ドン引き
昼休み。後輩にジャージを返しにいく前に、私は噂が出回るより先にすみちゃんに頭を下げる。
「本当にごめんなさい」
「え、な、何? どうしたの?」
「日南さんにキスされました」
「…………ん? どういうこと?」
「わ、分からないけど、ちょっと言い合いになっちゃって。それで最終的にキスされたといいますか」
すみちゃんは目を点にしながら、一生懸命私の話を整理する。
私も視界がぐるぐるする。いっそのこと責め立てて殴ってくれた方がマシな気さえする。この静寂な時間分、すみちゃんの精神が削れていると考えるだけで吐きそう。いや、私がダメージ受けてどうするんだという感じではあるんだけど。
「えっと、浮気?」
「違います! 断じて違います! 私が好きなのはすみちゃんです! キスしたいのもすみちゃんです!」
「え、あ、わ、分かったから。近い……」
興奮のあまりすみちゃんの肩をがっしり掴んで近づいてしまった。
「…………私、付き合って二日目の恋人に浮気の話をされた挙句にキスされた報告されたってこと?」
「面目ありません。腹を切ってお詫びします」
「切られたら困るからそのままでいて。沙雪に関しては私が意図を探ってみるから、いぶはこれ以上キスされないように」
すみちゃんは私の唇に指を当てて、笑顔を無くした真剣な顔で忠告をする。
あゆちゃんにキスされた事は墓まで持っていこう。絶対に。
「はい。分かりました。……その、怒ってない?」
「イラついてはいるけど、いぶに怒っても仕方がないでしょ。怒るなら沙雪にだからね」
「あのねすみちゃん、日南さん相手にするなら程々で引いてね。あまりヒートアップしないでね」
「沙雪を相手にするのは面倒だって分かっているから大丈夫だよ。納得させようとしても無駄だからね。大人しく言いたいこと言ったら引く。いぶも今後気をつけてね」
「肝に銘じます」
「じゃあ、ジャージ返しにいっていいよ。ちゃんと連れてきてね」
「うん」
階段を降りようとすると、すみちゃんに腕をがっしり掴まれて引き止められた。
「どうしたの?」
「いぶ、忘れ物」
「ジャージは持ってるよ」
「そうじゃなくて、ね」
すみちゃんは目をぱちくりさせてほんの少し顎を上げている。
そんなすみちゃんを見て、首を傾げる。
「もう、鈍感!」
そう言って、すみちゃんは優しくキスをする。
「いぶがしたいって言ったんだからしてよね。そうやって鈍感だからキスされるんだよ!」
「え、ご、ごめんねすみちゃん。今度から気をつけるよ」
わざとらしく膨れっ面をするすみちゃんの頭を撫でてから後輩の元に行く。
「藍川先輩! 来てくれたのですね! 七木先輩とご一緒が自分的には良かったのですが、藍川先輩だけでも来てくれてわたし感激です!」
「あ、うん。すごく助かったよ、ありがとう。でも本当に洗濯しなくて良かったの?」
「ええもちろんです! 貴重な推し成分、無駄にはできません! あと普通に明日体育あるので、忘れられたらたまったもんじゃないので。この高校陽キャばかりじゃないですか。生粋の陰キャの自分には荷が重すぎて知り合いが一人もいないので! 唯一オタクがいそうな漫研ですらギャルがネイルしていましたからね! もう心バッキバキですよ! 今もこうして喋り続けていないと、既に緊張と焦りで砕けそうな心を保てないのでね! 少々うるさいと思いますが、ご理解いただけますと幸いです! それにしても申し訳ありませんが! 疑われるかもなので先に言っておきますが、わたし普通にクラスではめちゃくちゃ静かですから! 授業で当てられた時くらいしか話せないのでね! まったく、高校デビュー失敗ですよ、あっはっは!」
「そ、そうなんだ。えっと、ジャージに名前書いてあったし、徳永さんでいいんだよね? ちょっと個人的な話があって」
「藍川先輩がわたしにお話ですか⁉︎ それは今日一、いえ、高校入って一番の至極恐悦ですね! ええ、ええ、応じましょう! いえ、応じさせていただきます! どこまでもお供しますよ!」
「あ、ありがとう……」
ずっと喋り続ける徳永さんにたまに相槌を返しながら、すみちゃんの待つ校舎裏まで連れてくる。
「七木先輩じゃないですか⁉︎ いぶすみ揃ってのご対面、涙が出そうなほど感激です! いえ、もう出ていますが! ちょっと失礼」
徳永さんは後ろを向いてポケットからハンカチを取り出し、二、三回ほど目元を拭うと、ハンカチをしまって向き直った。
あまりの圧倒にすみちゃんですら苦笑いを浮かべている。そして、カプ名文化に疎いすみちゃんは、いぶすみという単語にひたすら引っかかっていた。
「お話を止めてしまい申し訳ありません! それで、お二人揃ってわたしなんぞに言いたいこととはなんでしょうか! わたし生まれてこの方、陰キャであるからこそ人に迷惑をかけずに生きてきたと自負しておりますが、何か私がお二人に不都合をかけてしまったでしょうか⁉︎ それでしたら平身低頭心より謝罪させていただきます! わたしのような未熟者が、お二人にご迷惑をおかけしてしまい大変申し訳ありません!」
あまりの口の止まらなさに、すみちゃんは徳永さんが息継ぎの為に一瞬止まった隙に言葉を差し込む。
「えっと! うん、止めてないからね! まず始めてすらいないからね! うん、ありがとう! 簡潔に言うとね、私達が付き合っていたということを黙っていてほしいの!」
「なるほど! その点においては一切問題ありません! なぜならわたし、ここにはテストの結果すら話す友達がいませんので! 学校違いのわたしの心優しき友人達も、世間では陰キャと呼ばれるステータスに属する者達であると思われますので、わたしの友人からこの高校の人にバレることもありません! つまり、わたしが黙ってさえいればいぶすみの秘密を守れるのですね! 推しカプの為なら全力で口を閉じましょう。見て分かる通りわたしはとても静かな人間ですのでね、あまり重く受け止めて心配なさる必要がございません!」
静かな人……。自分のセリフ量を見た瞬間再度謝りそうなくらい、徳永さんの言葉で埋め尽くされている気がするのだけれど……。
「ところで一点疑問に思った点があったのですが、付き合っていた。とはどういうことでしょうか! まさか過去形だなんてことではありませんよね! いぶすみは付き合ってますよね! 永遠ですよね! まさか別れているなんて事実存在しませんよね!」
「えっと、その、今は別れていて、友達に──」
「そうですか! すみません、少し失礼します!」
徳永さんは笑顔で固めたその表情のまま、スタスタと、若干の砂埃をあげるくらい早く小刻みに歩き、近くにあったゴミ箱に顔を突っ込んで叫んだ。
「現実は非情だーーーーー!!!!!!」
ゴミ箱から顔を上げたと思うと、しゃがんで落ち葉にぶつぶつと話しかける。
「信じられない信じられない信じられない信じられない信じられない信じられない信じられない信じられない信じられない信じられない信じられない信じられない信じられない信じられない信じられない信じられない信じられない信じられない信じられない信じられない信じられない信じられない信じられない信じられない。いぶすみは永遠なのに。私の憧れなのに。いぶすみさえあれば一生おかずいらずに白飯だけで食べていけるくらい栄養が詰まっていたのに。別れるシナリオなんてわたしの中には存在しなかった。この先どう生きればいいのか。わたしの希望が一夜、いや、一昼にして無くなった。神様仏様いぶすみ様、どうか、どうかお願いです。わたしの運全てあげるので二人が別れた事実を無くしてくださいお願いします」
横目にすみちゃんを見ると、初めてここまでの人──オタクの狂気──愛を目にしたのか、若干、いや、かなりドン引いているように見えた。
正直私もここまでとは思わなかった。私もアニメとか漫画とかゲーム好きだし、イベントとかにも行ったことあるからある程度オタクに関しては理解しているし、受け入れている……というより、自分自身オタクだと思っていたけれど、なんというか、本物を目の当たりにすると自分なんてちっぽけであると思ってしまう。よく、これでオタクだなんて本物のオタクに失礼とかあるけれど、なんだろう、今それを体感している気分。ドン引きとある種の尊敬と罪悪感が共存し、胸を変に痛めつける新たな気持ち悪さを私の中に作り出す。
「はぁ、スッキリしましてませんけど、分かりました! 黙っています! あと復縁してください! 待ってます! 話はそれだけですね! わたし今日はメンタルが死んだどころじゃなくてこれから早退するので失礼します!」
走り去っていった徳永さんを見て、あまり話したり動いたりしたわけじゃないのに、激しい運動から解放されたような感覚になった。
「かなりヤバ──ユニークな子だね……」
「うん……」
言い直さなかった方でも、すみちゃんなりにかなり配慮した言い方だったと私は思う。
「ところでいぶすみって……」
「私達のこと」




