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星を待つ丘  作者: 安里優
第1星:『のっぺら』と『毛はえ』の星
3/31

1-1 静虎将軍

 彼方に広がるリイバン樹の梢が、まず一番早く黄色に染まる。

 木々の落とす影が、黒くラティア麦の畑にわだかまり、だんだんと畑そのものも赤く赤く染まっていく。

 草を食む獣たちの蒼い背中が、なんとも言えない朱色に染まるのは、見ていて面白い。

 まるでその背中で誰かが死んで、血がぶちまけられたみたい。


 紅と鬱金の光たちは、外壁を乗り越え、粗末な家や塔や、あたしたちが『でかぶつ』と呼ぶ王宮=神殿に乗り込み、街を蹂躙していく。

 だんだんとこの丘に迫ってくる光の軍勢たちを眺めて、あたしは、こっちこーい、こっちこーい、と手を振ってしまう。

 招き猫みたいだ、と誰かに言われたっけ。


 ……でも、招き猫ってなんだろう?


 街中が征服され、赤く血のような石榴色に染まった頃、ようやく丘の麓に夕暮れは辿り着く。

 あたしは、この丘から眺めるこの風景が大好きだった。



          †



 黄金の色が、緋色に、そして茶から黒に変わって吹く風が涼しくなった頃に、あたしは名残惜しく思いながら腰をあげ、丘から立ち去ることにした。

 自前の毛皮があるからそう寒いわけではないが、これ以上店をあけたら、女将さんがかんかんになる。

 仕事の支度をして、夜を待たなきゃいけない。


 裏門から街の中に入り、小汚い通りを、こそこそと通る。

 『のっぺら』達に見つかったら、いちゃもんをつけられてしまう。

 金まで払ってあたしらを抱きにくるくせに、街中を通れば鼻をつままれるなんて、なんだかおかしな気はする。

 でも、それもしょうがないことなんだろう。

 ……たぶん。


 汚い路地裏を素足で歩くのはちょっと気持ち悪かったけれど、足音を立てないためにはこれが一番いい。

 店に出て、木靴をはけるようになってからもう十年もたつのに、あの硬い靴にはまだぜんぜん慣れやしない。


 不意に、青豚の鳴くような声が道の端でした。

 あたしはびくっと耳を立て、体を丸める。体中の毛が逆立つのがわかった。


 道端に打ち捨てられたゴミの山がうごめきだし、ふらつきながら起き上がると、アロじいになった。

 ほっと息をつく。

 アロじいは、『のっぺら』だけど、あたしたち『毛はえ』にも優しくしてくれる。

 たまたまお金が入って飲みすぎていなければ、だけど。


「おーう。ミーじゃねえかぁ」


 今日はまだ飲んでないみたい。

 ひげもじゃの顔をくしゃくしゃにして、だみ声をはりあげるアロじい。

 『のっぺら』はいくらひげを生やしても、あたしたちみたいに顔中が毛に覆われたりしない。鼻のあたりはまっちろけなままだ。


「あい」


 舌足らずな声。

 『毛はえ』の舌は長すぎて、うまく『のっぺら』たちの言葉を喋れない。

 それが仕事では好評だったりするけれど。


「宿にぃ、帰るの」

「そうかそうか。これから仕事かい」


 わはは、とアロじいが笑う。

 あたしたちの仕事の話をする時、たいていの『のっぺら』はいやらしい顔をする。アロじいはいつも楽しそうに笑っているけど、下卑た感じがしない。

 戦争で、アレふっとばされちゃったせい?


「あい。そろそろ行くの」


 アロじいは、にこにこ笑って道をあけてくれた。

 小走りになったあたしに手を振ってくれる。あたしも一生懸命ふりかえした。


 ちょっと……遅くなっちゃったかも。


 近道しようと決めたあたしは、思い切って少し広い道を横切ることにした。

 ちょっと恐いけど、横切るだけだし……。

 ところが、慌てすぎたのか、道のくぼみに足をとられてしまった。


「ぶみゃ」


 水たまりに転げ込む。

 ……最悪。

 あたしは、体中から泥水を振りまきながら起き上がった。

 濡れた毛が、ぺたぺたする。

 肌を伝った水が、濡れてもつれ合った毛を通って、ぽたぽたと道に落ちていった。


「おい!」


 声が上から降ってくる。野卑などら声。


「あい?」


 泥水をたっぷり含んだ体を持ち上げて、その声の主を見上げる。

 三人の『のっぺら』の男、しかも王国の印をつけた兵士たちが、あたしを取り囲んでいた。


「どうしてくれる、このケダモノ!」


 兵士が、鶯色の軍服をふりたててあたしに迫る。その隅っこに小さな泥はね一つ。

 なんだそんなの、洗えば落ちる、とは言えなかった。


「ご、ごみんなさい」


 あたしは懸命に謝った。

 兵士たちは体格もいいし、武器だって持ってる。

 でも、何よりも、こうして怒られていること自体が怖くてたまらなかった。


 いちゃもんとはいえ、『毛はえ』は簡単に殺される。

 そうしても何の罪にもならないから。


「だいたい、なんで、お前らがこんなとこにいるんだよ!」

「巣穴に帰りやがれ、この雌猫っ」

「あう……」


 頭の中では、言いたい事が渦巻いているのに、なかなかうまくしゃべれない。その事自体にまた焦って、あたしは何も言えなくなる。


「ごみんなさい」


 ようようそれだけ言うと、目を伏せ、じっと男たちのサンダル履きの足を見つめる。

 『のっぺら』は顔だけじゃなくて、足とか他のところにも毛が生えていない。

 見つめる先の足にも、ちらほらと、しかもひょろんとした毛しか生えてない。

 なんでなんだろう……。


「それしか言うことないのか、え?」


 兵士がなぶる様に言う。

 どうしたらいいのだろう。

 土下座でもなんでもするけど、あんまり痛いこととかはいやだなぁ。


「ごみんなさい」


 また言って、頭を地面にこすりつけた。こういうふうに頭を下げると、ぴょんと尻尾が跳ね上がるものだが、今日はさすがに丸めて尻の下。

 重い感覚が頭にのる。

 そのまま踏みにじられた。泥水に顔が埋もれて、息ができない。


「もっときちんと謝るんだよ!」


 そんな声が聞こえるけれど、あたしは苦しくてどうしようもない。手を頭の上にやるけれど、男の足をつかむこともできない。

 じたばたと動くうち、苦しさのあまり泥水を飲み込んで、さらにむせて苦しくなる。

 息ができない。

 息ができない。息。息。息。


 不意に頭の上の力が無くなった。

 げほ、と水を吐く。

 ただただ空気を求めて、口がぱくぱくする。

 鼻からも水が垂れて、べしょべしょと顔中が気持ち悪いけれど、息ができるのはとっても気持ちよかった。


 がつん。

 そんな音がして、また頭が地面に叩きつけられる。

 今度はなんとか泥水から逃げられた。やわらかくなった土にがつん、がつん、がつん。

 イタイ、イタイ、イタイ。


「ほら、もっときちんと頭を下げやがれよ」


 男たちが笑っている。

 イタイ、ワラウ、イタイ、ワラウ、イタイ、ワラウ、イタイ、ワラウ、イタイ、ワラウ、悲鳴。


 ……悲鳴?

 がんがんとぶつかってくる後頭部の痛みが無くなったのに気づき、あたしは顔をあげた。


 男たちは地面の上に大の字に転がっていた。

 あれ?

 ぐたりと倒れた体はぴくりとも動かない。そして、それら三つの体を見下ろすように、一人の男が立っていた。


「大丈夫か?」


 黒い鎧をつけた男は、あたしの顔をのぞきこんで、そう訊いた。あたしは、わけがわからずぽかんとするしかない。


「……大丈夫じゃないみたいだな」


 呟くと、あたしをひょいと担ぎ上げる。

 力を入れたようにも思えないのに、あたしの体は、男の肩に振り分け行李みたいにひっかけられていた。


「誰か、この者の家を知らないか」

「東街の『碧瞳館』でございます、将軍。でも……」


 ぼんやりと、そんな声が聞こえる。

 力がすっかり抜けて、視界もあんまりよくない。ゆさゆさ揺られながら、あたしは地面と男の黒い鎧とを交互に見つめていた。

 なにか大変なことが起きてるような……。


「あ、あにょ」

「ん?」


 優しい声。アロじいみたいに。


「その……えと。あたし、よくわかんないんだ。……ちなう、わかんないです」


 男はしがみつくあたしのお尻を、ぽんぽん、と叩く。


「ん、お前の館に連れて行ってやるからな。大丈夫、俺に任せておけ」

「あにょ、そゆことでは……」


 あたしの弱々しい抗議を、聞き取れなかったのか無視したのか。

 男は、さらに歩を進める。

 あたしはじたばたしながらも、顔をあげた。


「こら、暴れるな」


 男の声も聞かず、あたしは、ほうとため息をついた。

 没しゆく赤い赤い太陽が、空の下半分を埋めつくし、地平線から真っ赤な炎の大群が怒濤のように押し寄せてきていた。

 家々は黒と赤とに染め抜かれ、その輪郭は信じられないくらいくっきりと大気の中に屹立する。


 世界は二色にわけられて、人々は、その中を歩いていく。

 黒に染まり、赤の中にとけこみ、また黒に。

 あたしは、その光景がなんとも言えず、うれしくて、哀しくて、楽しくて。


 涙が一粒、頬に流れた。


 そんなふうにあたしが自失しているうちに、男はどんどん進んでいたらしい。

 見慣れた町並みへと入り込んでいく。


「ここか?」


 男は派手派手しい建物の前で立ち止まった。あたしたちの仕事場兼住居、碧瞳館。


「あい」


 まだだれも外で客をひいていない。

 今頃、みんな毛並みや爪の手入れにおおわらわだろう。

 一階の飲み屋にも客ははいってなさそうだ。彼らがいれば、酔った先から部屋に引きずり込もうとする女たちで溢れているはずだから。


 彼はずぶ濡れのままのあたしを下ろし、木の扉をノックした。

 この扉も、気取った客の中には、粗末だなどというやつもいるが、あたしには立派に見える。そもそも、村では扉なんかつけられないような家のほうが大半だったのだ。


 あたしはあらためて男を見つめた。真っ黒な鎧。

 がっしりとしているわけではないが、大きくしっかりとした体。

 『のっぺら』の年齢はあたしたちには読みにくいが、まだ若い。

 そして、なにより目立つのは、額から右頬に走る大きな傷痕。


 傷痕……?


「静虎将軍……」


 あたしは呟いてから、あわてて口をおさえた。


「ん?」


 男――この国随一の体術の使い手にして、飢狼将軍、臥龍将軍と並び立つ三将軍の一人――はあたしのつぶやきに少し怪訝そうな顔をしたが、ノックを続けた。


「あーい、あいあい。まだお店あいてないんでしゅ」


 のんびりと出てきたのは、妹分のシャー……シャーナだった。

 白地に黒ぶちの毛皮をもつ娘だ。目の前にたった男とあたしを見比べて目を丸くする。


「にゃ、にゃにごと?」

「マダムはおられるか?」

「ま、まだみゅ?」


 あたしは慌てるシャーを見て、逆に落ち着きを取り戻してきた。

 お偉い人は恐いけれど、あたしを助けてくれたわけだし、悪いようになるとも思えなかった。


「女将さんを呼んできて」


 噛んで含めるように、ゆっくりと言う。

 シャーはあたしをじっと見て、ぶんぶんと首を縦に振った。


「あい、ミー姉」


 ぱたぱたとやわらかな足音を立てて、シャーは奥に引っ込んでいく。将軍は手持ち無沙汰という感じであたしを振り返った。


「一晩の実入りはどれくらいなんだ?」

「え? えと、だいたい……グラナ貨であたしが一枚の、女将さんが三枚ってところかな……ちなうちなう、ところでし」

「ふむ、じゃあ、五枚で十分か……」


 将軍は、腰に下げた袋から、ぱらぱらとグラナ貨をとり出した。

 四角い貨幣が十枚。


「大変遅くなりました」


 女将さんがゆったりと体をゆらしながら現れた。

 華やかなローブをまとい、長煙管(ながぎせる)を手にもった女将さんは、とてもきれい。

齢をくいすぎたと言っているけれど、流れるような毛並みは美しくて、女将さん目当てにきてる客も多かったりする。


「館の女将、エレナと申します。将軍閣下にお目見えするには卑賤の身なれど、ご容赦ねがいます」


 将軍は軽く微笑み、一つ頷く。


「今回はどのような仕儀でありましょうや。うちのミシャが何か粗相でも? そうであれば、私めにも罰を頂戴いたします」


 ばさり、とローブを落とす。そこに現れるのは、毛の一本も見えない真白い裸身。

 首から下腹まで、女将さんの毛はなぜだか抜けている。

 ぷりんと空を向く胸も、なめらかな脇腹も、溜め息がでるほどきれいだ。その傷一つない体が、暮れゆく薄暗い路地の中で残照を圧するほどに輝いていた。


「いや……。そういうわけではない。逆にこちらが迷惑をかけた」


 将軍は、少し眉をあげただけで、動じもしない。あたしはそんな男の人はじめて見た。


「うちの兵士が迷惑をかけてしまった。その始末はつける」


 言いながら女将さんのローブを拾い上げ、肩にかけると同時にさっきのグラナ貨を手渡した。


「この娘は今日は休ませてやってくれ。これは詫び代と今日の稼ぎの代わりに」


 女将さんは珍しく驚いているよう。


「それは……ありがとうございます。この娘はしばらく養生させましょう」

「よろしくたのむ」


 将軍は両の手を重ね、掌を上へむけると、それを頭より上に持ち上げた。女将さんとあたしはそれを見て、呆然としてしまう。ぽかんと口さえあけてしまった。

 この星で、最高の敬意の表し方……。


「お、お手をお戻しください!」


 いつもしとやかな女将さんの声が裏返っていた。

 例え礼皇さまでも無礼を働けば容赦しないと豪語する女将さんも、まさか将軍にこんなことをされるとは思ってもみなかったに違いない。


「軍紀の乱れは、わが責任。申し訳たたぬところなれど、どうか許してくれ」


 あたしにむけられた言葉。

 彼の真剣なまなざしに、ひきこまれるように頷いた。


「あい」


 にこりと笑う。

 将軍もそれに応じて、笑みを浮かべた。

 手を下ろし、そのまま背を向ける。


「あにょ。待って」


 なぜ声をかけたのか、自分でもわからなかった。


「働かないでお金をもらうにょは、なんだかおかしいと……思う」


 将軍と女将さんの視線が、刺さるよう。

 何を言い出すのだ、と思ってるのかもしれない。


「だから、今晩は、あたしが将軍のお相手……しましゅ」


 本当に、なんでそんな事を言ったのか。

 その時はあたしにもわからなかったのだ。



          †



 あたしと将軍は、二階のあたしの部屋に一緒にいた。

 仕事をするのはいつものことだけれど、こんなふうに誘ったのは初めてだから、少し緊張してる。


「あにょ、お風呂いれましょう」


 彼は、物珍しそうに部屋中を見渡している。

 場末の娼館に来る機会など、もちろんこんなお偉い方にあるわけもないはず。


「ん……。いや、先に酒でももらおう。腹にいれるものもほしいな」

「あい」


 適当な食べ物の注文を伝声管から階下に怒鳴り、棚から黒龍酒の瓶をとりだした。


「おお。なかなか気の利いたものがあるじゃないか」

「あ……あにょ、瓶だけ……」


 中身は、度数だけがきつい密造酒だ。瓶はこけおどしにすぎない。

 あたしは、縮こまりながら将軍に酒を差し出した。


「はは、そうかそうか」


 彼は、あたしがついだ酒を一気に傾ける。うぐ、と息が詰まる音をその喉がたてた。


「なか……なか、強いな」


 かすれた声。

 あたしたち『毛はえ』は『のっぺら』に比べると酒に強いらしい。

 『毛はえ』の密造酒は、『のっぺら』にはえらくきついはずだ。客相手だと、すぐに酔わせられるから便利なんだけれど。


 食べ物が運ばれてきて、ようやく将軍は一息ついた。

 黒い鎧をはずして放り投げると、左ひじだけ卓について、ゆったりと体を預けるようにして、あたしに話かける。


「お前も物好きだな。金だけもらっておけばいいものを」

「あい……。自分でも変……です」


 鎧を片づけながら、そう言う。

 鎧はとても軽くて、バランスを崩しそうになってしまった。偉い人の鎧は材質からして違うみたいだ。


 将軍は笑う。

 いやな笑い方じゃなかった。


 あたしたちは、ゆっくりとたくさんの事を話した。

 あたしのこと、この街のこと、気に入ってる風景のこと、きれいなもの、きたないもの、おいしいもの、まずいもの、嫌いなもの、大好きな大好きなものたちのこと……。

 そうして、夜も遅くなって抱かれた腕は、とってもとっても逞しくて、気持ちよかった。


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