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ブツ切りだった前章の、そのまま続きです。
(最初から……こうするつもりだったしな。順番が入れ替わっただけだ)
この復讐のもう一つの目的を達成するべく、未だに揺れる双眸でシャガを睨んだ。この期に及んで震えそうになる声が忌々しい。
「……私を、覚えているか?」
「残念ながら貴女のような殺人鬼、知り合いにはいませんので」
そう言ったシャガは笑みを崩さないが、瞳の奥には疑念の色が映っている。そうだ、知らないはずがない。あの時お前は、私をその凍てついた瞳で射抜いたのだから!
「本当にそうかな?」
恨みを見せ付けてやるのだ。「お前の全てを知っていて、復讐する者がいる」という事を、死んだ者達の代わりに教えてやるのだ。
「だから知らないと言っているでしょう、この雌豚」
苛つき、シャガの流麗な仮面に隠された醜い素顔が一瞬だがチラリと顔を覗かせた。教えてやる、私は、私は!
「私はあの時、抱かれていたオーク――八つ目村の、生き残りのオークだッ!」
半世紀越し、やっと見えた怨敵は目を見開いて私を見つめ返した。
「私の村を奪ったエルフは全て殺した! 後はお前だけだ、シャガ!」
叫びと共に涙が頬を伝った。思い出すあの暖かい日常は、短くも長かった半世紀に押し潰されて欠片しか残っていない。それでも、その全てが磨り減っても、私は皆の敵を取りたかった。魂に安寧を与えたかった。
しかし、シャガはすぐさま興味を失くして私から目を逸らし、果てには欠伸混じりで呟いた。
「はぁ。下らない」
――――――――――――――な、に?
「そんな下らないことに半世紀も費やして、私たちを殺す事を考えていたなんて、本当にオークは馬鹿ですね。先人たちの苦労も分かります」
銃を握っていない手を天に向け、滔々と話を続ける。切り裂かれた傷口のように歪曲した唇は、私に容易く悪魔を連想させた。
「面白おかしく生きませんか? 私を殺しても彼らも村も返ってきませんよ? 折角あの竜人に助けてもらった命をこんな事に使うだなんて……彼も救われませんねぇ」
怒りで痛みがぶっ飛んだ。悔しい、狂おしい、今すぐあの軽口を止めたい。息の根を止めたい。それだけで私の足は動き出す。
「すいません、怒らせてしまったようですね。やれやれ、これだから女は――うぜぇンだよォォォォォォォォ!!」
またもあの黒い果実が投擲された。その武器が爆発するまでに時間が掛かる事は既に承知している。前への推進力を強引に捻じ曲げ、横っ飛び。がたつく鎧が、少し遅れて私の動きに合わせてついて来る。
草花を蹴散らし、身を転がしている最中に爆破が起きた。衝撃も熱波も、寸でのところで避けられたが、爆ぜた鉄片が襲い掛かってくる。爆心地から離れていたためか、大部分は鎧に弾かれたが幾つか肉に突き刺さった。
「おるァ! もっと豚らしく這い回りやがれェェェェッ!!」
完全にキレている。仮面を脱ぎ捨てたシャガはその顔に似つかわしくない……いや、むしろ似合っていると言うべきか。端整な顔に皺を刻み、怒りに染まった表情で黒い果実を次々に投擲してくる。
立ち上がり、後ろへ飛ぶ。数個の爆薬は同時に爆発し、破片を一重二重に吐き出した。顔を右腕で覆うも、頬を斬られた。
たたらを踏んで立ち止まると、目の前には重なる爆発で砂埃が舞い、私とシャガの間に擬似的な煙幕が生まれていた。煙幕と拡散した火薬の臭いで何処に爆薬があるか分からない。
(後ろだ、後ろに引け! 一度体勢を整えるんだ!)
理性はそう叫び。
(前へ進め! 前へ進まねばシャガは殴れないぞ!)
感情は怒り狂う。
(……奴の手には銃。あの爆薬は近距離では使えない。後ろに引くのは……愚策!)
瞬時、判断。私は感情に身を任せる事にした。へこんだ偽の大地を踏みつけて煙幕へ飛び込む。
目を細めて土埃をやり過ごし、煙幕から飛び出すと――そこにシャガの姿は無かった。
「な、んで……っ!?」
驚愕し、一瞬呆けてしまった。そうだ、早計だった、何故私は「シャガは動かない」と思ってしまったのか。そして、油断の報いはすぐそこまで迫っていた。
「そういや言ってなかったなァ! その”星呑み”は爆破時間が調整出来んだよ糞オークがアァ!」
足元の積み重なった土くれの中に、黒い果実が転がっていた。声は背後の土ぼこりの中。やられたっ、この時ほど己の間抜けさを呪った時はない。
「チッ!!」
歯噛みし、咄嗟に身を翻す。逃げ出そうと踏み出した足は地を踏むことなく、私は宙へ放り出された。
――――――あれ、ここは何処だ?
まるで空へ墜ちていくような感覚。頭の奥が痺れ、時が緩慢に流れる。ゆっくりと近づく地面に咲く花までも見分けることが出来るが、身体は指一本動かない。
――――――そうか、吹き飛ばされたのか。
晴れつつあった土埃の中にシャガの姿が見えた。彼は腹を抱えて嗤っていた。その姿を捉えた途端、世界は急加速して動き出し――私は顔から地面に墜落した。
「ばっっっっっかじゃねェのお前!! 頭悪そうだもんなァ、オークだもんなァ、二足歩行の豚だもんなァ? 鼻折れたか……って元々豚鼻だったなァ、ヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!」
掘り返された柔らかい土の上に落ちたため、鎧の重さで首の骨を折らずに済んだ。しかし、眠気のようなものが脳を侵食し始め、起き上がることが出来ない。私は土の中で無様に四肢を動かし続けた。
「あの竜人族の男もそうやって死んだか? ちゃんと苦しんで死んだか、なァ!?」
あの耳障りなお喋りはもう充分だ。早く。早く立ち上がって闘え。怒りも憎しみも苦しみも、嘆きも恨みも悲しみも! 全て此処にあるのに立てない道理などあるものか!
「う、ぐぅぅぅ……!」
頬の内側の肉を噛み千切り、強引に脳を覚醒させる。それでもまだ足りない、次は反対側の頬を噛み千切った。舌の上で転がる二つの肉片、そして不味い己の血液。それを無理やり喉の奥に流し込み、立ち上がる。
(風前の灯、とはこのようなものなのかもな……)
深呼吸をする自分の呼気が血生臭い。粘り、涎混じりの血が地面に糸引いた。大丈夫、私は立てる、まだ闘える。
意図せず、前屈みになった背を起こし、前を見据える。足はまだ、私の言う通りに動いてくれた。
(居るぞ、目の前にお前の怨敵が! 足を動かせ、胸を張れ! 掴んで殺せ、殴って殺せ、魂の一片までも撃ち砕け!)
右手を左肩に伸ばし、「事前準備」を行なう。次は右肩へ。そして最後は首筋へ。
(どうせこの鎧ではあの弾丸は防ぎ切れない、ならば――)
歩みは止めない。新たな爆薬を取り出したシャガは舌を出して挑発している。
「――もう、いらない」
シャガが爆薬を投げ付けようと構えたのに合わせ、上半身の鎧を外し……走り始めた。
重量という楔から解かれ、帷子だけになった上半身。銃創と火傷、裂傷に打撲傷が埋め尽くしているのに、その身は鎧装着時に比べたら羽毛のように軽く、自在に動いてくれた。
「……チィイイッ! 豚は這ってンのがお似合いなんだよォオオオオオオ!!」
既にシャガの手から離れていた爆弾は、私の遥か裏で爆発した。疾走、シャガは長筒の銃を構えた。
(弾は速い、速い……が)
もう、一度味わった。私にあってシャガに無いもの、それは……実戦の絶対的経験値だ!
己の額を一筋の殺意が照射される。シャガの狙いが分かる、シャガの殺意が、ぷんぷんと臭う!
引鉄に掛けられた指を注視する/動かない。
初めてシャガの顔に焦りが浮かぶ/動かない。
斬り込む斬り込む前へ前へ/動かない。
右拳を固め、振り被る/動いた!
弾丸が発射されるより早く、私は拳闘士のように身を地に沈みこませる。匂いの爆発、弾丸は私の頭上を哄笑を上げて通過していった。
身体を縮こませ、己の中で生じた突き上がる衝動に任せて走る。
(鈍重なオークなら容易に仕留められると思ったのだろうが……甘い!)
鎧が無ければ人虎の打撃すら避ける自信が有る。況や、「来る場所が分かっている」ならあの弾丸でも避ける事は可能だ。
長筒から薬莢が排出される。殺意は舐めるように、額から胸へと移った。狙いはこの騒ぎ立てる心臓――指が動く!
横っ飛び。掠めた弾丸は脇腹の肉をこそげ取った。土を蹴り飛ばし、右拳を地面に押し付けて体勢を整える。
「クッ、ハアァ……!」
圧縮した筋肉を解放、杭打ち機を思わせる衝撃が足裏に返ってくる。銃撃が当たらないと見るや、シャガは手を背に回し、再度爆薬を取り出した。
(またアレか……!)
「いい加減死んでもらえませんかっ!?」
投げられた爆薬は弧を描いて飛来する。それに向かって私は敢えて加速して近寄った。
(爆破時間を調整できるというのなら……)
斜面を駆け、その勢いを以って目の前で浮かぶ黒い死に向かって掌底を叩き上げる。
「その分、己で稼げば良い!」
かち上げられた”星呑み”は、その名のごとく宙へ舞い上がり、そして飛散した。降り注ぐ破片は雨となって身に突き刺さるが、委細問題無い。さらに加速。
シャガは後退しながら。私は前進しながら。二人の距離は急速に狭まりつつあった。
「忌々しい雌豚ですねェ!」
またも爆薬が投擲された。しかしそれは、投げるというより転がすに近い。手で弾かれたのが余程気に食わなかったのか。
拾って投げるには遠く、蹴り飛ばすのも危険だ。右から迂回し、通り過ぎる。目前まで迫っているシャガは汗を垂らし、焦燥に駆られながらも――嗤っていた。
(何がおかしい!?)
長筒の銃に顔を押し付けて、構えるシャガ。しかしその銃口は私には向けられていない。狙いの先にあるのは、未だに爆発せずにいる爆薬だった。
その爆薬を撃ち抜こうというのだろうか。しかしそれを爆破しても既にその場を離れてしまった私にいかほどの効果があるだろうか。シャガは何を考えている!?
笑みを崩さず撃ち出された弾丸は、その銃口の指し示す通りに飛んでいく。背後から聞こえてくるのは爆発音ではなく、ぼふっとやけにくぐもった鈍い音。
シャガは何をした――――その疑問は背に叩きつけられた爆炎を以って答えられた。
次回更新は日曜を目標にしています。