68話 いつかまた世界を
俺の腕に刻まれた赤い五文字を見てアミナは嬉しそうに微笑む。その瞬間俺の治癒魔法は音も光も無く発動し、傷は一瞬にも満たない時間で綺麗に消える。
ゲオルグにも気づかれていない。部屋の空気が張り詰める……と思っているのはきっと俺だけで、シーラは収納魔石から札束をいくつか取り出してテーブルに積んでいる。
「誤解のないように言っておきたいのですけど――」
アミナの前置きにゲオルグは低く冷たい声で彼女をたしなめる。
「アミナ様」
「私は自ら望んでここにいるのです」
「アミナ様!」
強い口調でアミナを制止させようとゲオルグが声を上げると、アミナの左目は暗く、冷たく、まっすぐにゲオルグを見る。
「ゲオルグ。黙りなさい」
少し前までの、満月のように明るく輝くその金色の瞳は、地獄を覗いてもそうはならないと思うくらいに冷たく、暗く、澱んで映る。
「大丈夫です。私はそこまで馬鹿じゃありません。ただ、ほんの少しだけ私の昔話をするだけです。あなた方の不利益になるような事は一切ありません」
きっと百戦錬磨のゲオルグが言葉一つで気圧されてしまうほどの重圧。きっと、それは戦闘力以外の何か。――その正体をこれから俺は知ることになる。
覚悟を決めたゲオルグがぎゅっと口を結ぶと、アミナの瞳はまた満月に戻る。闇夜を照らす明るい光。
「ちゃんと説明しないと、悪い大人たちが私を閉じ込めてるって思われちゃうわよ?寧ろこの方が教会の為なんだから」
口元を手で隠してクスクスとアミナは笑う。
「リューズさん。今言ったように私は自分でここにいるんですよ。教会の仕事はしょうがないですけど、できる限り人に会いたくないので。あなた方二人みたいな人、ほとんどいないんですよ?表面上は笑顔で友好的でも、心の中ではずっと他者を恨んで、憎んで、蔑んで、罵る。この【祝福】があると、嫌でもそんなものが全部視えてしまうんですから。仲が良かった友人達が心の中では私の事を売女呼ばわりしていた事なんてかわいいものです」
懐かしそうに思い出し笑いをしながらアミナは眼帯に手を掛ける。反射的に心配そうに眉を寄せるゲオルグの手が伸びそうになり、その拳は自制で固く強く握られる。
「今は慣れましたけどね。最初は地獄のようでしたよ。こんな【祝福】要らない。何にも視たくない、って。で、気が付いたら――」
アミナの眼帯の奥には何もなかった。彼女はその残った左眼で俺を見ながらにっこりと微笑んだ。まるで聖女のように、と思って彼女が大聖女と呼ばれる人間だと思い出す。
「発狂しかけて自分で目を抉ってました」
「やば」
シーラが二文字で的確に状況を分析するので、こんな状況にもかかわらず笑いそうになってしまい辛い。
「ですよね。やばかったです、当時は」
アミナは本当に楽しそうに笑う。
俺が地獄だと思っていた12年がきっとぬるま湯に思える様な世界を彼女は見てきたのだろう。俺の地獄は12年後に光が差した。こんなおじさんが勝手に親近感を持ってしまって申し訳ないのだが、……彼女にはそれはあったのだろうか?
「リューズ。治してあげて」
シーラはアミナの右目を指さして軽く言う。
「いや、そりゃまぁ治せるけどさ」
「リューズは治癒が得意」
腕を組み、シーラは得意げに胸を張る。
「売り込みはありがたいんだけどさ、教会にだって腕のいい治癒士はいっぱいいるだろうし、治せるならとっくに治してるだろ」
「は?意味わかんない」
普段通りのシーラに苦笑しながら俺は立ち上がる。
「今治してもしょうがないって事だよ」
「お帰りですか?」
ゲオルグの案内も待たずに俺は出口の扉へと向かう。
「えぇ。また聖遺物見つけたら持ってきますよ。あっ、期間終わったら視てもらえないんですかね……?」
「いえ、お二人であれば実績もありますので、上で『ゲオルグに』と伝えて貰えれば案内するように伝えておきますよ。……アミナ様もたまには息抜きが必要でしょうしね」
見た目によらず優しい言葉に俺もつい嬉しくなる。
「……いつか、あんたがまた外に出る事があったら」
言い換えれば、それは【祝福】を消すことが出来たら、と言う事。俺の祝福が消せるのなら、アミナの祝福だって消せるはずなのだ。
俺はちょっと格好つけてニッと笑う。
「その時は目、治させてくださいよ。俺、こう見えて治癒術得意なんで。きれいに治しますから」
「じゃあ私はパンケーキ作ってあげる」
アミナは祈るように両手を合わせ、シーラの言葉に目を輝かせる。
「それは素敵!」
「あ。次普通に持ってくればいいのか」
「いえ、持ち込みはご遠慮ください」
シーラの呟きはゲオルグに冷静に対処され、シーラは不満げに眉を寄せた。
「は?意地悪くない?」
「悪くない」
「お二人とも、また来てくださいね!絶対ですよ!」
「ん」
「そんじゃ、失礼しまーす」
アミナは名残惜しそうに何度も手を振り、俺たちが扉を出るとゲオルグはそれを断ち切るかのように扉を閉めた――。
ギィ、ガシャン。と金属同士の接触する音とともに扉は閉まり、地下室はいつも通りの平穏を取り戻す。
「本当、素敵な人たちね」
リューズとシーラを見送ると、アミナはその場で両手を天に伸ばして伸びをする。
「アミナ様」
ゲオルグが目隠しを差し出すと、アミナは手でそれを制する。
「もう少しこのままでいいわ」
そして、窓のない鉄扉を眺めて呟く。
「あの二人が言う様に、……いつかまた世界をこの目で見る事ができる日が来るかな?」
【祝福】で見えなくとも、人の悪意はいつの世も世の中から消えた事は無い。人が存在する以上、いつだって確実にそこにある。祝福がなくとも、悪意は消えない。
「……その問いに答える事はできませんが、お望みであれば次の食事にはパンケーキをご用意いたしましょうか」
感傷的になっていたアミナはクルリと振り返ると、左目を輝かせる。
「いいわね、それ!その代わりちゃんとゲオルグが作るのよ!?絶対よ!」
あきれ顔でゲオルグが笑う。
「了解しました、アミナ様」
――世界は、今日もいつも通り回っている。




