プロローグ
転げそうになりながら、アルカは必死に逃げ続けていた。
情けなさと悔しさで顔を歪め、歯を食いしばって、戻りたくなる自分を罵倒しながら。
「くそっ!」
村中が避難を終えたのは随分前だ。
しかし、子供がいないと泣き叫ぶ粉屋の奥さんの代わりに、アルカが見てくると立候補した。
あちこち探し回ったのに見つからず、途方に暮れていた彼の背後で、山が弾け飛んだのだ。
邪魔な物全てを吹き飛ばし、地下に封じられていたドラゴンは空へ舞い上がった。
平地に立って見える地平線までは、ざっと十五カリムテラ(約十四.五キロメートル)ほどある。
村の周りは山が多いので単純には言えないが、全長二十カリムテラはある巨大な生物が翼を広げると、空一面を覆うほどになった。
足が竦んで動けないでいたアルカを叱り飛ばしたのは、追いかけてきた姉だ。
姉といっても、魔法学院の初代学院長に作られた魔法人形で、血のつながりは無い。
それでも彼女、ドルンはアルカが生まれた時からの家族であり、村の一員だった。
魔法人形だとか、ドラゴンの封印を監視しているだとか自称していても、誰も本気にはしていなかったのだ。
ドルンの話によると、母親の勘違いで、子供は無事に避難場所で見つかったらしい。
ここは自分が食い止めるから逃げろと言うドルンに、アルカは自分も戦うと食い下がったのだが。
『悔しかったら、いい男になりなさい。
聞き分けもなく駄々をこねるようじゃ、まだまだ子供としか言えないわよ』
諭す姉の笑みに言い返せず、アルカは逃げ出した。
自分が少しでも早く避難する事で、姉も逃げられるようにと。
しかし、それから始まった戦いは、彼の想像を絶していた。
山すら飲み込めそうなほどに開かれたドラゴンの口から、帝国最大の川より太い炎が吐き出される。
それを、空中で対峙するドルンは、真っ向から次々に繰り出す魔法で迎撃していった。
アルカの魔法の師は、姉のドルンだ。
村の誰よりも、彼女の実力を知っているという自負がある。
だが、彼に魔法を教えている時でさえ、ドルンは今の力の片鱗すら覗かせなかった。
長い金髪を揺らし、無い胸を反らして偉そうに説教する姉が、ここまでの魔法の使い手だとは思わせもしなかったのだ。
村の風景の中にいる彼女は穏やかで、強大な力を振るうような機会は無かった。
その、どこか遠くを見るような目が、これを意味していたのなら。
ゆっくりでいいという姉の言葉に頷かず、せめて隣で戦えるまで鍛えていたというのに。
どうして、あの馬鹿はとっくの昔に覚悟を決めていて、この馬鹿はそれに気づきもしなかったのか。
「くそっ、くそっ、くそがっ!」
激突する炎と炎が、空一面を燃え上がらせる。
それを背に走りながら、アルカは胸の裡で渦巻く想いのままに、天に向って大声で叫んだ。
「ちっくしょうー!」