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星を待つ丘  作者: 安里優
第0星:帝星
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0-2 凍結図書館

 シュアが用意したのは、この都市……いや、この星でも最高級のホテルの最上階だった。

 これ以上高いビルは、見渡す限りには存在しない。そんな場所だ。


「思い当たるふしは?」

「いつも通り」


 肩をすくめる。

 部屋中をチェックしているシュアは、困ったような顔を返してきた。


「多すぎて見当がつかない、か」


 彼は顔をしかめて、少し考え込む。


「よし、じゃあ、本腰を入れようじゃないか。今回の仕事の目的を説明してもらおう。その中で生じるであろう障害を判断する」


 そういえば、まだ説明していなかったっけ。


「基本は同じ。十年前から変わらない、私のテーマ」

「星国の崩壊と聖院、か」


 そう、それが情報商人としての私のテーマ。

 星国――かつて既知宇宙の全てをその勢力下に収め、一万年の長きにわたって統治しつづけた星間帝国。

 強大な武力と、星間通信の全てを握り、絶対的な中央集権を作り上げたその国。


 人類の版図は銀河の中心にまで迫り、科学技術は誰もその全貌を捉えきれないほどに発達した。

 邦々は星国の庇護の下、育まれ、発展し、戦いあい、滅びていった。

 人々は星国の体制の中、宇宙を縦横無尽にかけめぐり、誰もが無限の空間を所有しているかのように錯覚した。


 だが、二千年前、それは唐突に打ち切られる。

 飽きたおもちゃを放り投げるように、星国は宇宙の経営から手を引いた。

 唐突に、しかも、銀河中に戦乱をまき散らす最悪の形で。


 その全てを決定し、統率し、指揮し、教導したのが、ただ一人の男だったと信じられるだろうか。

 一万年という途方もない年月を治め続けた、初代星帝――即ち聖院その人だと。


「ふむ。今回は、直接インタビューでも申し込むつもりか?」


 そう。恐ろしいことに、聖院はまだ生きている。

 我々跳躍人(リーパー)と同じように、光速に近い速度で飛びつづけ、百年ごとに星国の中心地であったこの星――帝星に帰還する。

 会おうと思えば、会うことは不可能ではない。

 理論的には。


「許可が下りないの。それにまだ、いろんなことが固まってない。結果だけ得ても、謎は謎のままよ」

「じゃあ、目的は? 顔を拝むためだけに来たわけでもあるまい?」

「まあ、それもあるけどね。彼のヴィジュアルイメージは規制が厳しいから、それなりの価値があるのも事実。でも……」


 ここで、私は声をひそめて


「本当の目的は凍結図書館(ライブラリー)よ」


 と囁いた。さすがのシュアも驚いたか、目をしばたたかせている。


「お前、あれは……」

「星国ありし日の全ての情報――科学知識から文化、人口、統計、財務、軍備、収集された生物の遺伝情報まで。それらが幾重もの停滞空間に包まれ、五万年が経過するまでは開かれない、未来への方舟。『絶対不可侵空間』……でしょ?」


 シュアがこくこくとうなずいた。彼のほうけたような表情が、まさにその存在の偉大さを現している。


「過去、121度の侵入が試みられ、その全てがはねつけられた。その中にはこの星の星帝すらいたというのに。戦車も、ウィルスも、全てが無駄だった」


 私はそこでにやと笑う。


「……と思われてるわね」

「誰かいるのか!」


 右手を突き出すと、彼の目の前で、手首をひねってみせた。掌の上に、データチップが現れる。


「伝説のハッカー、マクトミン最後の仕事の記録よ」


 シュアの驚いた顔がおもしろくて、鼻唄まじり。


「彼は、凍結図書館に挑み、そして、その防壁を突破した。けれど、その中で見たものを誰にも伝えず、その姿を消した」

「ふむ……」


 シュアの視線が、チップと私の掌に突き刺さる。

 くすぐったい気がして、また手首を翻してみせた。手を広げると、データチップはもうどこにもない。


「だから、試してみようと思って」

「しかし、マクトミンは消えた……。自発的に? あるいは、消されたのかもしれないじゃないか。エイダに危険が及ぶかも……」


 そこまで言って、シュアはふう、とため息をついた。

 私を止めようと考えるほうが無駄だと気づいたらしい。


「いいだろう、最初の案件は凍結図書館。それでいいんだな?」


 真剣な目。私はこの目が好きだった。

 私は、その目に映る自分自身の姿にも問いかける。

 本当に、それを実行するのか、と。


「ええ。……いいわ」

「よし」


 一言いうと、何事かを考え始めた様子のシュア。身支度を調え始める彼をみて、私も上着に手を伸ばしたが目でそれを制された。


「今はエイダは動くな。俺がもどるまで、エージェントとの接触も禁止だ。一切外部と連絡はするな。わかったか?」


 一切連絡するな、というのはなかなかに厳しい話だ。私にとって情報を入手することは、息をするのと同じことだ。

 それをわかっていながら、やるなというのだから。

 しかし、私は異を唱えるつもりはなかった。

 先程の盗聴の件もあるけれど、安全を護るのは彼の役目。

 彼を信じることは、求めるものを得る為には必要なことであった。


「朝までにはもどる。体を休めておくといい」

「ん」


 私はベッドに腰掛けながら、出て行く男の背中を見守っていた。



          †



「ここまではよし、と」


 私は周囲に展開する空想識(ネットワーク)空間を眺めて、そう呟いた。

 凍結図書館の存在感が空間そのものに刻み込まれていて、まるで眼前にそれがあるように感じてしまう。

 けれど、実際には目指す凍結図書館の前には黒い壁が立ちはだかり、視界全体を覆い尽くしていた。


 万里の長城――外部からの不正なアクセスを阻む巨大な壁だ。

 これを乗り越えない限り、凍結図書館の中に入り込むことは出来ない。


 物理空間からのアクセスに関しては、そもそも考えたこともない。

 千輛の空中戦車による砲撃も、その空間力場固定装置を破壊することは出来なかったし、防壁そのものも破壊は不可能だった。

 そして、停滞空間に包まれた図書館は、侵入した者の時間を永劫に引き延ばす。入れたとしても、その情報を探ることが出来なければ意味はない。

 一説によると、次元断層を超えれば、停滞空間内でも活動は可能となるというが、その技術は星国崩壊に際して失われている。


 一方、空想識空間における凍結図書館は、現在も活動を続けている。それが何のためなのか、誰がそれを執り行っているのかはわからない。

 だが、星国があった当時とは比べ物にならないくらい矮小化した識空間から、それでも貪欲に情報を収拾、吸収し続けている。


 そこに、つけいる隙がある、と私は考えていた。

 シュアは動くなと言っていたが、試みる事はけして無駄ではないはずだ。


 あらためて、私は『万里の長城』を見やった。

 空想識空間での私の化身(アバター)の一つである、『杖つき猫』の姿で、もう何十回目かになる、長城の観察を再開する。


 普段は空想識にいながら、物理空間でも何事かしていたりするのだが、今回は邪魔されず打ち込もうと、物理的な感覚を遮断している。

 だから、私にとっての『世界』は、いまここに広がる空想識空間だ。


 かつて、人類が電脳――培養された生体脳ではなく、機械と電子で形作られるコンピューター――に頼っていた頃にすでにその萌芽を見せていたネットワークは、宇宙に広がるにつれて、その完成度をさらに上げていった。

 現実と変わらないだけのリアリティと、現実には表現できない様々な出来事を実現させる場所。


 あまりに広がりすぎた人類宇宙では、情報時差が不可避的に発生するため、全てのネットワーク参加者がコミュニケーションをとるというわけにはいかない。

 それでも、惑星レベルでは、人々は二つの世界に生きるようになっていた。

 物理空間と識空間に。

 二つの世界は等価と考えられていたし、識空間だけに住む人格にも人権は認められていた。


 そんな識空間には、物理空間ではありえないような場所も存在する。

 しかし、いま私がいる場所は、ぱっと見では物理空間と全く変わらない。

 違いといえば、他者との接合を絶っているために、世界に見えるのが黒いスーツを身にまとった二足歩行の猫――私の姿――だけだというくらいだ。

 まあ、もちろん、識空間でもこんな辺境の、しかも凍結図書館があるような危険な場所だから、放っておいたって誰の姿が見えるとも思えないけれど。


 銀河中心域では実に濃密で、空気と同じように存在している情報対流も、ここでは空に一刷毛なでたようにあるぐらいのもの。

 そんな静かな世界に、巨大な長城が横たわる。

 世界を埋めつくさんばかりに威圧感たっぷりに立ちはだかる黒い壁。


 その表面には、いくつものデータやプログラムがはりついている。

 いや、よくよく見れば、それらは、壁の表面に、半ば溶けあっているのだ。

 凍結図書館による情報収集により、『喰われ』ているわけだ。


 その中には、私が作ったプログラムもあった。

 単体では無害だが、結合し合った時に単体とは全く異なる動きをとるよう設計されたそれら。

 私はじっと、そのプログラムたちが喰われるのを見つめていた。


 今まで壁に融けていったプログラムは、3276個。

 3000を超えれば、それらはつながりあい効力を発揮するはずだが、結合に参加できないものもあるはずだ。

 余裕を見て、4000あたりで効果が現れるのではないか。私はそう踏んでいた。

 だが、3547個目が呑み込まれたところで、長城の一部に変化が現れた。


「よし!」


 思わずステッキを地面に打ちつけ、打ち鳴らしてしまう。

 ぐにゃりと長城を構成する黒の色がゆがみ、きらきらと光る情報対流と共に、空間が歪曲する。


 黒と光の太極図のような姿になった『ゆがみ』の向こうに、『それ』が見えた。

 軽く意識するだけで、私の体は、その『ゆがみ』に同化し、滝壺に呑み込まれる小魚のように翻弄されつつ溶け合っていった。

 視界は光に覆われ、他の全ての感覚も、濃密な情報の流れに攪乱される。ただわかるのは、疾走感。

 光のトンネルの中を、体が走っている。

 そんな感覚だけが、私の意識を支えていた。


 ようやく感覚のチャネルがあってきたのか、ぼんやりと周囲の様子がわかる。

 格子状に仕切られ、果ての見えない空間の中を、光の塊が走りすぎていく。

 縦横を走る光の塊は、大きさもスピードもまちまちで、ただ、その中になにかが内包されていることだけがわかった。

 私はそれらの光と同じように、空間を駆けている。


 私は、その空間の美しさに目を奪われた。

 これほどの濃密な情報の流れは見たことがなかった。

 光たちは空間を駆けめぐりながら、他の光とぶつかり、融合し、分裂し、干渉し、反発する。

 その光の経路自体が、また新たな光を生み出し、空間に放たれていく。


 これが、まだ長城の中だとは……。


 凍結図書館本体の中には、いったいどれだけの情報空間が展開しているのか想像して、あまりの喜びに頭がくらくらした。

 それがいけなかったのかもしれない。

 気づいた時には、並走されていた。


 線画だけで描かれた獣のようなものが、私の横を並走しながら、線だけの顔で、にゃあと笑った。


「これが……調律者か」


 図書館へ情報を収める前に、情報の選定を行う存在がいる。

 そうマクトミンの記録は語っていた。

 ただ、彼自身は、幸いにもそれに遭遇することがなかったらしい。


 その存在に、いま、私は出会ったわけだ。

 防壁をめぐらせ、そいつの目をくらまそうとする。

 ただのデータだと思えば、調律者とて手を出すまい。


 後に控える『門』への対策に頭がいっぱいで、調律者向けには、偽装防壁しか用意していないのを、私は後悔した。

 マクトミンが逃れられたのは、あくまで確率の問題かもしれないということを考えるべきだった。


 防壁が『喰われ』はじめる。

 黒々とした線だけで構成された、けれど獣にしか見えない存在が、これまた線だけで出来た長い舌をでろりと出し、私の周りを覆う光の繭をなめとりはじめたのだ。


 天才ハッカー、マクトミンの防壁に私がさらに手を加え、臓脳のランダムアクセスの巣の中で育てた防壁だ。

 そう簡単に解析できるわけがない。

 そう考えたのすら甘かったらしい。

 不意に脊髄全体に痛みが走り、私は苦鳴をあげていた。


 もう一匹!


 愕然として、首だけで後ろを振り返った。

 首から下はすでに動かない。やつの舌に固定されているのだ。

 防壁は、前後両側から喰われていた。

 背後から密かに突き出された舌が、見事に防壁を突き崩していた。


 その舌が、私の本体を突き刺し、情報を吸収し始める。


「アクセス遮断を……!」


 もう諦めるしかない。

 見つかってしまったら、逃げるしかないのだ。それもできるだけ痕跡を残さずに。

 私は意識を自分の体に戻すことで、識空間からの離脱を試みる。

 だが――。


「遮断……できない!?」


 すでに、アバターの核、私のID情報にまで、やつらは踏み込んでいたらしい。

 識空間に刻まれた情報を逆流して、彼らの意識が、私の個識まで浸食する。


 喰われる……!


 意識が仮想の肉体よりもさらに小さく押し込められ、感覚が一つずつ奪われていく。

 触覚が、嗅覚が、味覚が、聴覚が。

 最後まで視覚だけが奪われずにいたのは、私自身の体がどう彼らに喰われるかを、見せつけるためだったろうか。


 引き裂かれ、犯され、凌辱された体は、ばらばらになりながらも、その原形をとどめ、破砕されるそばから、調律者たちを構成するデータとして再構築されていく。

 あまりの屈辱に、私の視界が真っ赤になった。

 情報商人にとって、体を奪われることよりも、死ぬよりも、情報をほしいままにされることが屈辱だと、彼ら自身はわかっていたのだろうか。


 だが、そんな怒りの感情すらも、彼らは実にうまそうにすする。

 その線画のにやけ笑いが、私の最後に見た光景だった。

 最後の視覚すら失われ、私は闇におちた……。



          †



 意識は、暗闇から、即座に正常に戻された。

 同時に、周囲に展開していた空想識空間を模した個識空間が畳み込まれ、ホテルの部屋の姿をあらわにしていく。

 朱書きの文字が目の前ででかでかと輝いた。


『演習終了』


 その途端、自分にかけていた暗示がとけ、これが訓練であったことに気づく。

 私は、目を見開いて、自分のした事に呆れると共に、帰って来られたことに安堵の息をついた。


 完全に閉鎖していたはずの回線にアクセスがあることを知らせるシグナルが、ちかちかと目の端で点滅。

 識別コードはシュアのものだ。

 回線を開くと、音声のみの通信が飛び込んできた。


「あと三時間ほどで戻る。明日から動けるようにしておいた」


 それだけ告げて切れた通信に、私はなんだか余計に安心して笑みをもらした。

 密かにつけておいた監視用のエージェントは見事に焼き切られていたが、それはプロとしては当然だろう。

 エージェントを仕込んだこともお互いさまとわかってくれるだろうか。


 時計をみやれば、もう夜の二時。

 シュアも朝方には帰ってくるようだし、仮眠を少しとっておいてもいいかもしれない。


 ぼふ、と私は体を倒した。

 ベッドが体の重みを受け止め、ゆったりと支えてくれる。

 無重力状態での睡眠もいいが、たまにはこうしてやわらかに反発する力を感じながら眠りにおちるのも悪くない。


 私は、ふかふかのベッドに埋もれて、さっきとは違う意識の闇へと降下していった……。

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