第二話 初陣 4
眠ったままの家族に快復の見込みが出来たという事で、その日の夕飯は少し豪勢なものになった。
家族は学校でのアルカの様子を聞きたがり、友人達は村での様子を聞いていく。
互いに照らし合わせて判明したのは、子供の頃からあまり変わっていないという事だった。
男女別に寝室に引き揚げてから、ピートが計算してくれた結果によると。
運賃と魔晶石の代金は、夏季休暇中に学生が稼げる額では足りないのが分かった。
それでも、切り詰めれば卒業までに捻出する事は可能だし、どうしても急ぐなら冒険者という手もある。
選択肢を与えてくれたピートに、少し考えてくると言ってルカは外に出た。
都市部では、日が落ちても物音が完全に絶えるという事はない。
酔っぱらいの喧騒や、猫の縄張り争い、巡回する警邏の声など、何かしらの物音は常にしている。
だが、山間部の村では、夜中に起きていても時間を持て余すだけだ。
寝静まった村を歩くと、虫の鳴き声以外には、自分の足音しか聞こえてこない。
その静寂に満ちた夜は、ここで生まれ育ったアルカに、昼間よりも強く帰ってきたのだと感じさせた。
しかし、彼の心にある『故郷』の風景には、一つ足りないものがある。
それは小さくないどころか、彼にとっては他に代え難いほどに大きなもので。
手紙すらろくに出さずにいたのは、返事が欲しい人が不在だったせいだから。
なだらかな丘の斜面で、淡く浮かび上がる草が風に吹かれていた。
月明かりに照らされた静かな草原は、まるで海のようにも見える。
ごろんと横になったアルカは、両手を組んで枕にしながら、雲が横切っていく月を眺めた。
急ぐ必要は無いのだ。
どうせ、卒業するまで村に戻ってくるつもりもない。
今のまま魔導具の店で働きつつ、贅沢しないでいれば、彼の望んだものは得られる。
自分の手で直せなかったからどうこう、というのも彼には無い。
元々、全て自分でやれるとまでは思い上がっていなかった。
一人で無理そうなら、躊躇なく他人の手を借りる。
魔法学院に通う事にしたのは、それが可能そうな知己を増やす為でもあったのだから。
だが、と懊悩する彼の耳に、草地を踏む足音が聞こえてきた。
「隣、いいか?」
「どうぞ」
アルカの隣に座ったニーナは、しばらく何も言わなかった。
緊張も安らぎも無く、ただ静かに時が流れる。
やがて、ふうと息を吐いて彼女は口を開いた。
「私は反対だ」
「まだ俺の中でも結論は出てないのに、いきなりそれか」
「お前は自分で思っている以上に分かりやすいぞ。
おそらく、ご家族への言い訳を考えているぐらいで、ほとんど心は決まっているんじゃないのか」
「言い訳?」
「焦る必要は無い。
私達だけでなく、ご両親も妹君も同じ事を言うはずだ。
それが一番合理的だからな。
だが、お前は一刻も早く、姉君を取り戻したいのだろう? 多少無茶をするだけで、手が届くところに望みがあるのだ。
お前には、焦れるなと言う方が酷だろう」
「……そーだな」
「それが分かった上で、もう一度言う。
私は反対だ」
上から覗き込むニーナの目は、痛いほど真っ直ぐにアルカを心配していた。
彼らのような学生が、手っ取り早く確実に金を稼げる方法が、今の帝国にはあった。
犯罪でもなければ、宝探しや冒険者のように不確かなものでもない。
学生が手にするには大きな金が、夏季休暇の間に得られる上、国にも貢献出来る仕事だ。
一人前の魔法使いを育てるには、資質は勿論、金も時間もかかる。
帝国の国益を考えるなら、育成中の卵を使い潰すはずもなく、比較的安全も保証されていた。
だが、戦場に絶対は無い。
どれだけ鍛え上げられた戦士でも、新兵の矢一つで呆気なく死ぬのが戦場だ。
短い訓練期間で放り込まれる学徒動員兵など、いざという時には呆気なく死ぬだろう。
そして、戦死者の一人として数えられる学生の事など、ほとんどの人間がすぐに忘れ去ってしまうに違いない。
学校の友人達、ピートやヒルダだって、気が向いた時に墓参りをする程度になるのは当たり前だ。
なのに。
「ありがとう」
「礼などいらん。
考え直せ」
なのに、ニーナは心の底から案じて、真剣に止めてくれている。
彼女の強い眼差しが、涙が出るほどに嬉しくて。
視界の中で滲んでいくニーナの顔に、アルカはどうしようもないほどに自覚した。
いつの間にか、こんなにも自分は彼女を好きになっていたんだなと。
歩くだけで格好良いところなのか、真摯に人と向き合うところなのか。
綺麗な顔なのかもしれないし、耳に心地良い澄んだ声かもしれない。
理由はともあれ、彼女と一緒にいたい、それが無理なら幸せになって欲しいと。
祈りにも似た胸に溢れる願いは、きっと恋とか愛と呼ばれるものだから。
彼女に頼まれた事であれば、ほとんど断らないだろうと思いつつ、それでもアルカは言った。
「ごめん」
「謝らなくていいから、やめろ」
「分かってる。
卒業まで無難に過ごせば、姉さんが戻ってくるって頭では理解してるんだ。
だけど!」
覆いかぶさってきたニーナに、鼓動を高鳴らせるよりも前に。
彼女が泣いていた事が、どうしようもなくアルカの胸を締め付けた。
「馬鹿が。
私は自分の気持ちを伝えるのが苦手だから、そうは見えなかったかもしれないが。
これでもお前の事を、かけがえのない友人だと思っているんだぞ」
「伝わってるよ。
お前は、自分で思っている以上に分かりやすいからな」
「この馬鹿」
さっきの言葉をそのまま返されて、涙声になりながらもニーナが苦笑した。
恋仲の男女が持つ甘酸っぱい空気ではないが、抱き合う二人からは確かな絆が感じられた。
それが愛や恋になるのか、友人のままで終わるのかは分からない。
それでも、互いを大事に想っている事は伝わっていた。
一際強い風が吹き抜け、ニーナの金髪が流されていく。
夜空を背に揺れる金髪を見るうち、初めて出会った時から惹かれていたのかもしれないとアルカは思った。
「五体満足でなくていい。
情けなくたって、国中から卑怯者と罵られるようになったって構わない。
敵に媚びを売ってでもいいから、生き延びろ。
這いつくばってでも、生きて帰ってこい」
そっと体を離したニーナは、多分、アルカですら初めて見る笑顔を浮かべていた。
「待っていてやるから」