第五話 迎撃 1
ツコ・ガバーニとの緊張が高まる中、募兵に応じて集まった軍務経験の無い魔法使いは、コッサル基地に送られた。
この基地は魔法兵の駐屯地として知られており、そこで七月の半ばから四週間、四十日の基本戦闘訓練を受ける。
魔法は勿論、体力や白兵戦などの訓練が朝から晩までみっちり入っていて、自由時間は日に半刻程度しかない。
彼らは訓練小隊ごとに大部屋に押し込められ、訓練が終わるまで日常とは切り離された生活を過ごすのだ。
アルカのいる訓練小隊は、主に魔法系の学校に通う学生が集められている。
入隊時の検査により、軍務経験は無いが、基礎的な魔法を習得している者が配属されるので、学生でなくても初歩的な魔法が使いこなせる若者もここにいた。
途中で進学を諦めたり、独学で覚えた者などがそれに当たる。
入隊から十日ほど経ったその日、アルカ達訓練兵は、障害物の並ぶ訓練場を走らされていた。
身長の倍はある木製の壁を、上から垂らされたロープを使って登攀したり。
平均台の上を歩いたり。
膝ほどの位置に張られた網の下を、這い進んだりといった経路を、ぐるぐると走り続けるのだ。
最初のうちはともかく、次第に体力の消耗によって速さが落ちていく。
腕の力が萎えたのか、壁をよじ登ろうとして苦戦するダンに、訓練軍曹が声をかけた。
「どうした、貴様の力はそんなものか! だとしたら、鍛えられた猛者どもの集いである魔法兵に、貴様の居場所など無い! フリフリの婦人服でも着て、お上品にお茶でも飲んでおくんだな。
なよなよした貴様に相応しい、ふにゃちんの同性愛者どもがちやほやしてくれるであろう!」
「ちっ、うるせえな」
「反抗的なのは口だけか、根性を見せてみろ!」
「ああくそっ!」
気力を振り絞ったダンが、必死に登りきる。
次に続いたアルカは、過去の経験でコツを掴んでいた事もあり、難なく壁を越えていった。
腕の力だけで登ろうとすると消耗が激しいが、足を上手く使えれば、そんなに疲れないものなのだ。
その様子を見送った訓練軍曹は、猟師の息子なら山で慣れているのだろうと、さして気にもしなかったらしい。
「もたもたするな! 時間内に予定を消化しきれなければ、次の訓練に移れんぞ。
仮にも魔法使いだというのなら、魔法の訓練を受けられる程度にはなってみせたらどうだ!」
威圧感を前面に出し、罵りながら監督しているが、訓練軍曹は冷静そのものだった。
というより、感情的になって任務を忘れるようでは、教官になる以前に軍曹という階級まで昇進出来ないのだ。
帝国は多くの民族や種族によって成り立っている為、それを理由にした一切の差別は軍で禁じられている。
それを許すと国の根幹を揺るがしかねないからだ。
軍曹の語彙の豊富な罵声にも、人種に優劣をつけるような単語は一言も含まれていない。
肌の色が白かろうが黒かろうが、人間もドワーフもオークもノームもエルフも関係なしに、皆平等に怒鳴られている。
風紀の問題から同性愛者の入隊は認められていないので、その扱いはひどいものだったが。
また、暴力を振るう事も厳に戒められている。
傷害が犯罪であるだけでなく、暴力で服従を強要されたところで、反抗的な人格を育てるだけだという調査結果があるからだ。
幼少期から家庭内暴力にさらされ続けた者の非行率が高いのは、裁判記録を少し読めば誰にでも分かる事だろう。
軍としては、兵士には上位者の権威に服従して欲しいのであって、猿山のボスにのみ従う猿は必要としていないのである。
現場に出ていないからと補給担当将校が軽んじられるようでは、近代軍隊は成り立たないのだ。
「よーし、全体、歩け! 歩きながら呼吸を整えろ。
いいか、軍では上官が死ねと言ったら死ね、ケツを上げろと言われたらケツを上げろ。
分かったら、立ち止まるんじゃないぞ。
返事はどうした!」
「はい、教官殿!」
疲れきった訓練兵達が、やけっぱちの大声で応じる。
訓練軍曹から文句が飛んでこなかった事にほっとしつつ、彼らはよたよたと歩き続けた。
こうやって罵声を浴びせているのは、訓練軍曹の嗜虐心を満足させる為ではなく、あくまで訓練だからだ。
彼は、より成果が望めるというのであれば、躊躇なく褒めそやす事だってやってのけるだろう。
何故といえば、人は簡単には人を殺せないからである。
十年前、ツコ・ガバーニ侵攻作戦において、島南部の都市で最大の激戦が行われた。
市民を巻き込む市街戦により、双方の兵だけでも合わせて四万人近くが死傷した。
当然、参加した兵は誰もが撃ちまくったと思われがちだが、戦後に回収された鉄砲のうち、使われた形跡があるのは半分にも満たなかった。
残りは弾が装填されたままで、複数の弾が込められた物も少なくなかったらしい。
つまり目の前に敵が迫っているのに、ひたすら弾を込めるだけだった兵士が多くいたという事である。
罪の意識だとか理由は色々あるだろうが、命の危機があっても殺人への心理的抵抗は強いのだ。
戦地での略奪はよくある事だが、それはつまりバレなければ盗みを働く者が多いからだ。
強姦や虐殺なども、普段からその傾向が無ければ出来るものではない。
弓矢が主流の時代に猟師が軍で多く用いられたのも、弓の扱い以上に、殺しに慣れているという側面があった。
現に鉄砲の時代となっても、名を馳せた射撃手には普段から猟をしている者が多い。
アルカも猟師の息子だったからこそ、殺すべき時に躊躇わずに殺せた。
それ以外にも、ニーナやツコ・ガバーニの姫のように、幼少期からの戦闘訓練を受けていれば殺せるようになるが。
軍に集められた兵士のほとんどは、元はただの市民である。
よほどの異常者以外は、生き物を殺す事に抵抗があるのは当たり前であった。
この抵抗を薄めるべく、訓練中に精神的な負荷を加えて鍛えたり。
軍の任務を崇高なものと認識させる事で、命令に従って殺せる兵士に育てたりしているのだ。
民間人を守る為に武器を取って戦うなどは、兵士に任務を正しいものと感じさせる分かり易い例だろう。
また上官の命令が絶対であれば、自分が殺してしまったのは上官のせいだと、罪の意識を転嫁出来る。
兵士が集団で寝起きしたり、男女の区別なく決められた時間に風呂に入るのも、兵の精神的な安定を求めた結果だ。
日常生活からかけ離れた軍という非日常に、生活全てが変化する事で、意識を切り替えられる。
ここが曖昧だと精神的な負担が重くなり、耐えられなくなる者が多くなるのだ。
「よう、きちいな。
俺ら魔法使いじゃん? こんな訓練、なんの意味があんだよな」
訓練場を歩きながら、隣に並んできたダンがアルカに声をかけた。
汗だくながら息は整ってきたアルカとは違い、彼はまだ息切れしているようだ。
見た目も態度も遊び人風のダンは、訓練初日に制服を着崩して出てきた。
大声でその美意識を褒め称えた訓練軍曹により、それから丸一日、彼は鏡の前に立たされる事になった。
他の訓練兵が厳しい訓練に耐える間も、飯を食っている時も、汗を流す最中も。
寝る直前まで、大きな鏡の前に直立不動で立たされ続けたのだ。
翌朝、きっちり制服を着てきた彼を見ても、訓練軍曹は何も言わなかった。
ただしダンの方は、訓練に参加しながら屈辱を噛み締めているようだったが。
「さあ? でもダン、後にしねーか。
教官にバレたら」
「はっ! 構うかよ。
あんな奴、ボコっていいなら今すぐぶちのめしてやんぜ」
「気に入った!」
わりと距離はあったが、聞こえていたらしい。
訓練軍曹の目は、真っ直ぐにアルカとダンを見据えていた。
「格闘訓練を楽しみにしているぞ、シャツ出し脛毛。
だが、今は体力訓練中だ。
体力が有り余っているようだから、貴様と猟師の息子は三周走ってこい!」
「ちょっと待てよ! 俺はともかく、こいつは関係ねえだろうが!」
「誰が貴様の意見を求めた! 二周追加だ!」
「んだと、このっ……」
「はい、教官殿!」
食ってかかろうとするダンの声をかき消すように、大きく返事をしたアルカが、彼の肩を掴んで走り出す。
戸惑っているダンへ、小声で説明した。
「これ以上、追加されたくねーだろ」
「あ、おう」
「他の者は集合しろ。
駆け足!」
訓練教官の前に走って整列する訓練兵とは逆に、アルカとダンは訓練場を走り始めた。
といっても全力疾走ではなく、整列に向かった連中より少し遅いぐらいの速度を維持している。
教官の罵声が降ってこない以上、それで良かったらしい。
軍では命令は絶対だ。
しかし、解釈の余地は残されている。
走れとは言われたが、速度までは命じられていないのだから間違ってはいない。
ダンよりもアルカの方を、ふてぶてしい奴だという目で見つつ、訓練教官は他の訓練兵に座るよう命じた。
訓示の声を聞きながら、並んで走るダンがアルカに謝ってきた。
「なんか、悪いな。
俺のせいで」
「気にすんなって。
どーせ俺も、そのうち周りに迷惑かけるだろうし」
「いや、お前は大丈夫だろ。
話したか覚えてねえが、俺、こう見えて生徒会に入ってんだけど。
副会長みてえに、きっちりしてると思うぜ」
彼の中では、最大級の賛辞らしい。
愛想笑いで礼を言いつつ、アルカはいまだ効果を及ぼしている副会長の『強制』を意識した。
過去に戻ろうが付き纏う魔法が、副会長の妹への溺愛ぶりを示しているようで、少し怖かったのだ。