第二話 初陣 5
スード海峡を挟んで睨み合っていた両国の戦争は、私掠船同士の衝突をきっかけに始まった。
二ヶ月ほど小競り合いを続けた後、帝国海軍が一個艦隊同士の海戦で勝利を収める。
しかし、勝利に喜ぶ暇も無く、夜陰に紛れた軍港への襲撃で大きな被害を受けた。
続いたツコ・ガバーニの侵攻を阻止する事が出来ず、帝国は北部の三つの港町を占領される。
再建中の帝国海軍には抗する術も無く、軍団規模の兵がツコ・ガバーニから大陸に上陸してきた。
管区を預かる将軍の指揮の下、守備隊や自警団をまとめて、帝国北部の軍団が撤退を開始する。
住民の避難は優先して行われたが、財産の多くは街や村に残さざるを得なかった。
ツコ・ガバーニの将は、戦局が有利なうちに一気に侵攻する事を目論んでいたようだが、進軍速度は全く上がらなかった。
難しい話ではない。
進軍経路にある街で兵が略奪に走った為、遅々としか進めなかっただけである。
どれだけ将が優れていようと、大規模な軍団の末端にまでは統制が効かないものだ。
これまでもツコ・ガバーニによる大陸への侵攻は、同じように略奪で行軍が遅れて敗北してきたのだから、その反省が活かされていないと歴史家には指摘される事だろう。
開戦劈頭で一敗地に塗れた帝国だが、北部から引き揚げてきた軍も再編し、防衛戦を行う準備を着々と進めていた。
幸い、万全の体制を整える時間は充分にある。
徴兵だけでなく、魔法兵や工兵といった専門職の募集も進められていった。
彼らは数週間の訓練を経て、各部隊へと配属される。
アルカは訓練所でも一緒だった、同じ魔法学院のダンという一回生と一緒に、第三歩兵師団第二魔法支援連隊第四中隊第六小隊に配属が決まった。
撃ち合う歩兵の後ろや横から、魔法で援護するのが仕事の部隊である。
学徒動員兵は皆、こういう比較的安全な部隊に回されていた。
八月の頭。
帝国北部の平原で、両軍は陣を構えて対峙した。
後続の到着を待つ帝国だけでなく、ツコ・ガバーニ側も略奪に散った兵が戻るのを待つしかなかったのだ。
半ば頃になって、第三歩兵師団も戦場に到着する。
勿論、第六小隊の姿もその中にあり、割り当てられた森の近くで点呼が行われた。
「行軍てーいし! 小隊点呼!」
「はっ! 小隊員、整列! ひだりーむけ、左!」
隊員達が向きを変えると、小隊長と軍曹を前に、二列横隊が出来上がった。
皆が右側の仲間を見て、列がずれていないかを確認する。
全員の顔が前を向いたところで、再び軍曹の号令がかかった。
「番号!」
「一っ!」
「二っ!」
前列の右から順に、端までいって後列を戻ってくる。
アルカやダンも答えて、気をつけの姿勢のまま待っていると、最後の小隊員が声を張り上げた。
「三十六!」
「第六小隊、総員三十六名、欠員無し」
「ご苦労。
休んでよし」
軍曹の報告と、背筋を伸ばした隊員達に、まだ若い隊長が告げた。
隊員達が足を肩幅に広げ、手を腰の辺りで組んで隊長の言葉を待つ。
小隊長は通達の紙に目をやりながら、連絡事項を伝えた。
「これから設営にかかって貰うが、川の増水で第二機甲師団の到着が遅れるそうだ。
ちょうどあの辺り、森の向こうの平原だな」
隊長の指差す方に、アルカ達が顔を向ける。
丘の手前の、木が疎らに生えた辺りだろう。
大体の場所だけ覚えて顔を戻すと、隊長が話を続けた。
「戦闘になったら応援も来るんだが、設営中も警戒が手薄にならないようにしてくれ。
うちが単独で戦うような事態は避けたいからな。
以上だ」
「気をーつけ! 敬礼!」
軍曹の号令に従って、隊員達が軍帽の縁に右の指先をつけ、背筋を正す。
答礼した小隊長が去っていくと、それぞれ自分の仕事に取り掛かった。
「よし、お前らは俺についてこい」
「了解」
新人の世話係であるラーゲ伍長に言われ、アルカやダンを含む五人が動き出す。
適当な場所に荷物を置くと、背嚢からスコップを取り出し、割当の場所を掘り始めた。
ラーゲ伍長は身長二ムテラ(約二メートル)近い大男である。
彼は緑色の肌を持ち、下顎から二本の牙が覗く、オークという種族の者だ。
盛り上がった筋肉は見せかけではないらしく、地面を軽々と掘り進んでいった。
帝国は八十四の諸侯、三つの公国、四つの騎士団、八つの部族を統一して出来た国である。
言葉や習慣は元より、人種も異なる人々が、一つの旗の下に同じ臣民として暮らしていた。
差別が無いとは言わないが、オークは比較的初期から帝室に協力していた事もあり、帝国では強い影響力を持っている。
彼らは種族的に頑強な肉体を持つ事もあって、軍人の道を選ぶ者が多い。
ラーゲ伍長も、これだけの巨漢に怒鳴られたら、それだけで立ち竦んでしまいそうな迫力があった。
「訓練の時よりゃ、大分楽じゃね?」
「そーだな」
声をかけてきたダンは、汗はかいているものの、さほど疲れた様子は見せていなかった。
一緒に掘り進めながら、アルカが訓練の様子を思い起こす。
「あの時は魔法使いながらだったから、それでじゃないか?」
「あー……実際にもあれやらされるのかと思ってたが、そうでもないみてえだな。
いや、本当良かったわ。
マジで逃げようかと考えてたかんな」
苦笑するダンに、アルカも同意して頷いた。
魔法の行使には集中力が要求されるが、他の事をやりながらだと消耗が激しくなる。
呪文の詠唱に集中出来る環境で、自分の使える最も高度な魔法があったとして。
走りながら同じ魔法を使おうとしても、まず制御に失敗するのが当たり前であった。
他の学校から来た学徒兵も、同意見だったようだ。
訓練を思い出した彼ら五人は、揃ってげんなりしていた。
彼らは同じく魔法を学ぶ学生だが、下は成人したばかりのアルカから、上は三十を越えた者まで幅が広い。
最短の過程で進学した者から、就職してから再び学ぼうとする者までいるのだから、年齢層が広いのは当然だろう。
「お前ら」
声をかけてきた伍長に、五人が揃って姿勢を正す。
いやいや、と頭を振った彼は、顎を擦りながら話しかけてきた。
「いちいち畏まらなくていい。
そういうのは、隊長なんかの『上』の人間相手にやるもんだ。
下っ端同士で堅苦しくしてちゃ、息が詰まるだろ」
「そういう事でしたら。
それで伍長殿、何か?」
「だから、伍長に『殿』はいらねえんだよ。
他の隊の連中に会った時、面倒を見てる俺が笑われんだから、勘弁してくれ」
「はあ」
頭髪の無い頭をぼりぼり掻く伍長に、ダンが改まって尋ねた。
「で、伍長。
何スか?」
「ああ、そうそう。
学徒動員の、それも魔法兵だっていうから、どうなるかと思ってたんだがな。
行軍も穴掘りも問題ないから、驚いてたんだよ」
「訓練きつかったですから」
「そういや聞いた覚えがあるな。
なんつったか、今回の学徒兵の教育には、士官学校の教官を引っ張ってきたとかなんとか」
通りで、と顔を見合わせる彼らに、ラーゲ伍長は同情したようだ。
「学院生様っていうから、てっきり苦労知らずのボンボンがやってくるもんだと思ってたんだがな。
ま、何事も『適当』にやってくれ。
張り切りすぎても保たねえし、手を抜いたら自分や仲間が死ぬ。
やるべき事をやってりゃ、軍で文句を言う奴はいねえよ」
「はい」
夕飯までに割当分を掘っておくようにと言い残して、伍長は去っていった。
五人が掘るべき端と端を、目印になるよう掘っておいてくれたらしい。
並んで作業を再開させながら伍長の姿を探すと、外の柵を作る方に向かっているようだ。
軽く感謝の念を込めて目礼してから、アルカはスコップを振り上げた。