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白銀の豚姫  作者: 空暮
2/11

1-2

 申し訳ありません。色々と立て込んでいました。年はまたがないうちに完結させたいです。ですが……想定したより文量が増えてしまいました。

 食事を済ませた純青は、久慈久に紹介された宿――樫の根亭の二階の一室へ向かい、荷物を床に放り投げるとすぐさまベッドに横たわった。

 膨れ上がった腹を叩きながら、天井の木目を眺める。時間はまだ昼下がり。それだというのに純青は眠そうに閉じたり開いたりしている。鎧は既に脱ぎ散らかされ、ベッドの下に転がっており、とてもじゃないが騎士の名を冠するものには見えない。

 そのまま寝てしまうものかと思えたが、面倒そうに起き上がると脛当の内側に納められていた小柄を取り出す。小柄には優雅に眠る臥竜が彫られており、一目で由緒ある高価な代物だと分かる。彼女はその鈍い銀色の刃をじっと眺めると、満足そうに胸に抱いて寝てしまった。



 ぶんっ、と空気を切り裂く音。上半身を晒した男が、一心に刀を振るっている。飛び散る汗は夏の日に当てられて眩しく輝く。

 青々と茂る山に囲まれた小さな村の、小さな畑。そこには季節の野菜がたわわに実り、房から今にも千切れてしまいそうになっている。その畑の前で、童女が興味深そうに男の様子を窺っていた。

 何度も何度も振り下ろされは、引き戻され。そのたびに男の筋肉は躍動し、震える。それを飽きもせず見つめている童女は、彼を真似して木の棒を振り始めた。

 チラリ、と男は横目で童女を見る。彼女は出鱈目に、心底楽しそうに棒きれを振り回している。

 「……誰だ、お前は」

 耐え切れなくなったのか、男は刀を振るのを止めてしまった。滲んだ汗に、青銅にも似た彼の鱗は濡れて光沢を放つ。男は、竜人族であった。

 「あのねー、アタシねー、そこの角の家に住んでるねー、純って言うのー」

 間延びした口調でゆっくりと自己紹介するオークの少女は、金色の瞳に睨まれても「えへへ……」と抜けた笑みを浮かべている。

 「……口の端が汚れているが、トマトを食ったのか?」

 「うん!」

 元気良く返され、男は無表情のまま刀の峰で軽く純の頭を叩いた。

 「ふぇ!?」

 突然のことで何の反応も出来なかった純は、棒きれを放し、自分の頭を抑えた。

 涙目になっている彼女に、男は淡々と語る。

 「人の物を勝手に盗ったら、いけない。分かったな」

 当の純は痛みで泣き出し、話を聞いているのかいないのか、猛烈な勢いでしゃくり上げている。涙だけではなく、鼻水まで出放題。だが泣き声だけは堪えているようで、その姿をどう思ったのか、男は手ぬぐいで顔を拭ってやると「少し待て」と木と土と紙で出来た小さな家へ入っていった。

 数分もしないうちに戻ってきた彼の手には小さな飴玉が。それを純に手渡すと、

 「もう二度とこんなことをするな」

 そう言って純に笑顔が戻るのを見届けて、また刀を振り始めた。


 

 その次の日。昨日と同じように男が修練を積んでいると純が家の垣根をよじ登って現れた。相変わらず彼女の手には棒きれが握られており、垣根の上で楽しそうに振り回している。

 彼女の存在に実害はないと認めたのか、男もさして何も言わず己の鍛錬に集中している。ただ一心に、目の前の空間を鉄で切り裂く。ただそれだけを、永遠と。彼の目はここではない何処か遠くを見据えていた。

 ひとしきり終わったのか、手ぬぐいで顔を拭いていると純が垣根から飛び降りて近づいてきた。

 「今日は何も無いぞ」

 裾を引っ張る彼女にしれっと伝え、素知らぬ顔で純を見つめる。すぅ、と細められた目は思慮深く、何かを探るようなものだった。

 「お前……友達は? この村には歳近い他の子どもがいるだろう」

 問われた純はさっと顔色を変え、俯いた。男の裾を強く握り、微動だにしない。逡巡、その様子に男は顎に手を当てて考える。

 純の手に握られた棒きれ。己の手に握られた刀。視線を動かし、考えを廻らし。

 溜息一つ、男は純の頭を掌で軽く叩くと、

 「また明日来い」

 そう告げて、恵まれた体躯には窮屈そうな小屋へと戻っていった。



 深更、純は縫い合わされた粗末な寝具に包まって両親の話を聞いていた。いつもなら気にも留めず寝てしまうが、今交わされている内容は、彼女の興味をそそるものだった。

 「ねェあなた。あの人、何処のお偉いさんなの? わざわざ私たちに手土産まで持って来る使いまでいるなんて、きっと帝都のお偉いさんよ」

 「そんな事、俺たちが知るかよ。ただ、村長まで「丁重に扱え」だなんて言ってるんだ。触らぬ神に祟りなし、これまで通り、適当に仲良くしておきゃ良いんだよ。ほら、明日も早いんだ」

 「そう言っても、気になるじゃない。あんな身内に甘い竜人族よ? それがこんな辺鄙な村に逗留しに来るなんておかしいわよ。きっと庇いきれないくらい非道い事を――」

 「しっ! 誰かに聞かれたらどうするんだ!? いい加減にしろ! 俺たちには親戚も後ろ盾もないんだぞ、ここから追い出されたらどうする!? この話はもう二度とするな!!」

 外で見せるモノとは全く違う父の顔。怒り、口から飛び出した牙をちらつかせながら怒鳴る姿に、そっと純は顔を敷布団へと埋めた。



 次の日、純が男の家に行くと、庭では既に男が刀を振るっていた。脱いだ上着が腰辺りで踊っており、袴と共にはためく。

 純は邪魔にならないように、手に持った棒を振ることなく、その様子を見ていた。そうしていると沸々と彼女の中である疑問が湧いてきた。それは、「何故身体を鍛えるのか」という事だった。こうして見ているだけでも、男は時折苦しそうに息を洩らしている。果たしてそうまでする必要があるのか、と。

 休憩を入れることなく、ただ全力で振り下ろし、すぐさま引き戻す。そしてただまた振り下ろすだけ。技術などといった物は一切見受けられない。だが、その剣速の凄まじさは離れている純にも伝わってくる。

 飛び散る汗が乾く頃になって、男の修練は一度終わりを告げた。手持ち無沙汰にしている純を見つけ、手招きして呼び寄せる。

 「お前のだ、受け取れ」

 そう言って純に手渡されたのは一本の木刀だった。まだ新しく、木の白さが目立つソレは、純には大き過ぎるものだった。

 「えー、アタシもそれがいーいー!!」

 棒を投げ出し木刀を受け取った純は抜き身の刃を指差す。だが、男はあっさりと鞘に収めてしまった。そして不満そうに頬を膨らませる純の頭をその刀でぽこっと叩く。

 「ふぇ!?」

 「子どもには早い。……稽古をつけてやる。神代より伝わる由緒正しき守原流、その身にしかと刻みつけろ」

 そして彼は純の手を取り、稽古を始めた。

 これが竜人族の男――守原永青と幼き日の高峰純青の出会いであった。彼らは、これから訪れる過酷な運命など知る由も無く、生まれたばかりの繋がりを噛み締めていた。いつまで続くか、いつまでも続いて欲しいと願う純粋な思いは、ある日起きた事件に踏みにじられた。



 それは唐突に訪れた。夜の闇と静寂を引っさげて、森の木々をざわつかせ、音も無く現れた。

 彼らは常人なら歩く事すらままならない山の急斜面を、事も無げに走り、滑り落ちてきた。誰も彼も身を黒く染め、矢筒を背負って村へ走り寄る。

 月影に乗じて現れた彼らに最初に気付いたのは、用を足そうと外へ出ていた純の父親であった。そして、彼はそのまま最初の犠牲者となった。

 彼は自分の服を濡らし、地に滴る液体が何かと首を傾げた。「漏らしたのか……?」などとぼやいてみたが、声が出ない。その時になって彼は気付いた――己の喉仏を突き抜けて黒く光る矢じりに。

 その矢に指が触れた途端、体中に矢が突き刺さった。背中に刺さった矢はオークの分厚い筋肉の隙間を掻い潜って内臓を掻き回す。彼は、何も言わず倒れ伏しそのまま数度痙攣すると、あっという間に絶命した。

 それを皮切りにあちこちで風を切る音が鳴り始めた。ひゅん、と鳴ればとっ、と不思議で小気味良い音が村中で聞こえる。

 ただ、それは通り過ぎる風のように。外に居る者も内に居る者も、立っている者も伏せている者も、男も女も老人も子どもも。その風に貫かれ、死んでいく。

 灯りを倒したか何かしたのだろう、通りに面した家で火事が起きた。その轟々とした輝きで、闇が恐れおののいて逃げ出す。そして、やっと彼らの姿があらわになった。


 彼らは、誰もが黒に統一した服を纏っていた。

 彼らは、誰もがただ矢と弓のみ手にしていた。

 彼らは、誰もが天を衝く尖った耳をしていた。

 彼らは―――――――――――エルフだった。


 エルフが弓を引き、村を焼き、人を殺していた。異変に気付いた者も追って殺し、隠れていた者も探して殺し、泣いて命乞いする者も笑って殺した。

 ぽつぽつと、村の通りにエルフたちが集まってくる。その数は五十にも近い。

 「この村であっているんですか、長。どいつもこいつも貧乏臭いのですが」

 顔半分を布で覆った男が、一際大きい弓を持ったエルフに問う。彼は顔を覆う布を外し、微笑んで答えた。

 「えぇ、間違いありませんよ。ただ彼らはこの地に眠る金脈に気付いていなかっただけでしょう。愚かな人たちには勿体無いですよ、えぇ」

 笑みを浮かべる彼の容姿は、充分に美青年と呼んで差し支えないものだった。その顔は炎に照らされて悪魔的に見える。

 「だけど、流石にばれるんじゃ……最近は帝都でも軍隊を警察に再編してるとか何とか言いますし……」

 不安そうな彼にやれやれと顔をしかめ頭を振る「長」は、諭すように噛み砕いて彼に告げた。

 「だからこそ、ですよ。その混乱の最中でしか得られない物もあるのです。今を逃したらこの地は手に入りません。だ、か、ら、こうして一人も逃がさないように山中に包囲網を敷いて殺しているんじゃないですか。なに、誰も生きていなければ問題になどなりませんよ。昔から心配性ですね、キミは」

 男の額を人差し指でつつくと「長」は弓を構え、矢を射った。放たれた矢は、放物線を描いて山へ吸い込まれていく。数秒後、何者かが倒れる音と悲鳴が僅かながら聞き取れた。

 おぉ、と歓声が沸く。いくら弓が得意なエルフでも今の神業を軽々と行なうのは難しいらしい。

 「私たちシャガの一族は一蓮托生。さぁ、早く仕事を終えてしまいましょう」

 一同を勇気付ける彼は大仰に腕を広げる。士気が上がり、弓を天に向ける彼らは熱に浮かされたような目で「長」を見つめる。

 「――た、大変ですっ! 第三部隊、全滅です! みんなバラバラに……!」

 突然現れた闖入者は、転げるように通りを叫びながら走ってくる。彼は「長」の下に辿り着くと、跪いて訴えた。

 「長」は動転する彼の頬を両手で包み、落ち着かせる。揺るがない彼の目に、男も冷静さを取り戻していく。

 「……落ち着きましたか? 第三部隊、か。彼らは何処に配属されていたっけ」

 「彼らは東の畑、そこから森へ抜ける道と区画です」

 横に控えていた者が代わりに答えた。「ふむ……」と顎に手を当てて考え、彼は跪いている男に休むように指示を出すと、手の空いた者たちを引き連れて第三部隊の構えていた区画へと走り始めた。



 彼はふと目が覚めた。まだ帝都で軍人として仕えていた時の癖が抜けず、僅かな物音で目を覚ましてしまうのが、今のところ彼の大きな悩みであった。

 (こんな場所にまで流れてきても、何も忘れられないか……)

 守原永青という名……いや、守原という名字は、知る者が聞いたら震え上がり、頭を垂れる程の威光を持った名字だ。軍に名立たる英雄を輩出してきた名門、神代から「武神」として伝わる竜人族の血筋。その名字を持つ彼も、紛れもなく名門の出である。

 しかし、彼はある致命的な欠陥を抱えていた。それは……火が吹けないという欠点だった。彼は生まれつき、火炎を吐き出す事が出来なかった。ただそれだけで、彼は不具者としての烙印を捺された。それは不幸な事に家の中だけの差別ではなく、社会的な嘲笑にも晒される要因でもあった。

 親戚どころか両親からも見放されて育った彼は、他の兄弟たちと同じように軍へ入る事にした。「恥を晒すだけだ」と侮蔑的な言葉を浴びせられたが、彼には「入隊しない」という道は残されておらず、そう言われるのも分かっていた上での選択であった。

 軍に入る事が出来たのも「家」の力であり、それなりの階級にいられたのも「家」の力。自分の力では抗えぬ大きな「何か」に流されるまま、ただ身を任せた結果、軍の再編で弾き出され辿り着いたのがこの辺鄙な村だった。

 もはや見捨てられたと言ってもいい。だが、彼は何も変わらなかった。もって生まれた性格か、厄介者として扱われた結果か、彼が己を変える事はなかった。

 「……少しは、この村にも慣れなければ」

 そして、何処に来ても変わる事の無い自身に、幾許かの虚しさを感じながら彼は布団から這い出た。

 大抵は風の音や鳥の鳴き声だ。彼もそう思い、木の扉を開こうとする。だが、いつもと違う空気――それは、戦場を経験した彼にしか分からない程の僅かな違い――に永青は気付いた。

 「あれは…………っ!?」

 反射的に飛び退くと、先ほどまで自分がいた場所に矢が刺さっていた。開きかけた木の扉の僅かな隙間、そこへ寸分の狂いなく放たれた矢は、身を震わせてその威力を示している。

 「な……!?」

 途端、己を貫く幾つもの殺気。考える暇もなく永青は後ろへ跳び、布団を巻き上げて身を隠した。そこへ飛び掛る矢は四本。矢は家屋の壁を貫いて布団へ突き刺さるも、既にそこには永青の姿は無く、煙のように消えていた。そして、枕元に置かれていた刀も彼と同じく姿を消していた。



 「やったか……?」

 「分からない。姿が見えない」

 永青の家を囲んでいたのは七人。彼らは己が定められた区画に、一軒だけ存在する家屋の処理に当たっていた。三人を裏へ回して逃げ道を封じ、前には二人組を二箇所に配置して狙撃。場所さえ分かれば、家屋の壁すら撃ち抜いて殺せると考えていた彼らエルフにとって、この状態は予期せぬものだった。

 普通ならば初撃で死んでいる。運悪く外しても次の同時攻撃で死んでいる。なのに、竜人族の男は初撃を躱し、同時攻撃をも凌ぎ、姿を消した。エルフの視力を以ってしても、永青の姿は見つけられない。

 「あいつ、起きていたな……くそっ」

 寝ているものだとばかり思っていたため、動揺し、失敗したのだ、と男が悔しがる。それを宥めるように、もう一人の男が首を竦めた。

 「なに、後ろから逃げてたら他の奴に殺されてるさ。ほら、アイツラも先、様子見に行くってよ」

 木の上から狙撃していた彼ら二人に、物陰から狙撃していた二人が合図を出して家屋へと近づいていく。その二人の顔は既に仕事を終えたかのように気楽なものだった。

 「俺らも行くか」

 そうして、四人は家屋へ向かった。本来ならばこの二人はその場に残り、支援に徹するべきだった。だが、彼らは油断していた。相手は一人、こちらは七人、と数の優位に溺れてしまった。彼らは己の勝利を確信して止まなかった。それが彼らの敗因であり、死へと繋がる要因になるとはこの時知る由もなかったのである。



 手元に手繰り寄せた刀を手に、地面を這いずる。床を踏み抜き、床下へ逃げ出したが、まだ気付かれていないだろうか。

 (何故……いや、そもそもアレは何者だ……?)

 己の命を狙ってきたのだろうか。確かに守原家はあちらこちらから恨みは買っている。だが、ここまでおおっぴらに命を奪いに来る事など無いだろう。では村の者か? ……それも違う。あれだけの技量を持っている者は村には居ない。あのような曲芸が出来るのは生まれついての狙撃手であり弓の名手であるエルフくらいなものだ。そして、エルフなどこの村には住んでいなかった。

 (矢は四本。ならば正面には四人……?)

 軍で習った種族の特徴を思い出す。エルフの本質は深遠なる賢者であり、残忍な狩人だ。森に棲む彼らは獲物の逃げる先を想定し、狩りをする。ならば、正面以外にも狙撃手が居て然るべきだ。

 手には刀一本。懐には肌身離さず持ち歩いている小柄が一本。弓を持ったエルフに挑むにはあまりに無謀だ。だからこそ――相手は油断する。たかが一人、と必ず油断する。

 油断は何よりも恐ろしい。隙さえあれば生き残る事も出来るはずだ。

 「守原永青、いざ参る……!」

 こうしてまた闘う事になるとは思わなかった。だが、常在戦場こそ我が家門の教え。半ば破門された身であれど、見事に全うしてみせよう。



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