4-6 Forget-me-not
人のいない通路に、ぼんやりと明かりがともっている。
小さな明かりは、通路に落ちた闇を駆逐するには足りないが手元を照らすには充分で、細い指が継ぎ目のない壁を探る様子だけが、ぽつんと浮き上がっている。
しかし、おかしい。通路は人がいれば、自動的に明かりをともす。それは、船内が『夜』に指定されている時間でも変わることはない。
となると、これは、指の持ち主が船の基幹システムにまで侵入を果たしているということだ。
私はその様子をアレクサンドリアの各所につけられた撮像素子からの映像で確認して、小さく溜め息をついた。
指が真白い壁の一部を叩き、継ぎ目の存在しなかったはずの壁に、すーっと切れ目が入った。
ばくんと壁面がひっくり返り、いくつものパネルが現れる。
暫時、指が明かりの中から消えると、有線ジャックを掴んで再び現れた。
「はい、そこまで」
声とともに灯る照明にまぶしそうに目を細めながら、セラが振り返る。
壁にもたれかかりながらその様子をながめる私の姿は、彼女からすれば虚空から現出したように思えただろう。
至近距離での光学的な迷彩は、外から見えなくなる代わりに自分も外を見られなくなるのが唯一の不満だ。
アレクサンドリア内ではなんとでもなるが、他では使えない。
改善しなければ。
「いつ、気づいたの」
ジャックをしまい込んで、彼女は身構える。
きっと、アレクサンドリアに潜ませたエージェント群からの情報を再度確認でもしているのだろう。
シュアも私も彼女の認識の中では部屋でぐっすりおやすみ中のはずだ。しかも薬で強制された眠りを貪りつつ。
「最初から、と言いたいところだけど……企業秘密。教えてあげない」
「馬鹿にしてぇっ!」
不意に、彼女の背で闇が弾けた。
彼女の体から、漆黒の虚無が吹き出していた。彼女そのものを、そして通路全てをおおって、私を取り込もうと暗闇が襲いかかってくる。
まずい。視角野の一部をのっとられたか。
慌てて一蹴りして、暗闇が浸食し続ける通路を後退した。着地点に回り込んだ暗闇を感知して、強引に体をひねる。
関節に悲鳴をあげさせつつ、なんとか元の通路部分に足をつこうとして、バランスを崩した。倒れかけたところを、空中で力強い腕にかっさらわれる。
「ありがとう、シュア」
「なんだこりゃ」
言いながら、彼は私をかかえて走り出している。
下ろしてもらって走ろうとも思ったが、かえって遅くなりそうなので、シュアの体にしがみついたままにした。
「あなたも侵入されてるのね。何に見える?」
「蔦……ジャングルみたいな蔦が通路をおおってやがる。追いかけてくるぞ」
ふむ、私と彼とでは見えているものが違う。
ということは、視角野になにかのイメージを送ってきているというよりは、彼女が引き起こした現象を、私たちの感覚器官が無理矢理解釈していると考えるべきかもしれない。
見えているものの違いはその現象に対する『印象』の個人差というわけだ。
「メインルームへ」
行き先を指示して、振り返る。
そういえば、こうして荷物みたいに抱えられていると、初めて会った時のことを思い出すな。 そんなのんきな思考もしつつ、アレクサンドリアに侵入して来たエージェントの全てを焼き払うよう命じた。
もはや偽装している場合ではない。
暗闇は通路の殆どを占め、さらに私たちを追いかけてきていた。
メインルームに駆け込むと同時に、ドアが閉じる。
室内に既に展開されていた空想識空間は自閉モードで、他の何者も侵入することはできない。
ふうとシュアが息をつき、私は彼の体から離れる。
「どうするんだ、あれ」
「書庫を奪われるわけにはいかないしね。まあ、お仕置きしてあげなきゃ」
シュアが操縦席に着く。
有線でアレクサンドリアと直結したのを確認して、私は自閉モードを解かせた。
じわじわとドアと壁の隙間――そんな気密の大敵は実際には存在しない――から暗闇が侵入してくる。
「戦闘識、スタート」
元来、空想識空間の三次元的利用の手法開発は、軍事目的が主だった。
空間戦闘において、周囲の状況を理解するために映像と共に様々なデータを処理する必要性があったのだ。
実際にはテラ星域にいた当時は大規模な空間戦闘は行われなかったらしいが、情報を感覚として知覚できる空想識空間の技術は軍民問わず広く利用されるに到った。
そして、空想識空間の規格の基幹レベルには、未だに遥か過去に形作られた軍事目的の識空間が存在する。
それが戦闘識であり、実際に利用されることは稀だ。
部屋に、枡目に区切られた空間が広がる。部屋の風景やシュアの姿は見えなくなり、縦横に仕切られた空間と、そこにしみ入ろうとする暗闇――敵性体のデータだけが見える。
私の体はそのままあるが、これもまたデータで構成されている。
指の動き、足の移動、その全てがこの空間を操る調律の糸であり、同時に膨大なデータ処理を示していて、普段の空想識空間よりさらに自由に戦闘データを操ることができる。
それに特化しすぎて、戦闘以外のことはほとんどできないのだが。
暗闇はいくつかの枡目を突き破り、私に向かってくる。
私は現時点でアレクサンドリアと直結しているから、セラの狙いはアレクサンドリアに所蔵されたデータそのものということだろう。
「さて、どう出るか」
まさか、暗闇で浸食してくるだけなんてつまらない手じゃないでしょうね。
そう思った途端、暗闇が弾けた。
触手と化した暗闇が、私の体に襲いかかる。
「来た来た」
舌なめずりしながら、左手を持ち上げて触手を受け止める。
触れた途端に、膚が焼ける感覚。
慌てて振り払った。侵入されているという事実が感覚としてダイレクトに来る分、反応も早くなるが、苦痛も増える。
ひどい時はこの疑似感覚だけで死んでしまう者もいるという。
漆黒の触手は、四方八方から襲いかかってくる。踊る様なステップで、それを避けた。
触手の先が回転しはじめる。錐のように尖った触手が正面から飛んできた。
同時にすくいあげるように左後ろから一つ。
体を宙に躍らせて、水中を泳ぐ様に触手の間をすりぬけ、元の場所に戻る。
右上と左斜め上から来る触手を、這いつくばるくらい体を低めてやりすごし、前方に移動。
左上、直上、右横下、下、左、袈裟がけに背後から。
その全てを避けきることはできない。服が破れ、膚が焼けた。左腕を強く触手がこすりあげ、一瞬にして蛇がのたくるように蚯蚓腫れが走る。
漆黒の触手の中で、小さな光がきらめいた。あれは星だろうか。
となると、暗闇は宇宙そのものか。あるいはセラを構成する小宇宙なのかもしれない。
大きく跳ね上がり、すとんと落ちた。
振り上げた両腕をゆっくりと下ろし、片腕を胸前に、もう片方を腰にあて、右足をゆっくりとさげる。
「これにて閉幕にございます」
スカートがあれば、つまんで持ち上げるところだ。
すべての動きが止まった。私のステップがある特殊な図形を描いていたのを、触手は気づけなかったに違いない。
床の枡目が、私のステップ通りに七色にきらめき、強烈な光で触手の暗闇を駆逐していく。
空中で丸くなって体を守ろうとする漆黒の物体の中に腕を突き入れる。どんどん縮んでいく球体の中を手さぐり。
「つかまえたっ」
空想識空間の中で私は強く踏ん張り、手を高く掲げた。その掌に、小人サイズのセラが抱えられている。
「なんでっ」
悔しそうにもだえ、逃げようともがくセラ。
しかし、もう無理だ。
すべての防壁を突破して、識核まで捉えたなら、もはや逃げようはない。
それを象徴する様に、彼女の右腕が私の指と同化している。
「この腕か」
切り離そうとするのを、ぎゅうっとにぎりしめて黙らせる。
そう、彼女の右腕には、レクセル社製の躯体技術が使われている。
わざわざ遠回りまでして、この星への到着時間を遅らせたのは、その仕込み。
レクセル社がモルフェウスを解析して得た躯体技術の全てには、私しか知らないバックドアが仕掛けてあるのだ。
「話してもらいましょうか」
「あなたに話すことなんかない」
「強制解体してもいいのよ」
さらに強くにぎりしめると苦悶の声をあげて、彼女は頭を振った。
もはや面倒になって、彼女の頭の中を強引に覗きこむ。
最後の試練……。第一艦隊の航路選択パターンを探るためにここ数年の第一艦隊の航跡をつかまなくてはならない。
そんな強い情動が、流れ込んでくる。
「……記憶を取り戻すための最後の試練を、人任せにしようとしたっていうの? あなた、何考えてるのよ」
呆れた。情報商人として、誰かの情報をかすめ取るくらいは――個人的には歓迎できないが――盗まれたほうが間抜けだくらいの風潮があるからまだ許せる。
けれど、それを自分の記憶を取り戻す最後の仕事でやるなんて。今後仕事を続けていく中で、誰にも信用してもらえなくなるではないか。
「……もう面倒なのよ。いやなの。情報商人じゃなくて、ガーウェインの人間として生きていきたいの」
子供の様に、彼女は駄々をこねる。
いや、彼女はいまだに子供なのだ。情報商人になろうとしたときに、それまでの記憶の全てを売り払ったのだから。
それ以後の記憶しかもっていない彼女は、年齢はともかく子供と同じだ。
「で、同じ『根無し』の私に頼ったってわけ?」
「同じ? 私とあなたが? はっ」
嘲るように金髪が揺れる。傲然と胸をはって、彼女は言い放った。
その目の縁に涙が光っている様に思ったのは錯覚だったろうか。
「馬鹿にしないで欲しいわ。私は『根無し』だけれど、『親殺し』なんかじゃないもの」
視界が真っ赤に染まった様な気がした。
あまりの屈辱に、目の中の血管が切れている。彼女の識核を握る指に力がかかった。
「やめろ、エイダ!」
静止は一瞬だけ遅かった。
†
セラフ・スイーフの体と顔を持った女性が、星間連絡船乗り場へのゲートをくぐり抜けていく。
私とシュアはそれをじっと見つめていた。
周りには各方面のゲートに急ぐ者や、それを見送る人々の群れがある。
彼女がくぐり抜けようとしているゲートに浮かんだ記号は、その行く先が連邦首星であることを示していた。
ガーウェインの共同経営者としての責務に戻るのだ。
一等船室専用のゲートは、二等以下の船室利用者たちのゲートとは違い人の姿はまばらで、かなり離れたこの場所からも、金にけぶる髪を見分けるのにそう苦労はなかった。
ゲートを抜けると同時に、電磁的なフィールドに包まれて、その姿は見えなくなる。
彼女は、一度も振り返らなかった。
未だに機嫌の悪そうなシュアを横目でちらりと見やり、踵を返す。
もはや見届けは終わった。
アレクサンドリアに戻ってゆっくりしたい。
「彼女の最期の言葉、わかる?」
私の横に並んだシュアは、批判的な目つきを隠そうともせず、視線をくれた。
自分で殺しておいて、なにを感傷的にとでも言いたそうな顔だ。いや、それとも、これはこちらが過敏になっているだけなのか?
答えが無いのをいいことに、言葉を続ける。
「『ようやく楽になれる』よ。ふざけた話」
驚いた様に目をむくのを見て、ほんの少しだけ愉快になる。片頬だけ持ち上げた笑みを浮かべて見せた。
「……だから、あの娘の体と頭をモルフェウスにまかせたのか?」
そう、かつてセラフ・スイーフという名の女性であった体には、いまや私の一部であるモルフェウスが居る。
識核を焼きはらっても、記憶や行動様式といった外形的な反応の積み重ねは、生体脳に残存する。
しかし、事実として一つの『人格』が消去されたのは間違いなく、残存物から既存の人格を再生させようとしても出来あがるのは必ず新しい人格で、セラという女性が生き返ることは無い。
また、そのような生まれ方をした人格は非常に不安定で、通常ごく短期間で崩壊を起こすことが知られている。
しかし、モルフェウスのような高度に自律的なエージェントに、元来の人格を模倣させることはそこまで難しくない。
モルフェウス独自の個性は一時的に減じられるが、いずれセラの過去の記憶や経験と融合して新たな個性を獲得することになるだろう。
セラという人間の過去を持った、新しい人物が、そこにはいるのだ。
そして、その人物は、私の一部。
私は期せずして、『自己』をさらに拡張することとなったわけだ。
「あれは、ただの……廃物利用よ」
「……偽悪は、美徳じゃないぞ」
シュアが首をふりつつ言う。その肩ががっくり落ちていたのは、はたして、ウェッソンの強い重力のせいだけだったろうか。
「そうね、あれは、記念碑の様な……彼女があったことを示し続けるものね。それだけではいけないけれど」
そう、それだけではいけない。
彼女があり続ける様に演じること、それだけでは、『約束』は果たされない。
「彼女を受け入れた以上、私は彼女の後を継いで、第一艦隊を見つけ出さなければならなくなってしまった。その航路選択パターンと一緒にね」
そうして、あの娘の記憶を彼女の『親』から受け取らなければならない。彼女は、見事私に押しつけることに成功したのだ。
その記憶を求める『情熱』は、永遠に失われてしまったけれど。
「ねえ、シュア」
早足になって、彼のことを追い越し、足を止める。
くるりと振り返って、同じく足を止めたシュアに正対して尋ねた。よほど真剣な顔つきを私がしていたのだろうか。それまでの不満げな顔は消えて、目に光が宿っていた。
「この世で一番怖いことってなんだと思う?」
沈黙。そして、その唇が、ようやくといった感じで言葉をつむぐ。
「まあ……死かな」
「違うわ。忘れ去られること。忘れ去ったことさえも、忘れてしまう、忘れられてしまうこと……」
だから、私は忘れない。
もう、二度と。
誰のことも。
なによりも、自分の事を……。
私は、忘れない。




