1-11
これで完結です。予定より遅れてしまい、申し訳ありません。
人通りが激しい通用路、そこの長椅子に座っている巨鬼族の男は新聞片手に身を揺すっていた。
その身の丈には全く合っていない椅子は、彼の動きに伴ってギシギシと軋む。しかし、やっと落ち着いたのか、どっしりと腰を据えた。
帽子を目深に被っているが、知性を湛えたその瞳と穏やかな雰囲気は隠し切れない。「愚鈍で暴力的」と言われる巨鬼族らしからぬ雰囲気を纏った彼は、手元の新聞に目を落としている。
「八つ目村でエルフの大量殺人、犯人は見つからず……か」
今日の新聞の一面を担っているのは、連日彼の職場を大いに騒がせている殺人事件であった。そこには総勢百名のエルフの凄惨極まる殺害方法、娼婦たちの目撃情報、警察の無能ぶりが大々的に、そして誇張して書き綴られていた。
「シャガの一族は代々この地に住まい、採鉱、選鉱、製錬を一手に担い……その長であるシャガ氏は地元からの信頼も篤く、名士であり、彼の死を悼む声は止まない……真実はどうだろうな」
彼はチラリとシャガに関する黒い噂を聞いたことがあった。だからこそ、彼らも恨みの線から調査を続けていたのだが……。
「僕にはもう、関係無いことだがね」
気持ちを切り替え、娼婦たちの目撃情報に目を移す。そこには、真っ赤な鎧を着込んだ巨鬼族より巨大な男が、牙と爪でエルフを惨殺したとまことしやかに書かれていた。その上、ご丁寧に絵まで掲載されており、それを見た彼は思わず噴き出してしまった。
(恐らく、この事件も迷宮入りだな……)
彼の勘がそう告げていた。犯人らしい女の目撃情報は確かにあった。全身を鎧で包んだ、鉄球を持ったオークだ。彼女は通りで喧嘩をし、その次の日にエルフたちを虐殺したらしい……らしいと言うのは、彼女の素顔を見たものがあまりに少なく、長の部屋に鎧を捨てて姿を消してしまったからだ。何よりも――
「――百人相手にして、生き残る者がいるとは思えないな」
至極真っ当な独り言だと、彼自身思いながら先に読み進めようとした、が。声を掛けられた。
「道真、お前の異動先が決まったらしい、入れ」
扉が開き、道真と呼ばれた男は立ち上がり、少し迷ったが新聞をゴミ箱に捨てて部屋の中へと姿を消した。
「どうだい、調子のほうは?」
薄暗い部屋に淡い緑の紋様が光る。そこから発せられる光は周囲の木目を仄かに照らし、そして……ベッドに腰掛ける純青を映し出した。
「あぁ、随分と良くなった。虎虎殿と久慈久には頭が上がらない」
彼女の身体には未だに包帯が巻きつけられているが、血色は良く、随分と調子は良さそうだ。
「はっはっは! こっちは息子を助けられてんだからおあいこだよ!」
虎虎は純青の居る部屋の天井、そこから顔を覗かせて高らかに笑う。どうやら此処は”樫の根亭”の地下らしい。
「ほら、久慈久もおいでな! 何そこでモジモジしてんのっ」
「わ、わーってるよ! 準備してんだよ!!」
久慈久は声を上擦らせて答え、母と共に地下へと降り立った。彼の手には物々しい樫の杖が握られており、それは床にぶつかり鈍い音を立てる。
「それじゃ純青ちゃん、服脱いで……あっ、こっちに背中だよ!」
急かすような口調に乗せられ、純青は背を向けて服を脱いだ。
「あー、そう、そうだ。その……純青ちゃん、というのは止めて貰えないだろうか?」
スルスルと包帯を剥がされる彼女は気恥ずかしそうに訴える。だが、
「ふぅ、血は止まったけど膿はまだ少し出てるねぇ。もう一ヶ月も経つってのに、これじゃご先祖様に顔向け出来ないよ!」
(まったく聞いてくれない……)
そしてもう一人、恥ずかしそうに顔を赤く染める者が居た。久慈久は同じ空間で「女性が裸になっている」という事に耐えられないようで、そっぽを向いて杖を弄り回していた。
「じゃあいつも通り、精霊を喚ぶから――って何だい、このスケベは! 今日はアンタも見学して覚えんだよ!! ゴブリンたるもの、精霊ぐらい喚べなきゃやってけないよっ!」
狭い部屋に彼女の声が響く。
「俺は純青の姉ちゃんみたいに強くなるから精霊の力なんていらねぇよ!!」
「何だい、この子ったら! 精霊の守護のないゴブリンなんてキンタマ無いのと同じって何度言えば分かるんだい!?」
「姉ちゃんの前でキンタマなんて汚い言葉使うなよ!」
「三日も風呂入ってないアンタに言われたくないね!!」
彼ら親子のやり取りに、純青はくっくっと喉を鳴らして笑う。彼女の笑い声を聞いて、二人は言い合いを止めて物珍しげに見つめる。
「いや、なに。私も幼い頃はそう言って親を困らせた事があったのでつい、な」
その言葉によほど久慈久は驚いたのか、前のめりになって純青に訊ねた。
「えっ!? じゃあ姉ちゃんも――ぐあっ!?」
「話は終わった後でゆっくりやんな」
久慈久は虎虎に拳骨をもらい、蹲ってしまった。その彼から杖を取り上げ、ブツブツと呪文のようなものを呟くとそれに呼応して紋様の緑光が濃くなり、純青の身体を照らした。
その光には意思があるかのように揺らめいて身震いすると、彼女へ光の粒子をそっと振り掛ける。光は純青の傷口に染み渡り、そして融けた。
雪、とも、雨、とも似つかない光景。例えるなら深海の沸き立ち輝く水泡。それは木から発せられ、舞い降り、彼女の身体を埋め尽くした。
光に触れた傷口からは腫れが引き、痛々しい切り傷は滲んでぼやける。役割を果たした光は風船のように萎み、消えていった。それは根気良く何度も何度も繰り返され、虎虎の呪文が途切れるまで続けられた。
「……これで終わりだよ。この木が優しい子で良かったよ。あんた、この子に相当気に入られているみたいだけど、もしかして昔馴染みだったりするのかい?」
額に汗を滲ませながらそう言う虎虎に、純青は少し驚き、そして首を横に振った。
治療が終わり、服を着た純青は立ち上がってゴブリンの親子に頭を下げる。
「本当にかたじけない。命を救ってもらったばかりか、こうして匿ってもらえるとは……この恩は必ず返す」
「そんな大袈裟に言うもんじゃないよ! これも精霊のお導き、私たち親子が好きでやってることさ。まっ、確かに虫の息のあんたを見た時は肝が冷えたけどね!」
笑い飛ばす彼女の言う通り、純青が此処に運ばれてきた時は半死半生、いつ死んでもおかしくない容態であった。
――あの日、シャガを殺し、力尽きた彼女は後は死ぬだけの身だったと言ってよい。その彼女を見つけ、この樫の根亭まで運んできたのは虎虎に命ぜられて後を追っていた久慈久だった。
彼は、純青の態度に何か予感めいたものを感じた彼の母親に、不可視の呪文を掛けられて彼女を追った。
行く先には肉塊と血溜まり、臆した彼は足が竦み、動けなくなった。遠くから聞こえて来る悲鳴と破砕音、それはエルフの屋敷から断続的に響き、そしてついに数度の爆発音を最後に物音も途絶えた。
意を決し恐る恐る屋敷の奥に進むと、そこには大火傷を負い、じくじくと地面を血で濡らす純青が倒れていた。久慈久は一瞬迷った。この町でシャガの一族に楯突く事はすなわち、生活が立ち行かなくなるという事だ。そのシャガの一族に手を出した純青を助けた場合、自分たちにまで危害が及ぶのは明白だった。
彼は自分を育ててくれた母親がどれだけ苦労して店を切り盛りしているか知っている。自分の為にどれだけ辛い目に遭っているかを知っている。だからこそ、母に迷惑を掛けるような事はしたくなかった。だが、それでも……見捨てる事は出来なかった。きっと母親もそれを望むだろう、と。
鎧を引き剥がし、軽くなった純青を引き摺りおぶって行こうとすると、何かキラリと光る物が見えた。気になった久慈久は純青を降ろして近づいてみる。それは、死に絶えたエルフの腹に突き刺さった小柄であった。それが太陽に反射して煌いていたのであった。
臥竜の装飾が為されたそれに目を奪われ、思わず引き抜いてしまった久慈久は、人に肉を掻き分ける刃物の感触に心臓を鷲掴みにされるような恐怖を味わった。
『これ以上ここに居てはいけない』
そう思った彼は小柄を懐にしまうと純青を抱き起こして再び歩き始めた。彼に担がれた純青にも不可視の呪いは降り掛かり、ゴブリンとオークの二匹はこの世界から姿を消した。
樫の根亭で帰りを待っていた虎虎は、顔を真っ青にして帰ってきた息子を見て仰天し、そして彼が引き摺ってきた重傷の純青を見て度肝を抜かれた。
「この人、エルフ殺してた……」
その一言で虎虎は彼が何を言わんとしているのか理解した。そして事態の厄介さも。
「でも、でも絶対! 悪い人じゃないと思うんだ! だから俺……!」
自分の息子は馬鹿だけど、善悪は見分けられる。久慈久の判断なら間違いない、そう虎虎も判断し、樫の根亭の隠し部屋である地下室へ純青を運んだ。そこはその名が示す通り「樫の根」に位置する部屋であり、木の生命力が集まるゴブリンの祭儀場であった。
彼らが交信する精霊、その力を以って純青を手当てした。虎虎自身の感応力の高さもさることながら、純青の生命力の高さ、そして精霊自身の助力により、彼女は奇跡的に命を取り留めた。
しかし、目覚めるまでに一週間。立ち上がるまでにそこから二週間、純青がそれなりに動けるようになったのはつい最近のことだった。
――そして、彼女は今、何度か試すように手を開閉させ思案に耽っている。
ぐっと拳を握り締めると、銃痕だらけの腕の筋肉も膨れ上がった。
「……そろそろ、私も出よう」
頷き、部屋から出て行こうとするのを親子共々押さえつけようと飛び掛った。
「なっ、何をする!? いたたっ、私は怪我人だぞ!!」
「怪我人なら大人しく寝てるんだね!」
首に掴まった虎虎は叱りつけ、
「そうだよっ! まだ表で警察がウヨウヨしてんだよ!?」
腰にしがみ付いた久慈久は叫ぶ。
「だからこそ、だ! もう迷惑は掛けられない、私は出て行……あっ」
ゴブリン二人と言えど、今の彼女には酷だったのか、純青はその場で倒れ込んだ。それも三人一緒に。
「それ久慈久、この聞かん坊をベッドに縛り付けんだよ!」
「合点承知!!」
息の合った連携に、あれよあれよと言う間に純青は布団で蓑虫のようにされてしまった。
「いやだぁ、私はもう出るぅぅぅぅ……!」
子供のように暴れる姿に、虎虎は思わず呆れて頬を緩める。
「まったく、本当にこの娘があんたを助けて、エルフどもをぶっちめたのかい? とてもこうしている姿を見ているとそうは思えないんだけど……」
「本当だって! こぉんなデカイ鉄球振り回して!」
しかしそれでも信じられないのか、首を傾げながら地下室から出て行く虎虎。
「でもねぇ、噂だとエルフは百人以上も死んでるって言うじゃないか。この娘が一人でなんて、誰も信じられないよ。ましてや外にいる警察だって……」
ぶつくさと聞こえる独り言は遠ざかり、また地下室には静寂が戻った。
「あー……」
手持ち無沙汰にしている久慈久は、くねくねと蠢きながら泣き言を漏らす純青を宥めようと言葉を探す。
「そのー、何か食べたいものとかある?」
「外の空気」
即答され、頭を抱えた。
「あのさぁ……」
「私はもう大丈夫だ、もうこれ以上迷惑は掛けたくない」
布団に包まったまま言っても格好つかないなぁ、などと思っているとはおくびにも出さず、久慈久は苦笑した。
「義を見てせざるは勇無きなり、じゃないの?」
その言葉にぐうぅ……と純青は黙ってしまった。
(本当に見た目とは違うんだなぁ……)
初めて逢った時は正直言って怖かった。自分の目を抉ろうとしたゴロツキたちとは比べられないほどに。だがその素顔は心を打つほどに美しかった。そして食事中の微笑ましさも外見からは全く想像出来ず、親近感が沸いた。しかし一転、闘いの最中の彼女の烈しさはまるで悪鬼のようだった。血を浴びれば浴びるほど猛り、一切の慈悲なく死を産み出す姿はこの世の者とは思えなかった。
だがその悪鬼は今、布団で簀巻きにされていじけている。それが何とも彼には魅力的に感じた。
「そういえば!」
久慈久はあることを思い出し、懐に手を差し込んだ。ゴソゴソとまさぐり、取り出したのは眠り竜の小柄。それを純青に見せる。
「これって姉ちゃんの?」
「ん――あぁ、そうだ! てっきり失くしたものだと思っていたら……ありがとう、久慈久」
布団から這い出て彼から小柄を受け取ると、血糊が付いていない事を確認して胸元に躊躇いなく差し込んだ。
「……すごく大切なものなんだね、それ」
「どうして分かった?」
「だって、笑ってるし」
言われ、初めて自分の顔がにやけていることに気付いた純青は、とっとと布団の中へ顔を埋めてしまった。
「今日はもう寝る」
「えっ、まだ昼前――」
「――寝ると言ったら寝る」
それ以上取り合おうともせず本当に寝てしまった彼女に、久慈久は呆気に取られながらも喜んでくれた事に少し満足し、部屋から出て行った。
それから更に半月。純青が部屋に篭っているのに我慢できなくなって腹筋腕立てを始めた頃。通りから警察も消え、事件の騒ぎも落ち着きを見せ、ついに純青は外へ出る事を許された。
「――だとしても、この服は無いのではないか?」
純青は己が着せられている服の襟を抓み、酷く懐疑的な目を虎虎へ向けている。
「なーに言ってんだい! 鏡で自分の姿を見てみな! その姿で町歩いたら皆振り返るよ!!」
バンバンと背中を叩く虎虎を見下ろす純青の顔は真っ赤に染まっている。これは、照れだ。
「なぁ、久慈久もそう思うだろう?」
「お、おう。すげぇ良いと思いますヨ?」
久慈久は話を振られ、片言になって首をがくがく振った。
「本当に……そうなのだろうか……? 私は鎧のほうが慣れているのだが……」
純青が着せられているのは、黒い旅装束。足には脛まで守る鞣革の丈夫そうな靴、そこからは逞しい太腿が伸び、切れ上がった尻へと繋がっている。絞られた腰には覆い被さるような双丘が膨らんでおり、大胆に開かれた胸元から零れそうになっていた。
「いやぁ、やっぱり女の子は良いねぇ。もう一人産んどけば良かったよ!」
「でも、うん。それなら多分誰も気付かないと思うよ。て、言うか、鎧なんて着てたらバレるだろうし」
彼女は鏡の前で、焦げて少し短くなった己の髪を靡かせ立ち回り、胸元を閉じて二人に振り返った。
「……なるほど。二人の言う通りだ。確かにこの変装なら誰にも気付かれずに町から出られるだろう。本当に、何から何まで面倒を見てもらってかたじけない……礼を言う」
頭を下げる純青に、久慈久と虎虎は顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。
「いやっ、変装なのかな、それって……」
「だから言いっこなしだって言ってるのにこの娘は」
礼を済ませると、鎖で口を閉じたズタ袋を持ち上げてすぐさま樫の根亭から出て行こうとする純青。その彼女に、
「途中まで送るよ! せめて村から出るまでは!」
と、久慈久は横に並んでズタ袋をひったくった。純青は涼しい顔でそれを了承して、一つ付け加えた。
「――その前に、寄りたい場所がある。構わないか?」
彼女がゴブリンの親子を連れ添って訪れたのは、町沿いに流れる川。そこの川岸を当てもなく彷徨う純青の周りを、久慈久は衛星の如く跳び廻る。
「さっきのオッサン、鼻の下こぉんなに伸びてたぜ! こぉんなに!!」
「あぁ、そうだな……」
心ここに在らず、ふらふらと何かを探し回す彼女は生返事を返す。
「あのさっ! それで良かったら……この町に住まない!?」
「まったく……何を言い出すかと思ったらそんな事かい。無理に決まってるだろ!」
久慈久の無茶な要求、それを叱る虎虎。そのどちらに返事したのか、
「あぁ、そうだな……」
同じ返事を繰り返した。
「なぁ、純青ちゃんも何探してんだい? ここは人通りが少ないから目立つし、ただでさえ今――あっ、お待ちよ!」
突然駆け出した純青は、ある場所まで辿り着くと倒れ込むようにして跪いた。そこにあったのは、小さな――注意しなければ見逃してしまうほど小さな、苔むした石だった。
その石には文字が削られているのだが、酷く歪なものであり、久慈久たちには「え せぃ」と彫ってあると、辛うじて読み取れる程度だった。
その粗末な石を、純青は愛おしげに何度も人差し指で撫でる。垂れた銀髪の隙間から見える口元は、僅かに弛んでいた。
「それ……って、なに?」
何故こんな場所で、彼女はこんな表情を見せるのだろう。久慈久は気になり、訊ねた。
「これか」
振り返りもせず、純青は答えた。
「これは……私の……何だろうな。適当な言葉が見付からん。兄か師か恩人か、はたまた……いや、何でもない。つまりは……そう。代えられない人だ。私の、大切な人の墓、なんだ」
言葉ではなく、血を吐き出すように。震える睫毛には極小の水滴が付いていた。彼女は静かに、泣いていた。
「あの時、助けてくれたのが分かった。後ろに立って、睨みでも利かせてくれたのか……ふふっ、あの人らしい。普通、あの場面で殴る人なんてあなたぐらいなものだ。常識的に考えたら抱き締めるだろうに」
独り言のはず。しかしそれは、まるで其処に誰かが居るように。
「痛かったな、あれは。銃で撃たれるよりも痛かったぞ。女を泣かせる男は最低じゃないか? 頬まで揉まれたし、絶対に責任取ってもらうからな。しかしこれで皆もゆっくり眠れるだろうし、一件落着だ。そうだ、それと……」
髪が汚れるのも厭わず、両手を地につけ、頭を下げた。
「ありが、とう……! 私との約束まも、って……くれ、て……! あなたは、やはり、私の―――英雄だ」
そして彼女は童のように泣きじゃくり、二人はそれをただ、見守った。
「――すまないな。その、情けない姿を見せた」
まだ涙が止まらず、目を真っ赤にした純青が二人に頭を下げる。
「いやだね、気にすんじゃないよ! それより、これからどうするんだい?」
ズタ袋を担いだ彼女は、山の向こう、南側を指差した。
「私は帝都に行こうと思う。もう、一人じゃないと分かったからな。あと、勉強もしてみたい。これまでの時間を取り返すぐらいにな。それと、何よりも――」
胸を張り、前を見据えてはにかみながらも強く、言い切った。
「――これからは誰かを守って生きてみたいんだ。これまでとは正逆だ、殺す事しか考えてこなかった私には荷が重いかもしれない。でも、そうしたいんだ」
彼女の決断に、久慈久は待ってましたと言わんばかりに笑顔を見せる。
「出来るよ、姉ちゃんなら! 俺を助けたみたいに、誰にだって!」
「あぁ、あんたみたいな人には、そっちのほうが似合ってるよ! それに純青ちゃん、あんたは笑顔のほうが良いよ。別嬪だしねぇ」
励まされ、純青は頬を赤く染めた。そして不器用な笑みを浮かべて「ありがとう」と感謝を述べると、前を向き、力強く歩み出した。
「また逢おう! いつか、私が胸を張って自分を誇れるようになったら!」
丘の上、太陽を背に満面の笑みで手を振る純青。二人は手を振り返す。そして一陣の風が吹き、純青の銀髪が靡いて光の粒子が舞った。それは太陽の光を浴びて黄金色に輝き、そして一瞬ではあるが――竜人族の男を形作った。
純青の後ろに立つ彼は、己の姿を捉えることが出来た虎虎に会釈をし、そしてまた風に吹かれて消えていった。
「なるほど、ね、あの娘には精霊……いや、威霊が憑いてたのかい。今はもう、滅多に見れなくなったってのに。よっぽど大切にされてんだねぇ……」
母の呟きを他所に、久慈久は力いっぱい手を振る。そしてついに、陽光に滲むように純青は丘の向こうへと微笑を残して姿を消してしまった。
「……………………」
別れの余韻が引かない中、久慈久は母と並んで太陽を見ていた。
「……綺麗な、人だったね」
「そうだねぇ。まるで絵本の中の危なっかしいお姫様みたいに、さ。でも大丈夫、そのお姫様を守る騎士が、いつも一緒に居るみたいだからねっ」
空には太陽。それを追いかける白い月が青空に昇っている。不思議なことを言う母に彼は目を向けるが、彼女は空を見上げており、顔が見えない。
「アンタも私たちの事を見守ってくれてるのかねぇ」
淋しげな母が、久慈久にはいつもよりも小さく見えた。だから、彼女の手を強く握って言った。
「――大丈夫だよ。俺、かーちゃんを守れるくらい強くなるから。絶対に、強くなるから」
虎虎は目を丸くして驚いたが、すぐにいつもの調子に戻って己の息子の背中を強く叩いた。
「あっはっは! じゃあ嫌でも精霊術を学んでもらわないとね! 善は急げ、とっとと家に帰って勉強するよ!」
そして二人は寄り添って純青とは逆の方向に歩き始めた。往く道は違えど、彼らの志は同じ。いつかまた、彼らの運命が交錯するかもしれない。その日は明日かもしれないし、永遠に来ないかもしれない。
しかし一つだけははっきりと言える。彼らはもう、振り返ったりしないだろう。胸を張り、前を見据え、己の為すべき事を為すだろう。その命が、尽きるその日まで。
こうして、童女だった騎士の話は終わりを告げ、ゴブリンの少年の「彼だけの物語」が始まった。連綿と繰り返される物語の、彼にしか紡げない物語が。それはいつか、またの機会に。
おしまいです。
本来は、二万文字程度の短編で、『戦闘シーン』の練習の為に書き始めたのですが思っているより長くなり、時間が掛かりました。
このたび、執筆途中で今までよりもたくさん己の弱点が分かりました。それは語彙の少なさだったり、会話の単調さだったり。何より集中力の無さ、それが今後の課題となります。
これからも、もっともっと書いていきたいです。些細な点でも構いません、未熟な部分などがございましたら、ご教示してくださるとありがたいです。




