利益を受けるかは今のところ考えつかないものの。
もしツコ・ガバーニの工作員と接触しているようなら、警戒態勢を引き上げる必要があるのだ。
分かっていると頷いた将軍は、固くなっているアルカに笑みを見せた。
「そんなに緊張しないでよ。
僕らは軍では地位の高い方だけど、今の君は軍属でもなんでもないじゃない」
「そもそも、彼の話がでたらめだった方が助かりますしな。
確かに糞虫との関係は悪化しておりますが、戦争になどならなければ仕事も増えずに済むというもの……見込みは薄いでしょうが」
将軍は苦笑しながら息を吐くと、両手を頭の後ろに回して、長椅子の背もたれにもたれかかった。
「みんな、戦争好きだよねえ。
やだやだ面倒臭い。
痛いし辛いしかったるいしで、誰も得しないと思うんだけどねえ」
切れ者の将軍という評判からは考えられないほど、グライフェルト将軍にやる気は無かった。
大活躍して更に栄達するだとか、そういう考えは持ち合わせていないらしい。
静かに寝て暮らせるなら、喜んでそうしそうだ。
そんな彼を、ジャン先生は微笑ましそうに見ている。
即応部隊の司令と参謀長とは思えないぐらい、なんというか緩い雰囲気の二人だった。
「あ、忘れてた。
それで、アルカ君はどうするつもりなんだい? うちについてきてもいいし、第三歩兵師団の支援連隊、君がいたという部隊に入りたいなら手配する。
勿論、軍に関わらないのも自由だ」
来る前に決めていたのか、将軍の質問にアルカはきっぱりと答えた。
「結果を見届けられるのでしたら、どこでも構いません。
出来れば、ツコ・ガバーニの夜襲が成功した時、街に戻れる立場だといいんですが」
「それはまた難題ですな」
勝手に持ち場を離れられては、軍に限らず、どこの組織でも困る。
ルイーザ姫の夜襲にしたところで、居るはずの場所に居るはずの人達がいないからこそ、起きたのだろうから。
「だったら、やっぱりうちかな。
エメットの街が襲われそうなら、僕の命令で向かわせられる。
当たり前だけど、独断専行は論外だ。
勝手にいなくならないと約束出来るなら、第二機甲師団に籍を用意しよう」
「勿論です」
素直に頷いたアルカを見て、満足そうに将軍とジャン先生は頷いた。
「近接信管の実戦試験という名目での、臨時の技官辺りが妥当ですかな。
正式な指揮命令系統に組み込んでしまうと、気軽に動かせなくなりますし」
「よろしくお願いします」
アルカが深く頭を下げ、とりあえず今決めておくべき事は全て決まった。
それからは雑談交じりに、近接信管の話をしていく。
事前に提出した仕様書を将軍は読んでいたようで、発展性や問題点について切り込んできた。
黎明期から魔導銃を知る人物の指摘は、色々と刺激になったらしい。
我慢できなくなったアルカは、断りを入れてメモを走らせ始めた。