異世界召喚されたけど
見上げるような巨大な槍が草木も生えぬ荒れた丘に突き立っていた。辺りには吐き気を催すほどの血と腐臭が充満し、黒く淀んだ靄が漂っている。
巨大な槍は、血にまみれた白銀の鎧を身にまとう男の鎖骨下から股までを貫いていた。男の右手には剣が、左手には盾が握られたままであり、驚くことにその状態で生きているらしい。男が、不定期に身動ぎし、その都度苦痛に顔を歪める。
「痛そうだな」
俺は丘の上に立ち、槍で貫かれた男の前にいた。血が流れ続けているが、どうやら俺は死んでもいないのに半透明で、それに触れても汚れたりしないようだ。臭いはかなり酷いが、触りたくないので不幸中の幸いである。
《ああ、死ぬほど痛いね。出来れば助けて貰えると有り難いんだが》
貫かれた男が、眉間に皺を寄せつつ眉を下げて、焦点の合わない目付きで答えた。唇は動いていない。その声は、脳内で響いた。テレパシーというやつだろうか。その語尾に反響がかかるのに気持ち悪さを感じて、俺は顔をしかめた。
「そう言われても生まれてこの方、力仕事と暴力沙汰に縁がない。俺にはこんな大きな槍なんか抜けないし、抜いたらそれこそ死ぬだろう?」
そんなの恐いし、気持ち悪い。ゲーム以外の血なんて見たことないんだ。生の死体──それも自分の目の前で生成されたもの──なんて直視したら、うっかり吐くかもしれない。
《ああ、大丈夫だ。こう見えても僕は頑丈な質でね。ちょっとやそっとじゃ死なないんだ。いわゆる不老不死ってやつだ》
「へえ、そりゃ難儀だな。この状態で放置されても死ねないのか」
あまり羨ましくない体質である。俺は早死にはしたくない。心穏やかに病院か畳の上で、老衰で死にたい。
《そうだね。ただ、この状態では何もできなくて困っている。この槍に貫かれている間ずっと、体力と魔力を吸収され続けていてね、三百年ほど掛けてようやく君を喚ぶことに成功した。さすがの僕も気が狂うかと思ったよ》
「そこまで我慢できたなら、一生このままでも問題ないんじゃないか?」
ちょっぴり本気でそう思う。
《冗談はやめてくれ。兜のせいでわからないかもしれないが、僕も元は君と同じ日本人なんだ。さすがに何の希望もなくこんな場所で串刺しにされ続けるメンタルは持ち合わせてないよ》
「へえ、とてもそうは見えないね」
時折ピクピク動くのを除けば、平気そうだ。なんかゲームのイベント?とかでありそうだよな、こんなシーン。レーティング規制で十五禁か十八禁になりそうだが。
《そういう君こそどうなんだい? 確かに僕は何事にも動じず、冷静沈着に対応できる人物を求めたが、ちょっと動じ無さすぎじゃないか?》
「そんなこと言われても困るな。だいたいこれは俺の夢だろう? 夢の中でまで非難されるほどマゾではないつもりなんだが」
罵倒されるのがご褒美だという心境には、なれそうにない。しかも見た目同年代くらいの男にされたら、温厚かつ荒事苦手な平和主義の俺だって、マジ切れするかもしれない。三分くらい。
《確かにこれは君の夢だが、同時に僕の夢でもある。僕が君を喚び寄せ、こちらに繋いだ。次に君が目覚めた時は異世界だ》
「何? 異世界トリップってやつか。じゃあ、何かチートとか特典とか能力とかアイテムとか貰えるのか?」
そうだとちょっと嬉しいかも。……いや、ないか。だってなぁ、この風景を見る限り、あまり期待できないし。
《そんなものないに決まってるじゃないか、神様でもあるまいし》
「なんだと? なら、お前を助けるメリットはなんだよ」
これは酷い。現実でこんな俺々詐欺電話(メールでも可)が来たら、さすがの俺もブチ切れる。世の中、持ちつ持たれつ。互いにWinWinな関係でなければ、長続きしないものである。
だいたい初対面のやつに切り出す話ではない。
《助けてくれたら、元の世界へ戻してあげるよ。この世界でそれが出来るのは僕だけだからね》
「ちっ、問答無用で呼び出して勝手なことを。だいたいどうやって助けろって言うんだ」
こっちは望んでないのに、恩着せがましくて偉そうに。至極迷惑な話である。常々迷惑メールを送りつける業者は全て死ね、と思っていたが、こいつに関しては、のたうち回って七転八倒した挙げ句に地獄の釜で煮られて欲しいレベルである。
ああ、もっと臓腑をえぐられるような表現力と、どんな剛胆・鈍感な人間も心胆寒からしめる発想力が欲しい。死ねば良いのに、この野郎。
《これは夢だから、僕が君に触れられないように、君も僕に触れられない。だから、この場所に来て槍を抜いて欲しい》
「どうやって?」
《この槍を抜くのに必要なのは力じゃない。抜こうとする意思とイメージ、それに魔力だ》
「魔力? そんなものないぞ」
《大丈夫。こちらに来たからには血管の中に魔力が流れているのは間違いない。必要な魔力量を持った人物を召喚したからね。
試しに指先に全身の血を集めて水が滴り落ちるイメージを想像して「ラウナ」と唱えてくれ》
「ラウナ?」
《ほら、イメージして》
彼は半信半疑ながら、滴り落ちる水を想像しながら、自分の全身に流れるものを意識する。
「集めるったってそんなのどう考えても無理だよなぁ」
《魔力はある。疑いを持つな。全身を流れる暖かいもの、それを右人差し指に集めて、それを水に変換するんだ。君ならできる》
「……ラウナ」
彼は半ばやけくそ気味に呟いた。その途端、右人差し指が眩く光り、ポタッと水が一滴落ちた。
《ほら、できた》
「……ショボくないか?」
相手を咎めるように不満を口にした彼に、男が苦笑するような声で返した。
《それは君のせいだろう。イメージが足りないか、魔力の集中が足りないか、どちらかが原因だ。
真面目にやれば、砂漠に大雨を降らすことだってできる魔力を持っているのに》
「砂漠に雨を、ねぇ。地球でそれが自由にできたら大騒ぎになりそうだな」
《残念ながら、地球の魔力量じゃちょっと厳しいね。あっちで魔法を使う場合、効果が減衰するからね。ほら、気圧が低い場所で酸素詰めたボンベのコックを緩めると、勢い良く噴出するだろう?》
「気圧が低くなくてもボンベのコックを緩めたら、中の気体は噴出するだろ」
《そうだね。まぁ、こっちで使う以上の魔力量が必要だと考えてくれ。こちらで1日3回砂漠で雨を降らせられるなら、あちらで1.5回分くらいだ。そんなことより本題だ》
彼は視線を目の前の串刺し男に戻す。相変わらず目は焦点が合っていないし、唇は閉じたままで、時折ピクリと動く様が、テーマパークのホラーハウスにあるリアルな人形のようで、気持ち悪い。
《ここは三百年以上前に魔王軍との戦闘が行われた戦場跡。少なくとも三百年間、人も魔物も訪れない不毛の地。かつてはエタル王国と魔の領域の間にあった『レムラーグの森』と呼ばれた所だ。
見ての通り、今は木の一本も生えていないから地名は変わっているだろう。君の召喚場所はエタル王国の王都、そのほぼ中央にあるエルラニス神殿になる。そこから西へ向かえば、ここに来られるはずだ》
「はず、ねぇ?」
《仕方ないだろう? 僕はここで、この忌々しい大槍に貫かれたまま動けないんだ。来る時は飛竜に乗ってざっと一時間だったけど、徒歩なら一ヶ月以上かかるだろう。
王都が無事で、神殿が神官達によって管理されているなら、三百年前の勇者『有原隆』を救うために『神の庭』より来たと告げれば、援助・支援を受けられるだろう。でなければ、同様に王族にすがるか。
最悪、いずれも頼れないようなら、神殿の左斜め前にある僕の屋敷の庭の桜っぽい木の近くに、金のメダリオンを埋めてあるから、それを売れば多少の資金になるはずだ。近くにポチの墓と刻んだ石の墓標がある》
「それ、副葬品じゃないのか?」
《ああ、裏に僕の名とポチの名前が刻まれているが気にするな。革製の首輪だったから、首輪はもう残ってないんじゃないか。付いていても外せば問題ない》
「……豪勢な首輪だな」
《ああ。ポチは本当に愛らしい秋田犬でね。僕が王都を出る直前に、魔族の襲撃によって殺されたんだ。僕がそばにいれば、守ってあげられたのに》
「どのみち犬は三百年も生きられないだろ?」
《……そうだな。きっと僕の家族も全員死んでいるのだろうな》
ここで情に訴えかけるつもりか? だが、既に手遅れだ。
「嫌だと言ったら?」
《君に拒否権はない》
そうだと思った。マジでひどい。……視界が暗くなり、フッと身体が浮き上がるような感覚と共に、俺は意識を失った。
強制執行とか、本当、死ねば良いのに。
◇◇◇◇◇
腰が痺れたみたいに痛い。地面が固くてひんやりしている。石のように固い土だ。何故、こんな場所に寝ているのだろう。
起き上がると、見渡す限り血のような赤い乾いた大地が広がり、砂埃が舞っている。草木も生えぬ不毛の地、という言葉が脳裏に浮かぶ。
よく見ると、俺がいるのは窪地、いや巨大なクレーターの中央だ。空から大きな隕石でも落ちてきたというのだろうか。ここが万一人の住む街ならば、甚大な被害が出ていただろう。山や森林ならば大火災が起きていたかもしれない。いずれにせよ未曾有の大災害だ。
無人、不毛のこの地だったのは幸いだろう。
しかし、何故、俺はここにいる? どうやら俺は前後の記憶をなくしているようだ。俺の名前と年齢は不明。ここがどこか、たぶん旧『レムラーグの森』の東、かつてエタル王国と呼ばれた国の王都跡地、そのほぼ中央にあるエルラニス神殿だった場所。ここから一番近い人の住む場所、たぶん東。
自分自身のことはわからないのに、中途半端な記憶というか知識はあるようだ。
「さて、どうしたものかな」
まぁ、とりあえず東に向かうしかないだろう。西へ行け、と言われたような気がするが、現状では無理だ。現在の服装は、Tシャツにジーンズ、それにスウェット素材のジャケットと愛用のスニーカー。
スマホも鞄も財布もないし、当然飲食物などもない。着の身着のまま、というやつだ。
「しかもあいつ、魔族の襲撃がどうとか言ってたよな」
俺はゲーム以外では、サバイバルナイフなどの刃物を持っていないし、木刀や鉄パイプなどを持ち歩く習慣もないため、どうしようもない。
ド○クエのケチな王様ですら、旅立ち用の装備やお金をくれるのに、無一文の上所持品もないとか、ふざけた話である。ここでは、木の棒ですら手に入りそうにない。
「金のメダリオン、か」
目印の桜っぽい木どころか、何もない荒野で探すのは、どう考えても無理ゲー過ぎるが、無いよりはマシだろう。なにせ所持品ゼロである。せめて石の墓標とやら残っていれば良いのだが。
ゆっくり起き上がり、周囲を見回すと、数十メートル先に地面に埋まる石みたいなものが見えた。俺が立ち上がった場所の左斜め前方である。
「たぶん、あれだな」
何もない硬い土を素手で掘るのは、かなりキツそうだが、仕方ない。せめて家の鍵でもあれば良かったんだが。そう考えた時、ジーンズのポケットに違和感を覚えた。
「……アパートの鍵だ」
見覚えのあるキーホルダーに繋がった家の鍵が右ポケットに入っていた。しかし、先程までは無かったはずだ。これはおかしい。
「いや、どうせならスコップだろ」
駄目元で言ってみたら、目の前にスコップが現れた。ふむ、と考える。素直に良かった、と手放しに喜ぶ気にはなれない。無いよりはマシだが、怪奇現象とか勘弁して欲しい。
「現金もしくは金目の物が欲しい」
試しに言ってみたが、駄目だった。まあ、この世界に諭吉さんがあっても、無意味だろうが。
「高級腕時計」
何も起きない。まあ、言ってみただけだ。期待はしてない。でも、これは一応言ってみた方が良いだろう。
「大きめのナイフ、護身用」
駄目だった。何なら出るというのだろう。……もしかして。
「目覚まし時計」
目の前に、愛用の目覚まし時計が現れた。最近はスマホのアラームを使っているので、この目覚まし時計は実家の俺の部屋に置きっ放しの筈なのだが。
「そう言えばこのスコップも、実家の物置にあるやつだよな」
チート・特典・能力はないと言われたが、これは一応チートと言っても良いのではなかろうか。地味に便利だ。おそらく、俺が大学へ行くために借りているアパートと、実家にある物であれば召喚できるのだろう。
「発電機とか買って置けば良かったな。そうすれば、スマホやゲーム端末やパソコンなんかの充電も簡単なのに」
ないものは仕方ない。とりあえず、必要そうな物を召喚しておこう。
「ペットボトルのお茶。携帯食料。スナック菓子。自転車。バックパック。スマホ」
目の前の地面に次々に現れる、見覚えのある品々。最初はどうなることかと思ったが、これなら当座はどうにかなるだろう。しかし、武器がない。実家の包丁、では少々心許ない。
せめて肉切り包丁か鉈や斧などがあれば良かったのだが、記憶にある限りそんな物はなかったはずだ。しばらくはスコップを武器代わりに使うしかないだろう。
「……何か他にあれば良かったんだがなぁ」
ないものは仕方ない。気持ちを切り替えて、スコップを握った。石の周辺を掘り返す。残念ながら刻まれたはずの文字は見つからないので、全方位探すしかない。
掘り始めて二十分くらい経過しただろうか。何かの骨と、金色の丸い板もといメダルっぽい物が現れた。
たぶんこれだ。それほど大きさはないのに、地味に重い。こんな物を犬の首輪にするとは、あいつ本当に鬼畜だな。
「さて、人里を探すか」
願わくは近くにあることを祈る。見渡す限り何もない荒野だから、人工物があれば遠くからでもわかるだろう。
太陽の位置を確認し、地面にスコップを突き立て、影の位置を見る。
「東はこっちだな」
あんな野郎の指示には従いたくないが、最終的にはあの不毛の地へ行く事になるんだろうか。
正直、気が進まない。大学の単位落としたくないし、留年もしたくない。
さて、俺は家に帰れるのだろうか。
うっかり書いたチート?もの。
連載にすると、執筆中小説が増えるので短編として掲載する事にしました。
続きを書いたら、普通の異世界転移・召喚ものと大差ないと思います。
私が書くと老若男女問わずアレな人が出て、萌えキャラとか魅力的なヒロインとかハーレムとかは期待できなさげですが。
あとおっさん率高そう。