第三話 襲撃 1
魔法学院の寮は、北と南に一つ、東に三つある。
アルカとピートの暮らす東第二寮は二百年前に建てられた物で、図書館の近くにあった。
部屋の広さは、若い独身者が暮らす安い物件と同じか、少し狭いぐらいだろう。
それを二人で使っているのだから、かなり狭く感じられた。
ニーナが部屋を借りている南寮は、もう少し広めで一人部屋になっているらしい。
学院の寮の中では最も新しい建物だが、それでも三十年前なので、不備が無いわけではないようだ。
ちなみに、北寮は貴族や富豪の子女用となっている。
学院には学生は平等という建前があるが、封建時代に一部の貴族が建てさせたそうだ。
当時は格式や作法が細かく決められていたらしいが、帝国になってからは金持ち用の高級寮として、割り切って使われていた。
廊下側、片方の壁に本棚つきの机が二つ並んでおり、反対側の壁際には二段ベッドがある。
寮生は荷物をベッドの下の収納にしまうか、家具を持ち込んだりして整理していた。
アルカとピートの部屋には、ベッドから壁に洗濯紐がかけられ、下着などが干してあった。
二人とも忘れていたらしく、一目見てニーナを閉め出した。
他にも女性に見せるには問題のある物、寮生で回し読んでいるエロ本などをベッドの上に投げ、カーテンを閉めて隠蔽する。
改めてニーナを招きながら、床に落ちていた包装紙をゴミ箱へ放り込んだ。
「汚いところですが、どうぞご遠慮無く」
「お邪魔する」
入ってすぐに、ニーナの目が片方の机で止まる。
本やら筆記具やらメモ紙やらが、山のように積み上げられてあった。
無数の本からしてピートの机だろう。
物腰や服装からは几帳面な印象を受けるが、どうも普段はだらしないようだ。
窓際に案内されたニーナが、渡されたアルカの勉強椅子に座る。
ピートもその近くに座りつつ、窓の下から折り畳みのテーブルを引っ張りだして、固定具で止め始めた。
「あ、紅茶で大丈夫だよな?」
「ああ。
すまんな」
器用に三つのカップを持ってきたアルカが、テーブルの上に並べる。
彼はどこに座るのかとニーナが見ていると、アルカは脇に立ててあった折り畳みの椅子を開いて腰掛けた。
野営などで使う安物で、予備としては充分らしい。
両開きの窓の外には、煙突や屋根が町外れの教会の辺りまで続いていた。
枯れた街路樹の枝が、風に吹かれて揺らいでいる。
眼下に目をやると、冬空の下で子供達が元気に駆け回っているのが見えた。
三人は温かい紅茶に口をつけ、少し落ち着いてからピートがアルカに顔を向けた。
「それで、話ってなんです?」
「信じられないような話だとは思うが、とりあえず聞いてくれ」
二人が頷いたのを見て、アルカは自分の体験した事を話しだした。
ヒルダと知り合い、期末試験の後で村に行き、戦場で倒れたと思ったら鏡の前に立っていたと。
丘でのニーナとの事については話さなかったが、他の事に関しては聞かれるままに細部まで説明していった。
第三歩兵師団第二魔法支援連隊第四中隊第六小隊などの、気になる固有名詞をメモしたピートが考え込む。
ニーナの方は、じっとアルカの表情を観察していたようだ。
自分のメモした単語を、一つづつ確認していったピートが、やがてペンを放り投げて呟いた。
「俄かには信じ難い話ですね」
「疑うのも当然だとは思うんだが、仮にでいいから、本当にあった事として意見を聞かせてくれ。
夢だとかいうんでも、俺が納得出来るんならそれでいいんだ」
「それは無いでしょう」
手に顎を乗せたピートが、指先で鼻を叩きながら答える。
彼に視線を移したニーナは、疑問に思った事を尋ねていた。
「予知夢とかいう可能性も無いのか?」
「あり得ません。
いえ、予知夢に関しては詳しくないので、その実証方法とかも分かりませんが。
少なくとも、同じく夢であるなら絶対に無いと断言出来ます」
ピートの指が、自分の心臓の上辺りを差した。
「心臓や肺などの生命活動に欠かせないものは、寝ている間でも動いています。
これは脳の指令が無くても、不随意筋によって動作しているからなんですが。
浅い眠りの時には、眼球が動くんですよ」
ぐるりと目を動かしてから、ピートは話を続けた。
「このように、眼球は自分の意思で動かせます。
つまり脳が活動している時に動く物なわけです。
浅い眠りの時、脳が記憶を整理していて、その結果が夢となるんですが。
内容はともかく、長い夢であれば、見るのにもそれ相応の時間がかかります」
「だが、例え夢の期間が半年だったとしても、それを見るのに半年かかるわけでもあるまい。
舞台や小説のように、場面によって時間が飛ぶ事も、夢では珍しくないはずだ」
「一瞬の出来事でも、夢や幻覚でも無いだろうというのは、まず間違いないと思いますよ。
ルカ君、『防盾』の魔法を使ってみて貰えますか?」
「あ? ああ、分かった」
言われるままに、アルカは訓練所で叩き込まれた魔法を唱えた。
「我が内に潜む水よ、流れとなりてこの身を包み、命を保て。
『防盾』」
透明な魔力の壁が生じて、術者であるアルカの体を包むように展開した。
水の性質を利用した魔法で、瞬間的な衝撃に強く、剣や矢も弾ける。
ただし、至近距離から銃撃を浴びるなど、耐久以上の負荷には耐えられない物だった。
魔法が苦手なピートは、展開が終わったか口に出して確認してから、手近にあった本を放り投げる。
アルカの少し手前で弾かれた本が、彼の足元に転がった。
「この魔法なんですが……あ、ルカ君、もう結構ですよ。
ニーナさんは、この魔法についてご存知ですか?」
「ああ。
『防盾』は、軍の魔法兵が使う防御呪文として有名だ。
術者の力量にもよるが、新兵でも重い鎧を着込むより高い防御力を得られると聞いている」
「そうです。
わりと知られている魔法ですが、軍事機密扱いの呪文です。
少なくとも、退役した魔法使いが、軍の外で教える事は禁止されています。
まあ、魔法学院の学生ぐらいになれば、関連の論文から術式を構築してもおかしくないんですが」
なので、使うのは自由だが、人に教える事は禁止するとアルカも訓練所で叩き込まれた。
その頃には既に、教官に歯向かうような訓練生はいなかったので、皆が素直な返事をしたものだ。
頷いているアルカを見て、ニーナがピートに反問した。
「これが使える事が、その証明になるのか?」
「入学前に、この魔法を習熟している事は、まずあり得ないでしょう。
こっそり教わっていたという、ごく低い可能性は残りますけど」
「分かった。
続けてくれ」
「では、夢ではないという仮定で話を進めます。
時間を巻き戻る、過去に戻ったという可能性についてですが……お二人とも、宇宙が大爆発によって起こったという学説は、ご存知ですよね?」
「聞いた覚えはあるな」
「星の位置の観測結果は、宇宙が膨張し続けていないと説明出来ない、というあれだろう?」
高等教育機関に通う学生だけあって、アルカもニーナも知っていたようだ。
問題なさそうな二人に、「結構」とピートが頷き返す。
天文学、宇宙物理学の発展にとって欠かせないのは、理論と観測技術である。
観測結果から導き出された答えを基に、仮説を立てる数学などは勿論。
仮説の裏付けとなる観測結果が得られなければ、いつまで経っても仮説の域は出られない。
具体的には、望遠鏡に使われるレンズと鏡の精度次第だ。
どれだけ滑らかに鏡面を磨けるかが、望遠鏡の精度を決めると言ってもいい。
人間の目では分からないほどの細かな作業も、魔法でならば可能で、その分だけ天文学は発展している。
勿論、誰でも簡単に扱えるような魔法ではない為に、精度を追求すればするほど必要な時間も費用も跳ね上がるのだが。
「その『大爆発』によって、ありとあらゆる物は生まれました。
水や空気などの物質は勿論、時間や空間、慣性や魔力などの物理法則。
言ってみれば、この宇宙とは爆発の余波に過ぎないんですよ」
「あー……何が言いたいか分かってきた。
つまり、あれだ。
時間だけ戻ったとしても、場所が変わらなかったら、まるで別の場所に出るはずだと」
「そうです。
我々の住む大地、この惑星は太陽の周りを回っていますが。
太陽は銀河系の中心を軸に、楕円軌道を描いていて。
銀河そのものも、とても長い期間をかけてではありますが、動いているのが分かっています」
「更に、それら全てが『大爆発』によって、今この瞬間も吹き飛ばされ続けているわけか」
ニーナの補足に、アルカが苦笑しながら頭を振った。
「一瞬前だって、正確な座標を割り出すなんて不可能だな。
仮に時間を遡ったとしても、地の底に出るか、宇宙に放り出されるか」
「技術的な困難さを脇に置けば、時間を遡る事自体は可能だと考えられています。
我々は三次元、『縦』『横』『高さ』しか認識出来ませんが、この宇宙には十次元以上存在するだろうという予測が立てられていますから。
つまり、四次元である『時間』も、五次元空間からは認識出来るわけです」
さっき投げた本を拾って、適当なページをめくり、更に他のページをめくる。
二次元である紙の上の文字にとっては、百ページ先は百ページ先だが、三次元の人間にとっては一瞬で開き直せる場所だ。
もし五次元に生まれ育った者がいれば、今日も百万年後も、ちょっとした手間で両方見られるのだろう。
「技術的な困難って?」
「あくまで思考実験ですけどね。
理論的に、光の速さは超えられないと考えられています。
物体は光速に近づけば近づくほど時間の進みが遅くなり、質量が無限大まで増大するからなんですが。
もし光速を超えたら、時間を遡るのではないかとね」
「それはつまり、『物体』ではなく『情報』なら可能かもしれないという事か?」
記憶だけなら可能なのかと尋ねるニーナに、不可能とは言い切れないとピートは認めた。
「質量が無ければ、その問題は起きませんね。
ただその場合も、時間を移動した先の座標については解決していません。
これは、ルカ君の話をそのまま信じるなら、例の鏡が関わっているとしか思えないでしょう」
「まあ無関係じゃないだろうな」
たまたま学校行事として続いてきたものが、たまたま時間遡行で戻る地点となった。
偶然と言うには疑いたくなる符号だろう。
「もっとも、何をどう調べたら証明出来るのかなんて、僕には見当もつきません。
なので、ルカ君の件についてはどちらとも言えないですね。
全くの嘘とは思いませんけど、合理的な説明がつけられませんから」
「あの鏡なら、魔法薬学で知り合ったサラという娘が調べていたはずだ。
役に立つかは分からんが、今度紹介しよう」
「ああ、ピートが魔法を使えるようにした人か」
何気なく口にしたアルカを、ニーナの目が捉える。
思わずだったようで、バツの悪い顔をする彼に、ニーナは考えながら口を開いた。
「なるほど、彼女か。
無くはなさそうだ。
まだ顔見知り程度だからなんとも言えんが、それとなく聞いてみるか。
もし彼女が教えられるのであれば、早い方がいいだろう?」
「それはもう。
実を言えば、ルカ君の話が真実であるという方向で考えたのも、それがあるからなんですよね。
もし本当にルカ君が過去に戻ってきたのなら、僕は魔法を使えるようになるわけですから」
「具体的に何をどう教わってたのかは聞いてないんだよな。
まさか、こんな事になるとは思ってもみなかったから」
「いえいえ。
ああ、あくまで仮説としてですが、理論物理学の助教授が時間旅行について研究していたはずです。
講義で雑談ついでに聞いたんですけど、良ければ今度紹介しますよ。
解明には至らなくても、ルカ君が納得するには、様々な考え方に触れた方がいいでしょう」
「助かる。
頭ごなしに否定されないだけでも、お前らに相談して良かったよ」
「僕は科学者を目指していますからね。
生きる上でなんの役に立つと嘲笑われようと、『なぜ?』と問わずにはいられない。
性分ですね、これは」
「私は、何か売りつけようとしたら、部屋を出て行くつもりだったがな……冗談だ。
短い付き合いだが、つまらん嘘で人を騙す奴ではないとは思っている」
頭を抱えたアルカに、微かに口の端を持ち上げて見せてから、ニーナは真剣な目で向き直った。
「ルカ。
お前が自分で言うように戦場で死んだのなら、何の考えも無しにまた向かうとは言わないだろうな? もしそうなら、今ここで縁を切らせて貰う」
「無い無い。
あんな痛い思いは、二度とごめんだ」
一瞬だけ部屋の空気が張り詰めたが、すぐにアルカが否定した事で、ニーナも表情を緩ませた。
脇で見ていたピートが一番緊張したようだが、笑みを浮かべているアルカも内面は決して穏やかではなかった。
脳裏を過るのは、月明かりで照らされた草原と、風に靡く金髪だ。
今も、ニーナは同じように戦場へ向かうのを止めてくれたのに、そこに込められた気持ちは全く違う。
あの時、彼女が止めたのはアルカの身を案じてくれたからだが。
今、目の前にいる少女は、もしアルカが行くと言っていたら、悲しんだりせずに失望するだけだっただろう。
同じ人間でも、相手との関係や、状況によって感じ方が違うのは当たり前だ。
その、ごく当たり前の事が、アルカの胸を軋ませていた。




