1-4 神の御技
シャーの部屋は上の階にあったから、あたしたちは階をあがるまでに十人ほどの『毛はえ』を気絶させなければならなかった。
あたしだと殺してしまうけれど、将軍は手に持った棒でひょいひょいと昏倒させてしまう。腕の違いに感心してしまった。
敵を倒しながら、あたしは体を洗いたいと思っていた。血がこびりついて毛がばりばりになってしまう。
シャーの部屋の前にいた三人を叩きのめして扉を開けたとたん、ものすごい叫び声と共に爪が飛んできた。
あたしは慌てて将軍を後ろに引き倒す。
「止めなさいっ!」
『禁じられた言葉』で禁止の唸りをあげ、シャーの体全体を部屋の中へと蹴り戻した。
「あうっ」
どすんとしりもちをついたシャーが、ちょっと間の抜けた声をあげる。後ろでおろおろしているのは、皇子様だろうか。
やれやれと苦笑しながら立ち上がった将軍といっしょに部屋に入り込み、扉をしっかり閉めると、ようやく落ち着くことができた。
あまりの興奮状態にあったあたしは、とりあえずシャーナたちの顔を見たことで、その場でへたりこんでしまう。
「あ、あう、ミー姉。ごめんなの」
シャーナも血に汚れていた。
たぶん、暴れまくって、女将さんを諦めさせたのだろう。
皇子の正体について知られてなかったのは幸いだった。そうでなかったら、閉じ込めて満足するはずもない。
「シャーナ。お風呂入らない?」
あたしたちは話し込んでいる将軍と皇子様をおいといて、お湯を浴びる事にした。
二人の話し声は風呂にいても聞こえてくるし、とにかく血まみれでどこにいくわけにもいかない。
……いや、いまに限っては血まみれのほうがいいのかもしれない。
でも、あんまり気持ちいいものじゃない。
「それで、どうします、皇子。ここにおられてもなにも動きません」
「……その前に勝算はどのくらいだ」
「規模によりますな。地方反乱にとどまるのなら、王都を捨てて夏都に落ち延びられるという手も」
「いかん、王宮を捨てるわけにはいかん」
「しかし、王宮が一番攻められておりましょう。陥落していなくても、どうやって入るか。それよりは郊外の駐屯地にでも……」
「しかし……」
あたしたちはそんな声を聞きながら、湯浴みした。
闘争に火照った肌の上を清冽な湯が流れ、水滴が毛の間で遊ぶようにして床に落ちていく。
女将さんはどこに行ったんだろう。
彼女を捕まえたら、なんとか逃げ出せるかしらん。
シャーナは一言も喋ろうとしなかった。必死で考えているのだろう。
あたしたちは、お互いに何度か視線を交わしては、けれど何一つ言葉を交わすことなく、体を洗い、乾かした。
浴室から出ても、二人はまだ話し込んでいた。
「どうしましゅ?」
あたしは二人に尋ねた。
それで腹を決めたらしい皇子が立ち上がる。
ほっそりしてるけど、いい男だな、とあたしは思った。
彼は皆を見まわすと、こう告げた。
「王宮に行く」
将軍は何か考えているようだった。
あたしたちを見、そして皇子を見やった。
「街は彼らであふれてる。シャー、すまんがいっしょに来てくれるか。おれと皇子じゃあ辿り着くまでに百人ばかし殺さなきゃならん」
こくん、と頷くシャー。
女将さんに歯向かった以上、もうついていくしかないと決めているのだろう。
こういうときの覚悟は、女のほうが早い。どうせ、あたしたちには護るべきものなどもはやないのだ。
「あにょ、あたしは?」
「ん?……いっしょに来てくれるんだろう?」
さも当然のように言う将軍の首っ玉にかじりつきたいのをようよう我慢して、あたしはシャーと同じように頷いた。
部屋から持ってきた腹帯に、短剣を二本ずつ十字に交差させ、八本突き刺す。
シャーも同じようにした。
『毛はえ』の正装だが、あたしたち世代ではこんな格好をしたことがある『毛はえ』はほとんどいないだろう。
今日までは。
「物騒だな」
「他の娘たちも……この街にいる人間は全員こうしてると思いましゅ」
シャーはすまなさそうにそう呟いた。
あたしはその間に窓から下を眺める。
暴動はさらに激化しているらしい。裏通りにはもはや、死体と血しかない。
皆、表通りに流れたのだろう。
「……物騒だな」
あたしたちは、連れ立って宿を出た。
†
『毛はえ』に出会ったときは皇子たちを捕虜ということにして、逆に『のっぺら』にはあたしたちを捕虜だと伝えると取り決めて、あたしたちは進んだ。
けれど、ほとんどそれは意味をなさなかった。
たいていの群衆はただただ殺戮の嵐に狂って、あたしたちを見向きもしなかったのだ。
とち狂った連中が問答無用で襲いかかってきたが、皇子以外は戦士だ。冷静に対処すればはねのけられた。
「他の将軍ども、何やってやがるかね」
あせった様子で静虎将軍が呟いたのもむべなるかな。
『のっぺら』の兵士たちに統率は全く見られなかったし、なにより堂々と抵抗している者すらみかけられなかった。
どこからわいて出てきたのだろうと思うほどの『毛はえ』が、街中にあふれかえり、持てる爪と牙を使って『のっぺら』を切り裂き、すりつぶし、刻むのにおおわらわだ。
この街にいた男たちだけじゃない、とあたしは感じた。
神殿で身を任せた男たちはもちろん、この街の周辺にいた男たちなら、たいていの顔はわかるのに、そうでないのがたくさんいる。
さらに言うと、ここいらで活動してるのは集団行動からはみ出た連中だろう。
司祭やその手下が率いる男たちはさらに苛烈に王宮を攻めているに違いない。
はぐれ者は、街を荒らさせるのにちょうどいいと判断したのかもしれない。
「こりゃあ、きついな」
同じことを将軍も考えていたらしい。
街の中心部に向かう狂乱した男たちの背中を見つめて、彼は棒をこつこつと何度かついた。
横から襲いかかってきたひとりの男を、その棒をくるりと回転させるだけで地面に叩き伏せる。
「王宮へは行けないのか?」
皇子が切迫した口調でそう訊いてくる。
彼にとっては親族が籠もる場所であり、さらには、政治的にも責任のある場所なのだから当然だろう。
あたしたちは、暗闇にさらに黒い影を落とすその巨大な建造物を揃って見上げた。
炎がその闇を彩っている。
焼き固められた煉瓦でできた家は焼けていないけれど、屋根やそのほかのものは燃えて、街のあちらこちらにさらに延焼しはじめている。
あたしは、前からつっこんできた男の顔を爪でずたずたにして、みぞおちに膝蹴り。
「炎の中をつっきるだけの狂気が我々にはありませんからな」
暴徒たちは、逆に喜んで炎に戯れているようだ。
燃える街、燃える『のっぺら』、そして血。
狂気はとどまることなど知らないのだろう。
「群衆に紛れてしまえば、身動きがとれなくなる、それほど人がいないところは炎に侵食されている、か」
皇子は腕組みしながらそう呟く。
横でシャーが、彼に襲いかかろうとする『毛はえ』の首筋を短剣の柄で思いっきりぶん殴っていた。
「よーお、ミー」
どら声があたしたちの横からいきなりかかった。
聞き覚えのある、けれど、こんなところで聞くとは思ってもみなかった声。
「アロじい?」
あたしとシャーは驚いて同時にそう呼んでいた。
男たちも驚いた顔で、燃え盛る辻からひょこひょこ現れた小汚い爺さんを迎えた。
「困ってるみてえじゃねえかあ」
アロじいは相変わらずにこにこ。
こんな状況なのに血も浴びてないし、傷もないようだ。誰かに襲われなかったのだろうか。
それでも、とりあえず、「あい」とだけ応じた。
「逃げるなら、おれが案内しようかあ」
「いや、わたしたちは王宮に……」
「だったら、余計簡単だあ。街中ならすぐだあ」
にやりと笑う。
あたしたちは顔を見合わせた。なんだか苦い顔をしていた将軍が、しかたないと呟いたようだった。
「案内してくれ、爺さん」
そういうことになった。
†
アロじいの言う『ちいっと狭いけど安全な』近道というのは、地下の狭苦しい隧道だった。
人ひとりが立って歩くのもおっくうなくらいの道は、しかし館の地下にあった空間と同じような見知らぬなめらかな物質で出来ていて、どうやらこれも昔々の遺跡の一つのようだった。
「こいつをなあ、いつも使っていろんなところに行ってるのよお」
アロじいは相変わらず上機嫌で、少しお酒でもはいってるのかと思わせるほどだ。
「ご機嫌だな」
「まあなあ、わくわくするじゃないか」
「不謹慎なことだ」
将軍とアロじいは、そんな風に軽口を叩き合う。
この二人、元々知り合いだったのかな?
そう思わせるくらいの息の合い方だった。
「それで、王宮まではどれくらいなんだ」
皇子がいらついた声で聞く。
二人みたいに、のんきにしゃべりながら歩く気にはなれないのだろう。
暗いところが苦手なのか、あちこちで頭をぶつけてるせいもあるかもしれないけど。
「もうついとるよ」
アロじいは、けろりとした調子で答えた。
「外壁部分はもう通りすぎちまった。内殿につながる出口が、もちっと行ったとこにあるんだあ」
そういうものなのか。
あたしは見えやしないのに、上を見上げてしまう。
見るとシャーナもぼんやり上を見上げて、ちょっとおかしかった。
「それとも、正門から颯爽と登場したかったかね、皇子さん」
「いや……。案内してくれ」
「あいよ」
いきなり低くなったり狭くなったりする隧道の中を、アロじいはひょいひょいと進む。
将軍もそれにあわせてひょいひょい。皇子様だけがシャーナに導かれてもよろよろ。
あたしたちはそんな風になりながら、ようやく地上へつながる道へと到達した。
唐突に存在した縦穴の一番上、体を精一杯のばしたら届くくらいの位置に、ふたのようなものがのっかってる。あの向こうが王宮なのだそうだ。
「じゃ、わしは、そろそろ行くよ」
アロじいはそう言うと、隧道をさらに進んで、どこかへ消えてしまった。街から脱出するのだという。
「んじゃあ、行くか」
相変わらず緊張感の無い声で将軍がそう言って、あたしたちは、そのふたをあけ外に出た。
†
「なんだこれは……」
あたしたちは、みな、呆気にとられて、その光景を見渡していた。
いや、全員じゃない。
将軍だけが、小さな舌打ちと共に苦い顔をしている。
でも、そんなこと気にしていられなかった。周りにはあたしが想像もしていなかったものたちが立ち並んでいたのだ。
碧瞳館を何個も重ねても辿り着けないだろうほど高い天井。歩いても何百歩もかかるほど遠い壁。
そんな広がり中に、異様な光景が広がっていた。
子供だ。
『のっぺら』のちっちゃな赤ん坊が、何百も何千も、透明なカプセルのようなものに包まれて、列をなしている。あたしたちの右にも左にも、そのカプセルの列は続き、ゆっくりゆっくりと動いているようだった。
昔、村にいたころ、一度だけ見た光景をあたしは思い出していた。
大きな湖一面に銀色の魚があふれかえり、波のように岸にむけて進んでくる。
岸に打ち上げられた魚は、苦しげにびちびちと飛び上がり、そして力尽きてびっしりと岸を埋めつくすのだ。
数十年に一度起こる、『せーたいけいの異常』なんだそうだ。
「これが毒の魚じゃなければ喰えるのになあ」
ばあちゃんはそう言ったものだった。
すやすやと眠っているらしい赤ん坊たちを眺めながら、増えすぎて死んでいくしかない魚たちを思い出したのはなぜだったろうか。
ずっと向こう、光り輝くように見える壁の中から、一つずつそのカプセルがはきだされているからだろうか。
「これ、にゃに?」
あたしが聞く言葉に、将軍は諦めたように首を振った。
「……『のっぺら』の製造工場だ」
「え?」
「お前たちみたいに母親の胎からでてくるわけじゃないのさ、『のっぺら』は。ここで作られて各地に配給される。王宮が陥ちちまえば、まさしく一巻の終わりだ」
「……え?」
あたしとシャーナは顔を見合わせた。
将軍はぶらぶらと棒を揺らしている。
皇子様は、何か頷いている。
「そうか、巫女の技とはこのようなものであったか」
「おやおや、皇子も知りませんでしたか」
「ああ。いまわかった」
あたしは、カプセルのひとつの前にしゃがみこんだ。
じっと中の『のっぺら』の赤ん坊を見つめる。どこにも毛一つなくて、本当に『のっぺら』だ。
これが、母親からでてくるのではなくて、どうやってか『作られる』のかあ……。
「かわいいね」
同じように近くにしゃがみこんでいたシャーナが呟いた。
「ん」
あたしは頷く。
カプセルが押し出されてくる光景は異様だけれど、カプセル一つ一つを見てみれば、それぞれは、ちっちゃくてかわいい赤ん坊だ。
きっと触れればとっても柔らかいだろう。
「シャーナ」
皇子様はシャーの後ろに立っていた。
あたしは、ちらとそちらを見やり、何気ない風に立ち上がった。
あんまり邪魔をするものではないだろうし。
それでも切れ切れに聞こえてくるのは無視できないから、聞いてしまうけれど。
「あい」
「わたしは、決めたよ」
皇子はそう言って、少しためらった。
「この乱がどう終息するにせよ、わたしはこの事実をみなに公表する。『毛はえ』を馬鹿にし、ケダモノとさげすむのは、わたしたち自身が『神によって直接作られる』と考えていたからだ。しかし、見ろ、この光景を。あれが神か? 違う。神はいなかった。わたしたちは作り物だ」
皇子様は手を広げて、カプセルを指さした。
「わたしはシャーナとふれあって、君たちの温かさを知った。君たちの生き生きとした姿を知った。シャーナ……」
皇子は息を一つつき言った。
「わたしと一緒に来てくれないか」
シャーナは皇子様に背を向けたまま。
「ねえ、皇子様」
「ん?」
「あたしも『のっぺら』の赤ん坊、産めるのかなあ」
硬直する皇子様。
でも、その手は確かにシャーナにさしのべられていて。
「……まずは生き延びよう。試すのはそれからだ」
「あい」
シャーナが立ち上がり、振り向きざま彼の手を取る。
二人は、あたし達のことなんかわすれたように、そのまま歩きはじめた。
しっかりと手をにぎり、二人で前を見据えながら。
あたしは涙ぐんだ。
なんだか、その光景を見て、涙がぽろりぽろりと出てきた。
「さて、おれもそろそろ行くとするか」
「あい」
あたしはにこりと微笑んだ。
なんだかとてもうれしかった。
けれど、それも、腹に棒の一突きを喰らうまでだった。
意識が混濁し、体の感覚がなくなる。
「すまん、ミー。あの丘で、いつかまた逢おう」
あたしは知っていた。
そんないつかは無いことを。
あたしは、真っ白な光の中で目覚めた。『のっぺら』を生み出す壁にもたれた格好で。
光は、壁の内側からやってくるようだった。
あたしはそれをじっと見つめた。
その時、何もかもを理解した。
あたしは……。