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泊まりの夜

 映画が終わりを迎えても、しばらくはすみちゃんを膝に乗せたままだった。

 胸に伝わるすみちゃんの鼓動は変わらず激しく、体温は温かかった。


「すみちゃんは昔からよく、顔を真っ赤にするよね」

「いぶのせいだよ」

「それはごめんなさい」


 すみちゃんは思いっきり私に体重をかけた後、一息ついた。


「いぶ、何食べたい?」

「そうだね〜。何食べたいかと言われると色々と頭に浮かんでくるんだけど、明日楽できる事を考えるとカレーかな」

「そう言うと思ってた。カレーの材料買ってるよ」

「すみちゃんにはお見通しでしたか」


 私達は二人並んで料理を始めた。


「すみちゃん、昔から料理上手だったよね」

「そうかな。普通だと思うよ」

「上手だよ。そういえば、バレンタインのお菓子もいつも手作りだよね。私すみちゃんの手作り好きなんだ」


 すみちゃんは手元が狂ったのか、ダンッ! と、包丁とまな板で大きな音を響かせた。


「だ、大丈夫? 怪我すると危ないし代わろうか?」

「ううん、大丈夫。ごめんね」

「そ、そう? 急がなくて大丈夫だからね。怪我しない事が一番だからゆっくりやろう」

「うん、ありがとう」


 そう言って、また包丁を動かし始めたので、すみちゃんの手元を気にしながら私も手を動かし始めた。


 幸い無事カレーは作り終えて、二人向かい合わせで夕食にし、二人で食器を片付けた。


「そういえばこれ、恋人らしいことだね。同棲してるみたい」


 すみちゃんが落とした食器をギリギリでキャッチし、少し水気を取って食洗機に入れる。


「それが事実なら、もっと幸せなんだろうね」


 すみちゃんはゆっくりと手を動かしながら、そんな事を呟いた。


「私はすみちゃんと過ごす今の時間、すごく楽しいよ」


 すみちゃんは顔を赤くして、私もと返した。


◇◆◇◆◇


「いぶ、お風呂沸いたよ」


 すみちゃんの部屋の床に座ってラノベを読んでいると、そう声をかけられた。


「うん、分かった。行ってらっしゃい」

「え、いや、そうじゃなくて」

「一緒に入るの? 狭くなるけど大丈夫?」


 すみちゃんは勢いよく首を横に振った。


「そ、そうじゃなくて。先に入っていいよって言いたくて」

「それは申し訳ないよ。すみちゃんが用意したんだから、すみちゃんが先に入るべきだよ。私は後でいいから」

「い、いいから! いぶが入って!」


 そこまで言われてしまうと、これ以上遠慮するのは逆に失礼になりそうだから、お言葉に甘えて先にお風呂をいただくことにした。


「はぁ〜」


 昔はもっとゆとりがあるように感じられた湯船も、今ではギリギリ足が伸ばせるくらいにまでになっている。


 思えば、私はすみちゃんと二人でお風呂に入ったことがなかった。お互い雨に濡らされた時も、一緒に遊んで汚れた時も、ただの一度も一緒に入ったことはなかった。

 風邪を引くかも、汚いままだと不快かも、そう思って何度か誘ったことはあったけど、毎回今日のように顔を真っ赤にして、全身に力を入れて拒否られた。


 昔からすみちゃんのことはちょっと分からない。妙に距離が近いかと思ったら、全力で距離を取る時がある。

 昨日はダメで、今日は平気な時がある。今日は拒絶して、明日はすみちゃんから来る時がある。

 他の友達とは距離感が一定に感じるのに、私に対してだけは変動する。


 ──すみちゃんは私の事、どう思っているのだろう。


 考え事をしていたからか、つい長風呂をしてしまい、急いでお風呂から出た。


「すみちゃん、出たよ。お風呂ありがとう。ちなみにドライヤーってどこにあ──る」


 お風呂に行くときに床に置いたままにしていたラノベに足を取られ、すみちゃんが座っている方に真っ直ぐ身体が倒れていった。


 どうにか腕をついて、すみちゃんに体重をぶつけることは防げたが、勢いで顔だけは身体よりも下に、そしてすみちゃんは頭をぶつけないように顔を上げていたからか、唇同士が触れ合った。


 私はすぐにすみちゃんから退いて、指ですみちゃんの唇を何度も拭う。


「わぁぁぁぁぁ⁉︎ ご、ごめんね! ごめんね! ファーストだった⁉︎ ごめんね! 三秒ルール! 三秒ルールだから! 三秒以内に拭えばまだノーカンだから! 大丈夫だから!」


 すみちゃんは私の手に触れて、唇から離した。


「いぶは、拭わなくていいの?」

「別に私はすみちゃんにファースト貰われても気にしないから! そんなことより本当にごめんね」


 再び唇に触れようとすると、すみちゃんは顔を真っ赤にして、走って部屋から出ていった。


◇◆◇◆◇


 私は今、家に帰るか悩んでいる。

 適当にそれっぽく三秒ルールとか言ったけど、故意ではないにせよすみちゃんにキスしてしまった事実は消えない。つまり、すみちゃんがまだ誰ともキスしたことがなければ、どんなに言い訳しようと、すみちゃんからしたらファーストキスの相手と言われて思い浮かぶのが私になってしまう。私はそんな人として大切な記憶を奪ってしまった最低な人間だ。

 恋人という肩書きを持っているとはいえ、その実情はただの幼馴染。すみちゃんの恋愛を奪っていい人間じゃないのに、私はとんでもないことをしてしまった。

 少しでも今日の記憶を薄めるために、これ以上すみちゃんと一緒にいるべきじゃないのかもしれない。


「──いぶ」


 肩を叩かれ、後ろからそう声がして振り向くと、パジャマに着替えたすみちゃんがそこにいた。


「すみちゃん、本当にごめん。私のせいですみちゃんのたった一度しか得ることのできない大切な記憶を奪っちゃって。今日の事少しでも忘れられるように、私帰るよ。しばらく距離置いて、今日のことが夢だったと思えるようにしよう」

「……それは、私の為?」

「少なくとも自分の為ではない」


 すみちゃんは私の肩にかかっていたタオルを手に取って、私の頭を覆った。


「だったら、帰らなくていいよ。私はいぶが思うほど気にしていないから。──ねえ、いぶはどうしてファーストキスの相手が私でも気にしないって言ったの?」

「え……。うーん。どうしてと言われても、嫌って思えなかったから。私はすみちゃん好きだから。もしかしたら今後、この関係が解消されて、恋愛に踏み出す時がくるかもしれないけど、その相手とのキスがファーストじゃなかったとしても、初めての相手がすみちゃんってだけで安心できるから」


 すみちゃんはタオルを強く握りしめ、私の頭だけでなく目元まで覆った。


「私も、ファーストキスがいぶなの、嬉しいよ。理由は全く違うけど、嬉しいの。だから、ごめんって言わないで」


 力が抜けたのか、タオルはすみちゃんに握られたまま、私から離れていった。

 すみちゃんは昔と変わらず、顔を真っ赤にして、目に涙を溜めて、震えながら唇を噛んでいた。

 私はそんなすみちゃんの頭に手を伸ばす。ドライヤーが当てられた温かみのある髪。いつもより指が通る髪。


「うん。もう言わない。嬉しいって言ってくれてありがとう」


 すみちゃんが静かに零した涙はタオルが吸収していった。


◇◆◇◆◇


 すみちゃんは落ち着いた後、一度深呼吸をし、調子を取り戻していった。

 ドライヤーをかけていない私の髪に触れ、恋人らしい事と、すみちゃんがドライヤーで乾かしてくれた。

 髪が乾いた後は軽く掃除をして、お互いベッドに腰掛けて話をした。学校の事、明日の花火大会の事、昔の事。

 日曜日の我が家ではしない話を、時間を気にせず沢山した。

 お互い出るあくびが徐々に大きくなり、自然と寝る流れになった。


「それじゃあ私は床で寝るね」


 ベッドから離れて、床に敷いてある布団に入ろうとすると、すみちゃんが軽く私の服を引っ張った。


「あ、あのね、一緒にね、寝たいなって」


 すみちゃんは顔を逸らしながらそう言ってきた。


「でも、狭くならない?」

「ホラー映画、怖かったから。一人で寝たくなくて」


 クーラーが効いている比較的涼しい部屋にも関わらず、すみちゃんはほんのり汗をかいていた。


「じゃあ、一緒に寝ようか」


 私が壁際にいき、肩が触れ合いながら同じベッドに横になる。


「い、いぶ⁉︎」


 私が片手をすみちゃんの腰に手を回すと、すみちゃんは少し恥ずかしそうに震えた声を出した。


「こうした方が落ちないでしょ」

「そ、そうだけど……」

「すみちゃん、おやすみ」


 私はそう言って目を閉じ、すみちゃんの息遣いを感じながら夢の世界へと入っていく。

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