第五話 迎撃 2
数ヶ月前。
二月末の鏡の儀式に戻されたアルカは、場所を角の喫茶店に移して、いつもの二人に相談した。
聞き終えたピートは、半信半疑なのを隠そうともしなかったが、それでも事実だとしたら最も高い可能性について告げた。
「話の真偽は置くとして。
今聞いた通りなら、それ、死んだんじゃないですか」
「やっぱそう思うよな」
渋い顔で同意するアルカに、紅茶を飲みつつニーナが言った。
「最初が最初だ。
過去に戻っているなら、条件になっているのはルカの死だと思うぞ。
ただ、それで誰が得をするのか分からんが」
「ルカ君が死んだら過去に戻るなら、それで利益を得るのはルカ君ぐらいです。
となると犯人、というか過去に戻している誰かがいるのなら、ルカ君しか考えられませんね。
まあ、あくまで今の話が本当だとしたらですけど」
ピートが茶化すように言っても、アルカは考え込んだままだった。
それで、事実かは確かめようが無いにしろ、彼本人が信じているのは他の二人も理解した。
文化祭の前日に寝たら、過去に戻っていたのだ。
死んだのだとしても、病気か事故か、はたまた暗殺者に狙われたのかすら分からない。
どう対処すべきか悩む隣のアルカを放っておいて、ピートは対面に座ったニーナに尋ねた。
「ところで。
ルカ君の話に出てきた魔獣について、お聞きしてもよろしいですか。
僕の記憶に間違いがなければ、かなり面倒な相手だと思うんですが」
「おそらくジャガーノートだな」
「やはりあれですか、西の王国を毒で滅ぼしたとかいう。
『逃れ得ぬ運命』とはよく言ったものです」
現在の帝国西部に存在した王国は、四百年前、王都を一体の魔獣によって滅ぼされた。
国王や大臣といった首脳陣も、ほとんどが死んだそうだ。
権力の空白が生まれた事で大小様々な勢力に分裂し、大きな混乱に陥った歴史がある。
記録によるとジャガーノートの討伐に失敗した事が、破滅を招いたらしい。
これほど大規模な被害は他に無いものの、危険な生物として広く知られていた。
「毒の制御が除去されていた事を知っているのは、討伐した父と私、それに国の重鎮と研究者ぐらいだろう。
現場となった街の町長も、教えられていないはずだ。
私がルカの話を信じる気になったのは、これが大きい」
「厄介な相手ですね。
しかし、見て分かるものなんですか?」
「ジャガーノートが幼体の時に、他の動物、熊なんかに擬態するのは知っているよな? 親熊に自分の子供だと思わせる為、精神操作の魔法を使うんだが。
その時、菫色の特徴的な魔力光が洩れる。
おそらく、その少女に魔法をかけるのを見たかしたんだろう」
「ああ、菫色の魔獣という異名は、そこから来ていたんですね。
いえ、歴史の授業で習ったんですが、詳しく調べた事は無くて」
「本来はイタチに似た生物らしいから、体色は山吹色というか、鮮やかな黄色っぽいもののはずだ。
もっとも、死体になっても擬態は解けないから、父が射殺した物も猫の姿のままだったが」
気になる点をメモしつつ、ピートはニーナの話を頷きながら聞いていた。
アルカの話を全面的に信用したわけではないにしろ、近くで危険な魔獣が見つかるというなら、対処を考えておいて損は無い。
嘘や間違いなら笑い話で済ませられても、もし本当なら取り返しがつかないのだから。
「ところで」
答えの出ない問題について悩むのは止めたのか、アルカが友人達に尋ねた。
「精神操作の魔法って話が出てたけど、どっちか詳しいか? 例のガキにかけられた『忘却』は解けたみたいだけど、副会長の『強制』はかかりっぱなしなんだよな」
今の説明でも、副会長が元公主の子孫で、ツコ・ガバーニの王位を継承出来る人物だという事については触れていない。
アルカに隠すつもりは無かったが、どうしても言えなかったのだ。
ニーナの方は分からないらしいが、ピートは自信ありそうに頷いた。
「それなら簡単ですよ。
『忘却』は記憶を消すのではなく、思い出し難くする魔法なんです」
ピートの説明によると、人間の脳には記憶する部分があって、『思い出す』というのはその情報を参照する行為だが。
『忘却』はビンに蓋をするように、記憶への接触を妨害する呪文らしい。
物忘れと同じ原理なんだとか。
「『忘れた』のではなく『思い出せない』だけです。
脳を破壊しない限り、記憶を消すなんて事は出来ませんよ。
なので、記憶というか意識に働きかける『強制』は、術者以外が安全に解除するのは難しいんです」
「無敵の魔法ってわけか」
「ところが弱点も多いんですよね。
例えば、今のルカ君に副会長が別の『強制』を重ねがけしようとすると、それだけで以前の効果も消えてしまいます」
暗示に似ているが、より繊細なのは相反する命令だけでなく、二つの命令を与えられただけで消滅する点だろう。
『強制』には術者への信頼が不可欠なので、異なる命令を聞かされると、それが揺らいでしまうのだ。
他にも、アルカが副会長に失望したり、信用出来ない人物だと思うと、『強制』の効力は消え去ってしまうらしい。
「まあ、どちらかといえば、話せない方が助かるんだけどな」
「あまり危ない話に首を突っ込むもんじゃないぞ」
「話に出した赤毛の騎士絡みだし、こればっかりはどうしようもねーわ。
戦場に行かなくたって、向こうから来るんじゃ逃げようがない」
「街を襲撃するんでしたっけ。
理由も話せないんじゃ、避難を呼びかけるのも難しいですね。
僕だって、とにかく危ないから逃げろと言われても、根拠ぐらい教えて貰わないと頷けません。
一応、サラさんに警告すべきかとは思いますが」
飲み終えたカップを置いて、ニーナが他の二人を見た。
「それは私が引き受けよう。
ついでに、ピートの魔法を見て貰えないかも頼んでみる」
「でしたら僕は、学院に警告しておきましょうか。
なんと言ったらいいものか、すぐには思いつきませんけど。
北部で戦争になるんですし、備えておくのもおかしい話じゃありません」
こうして信じてくれるというか、頭ごなしに否定しない二人に、アルカは救われるものを感じていた。
ろくに話も聞かず、最初から嘘だと決めてかかられていたら、彼は孤立感を深めるしかなかっただろう。
誰にも相談出来ずに、一人で立ち向かうしかなかったとしたら、どこかで破綻していたに違いない。
学院に入ってすぐ、この二人に出会えた幸運に感謝していたアルカに、ピートは気軽に提案した。
「ルカ君は競馬場でも行ってみたらどうですか? 万馬券を覚えておけば、資金繰りも楽になるでしょうから」
「また俺が死ぬの前提かよ!」
「僕は、今後の助けになると思って言っただけじゃないですか!」
「うっさいわ! 死ぬのなんか、一度で充分だっての。
お前も一度死んでみるか」
「親身になって相談に乗ってあげた友人に、そういう事を言いますか?」
言い合いを始めた二人を、ニーナが呆れたように見ていた。
確かにピートの言い方は無神経だったが、アルカの為を思っての助言だったのは間違いない。
言われた方も理解しているはずなので、じゃれ合っているだけだろう。
ニーナの感じた通りだったようで、アルカはその後、競馬場に行って万馬券を覚えた。
勿論、それが役に立つ機会が来ない事を祈ってはいたが。