72話 黒姫VS魔王
――ギルド受付嬢が試合開始を高らかに宣言する。
シーラは武器も出さずにゆっくりとセレスティアに歩み寄る。足音もなく、でもゆっくりと。セレスティアは両手をポケットに入れ、悠然とシーラを見下しながら彼女の接近を待つ。
一歩ごとに静まり返る会場。空気だけがチリチリと火花を起こしそうなほどにひりついて、縮まる距離はそのまま導火線の短さを想起させた。
解説と実況が仕事のギルド受付嬢を以てしても、今この時に発せる言葉などありはしない。
シーラはさらに近づく。一歩。また一歩。槍ならもう届く距離。剣でも届くような距離。そして、握手でもするかのような距離。
――一閃。
シーラの右手には刃の反った片刃刀の鞘。左手には反りのある片刃刀が握られており、鞘走りを利用した超高速の抜刀術が放たれる。剣術の流派など知らないシーラが、自身の経験則で最も高速と思われる初手の攻撃に選んだのがそれだった。
会場中の誰の目にも止まらぬその閃きは最短距離でセレスティアの首を狙う。殺すつもりはない。頸椎を残して前半分を斬る。
ドッ。と鈍い感触が刀を伝う。それは硬くも柔らかくも無い。味わった事のない不思議な感覚だった。
「は?」
シーラの刀はセレスティアの喉に触れたところでピタリと止まっていた。鉄をも切り裂く『黒姫』の一閃。シーラの反応を見て、セレスティアは満足そうに笑みを浮かべる。
「あぁ、聞いてないのか。リューズも意地悪だね。ひどいやつだ」
蠅を払うようにセレスティアが右手を振るとその動き自体がまるで高度な術式であるとばかりにシーラを中心に八方が煌めいて、次の瞬間互いに誘爆をする。だが、すでにそこにシーラはいない。一足飛びに飛びのいて、振り出しの距離へと戻る。
会場は呼吸をするのを忘れる。セレスティアはあきれ顔で受付嬢を振り返る。
「こら。仕事しないとマジで給料減らすぞ、ぼけぇ」
その言葉で、彼女も、会場も呼吸と言う生命活動を思い出す。
「でっ……でっ、出ましたァ~っ!先制攻撃は黒姫の超高速の抜刀術。見えました!?見えませんでした!でも、鞘も持ってたからきっとそうです!そ・し・て!それを受けたのはセレスティア様の【不壊】!20年前にダンジョンをクリアした際に得たと言う【祝福】!どんな力を以てしても!どんな魔法を以てしても!その身体に傷を付ける事は出来ないッ!だから、20年前と変わらずお美しいままなんですね~、羨ましいっ!」
今まで黙ってしまった分を取り返さんばかりに一息にまくしたてる実況を聞いて、シーラは剣をセレスティアに向ける。
「それは嘘。顔に傷がある」
指し示した左頬にはかさぶたにすらなっていない爪痕のような傷跡が見える。宣告すると次いで武器を切り替える。刀と鞘が消え、その代わりに両手に手甲が装着される。
「なら、攻撃は通るはず」
高速で、だが直線的でなく獣のように左右にステップを振りながらの移動。だが、セレスティアはそもそもシーラの姿を追おうともしない。
「なるほど、そりゃ名推理だ」
申し訳程度にセレスティアが動かした右手の先から雷撃がほとばしるが、それをよける事などシーラには容易い事。
飛び掛かり、そのまま手甲に魔力を込めて一切の遠慮なく顔面へと叩き込む。狙いはその傷のある場所。
再び彼女の拳には違和感にも似た感覚。
「でもごめんな?この傷、祝福を受ける前にできてたものなんだよ」
にっこりと、笑顔でセレスティアはシーラの左手を掴む。
「だから私を傷つけるのは無理かな」
シーラの左手を掴んで離さず、右手に魔力を高める。魔法陣が一層、二層、三層と重なっていく。
「やば」
手を振り払おうとするシーラ。だが、膨大な魔力で身体能力自体を強化しているセレスティアの手は払えない。苦し紛れに攻撃を加えようとするが、【不壊】の祝福には通じない。
「本来魔導士って接近戦苦手だろ?詠唱してる隙に狙われたら一たまりもないからね。まぁ、その為に障壁とか防衛手段はあるわけだけど、それも限度がある訳だ」
話をしているうちにも右手の魔法陣は増えていく。八層、九層と重なり、それに輪をかけて球体の魔法陣も重なっていく。
見るだけで威力を感じ取ってしまうシーラは珍しく焦りを顔に現しながら手を振り払おうとする。その様子を動物のあがきのように微笑ましくクスクスと笑いながら眺めつつ、セレスティアは再び後ろを振り返る。
「はい、続き言わせてやろう」
バトンを受け取った受付嬢は解説を続ける。
「とっ、ところが!セレスティア様はその【祝福】により、攻撃も、ダメージも受ける事はありません!つまり、……至近距離だろうと最後まで!満足のいくまで詠唱を重ねられるという訳なのです!歴代最強とすら言われる大魔導士の!極大魔法を!まさにチート!魔王!人でなし!」
「一言多いな、お前」
文句を言いながらも軽く笑い余裕を見せるセレスティア。もはや数えきれない魔方陣で包まれた左手でポンとシーラの肩に触れる。魔法陣はすっとシーラに移り、拡がり、その身体を包む。
「あんまり壊すと旦那に怒られるんでね」
そこでようやくシーラを掴んだ右手を離し、両掌を合わせる。
「百乗千貫獄炎楼」
その言葉と同時にシーラを囲む魔法陣の内部が真っ白な炎の渦で包まれる。
「ぐっ……ううううううううっ!」
声を押し殺したようなシーラのうめき声と、肉の焼ける嫌な臭いが闘技場に広がる。リューズは叫びだしたい気持ちを堪え、ぐっと歯を食いしばる。
一分ほどで球体が消えると、ボロボロに焼け焦げたシーラが姿を現す。障壁で身体を守ってなお、身体の多くが焼けただれ、服は燃え、黒く長い髪も無造作に焼け焦げた。
「確かに、……こりゃ強い」
あきらめにも聞こえるその言葉。セレスティアは腕を組みリューズを見る。
「リューズ。いいのかい?止めるならいまだよ」
リューズの返事がわかっているシーラは、彼の言葉を待たずに言葉を続ける。ダメージを受けた火傷跡のある顔で、不敵に笑みを見せて指を三本立てる。
「確かに強い。でも三番。二番は『神戟』。一番は私」
「いいねぇ。いつまでその強がりが言えるのか。楽しみだ」




