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恋人らしいこと

 再び静かな時間が続く。昔はもっと、お互い気が抜けて自然と会話ができていたはずなのに。肩書きは進展したけれど、関係は停滞どころか後退してしまっている。


 私はともかく、すみちゃんは昔と比べて随分と変わった。昔はどこか控えめで遠慮がちな子だったけれど、今は進んで皆の中心になれるカリスマになっている。人がこれだけ変われるのだから、距離感だって自然と変わっていくのは当然だと思う。ある意味、長年の付き合いがあるからこそ感じられるものだろう。


「すみちゃんって呼ぶのも、二人の時だけにした方がいい?」

「……いぶに任せる」

「じゃあ、すみちゃんに合わせるよ。それに、二人だけの秘密って感じがして、なんだか特別感が出るしね」


 すみちゃんの持つシャーペンの芯がポキっと折れ、小さな欠片はどこかに飛んでいってしまった。


「勉強邪魔しちゃってごめんね。もう邪魔しないから、安心して続けて」


 座布団を持って離れようとすると、すみちゃんが声をかけてきた。


「恋人らしい事って名前呼びだけ?」


 座布団を戻して、もう一度すみちゃんの隣に座る。


「あまり、すみちゃんの恋愛の初めてを奪うのも気が引けるんだけどね」

「いぶはそこまで考えなくていいよ。私は気にしないから」

「すみちゃんは良くても、すみちゃんの未来の本当の恋人さんに申し訳ないから」

「……いぶにとって、私って何?」

「恋人だよ」

「じゃあどうして、自分は偽物の恋人みたいに言うの?」

「だって、私達の間に恋愛感情はないから。安心して、私はすみちゃんが求めるなら恋人でいるし、不要になったら幼馴染に戻るだけだよ」

「いぶは私の事、どう思っているの?」

「ちゃんと好きだよ。昔からずっと」


 そう答えると、すみちゃんのノートがほんの少し濡れて、小さな円を作った。


「ええ、すみちゃん大丈夫? 何か気に障るような事言っちゃった? ごめんね。傷つけちゃって」


 昔みたいに頭を撫でようとした手は、すみちゃんに触れる事なく中途半端に行き場を無くした。


「小森さんより好きなの?」

「え、ええ?」

「いぶは私の事、小森さんより好きなの?」

「ええ? うーん、あんまりそういうの考えた事ないな。すみちゃんにはすみちゃんだからこその良いところがあって、小夏には小夏だからこその良いところがある。そこに優劣なんてつけられないから」


 すみちゃんのノートに落ちる雫の頻度が高くなって、綺麗な小さな円から不規則に丸みを帯びた形になっていく。それがペンを置いているところまで広がっていって、ページに小さな破りを作る。


「私は、いぶの事が一番好きだよ」

「すみちゃんにそう思ってもらえて嬉しいよ」

「どうして、こうなっちゃったんだろう……」

「すみちゃん?」


 すみちゃんはついにペンを離して、腕で自分の目元を覆う。


「昔からずっと、ずっと、いぶの……でも、私はいぶの、王子様になれない……」

「どうしてすみちゃんが王子様になるの?」

「だって、いぶが……いぶが…………こうなるから、いぶと、距離取ってたのに……」


 私は開いたすみちゃんの口にチョコレートを入れる。


「なんだかよく分からないけど、甘い物食べて落ち着こう。私が悪いところは言ってくれたら直すから。ね」


 指ですみちゃんの涙を拭って、ゆっくりと動かしている頬を撫でる。


「このチョコ美味しいよね。昔すみちゃんが教えてくれてから私の大好物になったんだよ」


 すみちゃんはチョコレートをゆっくりと一つ摘む。包装紙を取ると、私の口元にチョコレートを向ける。


「恋人、らしいこと」

「たしかにそうだね。……でも、本当に私でいいの?」

「誰でもじゃなくて、いぶだから」

「では、お言葉に甘えて。いただきます」


 すみちゃんの指に触れないように、チョコレートを口で受け取る。


「うん、美味しい。すみちゃんからもらったから、いつもより甘く感じる。ありがと──ふぎゃっ⁉︎」


 すみちゃんはチョコレートを手渡した手で、私の顔全体を覆った。


「ど、どうしたのすみちゃん?」

「そういうの、いぶの悪いところ」

「え?」

「余計な一言も二言も付け加えるところ」

「うーん。でも本心だから、余計にはならないと思うけど」


 そう答えると、すみちゃんはむぎゅっと、指に力を入れて私の顔を掴んだ。


「ご、ごめん、何か嫌な事言っちゃった?」

「嫌じゃないから困ってるの」

「ええ〜なぞなぞ? 私そういうの苦手なんだよね」

「いぶの馬鹿!」

「うう、この前の小テスト点数悪かったし否定できません。……あ、だったら、すみちゃん勉強教えてくれない? 今日は遅いし、来週も無理だけど、再来週から勉強教えてほしいな。家で勉強教えるなんて恋人らしいと思わない?」


 顔とすみちゃんの手の間に自分の手を入れて、指を絡ませて握りながらすみちゃんの手を退かして目を見て提案する。

 すみちゃんは伏し目になり、小さくうんと答えた。


◇◆◇◆◇


 すっかり日も暮れ始めて、そろそろすみちゃんを帰さないといけない時間になった。

 いつもなら、自分で勉強道具を片付けて、一言告げて帰り、それを私が玄関まで静かに見送るのが定例だけれど、今日のすみちゃんは何もしようとせず、ずっと私の手を握って離さない。


「すみちゃん、もう帰らないと。夕飯できちゃうんじゃない?」

「うん……ねえ、いぶ」

「なあに?」

「いぶは、いつまで私と恋人でいてくれるの?」


 私が問いた質問を今度はすみちゃんが少し暗めのトーンで問いてくる。


「すみちゃんが望むならいつまでも」


◇◆◇◆◇


 すっかり遅くなったので、今日はすみちゃんの家まで見送りに行くことにした。

  

「あ、(にい)。おかえり」


 階段を降りるとバイト終わりの兄が靴を脱いでいたので、声をかける。


「おー。おっ?」


 兄は首だけ後ろに向けてこちらを見ると、横にいるすみちゃんに目を向ける。


「お邪魔してますお兄さん」

「おー! えっと、あれだ、純蓮ちゃんか! 久しぶり! 立派なお姉さんに成長したな〜。キラキラJK。うちのとは大違い!」

「一言余計だよ。私すみちゃん送ってくから」

「俺が送ってってやろうか? なんつって」

「大学生が高校生に手を出したら事案だよ事案」

「冗談に決まってるだろ。可愛げないな。純蓮ちゃん、またうちおいでな! いつでも歓迎だよ!」

「はい、ありがとうございます」


 すみちゃんを歩道側、私は車道側で並んで歩く。


「お兄さん変わってないね」

「それは良いことなのか悪いことなのか、正直分からないよ」

「良いことだと思うよ。私達は変わっちゃったから」

「それはそれで、成長したって事だから良い事だと思うけど──」


 私はすみちゃんの前に手を差し出す。


「すみちゃんがよければ、昔みたいに手を繋ごう」


 すみちゃんはじっと私の手を見た後、恐る恐る、指を一本ずつ丁寧に手のひらに滑らせて、私の手を握る。私もすみちゃんと同じくらいの力で軽く握り返し、歩幅を合わせて歩く。


「今日は久しぶりにすみちゃんとたくさん話せて嬉しかった」

「私も……」

「またいっぱい話そうね。それじゃあ、またね」


 すみちゃんに手を振り、家に入ったのを確認してから、その手を降ろして来た道を戻っていく。

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