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第五話 迎撃 6



 昼の暑さが残る野営地は、不気味なほどに静まり返っていた。当直任務の兵達の話し声もしなければ、寝息も聞こえてこない。辺りには草の下から染み出してくる虫の鳴き声と、森の中からの押し殺した罵声だけが響いていた。


 寝付けないでいる他の魔法兵と同じ天幕で横になりつつ、アルカは静かな呼吸を繰り返していた。体内に魔力を循環させ、集中力を高める呼吸法である。


「敵襲ー!」


 警戒中の兵士の叫び声によって、無数の天幕から一斉に兵達が飛び出した。鎧を着込んで大剣を構える者、矢を番えた弩を手にした者、杖を振りかぶっている者など様々だ。準備万端に待ち構えた彼らの前に、森の中から敵兵が這い出てきた。


 森を中心とした辺り一帯には、昼のうちに無数の罠が仕掛けられている。底に槍を仕込んだ落とし穴、足を引っ掛けさせる物、ロープに触れると振り落ちてくる先の尖った丸太。暗い森の中で、全てを避けるのは不可能だというほど、丹念に設置されてあった。


 ざっと見たところ、ツコ・ガバーニ兵に無傷な者は一人もいない。擦り傷や切り傷を作った彼らは、顔中に怒気を漲らせていた。


「見つけたぞ、くされ帝国兵どもが! あちこち罠を仕掛けやがって」


「引っかかる方が間抜けだろうが、飲尿野郎ども」


 怒鳴り声を上げる敵兵へと、馬鹿にしきった笑い声が返る。罵り合いながら交戦が始まった時、アルカは天幕の外で自分の配置場所へ向かおうとしていた。


 だがその視界の隅に、見覚えのある赤毛が映った。


「怯むな! 私に続け!」


 剣を高く掲げた赤毛の姫騎士、ルイーザ・セス・アウルスが、部下を叱咤しながら向かってこようとしている。地面を踏みつけて動きを止めたアルカは、両手で宙に複雑な印章を描きつつ、詠唱を開始した。


「輝ける炎神の子、七つの丘に住む三つ首の巨人よ。その肺腑に宿る炎を、今ここに顕さん。『火の球』(カークス・オルビス)!」


 かつて見たサラの魔法に勝るとも劣らない炎の球が、踊るように円を描いて敵へと飛んでいった。気づいた敵兵が盾で防ごうとするものの、火球は敵を燃やしながら突き進んでいく。咄嗟に伏せて回避した者が正しく、そうでない者のほとんどは消し炭となっていた。


 例外が一人いる。供回りの多くを討たれたルイーザは、術者を始末すべく走り出していた。彼女に火の影響は全く無かったようだ。


「なんだ、あいつ」


 驚愕する周りの声を聞き流しつつ、アルカは札入れから符を取り出し、両手の指の間に挟んで構えた。符の端には重りがつけられており、投擲の熟練者でなくとも、ある程度の狙いはつけられるようになっている。


 ルイーザの進行方向を見定め、そこへアルカが三十枚近い符をばらまく。ちらりとそれらを見た赤毛の騎士の周りで、仕込まれた炎の魔法が一斉に点火した。


 周囲の目を全て集めるほどの光が輝き、炎の中に赤毛が見えなくなる。心配するようなツコ・ガバーニ兵の叫びに応えるように、一瞬後には炎を突き破ってルイーザが現れた。


「無駄だ!」


「どうかな!」


 赤毛の騎士に叫び返したアルカが、引き金を引く。伸ばされていた腕の先、短筒の銃口から近接信管付きの弾丸が発射された。


 アルカの腕では、この距離でも必ず当てられるものではないし、ルイーザほどの技量なら躱す事も可能だろう。だが、どんなに反射神経が優れていようとも、瞬間移動でも出来なければ、絶対に大きくは距離を取れない間合いだ。


 勝った、という思いがアルカに過ぎったのだろう。彼の顔を見ていたルイーザは、銃弾を躱すのではなく、剣で斬りつけた。


 彼女自身、何か明確な根拠があっての行為ではない。避けようとした時に勝ち誇られたので、嫌な予感に従って別の行動に出ただけだ。


 ルイーザも幼少の頃から剣を振っているだけに、その腕前は飾りではない。だが勿論、飛んでくる銃弾を斬るような、冗談めいた剣理は得ていなかった。それでも彼女の剣は銃弾の近くを通り、仕込まれていた術式を発動前に破壊した。


「やっぱり、そういう事かよ」


 剣だ。あの剣に、魔法を打ち消す力がある。それが分かったところで、今のアルカに利するものは何一つ無かった。


 兜の端に銃弾を掠めさせながら、赤毛の女騎士が一気に詰め寄る。白兵戦は付け焼き刃でしかないアルカは、それでも打開策を探って周囲を見回した。下が砂地なら、砂を顔に蹴りつけて目潰しも狙えるだろうが、生憎の草地だ。


 少し離れたところに、誰かが落とした盾が見えるが、到底手が届きそうもない。至近距離まで近づいたルイーザに、覚悟を決めてアルカは腰から短剣を引き抜いた。


 軍曹のシゴキを思い出しつつ、腰を落として逆手に構える。下からすくい上げられる剣を弾こうとしてから、それがただの見せかけだった事に気づいた。体が泳いでしまったアルカの頭上に、振り上げられていた長剣が落ちてきた。


 やられる。そう覚悟して息を詰めたアルカの間近で、金属の激しく打ち合う音が鳴り響いた。しかし、いつまで経っても衝撃はやってこない。


 恐る恐る見上げたアルカの視界に、頼もしい大きな背中が見えた。


「伍長!」


「無事か、新兵。動けるなら下がってろ」


 ラーゲ伍長は足元を確かめるように一歩踏み出すと、オークらしい巨体を見せつけるように全身で威嚇した。


「てめえの相手は、俺がしてやるぜ」


「なかなかどうして。支援隊と聞いていたのだが、猛者が多い」


 周囲の戦闘の光に鎧を煌めかせながら、赤毛の女騎士は油断なく剣を構え、戦意を漲らせた。


「いいでしょう、こちらとしても望むところ。誰にも邪魔はさせません、勝負です!」


「悠長な事言ってんじゃねえぞ!」


 草地を蹴りつけて迫ったルイーザの剣を、半歩下がって伍長が避ける。空振りした勢いを、踏み足で地面を蹴る事で反転させようとしたルイーザに対し、伍長は彼女の脇腹を蹴飛ばして封殺した。


「甘えんだよ。お遊戯やりてえんなら、舞踏会にでも行きやがれ」


「貴殿こそ、なかなか踊りが上手なようだ」


「こちとら騎士様のように、お上品な踊りじゃねえがな。たっぷり堪能してくれや」


 伍長は力任せに振り下ろしただけに見えたが、足捌きで避けたはずのルイーザに戦斧は追い縋っていた。彼女は両手で構えた剣で必死に守り、呼吸の合間に反撃を狙う。


 だが、腕力は当然だが、技でも伍長の方が一枚上手らしい。身軽そうな女騎士の方が、巨躯のオークに翻弄されていた。


 どちらも強い。


 近くで援護の隙を窺うアルカや、ツコ・ガバーニ側の兵士が手を出せないほど、互いの力量は高いものだった。だが、野蛮に笑う伍長に対して、同じく笑みを浮かべているもののルイーザには余裕が無いようだ。攻撃を仕掛け合っていはいるが、傷を負っていくのは彼女ばかりで、伍長にはかすり傷ぐらいしかつかなかった。


 明らかに伍長が押している。それを見て取ったアルカの頭に、疑問が過ぎった。もしそうなら、どうしてあの時、伍長が相手していたはずのルイーザが、森でダンと睨み合っていたのだろうかと。


「なるほど、あんたか」


 横から迫ってきた押し潰されそうな気配に、アルカは近くに落ちていた盾を拾い上げた。自身だけでなく、手に持った盾にも『防盾』(シルト)をかけて、オークの背中に叫ぶ。


「伍長! 気をつけて下さい!」


 返事を聞く余裕は無かった。無造作に振り下ろされた斧槍を、両手両足で踏ん張って受け止める。ガギン、と物凄い音がして、アルカは地面から引っこ抜かれそうになった。


 やや感心したように眉を上げたツコ・ガバーニの大男、フリード副長が再び斧槍を叩きつける。さして筋肉質とも言えないアルカは、必死に食らいつこうとしていた。


 体格差や経験から考えて、三度の攻撃を凌いだだけでも大したものだったろう。しかし、それがアルカの精一杯だった。力任せに左右へと打ち分けられ、最後には無防備になったところを『防盾』(シルト)ごと斬り捨てられた。


「ルカっ! おい、返事しろ馬鹿野郎!」


 伍長の怒鳴り声は聞こえていたが、地面に大量の血を吸わせているアルカに返事をする力は無かった。


 しばらく注視して、アルカに致命傷を与えたのを確認すると。お守りすべきお嬢様と敵との距離が離れたのを見て、フリードは森の方へ顎をしゃくった。


「お嬢ちゃん、引くぞ」


「しかし!」


「この用意の良さから分かんだろ、バレてたんだよ。どうしてもやるっていうなら、俺は付き合いきれん。先に帰って保護者に報告させて貰うぜ」


 撤退時に最大の傷害になりそうな、間近で援護しようとしていた魔法使いは始末したのだ。フリードとしては、自分の仕事は果たしたという気分なのだろう。隊の他の連中はともかく、彼に王族への忠誠心なんてものは無かった。


 言葉に詰まったルイーザが、思わず怒鳴り返そうとした声を押し殺し、意識して大きな深呼吸をする。なんとか冷静さを取り戻すと、ラーゲ伍長に向き直った。


「そこの貴方、この決着はいずれつけましょう。途中で逃げ出す無礼、お許し頂きたい」


「総員、撤退! 本陣まで引くぞ!」


 戦場に副長の大声が響き渡り、ツコ・ガバーニの兵が引き始める。自分達も立ち去ろうとしたルイーザとフリードの前に、伍長が立ちはだかった。


「待てや。女の方は行っていいが、部下の仇だ。そこの男にはここで死んで貰う」


「分かんねえ奴だな。雑魚に構ってる暇はねえんだよ」


 やや苛立たしげに言ったフリードが、斧槍を両手に持つ。それだけで後ずさりそうになる自分を叱咤して、伍長は戦斧を握りしめた。


 フリードは確かに大柄だが、種族的な特徴もあってラーゲ伍長の方が頭一つか二つは大きい。しかし、こうして対峙すると、伍長には相手の男が自分より何倍も大きく見えてしまっていた。


 飲まれている。腕力なら負けないと思うが、戦って勝てる筋道が見えない。縮こまりそうな自身を必死に叱咤する伍長の耳に、草を踏む足音が聞こえた。


「行かせてやれ」


「ですが、隊長!」


 両手を上着に突っ込んだまま、優男の隊長が歩いてくる。後ろに軍曹と、何人かの護衛が付き従っているが、彼らに戦うつもりは無いようだ。


「そこの化け物には、俺達全員でかかっても勝てそうにない。引いてくれるっていうんだ、ありがたく消えて貰おうじゃねえか」


「では、またいずれ戦場で会おう」


「どうかね。あんたみたいな騎士様と、またやる機会があるとも思えねえが。その時はよろしくな」


 伍長に笑みを見せてから、ルイーザは颯爽と引き揚げていった。その後に続きながら、フリードが隊長の顔を見る。それまで彼の目は、ずっと隊長の上着のポケットから離れていなかった。


「じゃあな、隊長さん。あんた、長生き出来ない類いの人間だぜ?」


「うるせえよ、化け物が」


 含み笑いながら去っていくフリードを見送って、ハンス隊長は肩から力を抜いた。


 隙さえあれば、ポケットの中にある銃で撃ち殺すつもりだったのだが、一瞬の油断さえフリードには無かった。あんなのと白兵戦でやりあったら、例え勝ててもどれだけ被害が出るか分からなかっただろう。


 どことなく弛緩した空気が流れかけたが、伍長が慌てて駆け寄る物音に、一同がアルカを見た。脈を取った伍長が首を振るまでもなく、一目で致命傷だと分かる有様だ。


 うなだれて離れる伍長と入れ替わり、隊長がアルカの近くにしゃがみこんだ。


「聞こえてるか分からないが、礼を言っておく。ありがとな、お前のおかげで俺達は助かった。気の利いた事は言えんが、仮にもうちの隊の一員だ。最後にもう一度、隊の標語を教えておく」


 厳粛な気持ちで聞く隊員達に、隊長の声が聞こえてきた。


「最後の最後まで、何があっても諦めるな。以上だ」




 鏡を覗き込んでいる事に気づいたアルカは、しっかりと頷いた。


 彼の中に、全てを投げ出して、逃げてしまいたいというような気持ちは無い。どうしようもなくなるまで、いや、仮に何をどうしようが、最初から無駄に終わるしかなかったのだとしても。


 情けなかろうが、国中から卑怯者と罵られようが、敵に媚びを売ろうが、這いつくばってでも生きると決めていた。


 それがあの時、救いようがないほどに愚かだった自分に出来る、唯一の事なのだから。約束だなんて、既に破っているアルカに言えるはずもない。けれど、待ちぼうけにさせてしまった彼女を、せめて思い出す事ぐらいは許して貰えるように、彼は生き足掻かなければいけなかった。



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