SSS_死闘前にて凱風戦ぐ
凱風が戦ぐ。嵐の予感を抱いた――穏やかな風。一人丘の上に立ち、いずれ血に染まるであろう荒野を眼下に眺めた。直に戦いが始まるのだ。
世界の命運を決めるであろう戦い。若獅子と呼ばれる騎士が率いるは、部族による協調を旗に掲げる連合軍。そして、我が竜の旗印が掲げるのは独裁と君臨。
この戦いは私にとって他部族を退け、帝国の支配を盤石とするため戦い。勝敗は間違いなく、歴史の分水嶺となるだろう。
相手は如何なる軍勢も結束によって正面から打倒してきた、誉れある騎士団。率いるは勇猛果敢な若き剣士。その英雄譚は敵国である帝国でも聞き及んでいる。
曰く、圧制者を仲間とともに打倒し自らの領地を切り開いた彼は、今まで剣を取ることのなかった平民を率いて自由を訴えた。部族による血統主義が蔓延っている大陸に一石を投じ、危険を顧みず各部族を訪ねて協調を訴えた。その姿に心打たれたものも多く、若獅子の下に結束を誓った連合となった。
以来勢力を拡大し続け、大陸統一に王手を掛けるまでに至っている。このまま彼が大陸を統一すれば各部族の手の取り合いは美談となるだろう。伝承の予言に有る「世界が求めし英雄」というのは、まさに彼のことなのかもしれない。
世界が求めている英雄といった表現は全くもって正しい。彼の下に集いし屈強なる戦士たちは血判を交わし、全霊で果てる覚悟を決めている。このままの戦況では敗走は必至、連合を退けるのは、並大抵の事ではない。
しかし連合が大陸を統一してどうする。若獅子に賛同する十の部族長たちに、野心が無いわけがないだろう。他部族を蹴落としたあとは身内での争いだ。自らの取り分を確保する保守的な奴もいれば、十まで減った他部族を取り込もうとする奴もいるはずだ。
連合も一枚岩ではない。若獅子の英雄譚の裏には、各部族の水面下での争いが始まっている。そう、奴らは既に勝者の気分でいる。その前哨戦として、我が帝国を三倍近くの圧倒的な戦力差で、殲滅しようとしている。
戦況は絶望的だ。事実、我が帝国は他部族の包囲網で消耗し、劣勢となっている。戦線は後退し、国境を超えられてしまっている。背水の陣を敷いてこの戦いに臨んでいるのだ。
そう、絶望的だ。しかし、この状況にもかかわらず、あの若獅子が私に挑んでくるという事実に、心が静かに疼いていた。まるで火を入れたるつぼの中で、熱く溶けた鉄のように野心が滾る。
乾かず湿らず、舌の上でざらついた砂の味に懐かしい死闘の記憶が蘇る。
かつて共に戦い、憧れた一人の戦士に思いを馳せた。もうその顔は記憶の中から掠れてしまっていて少し寂しくなるが、共に歩んだ景色はすぐに思い出せた。
馬の乗り方も、隊の進め方も、戦略の立て方も、人の殺し方も彼から学んだ。共に戦い、理想を語り合い、そして対立した。
その時から私は独りだったのだと知った。人を統べる、国を統べる、大陸を統べることこそが戦乱を消す唯一無二の方法だと疑わなかった、私に初めて立ちはだかった宿敵こそ彼だった。
私は彼を、自らの手で刺し貫いた。敗走に追い込み、籠城を強いて包囲し消耗させた。その城から現れた痩せこけた彼を、憧れていた頃からは想像できないほどに弱り切った彼を、私はこの剣で刺し貫いた。
その感触は今でも思いだせる。彼から教わった急所の狙い方で、苦しむ暇も与えず絶命させたのだ。
戦いとは侵略である。敗者を従わせる事こそ勝者の証であり、そして勝者は常に一人である。
大陸統一は間近に見えている。強大な敵を切り伏せ続けてきた最後に、立ちはだかった挑戦者を迎える。この戦いを凌ぐのは難しい。故に、ここで戦況を覆す。
かつて憧れを刺し貫いた同じ戦場で若獅子を蹂躙する。我が侵略の集結に相応しい舞台だ。勝利をくれてやる気など毛頭ない。
この手で獅子を縊り殺す。その瞬間を待ちわびているが故に、私は疼いているのだ。
さあ来るがいい。
恐れることなく立ち向かうがいい。
我の名は宿敵。大陸を掌握する赤き焔の竜である。
固き結束であれば粉々にするまで。その誇りも地に貶め泥塗にするまで。若き勇猛さも凄惨なる処刑で絶望させるまで。
たまらず暗い笑いが漏れ出す。そうして風も荒れだす。ああ、あの時もこの風が吹いていた。伝承では不吉さを表す、湿り気を帯びた東風。
では英雄殺しを始めよう。飢えも乾きも十二分だ。若獅子の敗北は、どれ程甘美な味わいをもっているだろうか。