我慢
夏休みが始まった。つまり平日も休みになる。そして私には彼女がいる。家で一人のこの機会を逃す必要がない。
「いらっしゃいすみちゃん」
「お邪魔します」
今日はリビングに通す。私の部屋だとやれる事が限られる。それに、家に誰かいるとリビング使えないから、このタイミングを逃せない。
ソファに座っているすみちゃんにチョコミルクを渡して隣に座る。
すみちゃんは一口飲んで、前にあるテーブルにコップを置く時、ほんの少し私と距離を取った。
「すみちゃん」
「どうしたの?」
「もしかして私、臭い……?」
ショックを受けて、そのままシャワーに直行しようかなと考えていると、すみちゃんが慌てて否定した。
「違うよ! いぶはいつも良い匂いだよ!」
「じゃあ、どうして距離取ったの?」
すみちゃんは恥ずかしそうに顔を逸らし、両足を抱えて、ふにっと膝に頬をつけて、上目遣いで私を見上げる。
「広すぎて緊張しちゃって。こんなにスペースあるのにあえて近づくの、恥ずかしくて」
もし今一人ならば、私は思わず壁やテーブルに額を何度もぶつけていた。それほど、今のすみちゃんは破壊力が凄まじい。
「そ、そっか……」
それ以外言えなかった。言う言葉が思いつかなかった。頭が全く働いていない。
恋をするとIQが下がるとかよく言われるているけれど、それを今体感している。
甘いはずのチョコミルクも今の状況に勝てずに然程味がしない。
ゲームでも映画でも観られるようにとわざわざリビングに来たのに、何も動く気がせず、ひたすらに外の音に耳を立てる。
蝉の声、鳥の声、車の音。それに加えて、まるで差し込む陽光からも夏特有の音がなっているように錯覚する。
「いぶ」
「どうしたの?」
「いぶは私に近づかないの?」
そんな意地悪な問いかけを私に投げかけてくる。
「近づいていいの?」
すみちゃんは何も言わないで、口を一文字にして、ずっと床を見つめていた。
「逃げないでくれるなら近づきたいけど、側にいてくれるだけでも私はそれで十分だよ。二人きりの空間が私にとっては特別だから」
すみちゃんは立ち上がると、私の膝に座った。
「おかしいね。隣にいるよりも、こうして密着しているほうが緊張しない」
すみちゃんは少し声を大きくし、耳を真っ赤にしている。
「いぶは、我慢しないでもう少し欲を出してもいいんだよ」
若干顔を横に向けてそんなことを言うすみちゃんに腕を回して、足でも挟むように抱きしめる。
「じゃあ、しばらくこうしていたい」
さっきよりしっかりと抱きしめ、腕のゆとりを狭める。
すみちゃんが呼吸するたびに、腹部の膨らみに応じて一緒に腕も動く。何度も何度も、私の呼吸よりも早く腕が動く。
「すみちゃんも我慢していることはない?」
私の丸まった背中が、すみちゃんの動きに連動して伸びていき、ソファに背がくっついた。
「修学旅行、いぶと行動したかった」
「それは本当にごめんね。私がもっと口が上手ければ……」
「別にいいよ。沙雪と友美奈が一緒に行動するって言わなかったら、どうせあゆと小夏に取られるもん」
「そこは白葉ちゃんがどうにかしてくれると思うけど」
「でも、小夏とは一緒になるでしょ」
拗ねているという感じではあるけれど、それだけじゃない。どこか諦念しているというか、悔しさが滲んでいた。
「組んだのが沙雪と友美奈で悔しかった。でも同時に、その二人でまだ良かったって思った。小夏と組まれたら、私は勝てないから」
「そんな、勝つとか負けるとか……。白葉ちゃんならきっと、上手いこと言ってすみちゃんと組ませてくれたよ」
「そうかもね。でも、いぶは小夏を優先するでしょ」
すみちゃんは私の手を両手で握りしめながら、絞り出すように声を出した。
「いぶにとって、小夏はなんなの……」
「私にとって小夏は──」
この先の言葉が途切れていた。友達、親友、仲間、盟友、色んな言葉を当てはめてみたのに、どれもぴったり当てはまらなかった。言葉に対して関係が重いとか軽いとかじゃない。ジャンルが違う。そんな感じで、どの言葉も違うとはっきりと口にできるほど。じゃあなんなのか。私にも分からなかった。
「──小夏がなんだろうと、私はすみちゃんの彼女で、すみちゃんは私の彼女だよ。二人といない、ただ一人の私の彼女」
すみちゃんは腕の中で体制を変えて、私と向き合う。
「いぶは私のものなのに、どうして──」
すみちゃんは安心を求めるように私にキスをする。そこに幸福はなくて、むしろ不安がこもっていた。
そのキスに私は上手く馴染めなかった。




