71話 ギルドマスター・『魔王』セレスティア
ギルド受付の奥。見るからに年代物の高級そうな扉にはメドゥーサの紋が金で箔押しされている。鍵は掛かっていない。昔からそうだから見なくてもわかる。
コンコンコン、とノックをしてから扉を開ける。
「失礼しま……っす」
扉を開けると最奥の執務机に座っていた真っ白な長髪をした女性が視線を上げる。切れ長でたれ目気味の深紅の瞳は、俺を見て一瞬驚いたように丸くなるが、すぐに戻って彼女はクスリと笑う。
「よう。ずいぶんお寝坊さんだな」
ギルドマスター、セレスティア・アズライール。俺と同じくらいの背丈で、波打つ真っ白な長髪。気怠そうな雰囲気で、余裕のある笑みを浮かべながら彼女はゆっくりと俺に近づいてくる。その頬には昔と変わらず魔物の爪でついたような傷跡がある。
「すいませんね、遅くなって。二度寝してたんで」
軽口を返すが、シーラは理解ができず首を傾げている。
「んん?まだ朝じゃない?二度寝とかしてなくない?」
セレスティアは困惑するシーラを懐かしむように眺める。
「気にするな、物の例えだ。今はシルヴァリアと組んでいるんだってな。どういう風の吹き回しだ?」
「んー、まぁ。ちょっと年甲斐もなく昔を思い出しちまって」
「年甲斐もなくとか言うな。私の方が年上だぞ」
と、言うけれどどう見てもセレスティアの年齢は昔と変わらない。さらに言うと、20年前から変わっていない。
「今おいくつでしたっけ?」
俺の問いにセレスティアは苦々しく顔をしかめる。
「馬鹿が。女に歳を聞くなよ。44だよ」
「っすよねぇ。あ、タバコ止めたんすか?」
「とっくだよ。身体に悪いからな」
「ねぇ、リューズ」
その呼びかけには嫌な予感しかしない。シーラはセレスティアを指差して俺に問う。
「リューズはどう思う?私とこの人、どっちが強い?」
予想できた質問。だが、俺は答えに詰まる。答えはわかりきっている、けれど、俺だけは言ってやらないといけない気がする。でも、それは嘘をつくことにならないだろうか?
「おいおい、あまりリューズを困らせるなよシルヴァリア」
セレスティアは腕を組み、シーラを見下ろすように言葉を続ける。
「私だよ」
「へぇ。それは楽しみ」
ゴブリン辺りなら即死しそうなほどの緊張感が室内を包む。
「まっ、待て!こんなとこで戦う気じゃないだろうな!?ネアルコスさんも怒るぞ!」
俺の制止にセレスティアは顎に手を当て、納得の表情を見せる。
「ふむ。それもそうだな」
その表情は次の瞬間に悪魔の微笑みに変わる。
「こんな狭い部屋で戦うのは勿体ないよな」
いかれた解釈にシーラはこくりと頷き賛同を示す。
「そういう意味じゃねぇんだよぉ!?」
俺の悲痛な叫び声は、一切の意味を持たずに狭いギルマス室にこだました。
――そして昼過ぎ。
昼間にも関わらず色とりどりの魔導灯が煌びやかに照らし上げる巨大な建造物がヴィザ名物の闘技場だ。
「さぁ、普段なら気怠い昼食を終えた昼下がり!今日この街でそんな気分の人は、間違いなくゼロでしょう!」
魔導拡声器を用いて興奮した様子の女性の声が闘技場内に響き渡る。
「本日急遽組まれた超々々スペシャルビッグカード!皆さん信じられますか!?私はいまだに信じられません!」
20代前半くらいの、ギルド受付の服を着た女性は大きく身振りをつけながら会場全体に向けて声を放ち、興奮を煽り立てる。
「5年前……、突如として闘技場に現れた当時12歳の少女。漆黒の閃光のようにヴィザの闘技場を駆け巡り、数多の冒険者たちを血と恐怖の海に叩き込んだ神童!そんな彼女がS級になって帰ってきた!え?今はC級?……とにかく、5年の時を経て彼女はここに帰ってきた!紹介は不要でしょう!『黒姫』、シルヴァリア・ノル!」
満員御礼の闘技場は地鳴りのような歓声が響き渡り、比喩でなく会場と空気が揺れた。
「……お前、5年前からやってんなぁ」
「別に普通」
個別に用意された選手控室。あきれ顔でシーラに声をかけるが、シーラは全くもって普段通りの様子。
「ねぇ、リューズ。あのオッズ?ってのは何」
会場全体から見える巨大な掲示板に映るオッズ。現在のオッズはシルヴァリア20.7倍に対してセレスティアは1.1倍。今あれだけ5年前のシーラの武勇伝を煽り立ててなおこの倍率だ。
「え、えーっとな……。この闘技場では賭けも行われていてな。勝った時に支払われる倍率の事なんだ。シーラが勝てば約20倍、セレスティアが勝った場合は――」
「1.1倍?なにそれ。全然増えないじゃん」
と、自分で言った後でシーラは答えに至り、ピクっと一度目の端を引きつらせる。
「あぁ、みんな私が勝つって思ってないのか」
シーラはジッと俺を見る。
「リューズもそう思う?」
今度こそ、こんな質問には即答だ。俺は一枚の紙きれを見せる。
勝者・シルヴァリア、掛け金582万ジェン。
「これで答えになるか?これは俺の……全財産だ」
小心者の俺の手はプルプルと震え、体中からはじんわりと汗が滲む。
「ふへっ」
一瞬目を丸くしてからシーラは嬉しそうに、力が抜けるような笑い声をあげる。
「これは負けたらご飯抜きかも」
「わはは、そのくらいの気持ちで頑張れ」
俺はシーラの背中をバシッと叩く。
「最初に言っとくけど、負けてもガッカリなんかしねぇよ?けどな、それは負けていいって意味じゃないからな?」
「ん。わかった」
会場の声に耳を寄せると、場内はどんどんボルテージを上げ、受付嬢のマイクパフォーマンスは続く。
「対する相手は、闘技場への登場は8年ぶり。数々の武勇伝……いえ、そんな言葉では生ぬるい!数々の神話を残す冒険者の頂点っ!その身に宿すは【不壊】の祝福!何人も彼女の身体を傷つける事は出来ない!ギルドマスターであり、『魔王』の異名を持つ生ける伝説……セレスティア・アズライールッ!」
「様を付けろ。給料下げんぞ」
腕を組み闘技場内に現れたセレスティアが呟くと、受付嬢はビシッと直立の姿勢で敬礼をする。
「はっ、はいっ!すいません!」
「ふはは、冗談だよ」
セレスティアはいたずらそうに笑う。
そして、彼女が場内に現れた途端、あれほど興奮のるつぼだった闘技場内が一瞬でシンと静まり返ってしまう。
チョイチョイ、と遠くからセレスティアがシーラに手招きをして、シーラは場内へと歩みを進める。
「待った、シーラ!セレスティアの【祝福】は――」
言いかける俺に手のひらを向けて、シーラは俺の言葉を制する。
「関係ない。聞かなくても、ちゃんと勝つから」
手のひら越しに見えるシーラの瞳はまっすぐに俺を見ていて、口元は微かに笑みが浮かんでいた。
「おう、勝ってこい」
「もちろん」
俺が手を伸ばすと、シーラはそれに手のひらを合わせ、パンと一度音が控室に響く。
シーラとセレスティアが当時場内で相対する。空は雲一つない晴天だが、場内の誰も空なんて見ていない。
「場外は負け、故意に客席に向けた攻撃は負け、あとは?」
セレスティアが指折り数えながらルールの確認をする。曰く8年ぶりの闘技場。
「はいっ!殺したら負けです!」
「ふむ。まぁ、今日に関してはその心配はいらないだろうね。リューズ。その辺は任せるよ」
俺のいる控室の方を見て無造作に彼女が俺の名を呼ぶと、会場内にどよめきが広がる。
「黒姫に、魔王に、……神癒だと!?」
「とんでもねぇな、今日は!」
「当たり前の事だけど、もう一つだけ付け加えようか」
セレスティアは指を一本立てながらにっこりと嗜虐的な笑みを浮かべる。
「リューズが治癒をしたらシルヴァリアの負け。逆に言えば、君が止めないと私はどこまでもやるからね。私が彼女を治癒する分には反則じゃないから。安心しろ、どの程度なら死なないかは熟知しているからな」
クスクスと笑うセレスティアにシーラは無表情のままで一言返す。
「どうでもいい。早く」
晴天の下、昼下がりの闘技場。
「それでは……、始めッ!」
戦闘開始の声が、高らかに響き渡る――。




