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血で贖え、水で贖え、その罪が擦り切れるまで 04

 ずっと胸の高鳴りが止まらない。柔らかな羽毛のクッションを目一杯抱き締めて殺戮王女はベッドの上で寝返りを打った。ころころ、ころころ、とベッドの端から端へと何度も右往左往する。

 あの日以来、彼女はずっと自室で謹慎を強いられていた。流石に王族内でも今回の件は問題視されており、王位継承権を含めて話し合われているそうだ。

 だけど、そんなことは彼女にとってどうでもいい話だった。今の彼女の一番の懸案は神子を攫った秘匿されし王の落胤――レツァケイオスが生きて捕らえられるかどうか。それだけだ。

 やがて飽きたのか王女はベッドの中央に仰向けになり、クッションを抱いたままぼうっと蕩けた目で赤地に真紅の刺繍が施された天蓋を見つめた。真っ赤な髪が血の池のように広がっている。

「――早くお鳴きなさいな」

 殺戮王女には手に取るようにわかる。だって、あの神の子をそういうふうに育てたのは、紛れも無く彼女と神子学者なのだから。

「不思議ね、私すらも凌駕する程のカルマを殺したのに、あれの方が、カルマを愛しているなんて」

 あの子が泣けばすべてが片付く。すぐにキリが神子を見つけ出して取り戻すだろう。

「レツァケイオス――待ってるわ。生きて帰ってきてね」

 腕が無くても、足が無くても構わない。あの血のように紅い髪を生やし紅玉の如き瞳の嵌まった首と、胴さえ繋がっていれば。

「早く欲しい。あなたが欲しい。あなたの子供が欲しい」

 ぞくぞくと背筋を震わせながら、王女はベッドの上で身悶えしクッションを抱き締めている。闇の中、熱い欲望に蕩けながら。


 極寒の砂漠の夜。昼間は四十度以上の暑さでカルマを焼き、夜は急激に温度を下げて、今では息さえも凍る冷たさだ。宿の軒先にしゃがみこんだレオは、白く霧散する自分の呼吸を眺めながらストールを引き上げフードを引き下げた。目しか覗いていないので怪しさ満載だが、夜に外出する人間など皆こんなものだ。

「そろそろ機嫌も直ったかなーっと」

 宿の女将には「女を怒らすと怖いのよ、坊や」なんて笑って窘められたが、そんな世の真理は修行時代に十二分にその身にたたきこまれている。今怖いのは肩を怒らせ俺を戸外へ追い立てた神子様の方だ。

 身分を隠して逃げるにはあの格好が一番良い。とは言い切らないものの、黒い髪に白金の瞳は、カルマの中では自分の赤錆色の髪以上に目を引く。せめて神子は代々男だという最大の理を逆手にとって、女の振りをしてもらった方が飛躍的に見つかる可能性は低くなる。

「……いい加減戻るか」

 そうしないと命に関わる。寒さで固まりきった身体をゆっくりと伸ばして、宿の扉を押そうと手をかけた時、丁度飛び出してきた人間とぶつかった。

「いって!」

 バランスを崩しかけながらレオが顔を上げると、走り去っていく小さな後姿は見知ったのものだった。すぐに夜の濃い闇の中に群青色の衣が溶けて見えなくなる。

「アリス!」

 慌てて呼ぶも返事など無い。

 まずい。

 時刻は丁度深夜に差しかかろうというところだ。こんなに急いで人目の無い中で。アリスの考えることは一つしかない。

「あいつ……分かってるのか!?」

 レオはフードが落ちるのも構わずに全速力で駆け出していた。


 レオが町の入り口にある、石造りのアーチの下にポツリと立っているアリスを見つけるのにはさほど時間は掛からなかった。

「アリス。どうしたんだ?」

 俯くアリスにゆっくりと近づくレオ。変に刺激して丸腰のまま町の外にでも逃げられたら、砂獣の格好の獲物になってしまう。

「……かなきゃ。俺は泣かなきゃいけない」

 アリスの呟きに、レオは予想が的中したと頭を抱えそうなる。やっぱり泣くつもりだったのか。此処は王都でもなく、王女や神学者がお前を黒い箱に押し込もうとしているわけでもないというのに。

「泣かなきゃ……」

 これも精神を改変された結果なのだろうか。だが地下水路で夜を明かした時にはそんな素振りは全く見られなかった、ということはこの事態はアリス自身の意思によって起こされたものであると考えるべきだろう。

「泣かなきゃ――――!」

 うわ言のように同じ事を呟くアリスに次第にレオの心が苛立つ。

「今こんな場所で泣いてみろ!たいして王城からも離れていないこんな町で!周りをうろついてる兵士達に迎えに来てくれってねだるつもりか!?」

「すぐここから離れればいい。この下には青命線(デッドブルー)が走ってるから、ここに雨が降れば水は国中に行き渡る!」

 必死の表情で請うてくるアリスをレオは理解できない。あれだけ苦労して逃げ出して、彼には果たさなければならない目的もあるというのに。なぜ其処までして泣こうとするのか。

「いい加減にしろよアリス。お前が一日二日泣かなかったくらいでこの国の貯水量に影響なんて無い……なあ、せめてもう少し王都から離れた時には、泣いていいから」

 レオの譲歩にも頭を振って、アリスはレオを冷めた目で見る。なぜわからないのかと。

「そうじゃない。俺が泣かないとみんなが不安になる。神子が生きていて、まだ雨を降らすことができると示さないと、国の奴らは混乱する。また、あの時みたいになる」

 だから泣くのか。そんな無理を押してまで。捕まる危険を冒してまで。

 レオにはやはり理解できない。そんなことどうでもいいではないか。国が混乱したほうが自分たちは動きやすくなる。何より人一人の心をずたずたに引き裂き、丁寧に、執拗に壊してから祀り上げようとしたカルマに対して、何故其処まで誠実にアリスが向き合わなければならないのか。

「わかんねえよ……わかんねえよ!国のことなんて、カルマのことなんて!」 

「レオ……俺は……!!」

「もういい!勝手にしろ!お前のことなんてもうしらねえよ!」

 勢いに任せてレオが怒鳴りつける。すぐにしまった、と後悔したがもう遅い。

びくりと肩を震わせて、アリスは夜目にも分かるくらい怯えていた。

 ああ、また雨だ。

 アリスの硝子色の瞳にはみるみると水の膜が張り、すぐに表面張力が負けを認めて涙を体外へと吐き出した。

 大粒の雨が降る。

 町人はこの奇跡に仰天するだろう。平伏すだろう。

すでに夜の冷えた空気も構わずに戸外に出てきた人々が、雨を全身に受けながら、神を讃える言葉を吐き、祖字を空へと捧げている。

 レオはその人間たちを叱りつけたかった。

 伝えたかった。


 神子は此処に居る。

 此処でたった一人、泣いているんだと。



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