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藍川依吹③

 それは、小学四年生の時だった。クラスの子にいぶ君女の子なの⁉︎ と、クラスでちょっと話題になった翌日、すみちゃんは目を真っ赤に腫らして登校した。


「すみちゃん、目大丈夫?」

「うん、大丈夫……」


 すみちゃんの机に顎を置き、下から覗き込むように青くて赤いその目を見た。


「何か悲しいことでもあった?」

「ううん。大丈夫」


 すみちゃんは首を横に振り、私から目を逸らした。


「いぶ君、一緒にトイレ行こ」

「え、あ、うん」


 左右後ろから押され引っ張られ、このとき初めて連れションをした。


「いぶ君、純蓮ちゃんと一緒にいて楽しいの?」

「楽しいよ」

「でも純蓮ちゃんあまり話さないじゃん」

「すみちゃんは仲良くなったら結構話してくれるし笑ってくれるよ」

「へー」


 なんとも言えない空気がその時漂ったのを覚えている。


「いぶ君は純蓮ちゃんの事好きなの?」

「好きだよ」

「あたし達の事は?」

「もちろん好きだよ」

「じゃあ、誰が一番好き?」

「えー、うーん」


 しばらく黙って長考したけれど、結局答えは出なかった。


「あまりそういうの考えたことなかった。皆それぞれ良いところがあるから」

「じゃあ純蓮ちゃんが特別ってことじゃないんだ」

「そうなるね」


 そう言うと、三人ともニコッと笑って、さっきまでの話はなかったかのように、笑顔で別の話を始めた。


 また一年が経って五年生になった。この頃から、どことなく異様な空気を時折感じる時があった。


 ──いぶ君こっち。いぶ君おいで。いぶ君私と。私のいぶ君。いぶ君行かないで。いぶ君約束──


 そんな言葉があちらこちらから飛んできた。

 いつの間にか、男子とも距離ができて、私から声をかけようとしても、ごめんと離れていった。


 でも、対照的にすみちゃんは以前よりも明るくなった。


「いぶ君、今度お家においでってお母さんが言ってたよ」

「じゃあお邪魔させてもらおうかな」


 前まではあまりクラスで私に声をかける事がなかったのに、今では輪に入って、笑顔を浮かべて私に声をかけてくるようになった。


「うん。たくさん遊ぼうね。だって私達、お友達だもん」


 話す時も、手を繋ぐ時も、遊ぶ時も、すみちゃんは執拗に友達という言葉を強調した。


「いぶ君が食べてるの美味しそう! ちょっと頂戴」

「いいよ。スプーン貰ってくるね」

「いぶ君の使っているやつでいいよ。だって私達、女の子同士だもん」


 そして同じくらい、女の子同士という言葉もよく多用していた。


 いつも私から差し出していた手も、この頃はすみちゃんから差し出し、よく後ろから声をかけて、寄りかかってきていた。

 でも、この時のバレンタインデーのチョコだけは、すみちゃんの手作りではなく市販のものだった。

 しかし、次第にその親しさはなくなっていき、六年生に上がる頃には妙に空いた距離感ができてしまった。

 それでも、修学旅行では同じ班になり、一緒に行動し、同じ部屋で過ごした。


 はしゃいで疲れて半分寝かかっている時に、ガールズトークで話題を振られた。


「いぶ君はどんな人が好きなの?」

「ん〜。王子様みたいな人」


 周りの子がきゃーっと言う中、すみちゃんだけは神妙な面持ちをして、顔を真っ赤にしていた。


 このガールズトークの話はすぐに広まったのか、よく男子にお前のキャラじゃないと言われて揶揄われたりしたが、その度に近くの女子が苦言を呈していた。そうすると、男子は特に言い返したりしないが、明らかに空気が悪くなっていた。

 そしてそれは、男女間だけでなく女子間でもあった。


 一度、忘れ物を取りに行った時、女子二人が喧嘩しているのを聞いてしまい、間に入って止めようと教室を開けたら、私を見た二人は何事もなかったかのように振る舞い、私の前ではいつも通りの二人だった。


 そういうのが何度かあって、私は気づいた。

 私がいると、誰も本音を言えなくなってしまうことに。

 私がいるだけで空気が変になり、私がいるから本音が言えない。だから、仲良い人同士でも勘違いが起こって衝突が起きてしまう。


 だから私は、中学からは自ら進んで人の輪に入る事はせず、大人しく教室の隅っこにいるようにした。雰囲気を変えるために髪も伸ばし始め、制服もスカートにし、小学生の時のスタイルから変えた。


 対してすみちゃんは、小学生の頃とは打って変わって人の輪に入っていき、自然とクラスの中心人物になる存在になっていた。


 私達が通っていた小学校の生徒の大半は、この中学よりも近くの中学があり、そっちに行くため、ここにすみちゃんがいたのは意外だったが、中学で変わったすみちゃんを見て、私と同じく人間関係をリセットしたかったのだと納得した。

 私は迷惑をかけないために。すみちゃんは皆を笑顔にするために。


 中学でクラスが離れた私達は、あまり会話も挨拶もする事はなくなったけれど、すみちゃんの話だけはよく話題に上がっていたので、直接会わずともそれなりに近況は知れた。

 例えば、誰がすみちゃんに告ったとか。連日連日囁かれた。


 そんな耳でしか聞いたことのない告白の現場に、偶然にも遭遇した事がある。

 すみちゃんは私を見るなり、腕をつかんで私達、付き合ってるのと男子生徒に言った。

 おそらく、私が知る中で唯一明確にすみちゃんが嘘をついた時だった。


 けれど私は、正直嬉しかった。中学生に上がってから、小学生の時のように一緒に帰ることも無くなったから、赤の他人のようになっていた。すみちゃんの本心はずっと見えなかった。小学生の頃によく囁いてくれた好きも、中学に上がってからは本心だったのか分からなくなった。だから、嘘でも、利点目当てでも、たまたまでも、私を選んで付き合ってると言ってくれて、嫌われていないと安心できた。


「良かったの?」

「うん……。あのね、良ければその、本当に付き合ってほしいの。えっと、そしたら告白断りやすくなるし。好きな人が出来るまででいいから……」

「うん、いいよ」

「ほんとに?」

「うん。困ってるみたいだし全然平気」

「ありがとう……」


 こうして、私達は付き合い始めた。

 女同士な以上揶揄われる事が多いかなと思ったこともあったけれど、そういうことはなく、若干距離を感じる子達がいたり。仲良い子にはなぜだか呆れられるくらいだった。私はすみちゃんほど、質問責めには遭わなかった。


 小学生の頃感じた異様な空気を中学で感じる事はあまりなかったけれど、変わらず人の本心だけは皆私の前では晒さないようにしていた。

 すみちゃんを筆頭に、言葉の節々に嘘じゃない言葉で本音を隠しているのを感じられた。

 私の何が悪いのか分からなくて、一番忖度ない意見を言う兄に聞いた事がある。


「兄、私ってそんなに信用ならない人間かな?」


 兄は私の部屋に勝手入ったかと思うと、机の上の物勝手に弄り始めたのでそう声をかけた。


「なんだ急に。厨二病か?」

「違うよ。なんか皆、私の前でだけはずっとニコニコしているというか、嘘つかれてるわけじゃないんだけど、なんか、その子の本当の気持ちだけは見えないというか」

「ほーん」

「私ってそんなに、気持ちぶつけにくい人間なのかなって」


 兄は私の勉強机の椅子に思いっきり体重をかけて座った。


「例えば、プリン美味かったっていう分にはただの感想だし、言うのに別になんの配慮もいらんが、あいつが隠しているプリン見つけちゃったからたまたま手が伸びちまった。さっさと食べないあいつが悪いって言うのも聞かれるのも、その後起きる面倒とか想像すると隠すだろ。お前に表面的な事しか言わないのは、無関係なお前をわざわざ面倒に巻き込みたくないからだろ」

「兄また私のプリン食べたの⁉︎」

「知ーらね。冷蔵庫見てこいよ」


 プリンの件でその時は一旦意識が逸れたけど、後々考えて、兄の話しに半分納得したものの、でも、やっぱり私がいるから、隠してしまう事があるという事に半分ショックだった。


 だから、なんのオブラートにも包まず、全力で本心をぶつけてくれる小夏は、私にとってこれ以上ない安心感を与えてくれる。

 私のせいで人間関係が拗れることも、空気が悪くなることもない。だって小夏は、善性と本音の塊だから。

 小夏がぶつけてくれる気持ちを、私は何の躊躇いもなく受け取る事ができる。小夏といるだけで心がスッと軽くなる。

 入雲さんが、小夏は私と良い出会いをしたと言っていたけれど、きっと私も同じくらい、もしかしたらそれ以上に小夏と良い出会いをして、救われた気がする。好きに息が出来る人間関係は小夏とだけだから。


「ありがとう、小夏」


 私は眠っている小夏を起こして、二人で手を繋いで電車を降りていく。

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