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第四話 猫と少女 5



 学院長が去った後も、しばらく鍛錬していたアルカだが、二刻近くも続けると流石に足が立たなくなってきた。

 少し休んでから更衣室脇の井戸で汗を流し、夕暮れ時の街を寮へと帰っていった。



 夕飯の買い物をする主婦や、売り声を上げる八百屋、疲れた顔で歩く作業服姿の男達など。

 アルカが大通りを一本避けて歩いていると、通りの喧騒が洩れ聞こえてきて、周囲の物寂しさが強調されるようだ。



 そんな雰囲気も、中学生らしき女の子の集団が、わいわいと騒ぎながら路地に入ってくると、一気に拭い去られてしまったが。



 すれ違うアルカを、彼女達は気にもせずに通り過ぎた。

 ローブでも着ていれば、この街では学院生の証なので注意を引いたかもしれないが、ただの若い男などありふれている。

 これも上京したての頃に比べて、彼が随分と街に馴染んだからなのかもしれない。



 アルカの服装は、緩い格子柄の入ったシャツに、濃紺のズボンだ。

 多少地味だが清潔感があり、似たような格好の若者は街でよく見かけた。



 店主の娘のマリーにダサいダサいと言われ続け、ニーナに頼んで買い物に付き合って貰った結果だ。

 彼自身は気に入っているし、学院での評判も悪くなかったが、マリーのお気には召さなかったらしい。

 つんけんする彼女の隣で、なぜだかカヤが苦笑していた。



 似たような格好が多いのは、ここ四半世紀で普及した既製服という物だからだ。



 既製品、所謂吊るしというやつで、体格に合わせた大きさごとに、似たような意匠の服が店に並べられている。

 工業化が進むにつれて衣服も大量生産され、仕立て屋の仕事は減ってきていた。



 いずれ職人の仕事は、高級品の製作や修理など、専門的で高度な技術を要求される物だけになるかもしれないと、取引先の魔導技師も話していた。



 第一射爆場はエメットの街北西部にあり、東第二寮に行くには、学院を経由して街を斜めに突っ切る形になる。

 学院生以外だと学校の敷地を迂回する必要があるので、結構な遠回りになるが、アルカは北門の守衛に学生証を見せて中に入っていった。



 正門は南にある門なので、ちょうど裏側から校舎を眺める事になる。

 建物の中に人影は見えたが、いつもは運動部の掛け声の聞こえる校庭には誰もいないようだ。

 結局は降らなかったものの、午前中はいつ雨が降ってもおかしくなかったので、当然だろうか。



 校庭脇から、旧校舎と本校舎を繋ぐ連絡通路の下を通り、中庭を抜けて学院の東側に出る。

 そのまま進むと、街の景観としても有名な楓の森が見えてきた。



 南の正門前から、街の大通りまで連なる銀杏並木と並んで、学院の秋の風物詩の一つだ。

 紅葉の季節には一般開放されて、街の外からも見物客が訪れる。

 季節外れの今は、石畳の上を歩いているのはアルカしかいなかったが。



 別れ道を真っ直ぐ進みながら、アルカは脇道の先へと目を向けた。

 木々の奥に、古びた小さな祠が見える。

 今年も新入生の鏡の儀式は行われたが、様子がおかしかった者は一人もいなかったらしい。



 サラが亡くなった後、調査を引き継ぐ形でアルカも調べてみたが、いまだに良く分かっていなかった。

 祠の建設にも初代学院長が絡んでいるらしいものの、その意図するところが分かる文献が残っていないのだ。

 もしかしたら、最初からそんな物は無かったのかもしれないが。



 あの鏡自体には、いくら調べても魔法を発動させるような仕掛けは見つからなかった。

 そもそも時間を遡るような魔法が存在したなら、もっと以前から騒がれていてもおかしくない。



 幾つもの偶然が重なり合って、アルカが過去に戻る事になったのか。

 それとも最初から意図された事だったのか。

 そこから見当もつかないので、調査の方向性すら定められない有様だった。



 意図と言っても、筆記試験で秀才ぶりを発揮するピートとは違い、アルカに飛び抜けた才能は無い。

 学院に合格するぐらいだから、そこそこ優秀な魔法使いの卵ではあっても、彼程度の学生なら山ほどいる。

 師匠が魔法人形という事以外に、特別と言えるようなものは、今のところ何も無い少年なのだ。



 思い悩みながら開けた場所に出たアルカの耳に、緊迫した話し声が聞こえてきた。



「この子は殺させないよ」


「話を聞け。

 それは猫じゃない、魔獣だ。

 その姿は擬態しているだけだ」


 強い風の吹く原っぱで、猫を守るように抱いた修道服姿の少女と、魔導銃を構えるニーナが向かい合っていた。

 黄昏時の濃い影が二人を包み、やけに不吉なものを感じさせる。



「ただの子猫にしか見えないけど」


「成長すれば、周囲一帯を毒で滅ぼす事になる」


「そんな馬鹿な! 毒を使う動物なんて、蛇とかクラゲとか、いくらだっているじゃない。

 狩りとか身を守る為ならともかく、無闇に殺す動物なんていないよ」


「君の言う通りだ。

 本来は山奥や深い森に棲んでおり、幼生期は熊の子などに擬態し、その庇護下で成長する。

 だが、もし人里に紛れる事があっても、野良猫に化ける事は絶対に無い。

 身を守るのに適してはいないからな。

 あるとすれば、自然にではない場合だけだ」


 ニーナは子猫に見える物の頭に狙いを定めたまま、説得を続けた。



「数年前、私の故郷の近くでも、子猫の姿のそれが見つかった。

 検死の結果、毒の制御が除去されていたのが分かったんだ。

 生物兵器だよ。

 誰の仕業か知らないが、成長するまで街に紛れさせ、毒を吐けるようになったら周囲全てを殺し尽くさせるつもりだったんだろう」


「この子に、そのつもりが無くても?」


「そういう事だ。

 分かったら、離れてくれ。

 いずれ必ず害をもたらすと分かっているものを、放置する事は出来ない」


 少女の目が、ちらりと子猫を見る。

 目を細めて鳴いている姿は、どう見てもただの子猫にしか見えなかった。

 マリーと同じくらいの年頃の少女は、ニーナの方を見て、再度手の中に目を落としてから、ゆっくりと息を吸って顔を上げた。



「でも、それは今じゃない」


「これから成長するまで監視し続けて、いざという時に確実に始末出来るのか?」


「だからって、何もしてないのに殺しちゃえばいいなんて乱暴だよ! もし本当にあなたの言う通りだとしても、この子はただ生きてるだけなのに。

 それが罪だなんて、あんまりじゃない」


「大勢の人の命がかかっているんだ。

 危険は冒せない」


「この分からず屋! 撃ちたいんだったら、撃てばいいよ。

 私は絶対、この子を離さないから」


「……そうか」


 ニーナの声が決意したものに変わり、引き金に指がかかった。

 青い顔をして震えながらも、修道服の少女に猫を離すつもりは無いようだ。

 ぐっと口を引き結び、渾身の力を込めてニーナを睨み返した。



 流石にまずいと思い、見守っていたアルカが足音を立てて割り込む。

 目だけを向けたニーナは、相手を確認して溜め息を吐いた。



「あー、なんと言っていいか。

 とにかく、二人とも少し落ち着いてくれ」


 ニーナの表情は厳しいままだが、問答無用で撃つ気は無くなったようだ。

 アルカを見て、少しは頭が冷えたのかもしれない。



「お嬢ちゃん。

 俺はこいつの友達なんだけど、でたらめを言う奴じゃないのは保証する。

 聞いてた限り、人の多い場所なのが問題なんだから、とりあえず街の外に連れていくのはどうだ? 周囲に被害が及ばな……」


 修道服の少女に話しかけていたアルカが、俯いていた彼女から洩れる気配に息を飲んだ。

 ぼそぼそと呟いているのは、はっきりとは分からないが呪文だろう。



 詠唱そのものは聞こえなくとも、魔法を行使しようとしているかどうかは、魔法使いなら誰にでも分かる。

 舌打ちをしたニーナも再度照準を合わせようとしたが、ただでさえ小さな的が少女の体に邪魔されているのだ。

 わずか十数歩の距離でも、瞬時に狙いをつけるのは難しかった。



「涅槃の渡し守よ。

 永久の川より来たりて、この者達の記憶を封じよ」


「これは、まずい!」


 愕然としたニーナが少女を見る。

 口を塞ごうとアルカが手を伸ばした先で、少女の詠唱が成句を結んだ。



『忘却』(レーテ)!」





 強い風に吹かれて、草が波のように音を立てて揺れている。

 夕暮れに染まった空に浮かぶ雲は、見る者を不安にさせる昏い色をしていた。

 まるで、避けられない破滅を覗き込んだかのように。



 学院の東に広がる楓の森の傍、少し開けた場所に、アルカとニーナは立っていた。

 周囲に目をやった二人が、お互いに顔を見合わせて首を傾げる。



「あれ?」


「なあ、ルカ。

 ここで何をしていたか、覚えてるか?」


「ニーナもなのか。

 いや、俺も射爆場から戻ってきたのはともかく、お前と会った覚えが無い」


「どういう事だ?」


 しばらく考えていた二人だが、答えは出なかったようだ。

 すっかり暗くなった周囲に気づき、どちらからともなく促して、一緒に帰り始めた。

 気分転換に話題を提供し合ったものの、何かを忘れているような感じはなかなか消えなかった。



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