3-3 抜け穴
「あと十分です」
店に入った途端、抱きつくようにして彼を出迎えた隊員――アイカが耳元で囁く声を聞き、シーは相好を崩したふりをしつつ席に向かった。
私は彼の意識に同調したまま、指揮車の中で様々に流れ込んでくる情報を処理して彼に受け渡している。
シーの視界には、先程店主の視界から見たのとそう変わらない光景が広がっていた。ちょっと違うのは、ステージでショーが行われようとしていることか。
四角く切り取られ掘り下げられた床の上に、一人の女がうずくまっている。
真紅の衣装は、薄暗闇の中で唯一スポットライトを当てられ、濡れた様に光る。血の様に暗く、甘やかに。
店の中に気づかぬほどの音量で流れていた音楽が止み、すぐに強烈なリズムが空間を切り裂いた。
女が跳ね上がる様に立ちあがった。羽の様に両腕が広がり、そのままの勢いで体が後ろに倒れると、再び腕がその顔を覆った。
真っ赤な衣装を押し上げる見事にもりあがった胸と、腰から尻に至る官能的なライン。そのラインがマイスタージンガーを奏でているとかつて言われたほどの。
そのまま動きを止めた女と、ゆったり低く流れる音楽。徐々に早まっていくリズムが、新たな動きを予感させ、人々は息をのむ。
注目していないのは、シーとアイカ、そして、他のボックスに配置されているホフマイスター、ベリル、メットの三人くらいだろう。
再び音楽が頂点を迎える。
鋭い刃物のように空を斬る指。ネイルアートが明かりに反射して、きらきらと空間に光の線を描く。弧を描く様に光の道は描かれ、再び止まる。
いつのまにか反転して客たちに背中を向けた女は顔を俯かせ、高く腕を掲げて、獲物を狙う猛禽のようにも見える。
そのドレスの背中は大きくえぐられて、美しい膚を見せつけている。スポットライトの下で、その膚は白く白く輝いていた。
「よし、いいな」
シーがささやく。
アイカが妖艶な笑みを浮かべて頷いた。しかし、その瞳は冷徹な炎に輝いている。
地を這うような音楽が、今度こそ本格的なダンスの始まりを予感させるように、跳ね回るのを押さえつけられる猛獣の様にリズムを刻む。
あと四拍、音が打てば再び音楽が絶頂を迎えようとした時。
女がその腕を神速の勢いで服の中に差し入れた。
誰もがリズムに乗り損なった、と思った。
再び撥ね上げられた両手に短機関銃が現れるまでは。
アイカたちが一斉に立ち上がり、銃弾が、死のビートを刻んだ。
「死亡五、負傷十二。死亡の中に、元からあった死体が二つはいっています」
アイカが、シーに報告しているのを二人の意識から観察しながら、私はほっと息をついていた。死亡三は犠牲としては少ないし、なにより店のスタッフは無傷で確保できている。
扉を蹴破って突入した隊員と、侵入していたメンバーをあわせて総勢十名の分隊は、それぞれに確保した客たちを見張っている。もう少しすれば回収役の分隊が民間警察を偽装して踏み込んでくるだろう。
ふと、なにかおかしな識空間の乱れを感じた。
誰かが無理矢理情報をねじこもうとしているような……。
シーをはじめとした四人の視界に入り、部屋の中を四つの視点で眺める。
手足を拘束し、床に伏せさせた客の間を歩き回る隊員たち。
被害状況を検分するシー。
銃がジャムったのだろうか、スマッツは薬莢を吐き出させてはそれを拾い上げている。
赤い衣装のままで、ハリエットは短機関銃を両脇に垂らし、やる気なさげに突っ立っている。
ハリエットのやつ、銃撃戦には異常に執着するくせに、こういう時だらしないのはよくないな。
ふと、スマッツが、銃を掲げもった。ジャムが直ったのだろう。しかし、その射線の先に、この店の店主がいることが気にかかる。
意識が研ぎ澄まされ、ハリエットの右腕が跳ね上がると共に、短機関銃が火を噴いた。
銃弾を浴び、スマッツが体ごと吹っ飛ぶ。数瞬おくれて、血と肉片が混じったものが、床にべしゃりとおちた。
呆然と、ハリエットが己の腕を見る。
「クロムウェルだ。スマッツの脳と臓脳を確保しろ。誰かが侵入した痕跡があるはずだ」
隊員たちが次々と銃を構える中、ハリエットの口から私の言葉が漏れた。彼女は自分じゃないのだ、というように両手で銃を上に掲げている。私は同時にシーの個識に接触していた。
(スマッツが、店主を狙った。彼の意志ではなかろう。顎を撃ち抜いているから自殺もできんはずだ。脳だけは無傷で回収しろ)
命じてから、ハリエットの視線を利用して、あたりを見渡す。
スマッツを撃ち抜いた銃弾と、スマッツの体がぶつかった壁が崩れ、その向こうになにか部屋の様なものが覗いていた。
私は、思わずため息をついていた。
面倒なことになりそうだ。
†
「なんだ、これは」
シーを連れた私は、スマッツによって崩れた壁の向こうにあった部屋の中で、すっとんきょうな声を上げていた。
突入隊員たちは既に退去を済ませ、警察に偽装した他の隊員たちが、徹底的なクリーニングを行っている。
そして、私たちだけが狭い隠し部屋にいるというわけだ。
大人が五人も入れば満杯になる様な部屋の中には、停滞睡眠槽が二つ直立していた。
普通の睡眠槽にはついていないような大がかりな機械がごてごてとくっついている。だが、こんな機械は見たことが無く、用途がなんなのか想像がつかない。
「片方は稼働しているようですな……」
シーの言葉通り、片方の槽には男性らしき影が浮かび、機械も低く唸りをあげている。
「店主に尋問するか。ここで停滞睡眠槽を使う必然性が理解できないが」
停滞睡眠槽はそもそも長期間の宇宙航行のために開発された『時を極限まで遅くする』技術で、たとえば死にかけの体を維持しつつ治療を行う時などには重宝するが、男は外傷を負っているようでもない。
このゲームの中であえて使う意味がわからなかった。
機械の様子を見ようと、制御装置らしきディスプレイに手を触れた。
唐突に、『それ』が起きた。
みしり、と空間がきしんだように思った。
時間が引き延ばされ、世界の動きの全てがひっかかるような感覚。
自分の姿がぶれ、動こうと意識した場所にいる自分と、まだ動けていない体にいる自分の両方を感じ取って、混乱が襲う。
苦しい。
息もできなければ、鼓動が脈打つのも感じられない。
それ以上に、意識がかき回されているのを感じる。空気が、血液が固体と化して、体中が重みにもだえていた。
叫ぼうにも叫べず、うずくまろうにもうずくまれず、ただ、時だけがうすっぺらになりながら、じりじりと進もうとする。
目に映るもの全てから実体感がなくなり、一瞬、すうと何もかも――私の身体さえ消えて、ただの灰色の空間が、感覚の全てを覆う。
そして、全てが一気に元に戻った。
体が既に思っていた場所に移動していたのに気づかず、無理矢理動こうとした足がたたらを踏む。
五感が世界を感じ取り、時間は平常に流れだす。
濃酸素ジェルといっしょに槽から吐き出される男と、それを抱き留めるシーを視界に収めながら、私はへなへなと崩れ落ちた。
震えが、どうしても止まらなかった。
†
「『抜け穴』とはな。噂には聞いていたが、本当にあるとは」
報告書を手に、私は苦笑いを浮かべてみせた。
デスクの前に立つシーはなにも答えず、あらぬ方向を向いている。関わりたくないのか、それとも上司を見おろすことになれていないのか。
変えてくれと総務に言わねばといつも思いつつ、いまだに変えていない大きな椅子に深く沈み込み、考え込む。
報告によれば、六星亭の隠し部屋に設置されていた二つの停滞睡眠槽は、『プロ』プレイヤーたちが現実世界に帰ってはまたゲーム世界に舞い戻るための、『抜け穴』であると考えられるとのことだった。
その動作原理などは推測の域を出ていないし、証拠などあるはずもないが、ありえない話でもない。
本来、ゲームの中で死ぬか、ゲームをはじめる前に設定した引退の時までは、プレイヤーはゲームから現実に戻ることはできない。
引退も、ゲームキャラクターとしては死亡扱いだし、同じキャラクターを再び使うことはできない。以前のキャラクターが残した財産やらはゲームの中でしかるべく処理されて、本人には還元されない。
唯一可能なのは経験値の移植くらいだが、それもゲームバランスの調整とランダム要素が加わって上下する不確実なものだ。
そうすることで新規参入のプレイヤーとベテランプレイヤーのバランスを保っているわけだ。
そうでもしないと、運営側が収益を確保できない。
しかし、抜け穴を利用すれば、いつでも現実に戻ることができる。
キャラクターを死亡させないで再利用することはもちろん、ゲーム外でゲームの情勢を分析したり、ゲーム内の金銭やアイテムを売り買いするなどという、本来許されていない行為もし放題。
「これはもはや、我々の管轄ではないな。……シー、このことは忘れたまえ」
「何のことでしょう。大佐」
「……よろしい」
下がりたまえ、と言ってから、ふと思いなおし問いかけた。
「そうだ。君は、あの時大丈夫だったのかね?」
部屋から出ようとしていた彼は、振り返り怪訝な顔をした。
見おろしながら下から眺めやるような視線を私に向けて。
「あの時、ですか?」
と聞き返してくる。
「ほら、あの部屋で、男が停滞睡眠槽から出てきた時……」
段々と尻すぼみになっていった。
とぼけているとかいうのではなく、本当にわけがわかっていない顔つきに、急に不安に襲われたのだ。
「いや、いい。……下がれ」
ぱたり、と扉が閉まり、私は自分の肩を抱いた。
体に走る寒気を追い出したくて。
報告書を手にとり、デスク端のライターに近づける。再生紙の報告書は、ぱっと一瞬にして燃え上がり、ただ灰だけがデスクにぱらぱらと降り積もった。
†
凍結室。
そこはそんな風に呼ばれていた。
体が機能停止に陥るほどの重傷を負った隊員や、微妙な立場の捕虜を停滞睡眠槽に閉じ込めて、一時的に保管しておくための場所。
傷が治り職場に復帰する者や、人質交換のために解放される者もいるが、たいていは『不幸にも』ゲームには戻れずに現実に帰っていく。
スマッツと六星亭の店主、そして、抜け穴を利用していた男が、いまはこの部屋に収められている。
他のスパイ連中は、利害関係があまりに面倒なので一時拘留はされるもののすぐに保釈されるだろう。
両側に停滞睡眠槽がびっしりと立ち並ぶ通路の様な細い部屋の中で、私は覗き穴からスマッツの姿を眺めていた。
頭と鼻の上部までは普通だが、鼻の中間あたり、ちょうど頬骨の高さから、あごにかけてごそりと肉がこそげとられている。
まるで、顔中が口になったかのよう。有り体にいって、化け物だ。
喉の奥に酸素を供給するために、パスタの様にたくさんのチューブがはりついていた。
「再生は、正直骨が折れますな」
声が、耳のすぐ傍で聞こえた。
この部屋の主任だ。
頬がひくつくのをなんとか抑えて、ほんの少し体をひねる。声だけならともかく、息が耳にかかるのはあまり歓迎できない。
「機械化したら楽なんですがね。味覚の再現ができなくなるので困りものです」
がりがりの痩身で、見るからに神経質そうなくせに、妙に人にぴったりとくっついてくる主任は、もしかしたら私にアピールをしているつもりなのかもしれない。
全く興味をもてないので、気づかないふりをしておく。生ぬるい息もそうだが、口臭がきつすぎる。
内臓が悪いのだろう。腐った様な匂いがした。
クローン人体で、内臓疾患まで再現する必要がどこにあるのかとも思うけれど。
「本人は?」
「いえ、まだ意識は覚醒していません。どうもハッキングの痕跡がつかめませんので……」
きつい目で、主任を見た。じっと見つめているだけなのに、ふつふつと額に汗が噴き出てきた。
何度か口を開こうとしてまた閉じて、と繰り返すのを、なにも言わず見つめ続けると、ついに目を伏せた。
「例の男は」
視線を外し、林立する停滞槽を眺める。このどこかに、身元不明の男もはいっているはずだ。
「情報を引き出すために防壁崩しを試みています。とんでもない防壁の厚さで、これだけでも充分に面白いものですな。まあ、時間の問題ですが」
にやりと主任は笑って見せる。
「話はできるかね?」
「不可能ではないですが……。そうですね。大佐のお願いなら、ボク、断れないなあ」
お願い、などではないのだが、聞かなかったことにしておく。
主任は私の前に立ってずんずん進む。放っておくと手でもひきかねない勢い。
通路の部分を抜けると、ガラス張りのモニター室が現れる。こちら以上の機械に覆われて、幾人もの研究員が業務についていた。
だが、主任は、そちらには向かわず、ドア横のモニターへ案内する。
「あちらの部屋でもいいんだけど……。こちらのほうがレスポンスが早いんだよね」
段々となれなれしい口調になるのを無視して、モニターの前に座った。
古くさい手動のインターフェイスに面食らいつつ、主任のほうを見やる。
「文字情報になるのかね」
「ええ、もちろん、画像がお望みならそれもできるけど、少し時間が……」
「いや、いい」
べらべらと自慢げに喋る彼を遮って、ぴしゃりと言い放つ。鼻白んだ彼は、とりつくろうような曖昧な笑みを浮かべた。
「つないでくれ」
「はい。……ええと、ここに入力してください」
画面上の入力ボックスを指さして言う。私はそれにしたがって、尋問を開始した。
――名前は?
■回答なし。
――名前は?
■回答なし。
――名前は?
■回答なし。
――名前は?
■……答えるつもりはない。
――反応があるとは。てっきり白痴かと思ったよ。
■回答なし。
――では、ジョン・ドゥー。君が現実とこの世界を行き来する、ルール破りのゲーマーであることはわかっている。いったい、この街で何を企んでいたのか、教えてくれないかね。
■教える義理はないよ。
――もちろん、もちろん。しかし、考えてもみたまえ。
我々は君の体を確保している。脳味噌に侵入することも、時間をかければ不可能ではない。
しかし、それは両者にとって退屈で苦痛にまみれた時間だ。どうせなら短縮してみないかね。
■古くさい脅しだ。
――脅しなんかじゃないよ。正当な取引さ。
[笑い]
――このゲームの中に限れば、体は苦痛を君に与えるし、死は、この世界においての真実だ。たとえ意識が現実に逃れてもキャラクターを利用することはもうできないんだ。
[笑い]
――おかしいことを言っているとは思えないがね。
■おかしいさ。苦痛? 死? この世界のどこにそんなものがある。本当に、そう信じ込んでいるのか? それとも直視したくないのか?
――ゲームの中だとは認識しているさ。
私が言っているのは、我々……この世界に生きるキャラクターにとっての真実さ。クローンも生きていることには違いはなかろう。
■真実! 生きている!
――まあ、すくなくとも物理的には、ということだがね。
■嘘っぱち。全部嘘っぱち。何もかも! 何もかも!
「なんだ?」
画面が急に乱れた。
モニターの中がゆらゆらと揺れ、文字がばらばらと崩れていった。
隣の部屋では、悲鳴の様な叫びがあがり、若い男が血相を変えてこちらに飛び込んでくる。その顔を見て、私は苦いものが胸に広がるのを抑えられなかった。
「主任! 生命反応が消失しました」
「何?」
部屋へ駆け込む主任。それに続いて戻っていこうとする男をつかまえて、私は尋ねた。
「自殺かね」
「それは、不可能です。なにしろ体は固定されているし……。いえ、でも……」
「でも?」
「プレイヤーが……接続を切った、としか。可能ならばですが……」
自分で言った言葉にショックを受けたかの様に、彼は立ち尽くす。
イメージと言葉と断片的な思考がとりとめもなく、ぐるぐると頭の中ではねまわり、千々に乱れる意識の中で、いくつかの形に落ち着いていく。
「君、このゲームの管理者って、どこにいるか知っているか?」
「いえ……。そういえば……考えてみたこともありませんでした」
ぼんやりと、不思議そうに言う顔を見つめて、そうだろうなと呟く。
狂乱に揺れる凍結室をあとにしながら、歩く足にどっしりと感じる重さに、思わず喘いでいた。




