2-3 黒い色
「ありがと」
差し出された温かなカップを受け取って、私はシュアに礼を言った。
熱いぶどう酒だった。
沸き立つ湯気を思い切り深呼吸して、多めにあおる。
体の中に、熱が染み渡っていく感覚。
「いらついてるみたいだな」
「そう見えた?」
笑って応える。
ごまかしてみようかと思ったけれど、あきらめた。
「いらいらしてるわけじゃあないのよ。ただ、ぐるぐる考えちゃってただけ」
「ふむ……」
シュアも杯を傾けている。
どうもあちらは、アルコールや麻薬ははいっていないようだ。
「考えすぎてもしかたないんだけれどね。ただ……ね。少しだけ不遜な気がしたの」
彼らの生活に干渉することが。
鉄道管理委員会は、まるで彼らのことを獣のように言うけれど、彼らは彼らなりの文化を発達させた人類の一支族だ。
そして、列車を唯一の資源としてあの場所で暮らしている。
略奪という生活基盤は、確かに『文明化』された人々からみれば、褒められたものではないかもしれないが、そう珍しいわけでもない。
そも、人類は、生まれ故郷の星を手始めに、そこら中の資源を略奪し続けて、ここまで広がったのではなかったのか。
鉄道の運行の安全を確保しようとする管理委員会の言い分はわかる。
廃棄セクションに住み着かれるのが好ましくないという、光輪自体を運営する部門の言い分も納得できる。
けれど……。
「彼らには彼らの生活があるのよね。あのステーションにあふれていた人たちと同じく。私たちと同じく」
「そうだろうな。あの姿を見ると、既に現在の状況に適応しているようだ」
「あれだけ変形してるとね……。たぶん、廃棄後に自分たちで改造したんでしょう」
生き抜くために。
それでも私は、彼らを外に導かなくてはいけない。
他の環境へと連れ出し、新たに生きる術をみつけろと放り出す。
それが仕事だから。
「それをまた強要するわけだな。強制的な変身を」
そういうこと。
「だが、それが彼らにとってプラスかマイナスか、なぜ悩む?」
「え?」
シュアは私の目を見つめて、静かに息を吐いた。
「彼らにしかわからないことを、エイダが考えてどうするんだ? 彼らが何を考えて廃棄セクションに残ったか、あるいは残されたか。そして、その後、どうやって現在の社会を築いたか、俺は知らない。知り得ない。そして、どこか別のところに行った時に、どんなことを思うか、それも彼らの考えだ。エイダは、情報商人だろう? 対象を愛するのはともかく、対象に呑みこまれるのは正しくないんじゃないのか」
一気にそれだけ言うと、シュアは、小さく笑みを浮かべた。暖かなやさしい笑みだった。
ぽん、と頭の上に手がのせられる。くしゃくしゃと髪の毛をいじくられた。
髪の毛がめちゃくちゃになるけれど、でも、気持ちいい。
指が髪の合間から抜け出る感覚が寂しくて、ちょっと上目づかいで彼を見た。青年はもう一度微笑むと、すたすたと他の部屋にいってしまった。
「エイダを信用してる」
唐突にかけられた声にとっさに反応できない。
彼の姿が通路に消えた頃にようやく、
「ん」
とだけ応じると、勢いよく杯に残ったぶどう酒を飲み干した。
†
「ただ接触するだけじゃなくて、不安を煽ろうと思うの」
一晩眠ってから、私はシュアにそう告げた。
頼んでいた機材をひっぱりだしている途中の彼はそれを聞いて、興味深げな顔をする。
「不安を誘導する電磁波もあるし、それも使うつもりだけれど、できれば貴方に一働きしてもらいたいんだけれど、どうかな……?」
機材を置いて、シュアが先を促すしぐさをした。
ちょこんと機材の上に腰掛ける格好になっているが、重力が弱いために実際は触れているだけだ。
「セクションに潜入して、破壊工作――というよりも彼らの生活を荒らしてほしいの」
いいかな、とおずおずと加えた。
契約にはない行動だから、拒否する権利はシュアにある。
お金を積んだりして頼むことはできるだろうけれど、出来れば納得して動いてほしかった。
「ふむ」
なんだか怒られるのをわかっててびくびくしてる子供みたいだ。
そう自分で思った。
どんな場合でも拒否の言葉をかけられるのはやっぱり怖い。特に彼からは。
でも、少しリラックスしすぎかなあ、とも思うけれど。
「次の契約からは、仕事単位での行動規範を書き直さないとな」
笑みと共に、そんな言葉が降ってくる。一瞬理解できなくて、間抜けな顔をしてしまった。
「じゃあ」
「ああ、いいよ。潜入でもなんでも。まずは詳しく話してくれよ」
「うん」
私は元気よく返事した。
†
「じゃあ、あとはよろしくね」
停滞槽の閉まりつつある蓋の合間から声をかける。
その向こうではシュアが停滞槽から伸びているコードをとりまとめたりしているのが見えた。
「ああ。しかし、エイダも無理するなよ」
「大丈夫、これまでは私とアレクサンドリアでやってきたんだから」
蓋が閉まり密閉されると同時に、内部に濃酸素ジェルが満たされ始める。
その青の向こうにシュアの顔が揺らぎ、消える。
彼はいまから私が頼んだ通り、あのセクションへと潜入する。
そして、私は……。
意識が拡大する。自分と他のものとの境界が徐々に曖昧になっていく。
そして、私という自我は舞台裏に引っ込み、舞台上には新たな劇の登場人物たちが現れて……。
暗転。
†
小片となった肉をさらに引き裂いて、口につながる殻に押し込んだ。
がりがりと歯をこすりあわせると、肉汁が溢れ出てくる。
うまい。
わたしは久々の食餌の喜びに体を震わせた。
今回の狩りはなかなか上手くいった。
わたしのような狩りの参加者だけではなく、村人全員に少ないながらも肉が行き渡ったのだから。
「それにしても、今回のこれは、また珍しい格好をしているね」
肉が喉を滑り落ちていく感覚を味わいながら呼吸口を開けて、そばにいたタクデンに声をかけた。
タクデンはわたしと同齢の男衆で、最初の交配相手になればいいな、と密かに思っていたりする。
「そうだなあ。肢が四本しかないのはいつもと同じだけど、この背中のでっかいのはなんだろう。肉が多いかと期待したら、骨ばっかりで上手くないし」
「そうだね。なんだろう。ケモノたちとも違うしね」
わたしは、タクデンが指摘したものを見やった。
まだ解体されてない肉の、背中とおぼしき場所には大きく隆起した物体がとりついていた。
真っ白な色は綺麗だけれど、なんだか毛みたいなものが生えてるだけで、食べられやしないのだ。
だが、その部分をのぞけば、肉は柔らかいし、数もたくさんいた。
龍のあばたにこれだけの肉がのっかっているのは、かなり珍しい。
あの毛のようなものは、見たことがないけれど、もしかしたら服になるかもしれないし。
「良い狩りだったね」
「良い狩りだったな」
言い合って、お互い満腹だということを示すのに肩を叩き合った。
食べられるときに食べておかないと次の食糧がいつ取れるものかわかったものじゃない。
だから、仲間たちがしっかり食べているかどうかを確認するのは大事なことだ。
……ふと。
わたしは、立ち去ろうとして、それらの肉たちを見つめた。
これは、龍といっしょにくる。
これらは、龍といっしょにやってくる。
そうだとしたら……。
「いくぞ。キイ」
タクデンにかけられた声に、わたしは思考を途切れさせて、はねとんで彼の姿を追いかけ始めた。
†
「次の龍はいつごろになるね、おばば」
村の真ん中の大天幕の中で、ドロが占いばあばに声をかけていた。
今回は上々の首尾だったとはいえ、次の狩りへの備えも怠るわけにはいかない。
長老連中とドロのような首長はそうやって大天幕の中央で話し合いを続けているが、わたしたちのような下っぱはすることもなく端のほうでごろごろと寝ころがっている。
狩りの時以外に無駄なエネルギーは使わない方が良い。
ごそごそと、ばあばはぼろぼろの布切れのようなものを何枚も取り出しては、それを丹念に読み取っていく。
わたしたちには何が描いてあるのかさっぱりだが、占いを生業とする者たちには読み取れるらしい。
「三千」
ばあばは年だからだろうか、余計なことを口にしない。
脚が萎えて動けなくなってからもう久しいという。
三千呼吸ならいつもより大分期間が短い。
今回もなかなかいい狩りだったし、全体的にいい色が訪れているのかもしれない。
「それとね。黒い色があらわれるよ。真っ黒なものが」
ざわりと天幕が揺れた。そんな不吉な予言は誰も聞いたことがなかった。
灰色は死の色。
けれど、黒は死よりも恐ろしい、恐怖の色だった。
ドロは再びばあばに問いかけたが、ばあばは一向に応えない。
ただただ、黒い色があらわれるよ、と繰り返すだけ。
わたしは、そして、周り中の誰もがそのイメージに恐怖し、ただ、轟々と悲鳴のような鳴き声をあげていた。
大天幕の周りを、ぐるぐると廻るのにも厭いて、少し遠出をしてみようかと思った。
気嚢に空気をたっぷりため込んであるし、肉はたらふく喰っている。
少しばかり世界を見回っても帰って来られるだろう。
そう踏んで、わたしは特に行き先も決めずに歩きだした。
本来、わたしのような狩士は、狩りの合間の時間には、体力温存のために天幕の中にいるべきなのだ。
体がよく動くようにと少しばかり運動するのはよくあるけれど、こんな遠出をしようなんてこれまで考えたことはなかった。
でも、なんだか動かずにはいられないのだ。さっきのばあばの言葉を思い出してどうにも落ち着かず、天幕のなかでぬくぬくとまどろむ快楽に逃げていられない。
ぼんやりと歩く。
灰色の世界は茫漠と続いていて、その広がりに、わたしはくらくらする。
考えてみれば狩りの時に外に出る以外は天幕のそばに寄り添っているから、こうして上を見上げたことなど数えるほどだ。
小さい頃――ころころと母の体のなかで遊んでればよかった頃、そういえばこうして見上げたことがあったような気もする。
排卵時期が近いのだろうか?
心の動きが不安定になるのは、そういう時だと聞いたことがあった。
……大昔、人はいつでも排卵し、発情していたのだという。
だから、増えすぎて増えすぎて、ついに世界が人を支えられなくなった。
この大地の底が抜けるくらい。
世界に死の色があふれ、ほとんどの人々はどこかへ消えてしまった。
空気も食べ物も燃えるものも消え、わたしたちのような固い皮を持った人間だけが生き残った。
固い皮を持った人間は、発情と排卵の時期を操る術を手に入れていたから、無闇と増える必要がなかったのだ。
そして、なにより、わたしたちには龍がいた。
龍のもたらす恵みを受けて、わたしたちは世界で生き抜いてきたのだ。
この世界を支え続け、哀れなこの世界に新しい恵みを与え続ける巨大な回転体。
あれは、いったいどこから来るのだろう……。
こんなこと、一度も考えたことはなかった。
龍は龍。世界は世界。そうしてずうっと暮らしていくのだとなんとなく思っていた。
きっと、これも不安になっているせいなのだろう。
黒い、色だなんて……。
気づけばかなり大天幕から遠くにきてしまった。かすかに大天幕の頂は見えるけれど、もう見覚えのある景色でもなくて、大地の鋼材も朽ちたのが増えてきた。
歩きづらい。
それでも何だか戻りがたくて、気嚢に残っている空気の量を確認して、ようやく戻る気になった。
ちょっとだけ名残惜しく感じて世界をぐるりと見回し、その広さと不毛さを確認すると、踵を返した。
ちょうど第三肢を、背後の鋼材にかけようとしていた時だったように思う。
左斜め前に見えていたなにかの残骸――この世界に死の色があふれる前はなにかの役にたっていたのかもしれないけれど、いまではさっぱり用途のわからない巨大なもの――が、崩れ落ち、振動と風に乗った破片がわたしを襲った。
一瞬で体中が引き締まり、緊張する。
第三肢が強く握りしめた鋼材がゆがむのを感じた。
なにかがいる。
そう強く感じた。体中の感覚器官が危険を告げるのに、わたしの頭は混乱をきたす。
世界は死の色に彩られているけれど、こんなにもわたしたちをおびやかすようなものに出会ったことはない。
破壊は、わたしたち人間の手によってなされるべきものなのだ。
そうやってパニックに陥るわたしのそばで、鋼材が、見えない何か巨大な手に握りつぶされるかのようにがらがらと崩れていく。
なにがそれをしているのか、わたしにはわからなかった。
けれど、これがばあばの言うものだと、それだけは感じていた。
わたしは、今、黒い色を見ているのだ。
†
どうやって帰りついたのか、本当に覚えていない。
もはや満足に息をするほどの空気すら体内に残していないわたしを、誰かが大天幕のそばで見つけて、あわてて天幕にひっぱりこんだのだそうだ。
「く、黒い色」
ようやく息をついて、まずそう言った。
一瞬だけ沈黙が支配した空気を、爆発のような叫び声と暴力的なまでの会話が包んだ。
わたしはその音の奔流を子守歌がわりに、ゆっくりと眠りにおちていった。
「ちょっとやりすぎじゃないの」
どこかで、なにかの意識がつぶやいた気がした。




