2-1 環状線
腹に響く振動が段々と大きくなる。
耳を打つ音量が、徐々に上がっていく。
垂れ下がっていた第三肢に力を込めた。六本の指が開き、がっきと床の鋼材を掴む。
それにもたれかかるようにしながらも、歩行肢でも踏ん張った。
男衆はともかく、わたしは第三肢だけで体を支えきる事ができない。
体だけなら軽いのだけれど、抱えてる牽銃があまりに重くて、振り回されてしまう。
音がさらに迫ってきた。
振動が体中を震わせ始めた。この世界そのものが震えているかのようだ。
びょうびょうと空間を切り裂いて、そいつはやってくる。
この振動からすると、あと数呼吸というところか……。
そう考えながら、前に立つ男衆の広い背中を見渡した。
わたしが最後尾だから、皆の姿が見て取れる。村中の撃ち手が総出で、それぞれに鋼材にしがみつきながら、同じ一点を見据えている。
『それ』を待ちながら。
女衆はわたしとアオ、ザイカの合わせて三人だけ。
小型の牽銃が三つしかないのだ。
女衆と比べると、男衆は背中も第三肢も立派で大きい。村長のドロの背なんて、わたしの倍もあるのではなかろうか。
そんな巨躯が二十も並んでいる様は、壮観と言える。
村の外にあるものと言えば、錆びた鋼材と、灰色の空、鋼材の合間を走るかさかさいうケモノたちだけ。
だから、わたしたちの色とりどりの肌は、そのなかでかなり目立つ。
これらの肌も、死ねば色が褪せる。
灰色は死の色だ。
世界は死に満ちている。
だけど、新しい色を世界にもたらすモノもある。
食料を、燃料を、衣服の原料をもたらす、神の贈り物。
世界を支える大回転体。
「来るっ」
ドロが叫んだ。
振動がさらにさらに激しくなっている。世界そのものが目に見えて揺れ始めた。
空気が壁のように固くなって、わたしたちにぶちあたってくる。
『世界』への侵入者がくれる贈り物の一つ、新鮮な空気。
けれど、いまは、それもわたしたちを巻き上げて吹き飛ばそうとする嵐になっている。
第三肢に力を込める。
風にふきあげられた頭髪が耳の脇の皮殻にからまった。
そして、それは来た。
ちっぽけな点のようだった黒い鼻面が、見る間に圧倒的なほどの巨大さとなり、わたしはぎゅうと牽銃の銃爪を絞る腕に力を込めた。
もはや本能のようになっている。龍を見れば、わたしの腕はあがるのだ。
気づいた時には既に先頭は行き過ぎている。けれど、あわてる事はない。
わたしたちが狙うのは、龍の本体ではないのだから。
轟々と地をゆるがし、その巨体を引きずりながら、それは走り続ける。
わたしたちの体を十並べても足りないくらいの大きさの、円筒のような体。どこまでもどこまでもつながるその体が、眼にも留まらぬ速度でわたしたちの前を通りすぎていく。
もはや、先頭はどこへ行ったかもわからない。
いいや、そんな事を考える暇すらない。
円筒の体にぼこぼこと、あばたのように箱や組織がはりついている。体そのものには歯がたたなくても、あれを弾き落とすには、この牽銃で十分。
さあ、狩りの時間だ。
†
私はゆるやかに覚醒する意識の中で、二つの自我の狭間を漂っていた。
本来の自我とそれに接続された諸意識が覚醒を促すのが、少しうっとうしい。
その意識はあまりに煩雑な事柄に悩まされてるような気がしたのだ。
百の頭を持った因果の蛇がその意識を中心に輪舞を踊っている……。
それでも戻らずにはいられない。
強力なシグナルに惹かれて、私の意識は、世界へと復帰する……。
一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。
さっきまで見えていた灰色の世界はそこにない。
あるのは、深淵の闇と、それを大きく横切る光の帯。竜のような、雷のようなその輝きは、その向こうに見える星々をも圧するほど。
けれど、それでもなお闇は深く、そこに広がる空間の広大さはさらに圧倒的だった。
私は宇宙に放り出されたような錯覚を覚え、本能的に体中を緊張させる。
「大丈夫か」
感じる気配に見上げると、間近にシュアの顔があった。額に私の首筋から伸びたコードがつながっている。
ああ、ここは、アレクサンドリアのメインルームだ。
そして、私はエイダ・リィプル――情報商人。
ん、とうなずいて、彼の体を掴んで半身を起き上がらせる。
有線でつながり合ってるけれど、伸縮性の高いケーブルだから、隣り合って動き回るくらいなら支障はない。
二人して、なんだか疲れたため息をつき、純白のソファに並んで座って、しばしぼんやり。
シュアまで疲れてるのは珍しいが、今回は彼も慣れないバックアップ作業に神経をつかったのだろう。
しばらくすると、コードを通じて、彼の意識が私の識覚に軽く触れてきた。
「どうだ、シンクロはうまくいったか」
「ええ、なんとかね」
遠く離れたところから、ある特定の人物の思考に干渉する方法は古くから研究されている。
意識というものが電気的化学的な刺激から構成されている以上、そのすべての構造が解明されずとも、付け入るすきはある。
ただ、本格的に相手の思考の操作を行おうとすれば大がかりな装置を必要とするし、何よりどこの星でもこれだけは重犯罪だ。
だから、私は相手の精神にのっかって、その思考を読ませてもらうことしかしない。
それだって、普段はしないのだけれど。
「やっぱり異質な精神だわ。なんとか翻訳してるけど、こちらから情報を埋め込むなんてなかなか……」
「難しいだろうな。変な脳波出しっぱなしだったからな」
うーん、と腕を組むシュア。
本来、彼の役目は私を守ることであって、こんなバックアップは専門外だ。
広義には、これも私を守ることなのだけれど、組んでからまだそう経ってないのに、慣れない作業を要求するのは申し訳なかった。
私たちは揃って、壁面に映る外の風景を眺めやった。
巨大にのたくる光の帯。
全長一万由旬にも及ぶその姿を。
†
ケチのつき初めは、この軌道光輪に寄ってしまった事そのものにある。
惑星ミグスの周りを囲む軌道光輪、通称『カニンガムの竜』は幅百由旬、その円周、一万由旬になんなんとする巨大構造物だ。
一由旬が一クシャナ――セシウム133が二百五十万回振動する間――に光が進む距離だから、カニンガムの竜を光が一周するとしたら、それは人間が充分に意識できるだけの時間を要することとなる。
しかも、その軌道光輪は、いずれ惑星ミグスとその三つの衛星すべてを内側に収めたダイソン球殻となるよう設計された、その基礎部分でしかなかった。
星国崩壊に伴い計画は消滅したものの、計画頓挫以前すでに数十年の運用を経て、人口数十億を抱える小世界となった軌道光輪は、星国崩壊後の混乱をくぐりぬけ今日まで命を永らえている。
本来の目的地は、カニンガムの竜ではなく、そのあぎとに捕らえられている惑星ミグスにあった。
ミグスは空想識技術の発達した情報産業国家で、技術そのものと同時に、それがもたらす大規模な識空間をサービスとして提供している。
少し前の仕事で、ミスをした私は、その折りにいろいろなプログラムや情報機器を消費してしまった。
ミグスに立ち寄ろうとしたのは、それらを補充すると同時に、現在持つ情報を売りさばき、あるいは新たな商売の種を探すためでもあった。
一方、カニンガムの竜は、その規模はかなりの見物ではあるが、大規模が故のさまざまな問題のために徐々に衰退していこうとしている。
いわば、陸に打ち上げられた海獣のようなもので、特に見るべきものはなかった。
けれど、駆け出しの頃、この施設の取材でいろいろ稼がせてもらったことを思い出して、その頃便宜を図って貰った勢力――直接の相手はほとんど死去していたが――と接触を持ったのが運の尽き。
その勢力に頼み込まれて、仕事を背負いこんでしまった。少し興味深かったのもたしかだが、やっかいでもある。
しかめっ面になりながら、通路を歩く。今回の依頼人の所へ、経過報告へと向かっているのだ。
シュアが私の横――正確には、ちょうど半歩だけ斜め前――を歩きながら物珍しげにあたりを見ている。
訓練のたまものなのか、視線を動かさないでも広い視野を誇る彼は、きちんと私のことを気にかけながらも、周囲を観察するだけの余裕があるようだった。
「古めかしいつくりでしょ」
トンネルのような通路。
なめらかな金属のような、それでいて流体のような壁面に囲まれながら、私たちは歩く。
重力は満遍なくどの方向からもきていて、それでいて十分に小さい。蹴り出せば、円筒の中を飛んで進めるだろう。
星国期の建築の特徴は、円であり球だ。
つまり、どちらの方向もメインとしない。
もちろん宇宙空間ではその様式も非常に理屈の通るものではあるのだが、現在では、宇宙に出ても地上と同じくしっかりとした上下左右を作り出すのが通例となっている。
「こういうのも俺は好きだよ」
にこりと笑う。私も笑顔で応える。
暗かった気持ちが少しだけ重みを減じた。
円筒は時折枝分かれしながら、延々と続く。
この間来た時と、少し印象が違うな、と思って書庫に記録した映像記憶にアクセスしたら、やはり、いろいろ改築されている。
何かあったのかと首をひねったところで、私は苦笑いを浮かべた。
私の記憶では十年ほど前に訪れたこの場所は、しかし、この時間軸の中ではすでに百年を経過しているのだ。
積もった時の中で、印象が変わるのは当然のことだ。
感傷的になってるなあ。
自分で思って、少しだけ驚く。
これまでにも何度も遭遇している事態だけれど、これまでとは微妙に感じ方が違う。
ちらとシュアを横目で見て、肩をすくめた。
「ん?」
「なんでもない」
それだけ言って、これは変わらない円形の大扉の前に立つ。
認証コードを発信すると、音も立てず、扉自体が壁の中に吸い込まれていった。
部屋に入れば、球形の空間のあちこちに、幾人かの人々が浮かんでいる。通路より低重力――ほぼ無重力なその場所に、私たち二人もふわふわ浮かび上がっていった。
経過報告とはいえ、直接顔を合わせるのは、これが初めてなので、目が合う人々に軽く会釈した。
「ようこそエイダ」
声をかけてきたのは、壮年の男だった。その額にある二つの瘤のような器官が目をひく。
あれ、この人見覚えが……。
私の怪訝そうな顔に破顔して、彼はひさしぶりだと付け加えた。
その時、ほんの一瞬だが、微妙に体の輪郭がぶれた。
立体映像というわけだ。
「あなた、Ωだったの?」
空想識空間にその存在の根拠を持つ者たちを、物理空間の生命と区別するためにΩと呼ぶ事がある。
この宙域もそう呼ぶ文化圏の中にあった。
「以前はαだったのだよ」
Ωたちは、物理存在をαと呼ぶ。
以前は差別的な意味合いはなかったのだけれど、彼がそう発した途端に部屋の中の幾人かが顔をしかめたところを見ると、ここ最近、侮蔑的な色が付け加えられたのかもしれない。
だが、彼がリーダー格らしく、他の誰もそれに表立って何かを言おうとはしなかった。
この地域では平均寿命が百五十そこそこだから、百年も職務に就いている人間に文句を言える者はそうそういないのだろう。
「仕事のほうはどうだね?」
尋ねられた声に渋い顔をして、とりあえずの経過報告のデータチップを彼のほうへほうりなげる。
物理実体はないはずだが、飛んでいく小片は、彼の手にしっかりと納まった。
立体映像を投射している粒子の濃度を変えたか、電磁位相を調節したのだろう。
まあ、予想の範囲内だ。
ただし、そのまま、ぱっくりとその小片を口の中に放り込んでしまったのは、さすがに私も想定外だった。
もぐもぐと咀嚼するまねをしてるのは、おそらく、データを吟味しているのだろうが……。
Ωになる際に転写ミスでもしたんではなかろうか、この人は。
たとえばセンスとか、常識とかを。
部屋の中を漂っていた人々がわらわらと彼の周りに集まって、体の一部に手を伸ばす。
接触することで情報共有を行っているのだ。
主惑星のミグスが、カニンガムの竜内部まで到達する発達した識空間を持っているせいで、軌道光輪内では、有線での通信が主流となっているのは皮肉な成り行きと言えた。
「対象の存在は確認したものの、その対策はまだ、というところですね」
人々が揃ってうなずく。
数えてみたら、八人いた。
Ωと同じく瘤をもっているのが三人、あとは、それぞれに違う格好をしている。中には、四足歩行だろうという格好のものもあった。
なにしろ、この光輪の中は広い。
百あまりのセクションに分かれたそれぞれに、小国家とも言える共同体が存在する。
中には実に特異な進化を遂げている種族もいるのだ。
ほとんどは、自分たちでの改造だから、はたして進化と呼べるかどうかは論がわかれるけれども。
「我々も彼らの存在自体は認識していた。これでは、なにも進んでいないではないか」
その、四足獣のようなやつが、きびしい声を投げかけてきた。
言う通りなので、私は何も言い返さない。
「まあ、待て。彼女に依頼してから、一サイクルも経ってはいない。ここで評価を下すのは、あまりに拙速に過ぎよう」
爬虫類の目を持った女がとりなすように口を挟んだ。
四足獣が、ぐるうと唸り声を上げる。
「確かに、そうかもしれん。……期日までに仕上げてくれれば、我々は文句はない」
また別の一人が言うと、ほとんどの者が賛同するように軽くうなずいた。
「見通しは立ちそうかね?」
「当初の予定通り、彼らの意識にシンクロし、穏便に他セクションに移動してもらうつもりです」
「この報告の通りだとすると、なかなか簡単に導けそうにはないが?」
「みなさんはたやすい仕事を私に期待しておられたわけですか?」
一つ肩をすくめてみる。
幾人かは渋面を作り、幾人かは面白そうに笑った。
Ωは、皮肉げに口の端をゆがめていた。
「確かに確かに。自らではできぬと判断し、情報商人どのにお願いしたのは我等だ。いまは彼女に任せようではないか、諸君」
Ugurugugu。
獣型が、また不満げにうなるが、誰もそれに構わない。
少々かわいそうかもしれない。彼――彼女かな?――は彼なりの意見を口にしていただけだろうに。
「ミグスの戦争狂どもに弱みを見せるよりは得策でしょうな」
嘲りの笑いが部屋に満ちる。惑星に対する敵意は、光輪内では隠す必要もない。
私も、唇をゆがめた。
ただし、ミグスに向けてではないけれど。
「我々、鉄道管理委員会は、君に期待しているよ、エイダ君」
彼らはそうやって話を打ち切った。